阪神間で暮らす-2

テレビを持たず、ラジオを聞きながら新聞を読んでます

I am not Abe.   森友問題は幕引きならず 怒れる市民が昭恵夫人を告発へ

2018-04-06 | 日記




 世界に対し、安倍首相がやっていることが本当の日本の姿じゃないと思い、 『 I am not Abe、 』 と声をあげる、Yuriko Maeharaも追加だな。



   2017年都議選票前日の7月1日、安倍首相の「ホームグラウンド」とも言われているJR秋葉原駅前で、安倍首相は都議選初の街頭演説を行った。同駅前には日の丸の小旗を振る自民党の支援者が集まったが、聴衆の一部からは「安倍辞めろ」「安倍帰れ」などのコールが発生。声は次第に広がり日の丸の小旗を持った人達も「帰れ」「帰れ」とコールした、これに対して首相は「人の演説を邪魔するような行為を自民党は絶対にしない」と怒りを露わにした。いつも国会で率先してヤジを飛ばしているのに! 
   
そして聴衆を指差しながら一際大声で言い放ったのが
   「こんな人たちに負けるわけにはいかない」




  2017年2月17日の衆議院予算委員会において、「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれは、もう私は総理大臣も、そりゃもう、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」


  14年の選挙の時は『来年10月の引き上げを18カ月延期し、そして18カ月後、さらに延期するのではないかといった声があります。再び延期することはない。ここで皆さんにはっきりとそう断言いたします。平成29年4月の引き上げについては、景気判断条項を付すことなく確実に実施いたします。3年間、3本の矢をさらに前に進めることにより、必ずやその経済状況をつくり出すことができる。私はそう決意しています。』 と言っていた。


  元官僚の古賀茂明氏は氏の著書「国家の暴走」に安倍首相の事を
  「この人物は、いとも簡単に、しかも堂々と、嘘をつける人間なのだ。」 と書いている。


 安倍政権が進めるアメリカのためのTPP批准に反対します。


  忘れていませんよ、12年の選挙時に貼られたポスター、どうなっているでしょう。
  言っている事とやっていることがさかさま。安倍自民は単にアメリカの隷属政党。

  「日本を耕す自民党」と言うのは外資に対し日本から搾取しやすいようにする。事か?
  「ウソつかない。」自体が嘘



  TPP、ISD条項で日本の国家主権は破壊されコングロマリットの餌食に
  

  農業だけじゃないよ、食料、医療、特許、環境、労働、投資、衛生植物検疫、越境サービス など21分野

  自民党が2012年暮れの衆議院選挙で公約したTPPに関して、自民党のウェッブをチェックしよう。

   
 拡大すると
   



 安倍政権の進めるアメリカのための戦争法施行および帝国憲法への改憲に反対します。



 〈あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。世界によって自分が変えられないようにするためである〉ガンジー

 〈一番こわいものはテロリストでも大不況でもなく、いつの間にか私たちがいろいろなことに疑問を持つのをやめ、気づいた時には声すら自由に出せない社会が作られてしまうことの方かもしれません〉アメリカで医療破産したある女性(堤未果、ルポ貧困大国アメリカⅡより)




 04/06(金)

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国会で異様な慌てぶり 太田理財局長が隠した秘密会議同席  【日刊ゲンダイ】

 異常なまでの“逃げの答弁”だった。財務省の森友文書改ざんについて、国会で批判の矢面に立つ太田充理財局長が、問題のカギとなる“秘密会議”に出席していたことが発覚した。

 会議が開かれたのは、朝日新聞が最初に森友問題を報じてから約2週間後の昨年2月22日。当時の佐川宣寿理財局長が菅官房長官と面会し、財務省側が報道後初めて森友問題の詳細を説明した場だった。

 4日のNHK報道によると、会議の2日前には、国有地値引きの根拠である地中ゴミの撤去工事を巡り、理財局職員が森友側に口裏合わせのウソをつくよう求めていた疑いも浮上。昨年2月下旬に財務省が改ざんに手を染め出す頃に開かれた会議で一体、何が話し合われたのか。

■文書改ざんの“主犯”のような動揺

 今月3日の衆院財務金融委員会で答弁に立った太田局長の慌てた様子は、よほど重要なやりとりがあったことをうかがわせる。

 立憲民主の川内博史議員に「誰が同席したのか」と問われると、太田局長は妙に焦った様子で「最終的な責任を持って説明したのは理財局長」「出席者を細かく答える必要はない」と繰り返すばかりで、逃げの一手。食い下がる川内氏に、ようやく「事実関係を確認させて欲しい」と答え、審議は一度打ち切りに。再開後、確認を済ませた太田局長は、ため息交じりに「同席者は総務課長と総括審議官」と明かしたのだった。

