逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

ウイグル民主化(アルカイダ)の嘘

2018年11月30日 | 政治
『石油価格が4割暴落』

2008年に1バーレル140ドルまで高騰した石油価格がリーマンショックで40バーレル以下にまで3分の1以上の変動幅の大暴落した。その後徐々に上昇していた石油価格ですが2014年6月をピークに再暴落した。その後2018年10月には80ドルまで上がった石油価格が現在は50ドルを切り極短期間に4割も下げていた。
アメリカの傭兵組織のアルカイダ(安田純平の拘束)の動きと石油価格とが連動して動いていたとすれば、縁起の悪い話だが今この瞬間に世界を揺るがす大変動が密かに起きているのである。

『2015年9月のプーチンの決断(ロシア軍のシリア参戦)で世界の情勢が大きく変化』

3年4か月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平が拉致犯人として唯一名前を出したのが東トルキスタン(いわゆるリベラルメディアが口を揃えていう中国のウイグル族民主化勢力)のテロ組織だった。
同じく(今年のノーベル平和賞受賞者である)イラクのクルド族系の少数宗教のヤジディ教徒でISIS(イスラム国)に捕まり姓奴隷となった女性に関連してTBSが特集番組を組んで大きく報じていた。ところが、この番組でも現地の刑務所で元『イスラム国』兵士として堂々とテレビに顔出して発言していたのはドイツ出身のアルカイダ戦士と中国のウイグル族出身の東トルキスタン極悪テロリスト組織だったのである。
ヤジディ教徒の村を次々と襲撃して男や女を皆殺しにした挙句、若い女性は姓奴隷として市場で売買していた悪魔のようなイスラム原理主義(アルカイダ)の連中が、善良で良識ある欧米や日本のリベラルメディアや知識人が支援していた中国の東トルキスタン(ウイグル民主化勢力)だったとのオチ。
(★注、もちろん先進国から見て『一人っ子政策』のように人権無視の中国当局の悪は枚挙にいとまがないが、だからと言って反政府組織が善であるとの原理原則は何処にも無い。それどころか悪い中国当局と戦っていたウイグル民主化勢力とは、欧米が密かに支援した極悪の傭兵組織『イスラム国』だったのである。)

『正誤や善悪が180度正反対に入れ替わる』

この安田純平ですが実はTBSに雇われて、5年前には3年前に拘束された時と同じようにトルコ側からシリアに入って従軍記者としてアメリカの傭兵部隊の自由シリア軍と3週間寝食を共にした挙句、(リベラルメデャイアのお約束ごとである)アルカイダの極悪テロリストを独裁政権と戦う民主化勢力と描くという何んともたちの悪いプロパガンダである『能天気なお馬鹿ドラマ』を作っていた。『独裁政権』なる陳腐なお題目を唱えれば、アルカイダでも何でも『善になる』と信じていたのである。



私がシリアで見た「戦争のリアル」 戦争報道のあり方を、安田純平さんの帰国と共に考える

「勇気と蛮勇は違う」 臆病と言われようとも、私が肝に銘じていることだ 2018年11月29日 ハフポスト日本版ニュースエディター/関根和弘

内戦が続くシリアで武装グループに拉致され、3年以上にわたって拘束され続けたフリージャーナリストの安田純平さん(44)が10月下旬、無事解放された。
だが、帰国した安田さんを待っていたのは喜びの声だけではなった。「自己責任論」に基づく批判も相次いだ。
実は私自身、内戦下のシリアを少しだけ取材したことがある。その意味で今回の騒動は、危険地域における取材のあり方や、そもそも戦争報道とは何かという問いを私に突きつけた。
シリア取材の経験と当時、現場で感じたことを振り返りながら、個人的に思うところを述べたい。

安全を最優先
私がシリアを取材したのは2013年1月下旬から2月上旬にかけての1週間だった。当時、私は朝日新聞モスクワ支局に勤務。中東やヨーロッパ各地にいた同僚記者たちがそれぞれのテーマに基づき、交代でシリア取材を続けていた。
私の場合、シリアにいるロシア人を追うことを取材の柱にしていた。
シリアはロシアの友好国で、多くのロシア人がシリアでビジネスをしたり、シリア人と結婚して現地に暮らしていたりしている。
ところが、ちょうどこの頃、ロシア人たちが相次いでシリアを出国する騒ぎが起きた。「内戦が急速に悪化している可能性がある」。現地のロシア人たちの生活を通じて、それを確かめるのが狙いだった。
紛争地にしろ、災害地にしろ、朝日新聞が記者に危険地域を取材させる際は、事前に現地の情報をできるだけ集め、危険度合いを慎重に検討する。
安全が確認できなければそもそも記者を送り出さないし、仮に派遣を決めたとしても安全対策を万全にする。
シリア取材のケースで言えば、現地の事情に詳しいシリア人のコーディネーターの男性に依頼し、入国前から出国まで同行してもらった。
この男性は、中東地域を担当してきた歴代の記者たちと多くの仕事をこなしてきた。経験が豊富なだけでなく、信頼関係もある。

