いつまで振り返るねぇ~ん!
って、罵声が聞こえてきます
そんな人には、こう答えます・・・
「一生です」
バレーに関して何の功績も無い僕には、去年の出来事は一生の宝物
すがらせてください
なんで今頃、思い立ったのかというと・・・。
土曜日にふと立ち寄った食堂のテレビで、国体の開会式がやっていました。僕も行進したかった・・・。そんな思いからです
兵庫国体ではビーチバレーは別会場だったので、開会式には参加できなかったんです
あっでも、開会式に参加したがってたのは僕くらいで、みんなはめんどくさいから参加せずによかった!って言ってましたが・・・。
めんどくさく感じるくらい、国体に出れてる人には分からない気持かもしれませんが、凡人の僕にとっては憧れの場所!メインスタンド前で帽子とって敬礼っ
やりたかった!
新潟では必ず
という事で、前置きが長くなりましたが、高校時代まで書いたので次は大学時代の話!
ここまで間が空くと、何で自分のバレーボールの生い立ちを喜んで書いているのか?
そのテンションが分からなくなってきましたが・・・。
まー「そんなの関係ねぇ~!」ってことで
高校バレー引退後、受験のストレスで、もともと68Kgだった体重がいつの間にやら103Kg
受験終了後、徐々にトレーニングを始めましたが、大学入学時でも90Kg超級
クラブの勧誘されるのは、柔道、ラグビー、アメフト等、そりゃそうだ
そんな勧誘を蹴散らして、即行、体育館へバレー部の練習を見に行きました!
第一印象は・・・。私立の単科大学でセレクションがないという先入観と自分が県大会でベスト4に入ったことがあるという過剰な自信と、ブランク時の想像上で肥えていった目と頭(違う意味で体もですが)から、これは余裕でレギュラーになれそう!と思い、次の日、即行!部室に行きました!
しかーし、実際に入ってみると、とんだ勘違い
確かに外から見るとプレーは荒いし、決して上手くは見えませんが、流石、レベルの高い大阪の出身者が多いだけあって、選手の能力は高かったです。
当然レギュラーなんかは程遠く、まずはダイエットから!
うちの大学は最初は関西5部リーグ、高校生に毛が生えたくらいのレベルかもしれませんでも、何故か監督は日本リーグを何度か制覇し、全日本の監督も経験されたことのある、元カネボウの上野先生!この方に指導を受けたことが、後のバレー人生に大きく影響しています。
上野先生に基礎からしっかり教えてもらい、大学のトレーニングセンターにしっかり通い、淀川沿いをジョギングして、ビンボーな生活をしていたら、いつの間にか体重は68kgに戻っていました!
体もできて、良ーし!ここからレギュラーポジション奪取!
って時に足首の靭帯を切断&リバウンド
結局、陽の目を見ることはありませんでした。
しかし、思い出に残る試合が2つ
一つ目はインカレです。上下の写真はその時のものです。(下の写真でカットしてるのが僕ね!)
本戦に上がることができました!本戦では当時、関東3部リーグの産能大学にケチョンケチョンにいわされた記憶があります。
でも、多分、僕たちの世代が、初めて?本戦に上がったんじゃなかったかと思います。
二つ目は今はもう無いと思いますが、大阪府身長制大会!
これは大阪府内の大学だけの大会で、規定で身長が180cm以下のプレーヤーしかエントリーできないという大会でした。
大阪府内の大学なので当然、当時、1部リーグだった近大、大経法大、大体大も参加していました。
そんな中!なんと優勝!
まー、勝因は180cm以下の選手という制限では、強豪チームはベンチにも入ってない選手で構成するしかないのに対して、うちの大学はほぼベストメンバーで臨めたことでしょう!
(もちろんどのチームも暗黙の了解で180cm以上の選手が数人出ていましたが・・・。ちゅーかK大はCチームクラスでもほとんど180cm以上だったような)
今でも決勝のK大戦のこと忘れません。
K大はファンの黄色い声援を受けながら、メチャメチャなめてやっていました
僕たちはそれが悔しくて笑われてもいいから必死にプレーをしようと心に誓い、相手が遊んでるうちに、それでも何とかですが、フルセットまで持ち込みました。
何、真剣にやってんねん的に余裕を見せ付けたかったのか、相手は3セット目のオーダーをほぼ控選手を出してきました。でも、勢いに乗った僕達は終始リードを保ち、後半、相手がそろそろヤバイんちゃう的にレギュラーにメンバーチェンジをしてきましたが、それでもその流れを断ち切られず、多分?17-15くらいのギリギリで勝ったんじゃなかったかなー?
まー、確かにお遊びの試合といっちゃーそれまでなんですが、僕たちから見れば相手は1部リーグ、普段はベンチ入りしていなくても、パンフレットを見れば、みんな春高、インターハイなどの肩書きを持ってる雲の上の選手ばかりです。
でも、背が低くて、何の肩書きを持たない選手の集まりでも、頑張って練習して、必死に試合に取り組めば、そういう選手にも勝てる!まさに鶏口牛後という言葉を実感した試合でした。
大学に帰って監督に報告したときに、本当に喜んで、「どんな大会でも優勝することは価値がある!」って褒めてくれました!
日本一になったことのある人に、こんなローカル大会での優勝を褒めてもらえるとは思っていなかったので、それも凄くうれしかった記憶があります。
そんな経験が、今でも現役を続けている支えになっているのかもしれません。
まーまー、そんなこんなで低レベルの話ですが、僕にとっては現在の糧になっている大切な思い出です。
今でも、このときのチームメイトや同リーグだった仲間と年1回集まって大会に出ています。
バレーボールって本当にすばらしいスポーツですね
クラブチーム編に続く・・・のか?