 まるで他人事のように同席者の役職名だけを打ち明けたが、よくよく調べてみると、当時の総括審議官は太田局長自身だ。15年7月から2年間、職務に就いている。

「総括審議官は、財務省大臣官房で官房長に次ぐ『ナンバー2』。省内のあらゆる案件を把握すべき立場です。佐川氏が証人喚問で、前任者から森友案件について引き継がれていなかった旨を証言しましたから、太田氏の方が事情に精通しているはずです。昭恵夫人の名前があった改ざん前の文書の存在を知っていた可能性もあり得ます」(野党関係者)

 太田局長は必死になって“秘密会議”への同席を隠していたわけだ。ひょっとして、改ざんの“主犯”は太田局長か。
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 かなりの確度で主犯と言えるだろう、悪も総元締めは佐川か太田か、いやいやアベだ。
 


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モンスター官庁つくったのも安倍  【日刊スポーツ】

 ★すべては昨年2月17日であることが分かってきた。同日の衆院予算委員会。民進党衆院議員・福島伸享が質問に立ち、森友学園の約8億円の値引きの根拠となるゴミの撤去について当時の理財局長・佐川宣寿に対し「ダンプカー4000台分ぐらい」になるはずと指摘。「4000台のダンプカーが行き交いすれば、当然やっていることはわかりますけれども、実際に工事をやったかどうかは確認されておりますか」とただした。

 ★「適正な価格で売っている」が佐川の答弁だった。また同日、首相・安倍晋三はあの名せりふ、「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」と啖呵(たんか)をきっている。このゴミの存在を前提に、後日首相は「ゴミがあるんだから8億円の値引きは当然」と野党の質問を退け、勾留中でまだ司法判断の出ていない前森友学園理事長・籠池泰典に「詐欺を働く人物」とし、「こういう人だったから妻はだまされてしまったんだろう」との答弁もしている。

 ★4日のNHKによれば昨年2月20日、つまり予算委員会の3日後、財務省理財局の職員が森友学園に電話で「トラックを何千台も使ってゴミを撤去したと言ってほしい」と要求、学園側は「事実と違うのでその説明はできない」とはねつけていたいきさつを大阪地検がつかんでいると報じた。首相の国会答弁も根底から崩れるが、財務省のやりとりを首相が承知していなくとも、首相は「自分も財務省にだまされた」とは言えないだろう。首相の一連の発言は都合のいい部分だけを切り取りそこをテコに弁解の理屈を構築したことになる。防衛省、厚労省、文科省でいろいろな問題が起きているが、その最高責任者は首相だ。中央官庁をコントロールできず追い込まれるのも、モンスター官庁をつくったのもその最高責任者だ。
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 いろんな省庁で問題が起こっているがすべてたどっていけばアベに行き着く、国民もなめられたもんだ、こんな状態で残業代ゼロ法案の高度プロフェショナル法案を通そうとしている、通してはダメだ。


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“言葉を交わさなくても共謀になる”と認定  【週刊 金曜日】

山城博治さん有罪に「恥を知れ」

 名護市辺野古の新基地や東村高江のヘリパッド建設への抗議活動で公務執行妨害罪などに問われた沖縄平和運動センターの山城博治議長に対し、那覇地裁(柴田寿宏裁判長、川﨑博司・中田萌々両裁判官)は14日、懲役2年、執行猶予3年の判決を言い渡した。山城さんは控訴した。

 傍聴席にいた山内徳信・元参議院議員が「異議あり」「沖縄の環境破壊をどうするのか」と叫んだ。

 柴田裁判長は判決理由で、2016年1月に山城さんらが辺野古の工事用ゲート前でコンクリートブロックを積み上げた行為について、「威力を用いて工事車両の進入を妨害した」と認定。共謀については、「被告人らは、具体的に言葉を交わしたかどうかにかかわらず、それぞれが仲間と力を合わせて工事用車両の進入を阻止するという共通の目的を実現するべく意思を通じ合っていた」とした。量刑理由は、「現場で上司から命じられた職務を忠実に遂行していた公務員に暴行を加えて傷害を負わせたという点で悪質」「運動におけるリーダー的存在として、共犯事件において主導的役割を果たし、共犯者らの犯行を煽っており、強い非難を免れない」と断じた。

 裁判長は、抗議行動を「表現活動」と認めたが、「憲法第21条の『表現の自由』は絶対、無制限ではない。被告の行為は表現の自由の範囲を逸脱している」と判示した。金高望弁護士は「裁判長は国連の特別報告者の見解、国際法学者の意見書を証拠採用せず、国際的に、市民の抵抗運動には、表現が暴力性を帯びることがあるとされている点を無視した」と批判した。

 山城さんは「地元2紙は、社説などで不当判決を厳しく批判した。私たちの闘いの正当性は歴史が証明する。モリカケ疑獄、米朝の対話の動きなどで、私利私欲の安倍政権は右往左往している。那覇地裁は官邸と組んだ検察に媚びた。恥を知れといいたい」と話した。