シリアへの出入りは、隣国レバノンからの山越えルートを選んだ。山の上には、出入国を審査するシリア政府の施設がある。ここから入るということは、アサド政権が求める手続きを踏むことにほかならない。
「政権側」から入国することで、取材や報道が妨害されたり、制約されたりする可能性はないのか――。そんな懸念はあった。それでもこの入国ルートを選んだのは、安全の確保を第一に考えたからだ。
もちろん、アサド政権からの干渉や制約がないという確証が事前に得られたことも現地入りに踏み切る理由になった。

シリア入国後、外務省を訪れて身分を明かした。その上で各地を取材したが、政権側の圧力や理不尽な制限を感じたことはなかった
ただ一つ、地中海沿岸の都市タルトゥースにあるロシア海軍の補給拠点に近づくことは禁じられた。もっとも、これについては安全保障やロシアとの外交関係を考えれば、内戦にかかわらず、政権が制限するのは特別不当とは思わない。


停泊中の船の向こう側にロシア海軍の燃料補給地があるとみられる=2013年1月、タルトゥース

もしかしたら、こうした取材のやり方に対して、政権側の「息のかかっていない」ルートを使うべきだと批判を受けるかもしれない。
例えば、反体制派と政権軍が激しく衝突していた混乱に乗じて北部(トルコ側)から入ることも考えられたが、安全上のリスクが高すぎると判断した。
確かにこのルートで入国を果たしたジャーナリストもいた。彼らに言わせれば、私たちの選択は「臆病」なのかもしれない。
だが、戦争取材の経験が決して豊かではない自分の力量や安全面を考慮すれば、私たちの選択は間違いではなかったと思う。
シリアでは首都ダマスカスにあるホテルに滞在した。同じ部屋を長期間借り、防弾チョッキやヘルメット、備蓄食料を置いていた。
数時間ごとに東京にいる同僚記者に電話連絡もした。行き先や現地の状況などをこまめに報告するためで、移動にあたっては、危険地帯の場所や道に詳しいシリア人に車の運転を頼んだ。
記者、ジャーナリストとして取材は大切だ。だが、それ以上に、無事戻ることを至上命題とした。

現場は「魔物」
記者にとって現場はつくづく「魔物」だと思う。事件であれ、災害であれ、そして戦争であれ、よりリアルな情報を読者に届けようとすれば現場に肉薄することは不可欠だ。
だが、現場に危険はつきものだ。場合によっては命を落としかねない。それでも記者はしばしば、眼の前に広がる非日常に触れると、その高揚感によって感覚が麻痺し、リスクより「使命感」を優先してしまうことがある。
そうやって命を落としてきた戦場ジャーナリストの話をよく先輩記者から聞いた。「勇気と蛮勇は違う」。臆病と言われようとも、私が肝に銘じていることだ。
暴力や戦闘だけが戦争報道なのか

「臆病」な私はシリア滞在中、当時激戦地となっていたアレッポなどに行くことはなかった。それは私だけでなく、朝日新聞の方針として同僚記者たちも厳守した。
私が行ったところは、首都ダマスカス、ロシアの海軍拠点があるタルトゥース、すでに政権軍と反体制派の戦闘が沈静化していたホムスなどだった。
いずれも激しい戦闘行為を目撃したわけではない。見た光景と言えば、市場で買い物をする母子、カフェでおしゃべりを楽しむカップル、路上でサッカーをやる子どもといった、何気ない日常ばかりだ。
だが、むしろそこにこそ、戦争のリアルと恐ろしさがあると気づいた。というのも、彼がそうやって日常を送っているダマスカスの数キロ先では、政権軍が反体制派に対して空爆していたからだ。
断続的な轟音と空高く上がる黒煙。非日常的な出来事にもかかわらず、市民はすっかり慣れてしまっているのだろう。何事もなく日常を送っていた。