って、罵声が聞こえてきます
そんな人には、こう答えます・・・
「一生です」
バレーに関して何の功績も無い僕には、去年の出来事は一生の宝物
すがらせてください
なんで今頃、思い立ったのかというと・・・。
土曜日にふと立ち寄った食堂のテレビで、国体の開会式がやっていました。僕も行進したかった・・・。そんな思いからです
兵庫国体ではビーチバレーは別会場だったので、開会式には参加できなかったんです
あっでも、開会式に参加したがってたのは僕くらいで、みんなはめんどくさいから参加せずによかった!って言ってましたが・・・。
めんどくさく感じるくらい、国体に出れてる人には分からない気持かもしれませんが、凡人の僕にとっては憧れの場所!メインスタンド前で帽子とって敬礼っ
やりたかった!
新潟では必ず
という事で、前置きが長くなりましたが、高校時代まで書いたので次は大学時代の話!
ここまで間が空くと、何で自分のバレーボールの生い立ちを喜んで書いているのか?
そのテンションが分からなくなってきましたが・・・。
まー「そんなの関係ねぇ~!」ってことで
高校バレー引退後、受験のストレスで、もともと68Kgだった体重がいつの間にやら103Kg
受験終了後、徐々にトレーニングを始めましたが、大学入学時でも90Kg超級
クラブの勧誘されるのは、柔道、ラグビー、アメフト等、そりゃそうだ
そんな勧誘を蹴散らして、即行、体育館へバレー部の練習を見に行きました!
第一印象は・・・。私立の単科大学でセレクションがないという先入観と自分が県大会でベスト4に入ったことがあるという過剰な自信と、ブランク時の想像上で肥えていった目と頭(違う意味で体もですが)から、これは余裕でレギュラーになれそう!と思い、次の日、即行!部室に行きました!
しかーし、実際に入ってみると、とんだ勘違い
確かに外から見るとプレーは荒いし、決して上手くは見えませんが、流石、レベルの高い大阪の出身者が多いだけあって、選手の能力は高かったです。
当然レギュラーなんかは程遠く、まずはダイエットから!
うちの大学は最初は関西5部リーグ、高校生に毛が生えたくらいのレベルかもしれませんでも、何故か監督は日本リーグを何度か制覇し、全日本の監督も経験されたことのある、元カネボウの上野先生!この方に指導を受けたことが、後のバレー人生に大きく影響しています。
上野先生に基礎からしっかり教えてもらい、大学のトレーニングセンターにしっかり通い、淀川沿いをジョギングして、ビンボーな生活をしていたら、いつの間にか体重は68kgに戻っていました!
体もできて、良ーし!ここからレギュラーポジション奪取!
って時に足首の靭帯を切断&リバウンド
結局、陽の目を見ることはありませんでした。
しかし、思い出に残る試合が2つ
一つ目はインカレです。上下の写真はその時のものです。(下の写真でカットしてるのが僕ね!)
本戦に上がることができました!本戦では当時、関東3部リーグの産能大学にケチョンケチョンにいわされた記憶があります。
でも、多分、僕たちの世代が、初めて?本戦に上がったんじゃなかったかと思います。
二つ目は今はもう無いと思いますが、大阪府身長制大会!
これは大阪府内の大学だけの大会で、規定で身長が180cm以下のプレーヤーしかエントリーできないという大会でした。
大阪府内の大学なので当然、当時、1部リーグだった近大、大経法大、大体大も参加していました。
そんな中!なんと優勝!
まー、勝因は180cm以下の選手という制限では、強豪チームはベンチにも入ってない選手で構成するしかないのに対して、うちの大学はほぼベストメンバーで臨めたことでしょう!
(もちろんどのチームも暗黙の了解で180cm以上の選手が数人出ていましたが・・・。ちゅーかK大はCチームクラスでもほとんど180cm以上だったような)
今でも決勝のK大戦のこと忘れません。
K大はファンの黄色い声援を受けながら、メチャメチャなめてやっていました
僕たちはそれが悔しくて笑われてもいいから必死にプレーをしようと心に誓い、相手が遊んでるうちに、それでも何とかですが、フルセットまで持ち込みました。
何、真剣にやってんねん的に余裕を見せ付けたかったのか、相手は3セット目のオーダーをほぼ控選手を出してきました。でも、勢いに乗った僕達は終始リードを保ち、後半、相手がそろそろヤバイんちゃう的にレギュラーにメンバーチェンジをしてきましたが、それでもその流れを断ち切られず、多分?17-15くらいのギリギリで勝ったんじゃなかったかなー?
まー、確かにお遊びの試合といっちゃーそれまでなんですが、僕たちから見れば相手は1部リーグ、普段はベンチ入りしていなくても、パンフレットを見れば、みんな春高、インターハイなどの肩書きを持ってる雲の上の選手ばかりです。
でも、背が低くて、何の肩書きを持たない選手の集まりでも、頑張って練習して、必死に試合に取り組めば、そういう選手にも勝てる!まさに鶏口牛後という言葉を実感した試合でした。
大学に帰って監督に報告したときに、本当に喜んで、「どんな大会でも優勝することは価値がある!」って褒めてくれました!
日本一になったことのある人に、こんなローカル大会での優勝を褒めてもらえるとは思っていなかったので、それも凄くうれしかった記憶があります。
そんな経験が、今でも現役を続けている支えになっているのかもしれません。
まーまー、そんなこんなで低レベルの話ですが、僕にとっては現在の糧になっている大切な思い出です。
今でも、このときのチームメイトや同リーグだった仲間と年1回集まって大会に出ています。
バレーボールって本当にすばらしいスポーツですね
クラブチーム編に続く・・・のか?