 (浅野健一・ジャーナリスト)
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 言葉交わさなくても共謀って、これじゃ誰でも共謀罪で逮捕されてしまう、むちゃくちゃな官邸忖度裁判官、三権分立はどこへ行く。
 


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辛淑玉さん、石井孝明さんを名誉毀損で提訴 ツイッターで「デマ」繰り返す  【週刊 金曜日】

 「多くの差別煽動は笑いながら冗談交じりで行なわれます。その蓄積が何かの瞬間にわきあがったとき、子どもや対抗する力を持たない人たちが大衆に叩かれる。デマをつぶすことで、それを防ぎたいと思います」――人権団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉さんが3月16日、ジャーナリストの石井孝明さんを相手に名誉毀損を理由に550万円の損害賠償を求めて東京地裁に訴えた。

 訴状によると、石井さんはインターネットの「ツイッター」で事実に基づかない投稿を繰り返してきた。〈辛淑玉が縁もゆかりもない、沖縄で、総連の裏金使って訪問して踊っている〉(2016年11月25日)、〈諜報機関が、やばい仕事は変な外国人に請け負わせる傾向から考えると、沖縄を狙う中共が、パシリに北朝鮮のパシリの(略)辛淑玉(略)を沖縄現地で暴れさせるのは、工作活動の「定石」なんですよね〉(17年2月15日)

 同日の会見で辛さんの弁護士は「石井氏の〈普通の先進国だったら、極右が焼き討ちしかねないと思う〉のツイートは、脅迫罪にあたりかねない。平穏な生活を送る権利を侵害している」と指摘。BPO(放送倫理・番組向上機構)が3月8日、東京MXテレビの「ニュース女子」の放送(17年1月2、9日)は辛さんの名誉を毀損する人権侵害があったと認めたあとも、攻撃が続いていることから提訴に踏み切ったと説明した。

 石井さんは弊誌に「辛淑玉氏は、自分が日本に差別されたという主張、外国の力を使う沖縄独立の主張を繰り返し、在日外国人でありながら日本国内の軍事基地建設の妨害工作を支援してきました。私には人権侵害の意図はなく、彼女のその行動と発言を批判しました」とコメントした。

 これは辛さん側が「デマ」だと断言したのと同内容だ。ウソは100回ついても事実にはならない。

 (伊田浩之・編集部)
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 ツイッターはデマの温床、でも日本ツイッター社はいい加減な対応、まともなツイートを官邸忖度で凍結する。
 


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森友問題は幕引きならず 怒れる市民が昭恵夫人を告発へ  【日刊ゲンダイ】

 逃げ切れると思ったら大間違いだ――。先月27日の佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問以降、「行政の信頼回復に努める」と口を揃えている安倍政権のメンメン。「佐川が、佐川が」で財務省の文書改ざん問題の全責任を一役人に負わせて幕引きを図ろうと躍起だが、そうはいかない。国民は「疑惑の核心」をちゃんと知っているからだ。

 モリカケ問題を追及してきた市民団体「森友・加計告発プロジェクト」が安倍首相の妻・昭恵夫人を近く刑事告発する。罪名は、森友学園に便宜を図って格安で国有地を売却したという「背任罪」の共同正犯だ。

「昭恵夫人の他に、夫人付の政府職員・谷査恵子氏と(事実上のその上司にあたる)今井尚哉首相秘書官も対象です。市民に呼びかけて、告発人を500人以上集めようと考えています。昨年5月に迫田英典元理財局長と武内良樹元近畿財務局長を背任罪で告発し、受理されました。検察も前向きに検討してくれるのではないでしょうか」(森友・加計告発プロジェクト共同代表の黒川敦彦氏)

 同プロジェクトは5日、市民による「4・5主権者が政治を変える!さくら祭り」というイベント企画していて、1200席ある上野公園の野外ステージで、弁護士やジャーナリスト、学者が講演する予定。その直前に、昭恵夫人らの告発についても発表するという。

「森友問題や財務省の文書改ざんのキーパーソンは昭恵夫人です。国税庁や財務省前のデモが佐川前長官の辞任に影響したように、市民運動の盛り上がりによって昭恵夫人らの責任を追及していきたい」(前出の黒川氏)

 安倍首相や麻生財務相が出席する衆参両院の予算委員会は今週中は開かれない見通しだが、来週11日に森友問題の集中審議が行われる予定だ。世論調査では、森友学園の国有地売却について昭恵夫人の国会招致が必要との声は6割を超える。

 官邸の幕引きシナリオとは裏腹に、安倍夫妻への追及はこれからも続く。
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 告発されてもいくらでも裁判官を交代させて無罪、不起訴にしてやる!と官邸は笑っているんだろう、さあみんなで糾弾しよう。
 それに今の状態で国会に呼んでも佐川と同じ手で「訴追の恐れがあるので・・・」と逃げられるだけ?
 