ダマスカスの中心部。数キロ先には空爆の黒煙が上がっていた=2013年1月

それまで戦争といえば、弾道ミサイルの発射や戦車による砲撃、兵士らによる戦闘行為、血を流して運ばれる人々、そんなイメージばかりだった。
それらは一見、強烈な印象を与えるが、実は戦争の断片的な光景でしかない。戦争と言っても、間断なく、あらゆる場所で戦闘行為が行われているわけではない。
考えてみれば当たり前かもしれない。だが、それがわからなくなってしまうほど、戦争報道はステレオタイプになっている。
私がダマスカスで目撃した光景は、平穏な日常に、空爆という非日常が自然なほど溶け込んでいた。戦争のリアルに触れた思いがし、恐ろしさを感じた。
私はTwitterで、それまでメディアが報じてきた戦争の光景とは違う写真ばかりを投稿した。若者の笑顔、アイスをほお張る男女、「KARAOKE」という看板が掲げられた店、ケンタッキーフライドチキン・ダマスカス店......。
フォロワーたちから反響もたくさん頂き、戦闘地を避けた「臆病」さがもたらした思わぬ産物となった。


香辛料の専門店=ダマスカスの市場


アイスクリームを楽しむカップル


ケンタッキーフライドチキンの中では男女が食事を楽しんでいた

自己責任論に思う
危険を承知で戦争地に向かうジャーナリストたちの仕事は、同業としてもリスペクトしかない。様々な制約が予想されるフリーの人たちならなおさらだ。
安田さんが言ったように、ジャーナリストは自らの意思で戦争の悲惨さを伝えようとしている。
たとえ政府が退避勧告を出していようとも、ジャーナリストとしての良心や使命感によって危険地に踏み込むのであり、誰の命令でも要望でもない。まさしく自己責任だ。
だが、そうした自己責任と、いざ窮地に陥った国民を国が救出することは別の話だ。
かつて海外の邦人保護を担当していたある外務省職員も同じ意見だった。「危険地に行こうとするジャーナリストの思いは理解できる」。彼はそう話していた。
ただ、だからといって「救ってもらって当然」と考えるジャーナリストがいるとすれば、私は賛成しない。同じ社会に暮らすメンバーとしてまず、感謝の気持ちを伝えたいし、謙虚であるべきだと思うからだ。
そう考える私はジャーナリストとして意識が低いのだろうか......。答えはいまだに出ない。
11月29日 ハフポスト

『極悪低能メディア』ハフポストの記事が、・・・

この比較的良心的なパフポスト記事にも、『内戦はそもそも、独裁者であるアサド大統領と、彼に反発する一部の市民たちが起こした抵抗運動から始まっている。』とのリベラルメディの『お約束』ごとが1行だけ書いてあった。
ただし、その前後が『入国審査はシリア政府アサド政権の手続きで、・・・「政権側」から入国することで、安全の確保を第一に考えた
取材の妨害や制約の可能性については、
もちろん、そんな懸念はあった。それでもこの入国ルートを選んだのは、アサド政権からの干渉や制約がないという確証が事前に得られたことも現地入りに踏み切る理由になった。』
遠景ではあるがシリア駐留のロシア軍基地も撮影されていることからもシリアのアサド政権側の取材妨害や制約がほぼ無かった(自由に行えた)と思われる。写真にもあるがダマスカス郊外のアルカイダの拠点である東グータ地区などテロリストの拠点は危険なので『安全の確保を第一に考えた』制約は当然存在する。ハフポストですが事実上極悪アルカイダを応援する低能リベラルメディアのお約束(御題目)を、記事の内容で打ち消していた。

『自己責任』云々とは、

そもそも2004年以前は日本も世界もまったく『同じ』扱いだったのである。人質バッシングなど誰も行っていない。その最初が稀代のトリックスター小泉純一郎と産経読売だった。、
小泉政権で2004年に初めて日本の自衛隊のイラク海外派兵で、運悪く米海兵隊のファルージャ掃討戦に巻き込まれた日本人ボランティア3人に対するもの(何も知らない素人が危ないと場所に行くなの意味)で、当時でも危険を冒すことが使命であるジャーナリストに対しては産経新聞でも行っていない。話は逆で、危険であればあるほど『自己責任』の値打ちが高いのである。
ところが14年が経過して病的な右傾化が極限まで進行した結果、日本国中が頭が空っぽで目が節穴のネットウヨと同じになっていたとの笑えない笑い話である。



