たかがCM、されどCM。
15秒に命をかけたCM界の巨匠、関口菊日出監督が亡くなられ
ました。享年63歳でした。
29日、その関口監督を送ろうということで、仕事仲間や友人たちが
表参道のホテルフロラシオン青山に集いました。
参加者は、200人は悠に超えてたのではないでしょうか。
もちろん大半が東京の人たちだったのですが、CMディレクター、
カメラマン、スタイリスト、プロデューサー、中には舞台俳優の方など
その世界の錚々たるメンバーが献花し、監督を偲んで集っていました。
私は、東京スタッフの懐かしい顔ぶれにもお目にかかれて同窓会の
ような気持ちになりました。
私と同じように九州から参加したのは4人。
CMプロデューサー、照明ディテクター、そして私と、
彼らも長年一緒に仕事をした仲間たちでした。
「わがままだったなあ、でも勉強させてもらったね」
九州で監督と一緒に仕事をした者の気持は皆同じでした。
会場受付で渡された封筒には関口監督直筆の墨で書かれた
「ありがとう」の一文字。
封筒の中には若き日の監督のポートレート(モノクロ)1枚と
2月13日の日付が入った絵コンテが1枚入っていました。
亡くなる10日前に描かれたもので、
最愛の子供たちへあてた「ありがとう」という絵コンテでしたが、
それが監督のこの世で本当に最後の絵コンテとなりました。
常に魂をぶつけて仕事をされて、
だからこそ激しくぶつかることもよくありましたが、
ぶつかる度に私自身も成長していけたと思います。
一つのCMを作るのに関わる全員の
(スタッフはもちろんスポンサーも代理店も、はたまた営業も)
気持ちが一つになることが大事であること、
それがいいCM(作品)を作るのだということを教えられました。
私たちのややもすれば流される仕事の中でも、
緊張の連続ではあったけれども、監督との仕事はひときわ
輝いています。
輝いた時間を共有できたことは私の一生の宝です。
関口監督、ありがとうございました。
二次会会場の入り口には、ひまわりが大好きだったと言う
監督の最後の絵が、ひまわりの花と一緒に。
15秒に命をかけたCM界の巨匠、関口菊日出監督が亡くなられ
ました。享年63歳でした。
29日、その関口監督を送ろうということで、仕事仲間や友人たちが
表参道のホテルフロラシオン青山に集いました。
参加者は、200人は悠に超えてたのではないでしょうか。
もちろん大半が東京の人たちだったのですが、CMディレクター、
カメラマン、スタイリスト、プロデューサー、中には舞台俳優の方など
その世界の錚々たるメンバーが献花し、監督を偲んで集っていました。
私は、東京スタッフの懐かしい顔ぶれにもお目にかかれて同窓会の
ような気持ちになりました。
私と同じように九州から参加したのは4人。
CMプロデューサー、照明ディテクター、そして私と、
彼らも長年一緒に仕事をした仲間たちでした。
「わがままだったなあ、でも勉強させてもらったね」
九州で監督と一緒に仕事をした者の気持は皆同じでした。
会場受付で渡された封筒には関口監督直筆の墨で書かれた
「ありがとう」の一文字。
封筒の中には若き日の監督のポートレート(モノクロ)1枚と
2月13日の日付が入った絵コンテが1枚入っていました。
亡くなる10日前に描かれたもので、
最愛の子供たちへあてた「ありがとう」という絵コンテでしたが、
それが監督のこの世で本当に最後の絵コンテとなりました。
常に魂をぶつけて仕事をされて、
だからこそ激しくぶつかることもよくありましたが、
ぶつかる度に私自身も成長していけたと思います。
一つのCMを作るのに関わる全員の
(スタッフはもちろんスポンサーも代理店も、はたまた営業も)
気持ちが一つになることが大事であること、
それがいいCM(作品)を作るのだということを教えられました。
私たちのややもすれば流される仕事の中でも、
緊張の連続ではあったけれども、監督との仕事はひときわ
輝いています。
輝いた時間を共有できたことは私の一生の宝です。
関口監督、ありがとうございました。
二次会会場の入り口には、ひまわりが大好きだったと言う
監督の最後の絵が、ひまわりの花と一緒に。