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安全は眼中になし オスプレイ横田配備で東京が北の標的に  【日刊ゲンダイ】

 米軍輸送機「オスプレイCV22」5機が5日午前、横浜市の米軍施設「横浜ノースドック」を離陸した。一両日中にも住宅密集地の東京・横田基地で訓練を始める。来年10月配備予定が今年8月に突然の前倒し。しかも、このCV22は沖縄に配備中のMV22より事故率が高い上、ミッションは「金正恩の斬首作戦」となる可能性が大だ。

 防衛省HPには「CV22とMV22は機体構造及び基本性能が同一であり、安全性についても同等です」と明記されているが、大ウソだ。4日の衆院外務委で、山本朋広防衛副大臣は、CV22の事故率(10万飛行時間当たり)について、4・05件と答弁。これはMV22の事故率3・24件をしのぐ。防衛省はHPの記載について「事故率のみをもって機体の安全性を評価することは適当でない」(報道室)と回答したが、だったら「同等です」とも言えないはずだ。

 今後、危険度アップのオスプレイが、横田基地を拠点に列島を縦横無尽に飛び回るのだが、その任務も要注意だ。

 CV22は特殊部隊を最前線に輸送するための飛行機。高性能のレーダー探知機能があって、敵に気付かれずに、部隊を送り込むことができる。奇襲作戦ゆえ当然、訓練は夜間、低空飛行が中心。夏の蚊じゃあるまいし、熟睡中に住宅地のすぐ上でオスプレイがブンブン飛び回るのだ。

 「横田基地への配備前倒しは、北有事に向けての準備とみられています。現在、米韓合同軍事演習が行われていますが、CV22を使っての斬首作戦の訓練も実施されるでしょう」(軍事ジャーナリストの世良光弘氏)

 5月の米朝会談が決裂すれば、米軍が金正恩のクビを取りに、横田のCV22が出撃―――となれば、北の反撃は出動拠点の横田に向かうだろう。

 事故率、訓練、ミッション、どれをとっても引き受けたくない代物だが、河野外相は歯牙にもかけない。

 前倒し配備の公表は3日だが、在日米軍が防衛省に伝えたのは先月16日。この日、河野大臣は訪米中でペンス副大統領やマティス国防長官らと会っている。時差から考えて、会談時、河野大臣に配備前倒しの情報は伝わっていなかったのか。

 衆院外務委で、共産の宮本徹議員が「事故を繰り返すオスプレイの配備について、国民の懸念を会談で米国側に伝えたのか」と問われると、河野大臣は「日米間で安全保障に関するさまざまな緊密な連携は行っている。詳細については差し控えたい」とけんもほろろ。国民の安全は眼中にないようだ。
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 他人事のオスプレイが首都圏の空に、だが通知を受けても米軍から口止め?? 国民の安全なんか関係ない!と言うスタンスのアベ政権。
 
 

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首相官邸前での抗議行動、過剰警備で抑圧  【日刊スポーツ】

 森友学園問題などで連日行われている首相官邸前での抗議行動に対し、警察が過剰な警備を実施し、参加者を抑圧しているとして、弁護士有志でつくる「官邸前見守り弁護団」が5日、東京都内で記者会見を開き、表現の自由を損なう警備だと批判した。

 弁護団は、参加者の安全や権利を守る観点から抗議行動に参加。「狭い歩道に参加者を押し込み、けが人が出そうで危険だ」と訴えている。

 川口智也弁護士は3月16日以降の事例について紹介。東京メトロの国会議事堂前駅で地上へ出る出口の一部が鉄柵で封鎖されていたほか、地上の歩道でも警察官が立ち並んで参加者の移動を制限しているとし、「歩道はすし詰め状態で、市民と警察官とのあつれきが生じやすくなり、公務執行妨害で逮捕者も2人出た」と説明した。

 武井由起子弁護士は「警察は参加者の安全を守るためと言うが、これでは逆に危ない。車道を開放するべきだ」と強調。水谷陽子弁護士は「市民はおかしいと思ったことに憤っている。それを抑圧すれば警察の信頼も落ちるだろう」と述べた。

 弁護団は警察庁と警視庁に、抗議の申し入れ書を提出している。
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 まったく市民の行動を抑圧している、理由も明示しないで地下鉄の出口を封鎖し市民を地下に閉じ込めたり、歩道に立ちふさがり通さない、など普通じゃない規制を行っている、法的根拠はない。
 市民の安全のためと言っているが弁護団に指摘されているように却って危険な状態を作り出している、他国じゃ歩道を開放したりしているようだ、安全のためにと言うのなら日本でも交通を規制し(周辺の交通量は少ない、機動隊のバスしかない)歩道を開放すべきだ。


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新基地埋め立て順序変更、辺野古海域から開始 4JVと1企業計283億円契約  【沖縄タイムス】