ニューズウィーク日本版‏@Newsweek_JAPAN · 11月28日

内戦の趨勢が決したシリアで、再びアレッポ市に塩素ガス攻撃が行なわれた意味
──反体制派は反論するが、欧米諸国は黙りを決め込む

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/11/post-11348.php … …

★注、
このニューズウィーク記事ですが、何ともタイトルが秀逸である。
長い間『イスラム国』が支配していたアレッポ市がシリア政府軍が奪還したことから勝敗は決していた。敗走した『イスラム国』(アルカイダ)が『内戦の趨勢が決したシリアで、再びアレッポ市に塩素ガス攻撃が行なわれ・・・欧米諸国は黙りを決め込む』
と何とも分かり易い。
シリア内戦で頻発する『毒ガス』なるものですが、これは2011年にリビアのカダフィ政権をフランス(サルコジ大統領)がNATOやアメリカと組んで現地のアルカイダ勢力を使って打倒するという侵略行為と同じ種類の謀略事件。しかし、今回はシリア政府打倒の目的が失敗したことが明らかで、最後に残ったアルカイダやホワイトヘルメットなど偽装テロ組織の敗残兵をシリアのイドリブ県の狭い地域に閉じ込めておくことだけが課題として残っているだけ。
17年前のあの9・11事件以来延々と続いていた摩訶不思議な世界一長い(アルカイダ『イスラム国』などイスラム過激派に対する)『対テロ戦争』の真実が、とうとう白日の下に暴かれたのである。
もしシリア政府軍とかロシア軍が総攻撃すれば勝敗は簡単に決着する。
ところが、この場合にいくら悪いとはいえイスラム国兵士のテロリストを全員皆殺しにするわけにもいかず、仕方なくトルコ経由で元々の出身国に帰ってくるが、今後ホームグラウンドテロの頻発が予想されるドイツやフランスイギリスだけではなくてロシア(チェチェン)や中国(ウイグル)など世界の全員が恐れている。それでアレッポ市を攻撃したアルカイダ(イスラム国)の毒ガスを全員が黙ったいるが『仕方がない』のである。


(おまけ)

『これぞメイドインジャパン!? 3分でわかる“自己責任”の歴史』2018.11.29 パオロ・マッツァリーノ日本文化史研究家

「日本人は甘えすぎだ! 自分の意志で危険な地域に出掛けてトラブルに遭ったなら、国に頼らず自己責任でなんとかしろ! ちょっと見ていてください。彼女が座るところに、“自己責任”を置いてみましょう」

「きゃあ! すごい。全然、壊れない!」
「さすが、メイドインジャパンの“自己責任”」
「“自己責任”だーい好き」

昭和の日本ではめったに聞かなかった
日本には、自己責任という言葉の熱狂的ファンがいるようです。日頃から「絆」の大切さを説きながら、いざとなると「自己責任」だ、甘えるな、と豹変するのだから、人間性を疑ってしまいます。
第一次自己責任ブームが起きた約20年前、社会学者の桜井哲夫さんは自己責任を妖怪にたとえました。炯眼でしたね。消えたと思うと、また現れる。人の心の闇に取り憑き思考を停止させ、窮地に陥っている人にバッシングを浴びせる集団ヒステリーを引き起こすのだから、まさに妖怪の名がふさわしい。
いったいこの妖怪は、どこからやってきたのでしょう。そもそも昭和の日本では、自己責任なんて言葉すら、めったに聞きませんでした。日本の主要雑誌記事をデータベース化している大宅壮一文庫で検索したら、昭和時代に自己責任を見出しに使った記事はたったの4件。

■90年代に流れが変わったワケ
新聞記事ではいくらか使われてましたが、そのほとんどが、企業や金融機関の自己責任を問う経済記事で、論調も似通ってます。
アメリカの企業や銀行は自己責任で自由に活動している。かたや日本は、大企業も銀行もみんな政府機関の指示を仰ぐ横並びの護送船団方式だ。そろそろ日本も自己責任の自覚を持て――みたいな感じです。つまり、80年代までの日本で自己責任が求められたのは、企業や金融機関だけだったのです。
流れが変わりはじめたのは90年代中頃のこと。90年代に入っても毎年数件にとどまっていた「自己責任」記事が96年、一気に18件にジャンプアップ。
その理由は、ペイオフや金融ビッグバンといった金融規制緩和の開始に向けて、これからの時代は個人投資家にも自己責任が求められる、とする記事が増えたからでした。ここへきて自己責任を求められる対象が、企業や銀行だけでなく、個人投資家にまで広がったのです。