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄防衛局が辺野古海域側の埋め立てのため建設業者と結んだ契約内容の詳細が5日、明らかになった。五つの工区に分け、4企業共同体(JV)と1企業との間で計283億6126万9800円を契約。工期は今年3月3日から2020年3月31日まで。当初は大浦湾を先に埋め立てる計画だった。報道各社に契約書を公表した沖縄平和市民連絡会の北上田毅氏は「工事の順序の変更は知事の承認が必要だ」と指摘した。

 契約書と工事の仕様書の資料は赤嶺政賢衆院議員(共産)が防衛省から入手。北上田氏が5日に県庁記者クラブで会見した。

 資料によると1工区は契約金約126億円で大成建設と五洋建設と國場組のJV、2工区は約73億で安藤・間と大豊建設と大米建設のJV、3工区は約72億円で大林組と東洋建設と屋部土建のJV、4工区は約6億円で丸政工務店、5工区は約5億円で北勝建設と東開発のJVがそれぞれ契約した。

 資料によると防衛局は今年3月2日に各社と契約。同月29日に1~3工区で埋め立てに使用する土砂の一部を「海砂」としていたが、全てを「岩ズリ」とする内容に契約を変更。全5工区で本部、国頭の県産の岩ズリを使用する。仕様書は岩ズリは海上から運搬し、陸揚げした後にブルドーザーで押し出し海域を埋め立てるとしている。

 防衛局は近く着手する「N3」護岸が早ければ6月にも完成した後に埋め立てに着手する見通しだが、北上田氏は「現場で陸揚げができる場所はK9護岸の1カ所しかない。陸上からの運搬をせざるを得ないはずだが、運搬方法の変更も知事承認が必要だ」と強調。

 さらに「市民が抗議を続けるゲートからの搬入は困難だ。埋め立ての契約は済んだが、工事開始は遅れるだろう」との考えを示した。
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 提出された計画書では工事が出来ない、変更が必要、でも知事の承認が得られそうにない、秋の知事選まで待って自民系候補が通ったら変更計画書を提出、秋の知事選は絶対に落とせないが私の感じでは翁長知事は出ない、オール沖縄苦戦。






 Twitterコーナー、ご参考に

 慶應義塾大学経済学部の金子勝教授のツイッター

 元外務省国際情報局局長の孫崎享氏のツイッター

 自由党の 小沢一郎事務所のツイッター

 社民党参議院議員 福島みずほ氏のツイッター

 東京新聞 政治部のツイッター

 東京新聞 ほっとwebのツイッター

 市民連合のツイッター

 関西市民連合のツイッター

 SADL大阪のツイッター

 上智大学 中野晃一教授のツイッター

 法政大学法学部 山口二郎教授のツイッター


 その他、こちらもどうぞ 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



   
 

 

 

 

 

 

   
 

 

 



 

 

 

 

 

 

 




昨日の神戸
 最低気温  11.1度(06:25) 前日差-1.9度)
 最高気温  17.1度(18:51) 前日差-6.9度)

  今朝の神戸最低気温  15.4度 (02:52)  5月上旬並み 平年より5.9度高い  
   、

今日の神戸の
   日の出     5時40分 (昨日 5時42分)
   日の入り   18時24分 (昨日18時23分)

       日の出は昨日より二分早く、日の入りは昨日より一分遅く


   今日の日の出から日の入りまでの時間: 12時間44分。

       

 東シナ海の低気圧・前線は本州北沿いに東へ移動、雨を降らす、沖縄は曇り、九州、四国、中国は雨から曇り、近畿、東海、北陸、関東は曇りから雨、東北は曇り、北海道は曇り所により雪。
     
          
 明日の朝、日本海の低気圧は太平洋側へ抜け前線も離れる、低気圧が日本海、北海道に 沖縄は曇り所により雨、九州は晴れ、四国、中国、近畿、東海、関東は曇りのち晴れ、北陸は曇り時々雨、東北は雨や雪、北海道は曇り時々雪/雨の予報。
     

     
     
 今朝は曇り、山はかすむ、風があり寒い、その後も風があり雨になり気温は低め、桜は葉桜に、雨の中桜にカメラの人がいる、水面に散った桜の花びらが流れる。
 今日の神戸の最高気温は  18.9度、昨日より 1.8度高く、平年より 2.0度高かった、今日の最高気温は4月中旬並みだった。
 明日は曇りのち晴れ、朝の最低気温は 10.7度、最高気温は  12.6度、夜の最低気温は  7.8度の予報。







「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと

2018-04-06 | いろいろ

より

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「ネット右翼でした」 沖縄に暮らし、記者になって思うこと

2018年3月25日、琉球新報に掲載された1本の記事がインターネット上で話題を集めました。公式サイトに掲載された訳ではありませんが、新聞記事の写真がツイッターやフェイスブックで拡散され、個人ブログなどで紹介する人も続出し、賛否両論を巻き起こしたのです。

 話題となった記事は、入社2年目の塚崎昇平記者(26)が書いた「ネット右翼でした」というタイトルのコラム。琉球新報の記者が「ネット右翼」だった過去を告白する内容は、ネットでの反応を見る限り大きな関心を呼んだようです。「記者ですが」というコーナーは2017年6月4日から毎週日曜日に掲載している記者のコラムです。記者たちの素顔を垣間見ることができると好評で、開始以来42回を数えます。

 なぜ「ネット右翼」だった彼が琉球新報の記者になったのでしょうか。どのような心境の変化、葛藤があったのでしょうか。「伝えきれなかった思いがまだあるはずだ」と思い、塚崎記者にインタビューしました。


ネットで考えを固めていた高校時代


―なぜコラムに「ネット右翼だった」ということを書こうと思ったのですか。

 題材については教育担当(当時)として教科書問題のことなど幾つか候補がありました。その中で自分にしか書けないことは何だろうと考えました。そういえば、琉球新報社内で「自分はネット右翼だった」と公言しているのは私ぐらいだなと思ったんです。であれば、なぜ自分が「ネット右翼」だったのか、そして、考えが変わったのはどうしてなのか、ということを伝えたいと考えました。

―「記者ですが」は冒頭、「学生時代、私は『ネット右翼』だった」と書き出しています。なぜ、自分を「ネット右翼」と定義したんですか。

 「ネット右翼」という言葉も定義はきちっと定まっているものではないと思います。ただ私が思う「ネット右翼」の定義としては、現場に行かないで、例えばインターネット上の情報で自分の考えを固め、「右」的な考えをネットで発信するというものではないかと考えました。そういう意味で、自分は「ネット右翼」だったと思っています。例えば、ネット上などでよく言われているように「中国や北朝鮮を抑えるため、沖縄には基地が必要だ」という意見などです。日本政府はそう説明しますが、私も過去、それを無批判に受け入れていました。


ファクトチェックされていない情報うのみに


―影響されたネット上の情報というのはどのような内容ですか。

 ファクトチェックを受けていない根拠のない情報や、個人の考えがそのまま載ってしまっているブログなどです。ある意味、事実と反する情報でもネットではそれなりに影響力を持つ場合があります。ネットだけでなく、本を読む際にも自分に都合のいい情報だけを集めていたように思います。

 元防衛大学校の方が書いた本や防衛省が発行している防衛白書なども読んで、自分の考えをまとめていました。ネットだけで情報を得ていたわけではありませんが、自分の考えを補強するために本なども読んで「私の意見は論文に基づいた考え方だ」と誇示していた、ということに近いかもしれません。


「ミリタリー好き」が入り口に


―自分が「ネット右翼」だと感じたのはいつごろからですか。

 小学生のころはイラク戦争に反対していた覚えがあります。明確なきっかけはありません。高校時代までは大分県で暮らしましたが、今考えると高校の後半ぐらいからいわゆる「ネット右翼」のようなことをしていたと思います。自衛隊の航空ショーに出向くなど戦闘機や戦車などミリタリー(軍事)に関するものに興味がありました。いわば「ミリタリーおたく」です。「ミリタリー好き」から安保への興味につながりました。「ネット右翼」になったのも、自分の場合はミリタリー好きが関係していたのかと思います。

―「沖縄には基地は必要だ」という考え方を持っていたと言っていましたが、「沖縄に基地は必要ない」という意見があることは知っていましたか。

 それはもちろん把握していました。私が琉球大学に入学するために沖縄に来たのは2010年4月で、現在8年目になります。米軍普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会(2010年4月25日)の前後だったと思います。その当時は民主党政権で、いったん白紙にされた米軍普天間飛行場の移設先について、数日ごとに新たな候補地が示されていくような時期でした。

 せっかく自民党政権が苦労して名護市辺野古に移設先を決めたのに、なぜひっくり返すようなことをするんだろうと感じていました。


「沖縄には米軍基地が必要だ」を確かめるため


―進学を機に沖縄へ。琉球大学に進学した理由は何ですか。

 「沖縄には米軍基地が必要だ」と思っていたので、それを自分の目で確認したいという気持ちがありました。政治や国際関係を専攻し、最初は「ネット右翼」のスタンスを維持していました。自分なりに正しいと思っていた国家論を振りかざしていましたね。

 友人からは「地に足が付いていない」とよく言われていました。「おまえは沖縄に根ざしていない。沖縄にいる意味はないのではないか」というような内容のことを言われた記憶もあります。大学時代の友達に会うと今もからかわれますね。「あのおまえが琉球新報に?」と言われることも少なくありません。