アメリカ人=自己責任論者ではない
当時の記事を読むと、日本人が持っていた強いアメリカへのあこがれが、自己責任へのあこがれにつながったように思えます。自己責任で資産運用と人生設計をするアメリカ人をベタ褒めし、日本人も見倣うべきだという筆者の、なんと多いこと。
残念ながらそのあこがれは、カン違いなんですけどね。アメリカのドラマや映画では、西部開拓時代から自己責任で生き抜いてきたアメリカ人の姿が繰り返し描かれました。でもそれが神話にすぎないことを、社会学者のステファニー・クーンツさんが暴露しています。
西部の開拓者も第二次世界大戦後のアメリカ人も、国から多大な援助を受けて豊かな生活をエンジョイしていたという実像には、がっかりです。

2004年、自己責任論爆発
90年代なかばの第一次自己責任ブームは経済・投資関連記事が主体だったのですが、90年代後半になると、言葉だけがひとり歩きをはじめます。自己責任が求められる対象が個人投資家から、それ以外の一般人へと、じわじわ広がっていきます。
自己責任が他者や弱者を叩くのに都合のいい言葉になりつつある風潮に気づき、異議を唱えた人も少なくありません。そのうちのひとり、キャスターの筑紫哲也さんは、自己責任が大事だと思うなら、自分に言い聞かせればいいだけのことで、他人に向けるんじゃない、と痛烈に批判しました。
理性ある人々の警告もむなしく、自己責任論がついに爆発したのが2004年。イラクで活動していた日本人3名が誘拐された事件が起きると、そいつらは勝手に行ったんだから自己責任だ、とヒステリックな大合唱が湧き起こりました。
大宅壮一文庫の検索でも、この年の「自己責任」記事は130件と、最高記録を叩き出します。この年の流行語大賞にもノミネートされました(受賞はせず)。
当時の記憶では、賛否が拮抗してた印象がありますが、確認のため2004年の雑誌記事にざっと目を通したところ、自己責任論を批判するものがほとんどでした。
自己責任論を唱える連中は威勢がよくて声がデカいから目立つだけで、実際には少数派なんです。
流行に便乗した記事もたくさんありました。イラクとはなんの関係もない、「女子アナ下半身の自己責任パニック」だの「自己責任まっただ中 ベッカム不倫」なんてしょうもない記事にまで使われてたことが、自己責任の蔓延ぶりとバカらしさを象徴しています。

安田さん解放でどうなった
今年(2018年)の10月に、人質になっていた安田純平さんが解放されたのをきっかけに、ひさびさに自己責任論が再燃した――かと思いきや、11月上旬の時点では、「自己責任」記事が増えた様子はまだ見られません。
日本人は理性を取り戻したのでしょうか。それなら喜ばしいのですが、油断は禁物。なにしろ自己責任はしぶとい妖怪ですから。

パオロ・マッツァリーノ
イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。
公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。
著書に『反社会学講座』『誰も調べなかった日本文化史』(いずれもちくま文庫)、『「昔はよかっ た」病』(新潮新書)、『会社苦いかしょっぱいか』(春秋社)などがある。






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4 コメント

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シリアでウイグルアルカイダに捕まった安田純平 (ローレライ)
2018-11-30 15:00:26
プレスも登山と似て、熊も出ればウイグルアルカイダも出る。それが貴重な情報となる。
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ロヒンギャも (私は黙らない)
2018-12-01 04:53:22
メディアで圧倒的な擁護論が席巻するロヒンギャ。
インドは、彼らを「安全保障上の脅威」と明言している。(2018年10月)
アセアン版イスラム原理主義の脅威。
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Unknown (オスプレイ反対)
2018-12-01 06:31:05
断片的事実を不確かな思い込みで中東情勢を語っている。
もう少し根本的に中東を勉強したらよいのではなかろうか。
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オウム型イスラム指導者の跋扈 (ローレライ)
2018-12-01 08:16:07
仏教系武装カルトを作ったオウム型のイスラム指導者がリクルートをしてマイノリティをサマナとするビジネスがアジアで大流行り。正しいイスラムの指導など誰も知らないから偽イスラムのビジネスができる。
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