琉球新報の論調に怒りさえあった


―琉球新報に入社しましたがメディア志望だったんですか。

 なんとなくマスコミに入りたいと思っていました。イラク戦争の時、米軍と共に行動しながら取材している記者のテレビ番組を見た時に、マスコミに興味を持つようになりました。いろいろな人に話を聞くことは楽しいだろうなと思い、新聞記者になりたいと考えるようになりましたが、直接のきっかけは思い出せません。ただ当時、琉球新報への入社は考えてもいませんでした。

―当時、琉球新報についてはどのように思っていましたか。

 ちょうど大学時代に東日本大震災があり、米軍の「トモダチ作戦」に共感を覚えていました。琉球新報は「トモダチ作戦」について米軍が自分たちの宣伝活動に使っているのではないか、と思われるような論調で報道していると受け止めていました。「現場の人たちは頑張っているのに何を考えているんだ」と怒り、そういう思いを自分のツイッターに書き込んだ記憶があります。


「論破してやろう」と辺野古・高江へ


―「記者ですが」に、「考えが変わり始めたのは友人と訪ねた辺野古や東村高江の現場を目の当たりにしてからだ」とあります。大学時代には辺野古や高江の現場をよく訪ねたんですか。

 はい。大学3年だった2012年の夏、ヘリパッド(ヘリコプター発着場)造成に対する反対運動が行われている東村高江の現場に足を運びました。座り込んで反対運動をしている人たちが何を考えているんだろう、ということに興味がありました。ただ、あわよくば、座り込みをしている人たちの考えを論破してやろうという思いもありました。

 座り込んでいる人に声をかけ、活動をしている理由について尋ねると「生活を守るためにヘリパッドを造らせない」ということでした。米軍が沖縄に駐留していることについて、座り込んでいる人が「米軍の力に頼るのは疑問がある」と言ってきました、それに対して私は「中国の公船が尖閣諸島の近くに入ってきているし、北朝鮮もミサイルを打ち上げている。米軍の力があるからこの程度で済んでいるのではないか」と反論しました。そうしたら、後方で話を聞いていた高江に住む男性から「おまえは違う」とぴしゃりと言われました。

自分が考えていることを主張して、「間違っている」と面と向かって指摘され たことは友人以外では初めてでした。その後のやりとりは覚えていませんが、現場に向き合い続けている人の言葉だったからこそ、心に突き刺さったのだと思います。もんもんとしたものを抱えたまま現場を離れました。


現場を知り、見えてきたこと


―それが変わるきっかけになったということですか。

 それをきっかけに時々、辺野古の現場にも行くようになりました。新基地建設に反対する集会にも足を運びました。男性から指摘された後は、もんもんとした思いを持ちながら授業などで沖縄の歴史を学ぶことになりました。住民が名護市辺野古に米軍キャンプ・シュワブを誘致したわけではないということにも気づくことができました。

 ただ、大学3、4年だったこの時期は、人に指摘されたからといって自分のスタンスを変えるのは嫌だなとも思っていました。その頃、ちょうど、自民党の安倍政権が誕生し、特定秘密保護法や集団的自衛権などの政策を次々と進めていきました。それらは日本の国の形を、比喩ではなく、「戦争ができる国」にしてしまうのだろうなと思うようになりました。そして、そのような流れの中にある「沖縄」について考えるようになりました。

 それと同時に安倍政権は沖縄県民が強固に反対している米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について、県民の声を無視する形で強引に推し進めようとしていました。こんなに沖縄の人たちがあらがい続けているのにそれが通らない、県民が反対しても強行するというのはおかしくないか、と思い始めました。この頃になると、自分のスタンスを維持し続けるのが論理的なことだけでなく、精神的にも苦しくなってきました。それなら、考えを変えた方が自分に正直ではないかと思いました。

 そんなとき、2014年8月25日に米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた県民集会(止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。8・23県民大行動)に足を運びました。琉球大学大学院人文社会科学研究科1年のころでした。その際、琉球新報の記者に取材され、記事として掲載もされました(2014年8月25日付21面)。振り返ると、いわゆる「ネット右翼」というスタンスから完全に離れたのは大学院生時代だったと思います。


「反対」の根底にある沖縄戦


―学生時代に沖縄戦のことを学んでいたんですか?

 大学では安全保障などを研究していたので、沖縄戦は教養の講義で学ぶ程度でした。ちょうど高校1年生のころ、文部科学省の高校歴史教科書検定で、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述削除・修正された問題で、教科書検定意見の撤回を求める県民大会がありました。

 当時は大分県の高校生だったので、あまり記憶にはありません。その後の文科省と県内の対立ややりとりにも特段関心はありませんでした。ですが、大会で高校生の代表2人が「この記述をなくそうとしている人たちは、沖縄戦を体験したおじい、おばあがうそをついていると言いたいのだろうか」と言っていたことだけはテレビで見て、鮮明に覚えています。同世代の訴えだったからこそ、沖縄に特段関心のなかった当時の私にも、響いたのかもしれません

 沖縄戦のことをきちんと知るようになったのは入社してからです。入社後に教科書検定があり、文化部の教育担当になった私が沖縄戦に関する記述について、記事を書くことになりました。当時の教育担当キャップに原稿を見せたら、「君は安保のことは詳しいかもしれないが、沖縄戦のことは何も分かっていないな」と言われました。がつんときました。

 入社二年目には、ちょうど教科書検定の県民大会から10年ということで、「集団自決」(強制集団死)のおきた渡嘉敷島に出向いたり、東京で教科書執筆者や編集者を取材したりして、当時を振り返る記事を書きました。当時の新聞記事や資料を読み込んでから取材をしましたが、その取材の原動力となったのも、当時の教育キャップの言葉だったと思います。

 辺野古の現場などに足を運ぶと、座り込んでいる人が沖縄戦について話してくれることがあります。沖縄戦の記憶は、体験した人の記憶だけではなく、ある種世代を超えて共有されているのだろうと思います。それが脈々と残っているということが、私を変えた一因にもつながっているような気がします。


現場でデマだと実感


―「記者ですが」には県民大会に参加した際、「ネット上のデマが現実離れしていると感じた」と書いています。

 「反対運動をしているのはお金をもらった人々」というデマです。現場に足を運ぶと、現場を見ていない人が言っているんだなということが分かりました。現場には家族連れも普通の学生も、いろいろな立場や世代の人がいますから。

 辺野古のゲート前で一日取材をして記事を出すと、どうしても内容は抗議行動をしている市民らが警察に排除されるというようなことを伝える内容になりがちです。ですが実は現場はずっと緊迫している訳ではありません。大学の講義で「座り込みの時間の多くは暇だ」と言われたことを思い出しました。楽しげに歌を歌ったり、踊りを踊ったりして楽しげな雰囲気に包まれることもあります。


中国の人に会ったことない


―お金をもらっているから反対運動をしている、というネット上の言説に対しては間違いだと思いますか。

 はい。むしろ現場に来るためにガソリン代やバス代などの負担は大きいと思います。ネットではよく中国などの勢力がお金を出して運動を扇動し、日米安全保障体制を崩そうとしている、とか、現場には中国人や韓国人がいっぱいだ、という記述をよく目にします。実は私もそのように思っていた時期もありました。でも、私自身は辺野古や高江の現場に足を運んで中国の人に会ったことは一度もありません。もし、いたとしても一市民として、この状況が問題だと思って参加しているんだと思います。

 「ニュース女子」(東京MXの番組)で高江の現場について「中国人はいるわ、韓国人はいるわ」と伝えていました。番組を見て「本当に現場に行ったことがあるのか」と怒りを感じました。ただ、昔だったら信じてしまっていたのではないか、もしかしたら喜んでその主張に飛びついていたのではないか、とも思います。

 両論併記についても昔は双方の意見をしっかり書くべきだと思っていました。でも今は、圧倒的に力の差がある中で両者の中間に立つということが本当に公平なのか、ということだと考えるようになりました。


批判は真摯に受け止める


―今回の「記者ですが」はかなり反響がありますね。どのように感じましたか。

 「記者ですが」について意見が書いてあるツイッターなどSNSを数多く見ました。「こいつは何も反省していない」「自分は変わることができて良かったね」などという批判もたくさんありました。「ネット右翼で多くの人を傷つけていたことについての反省はないのか」という内容の指摘もありました。

 確かに私は「ネット右翼」だった当時、特定の個人を「極左だ」とかレッテルを貼って周りの人に話をしていたことがありました。人を殴ったり、お金を盗ったりした訳ではないので、コラムが紙面に掲載されて、そうした指摘があるまで、私に罪の意識は正直ありませんでした。人を傷つけたという意識もありませんでした。だからこそ、「反省はないのか」などの批判は真摯(しんし)に受け止め、胸に刻みつけておかなければいけないと思っています。

 ただ今回、批判も予測しながらも「ネット右翼でした」というタイトルでコラムを書いたのは、こんな私だからこそ、伝えられることがあるのではないかと思ったからです。

―「ネット右翼」と呼ばれる人たちからの反応もあったとか。

 「『ネット右翼』だったと言っているのは嘘だろう」というような批判もありました。それに対しては「はい。ネット右翼でした」と答えます。「シールズの元メンバーだ」というような指摘もあります。私は大学院生時代、「ゆんたくるー」(若い世代に基地問題の現状を知ってもらおうと活動している県内の大学生らでつくるグループ)の集まりに参加したことはありますが、メンバーではなかったし、シールズのメンバーになったこともありません。ただ、もしシールズの元メンバーだったとしても特に問題はないと思います。

 「実名を書いて言うことは勇気のいることだと思う」という内容の反応もあり、救われた思いもしました。いろいろな反応の中で、「『対話は意味がないものではない』と気付かせてくれたのはありがたい」という内容のものもありました。

 人の思想を「左」「右」にレッテルを貼って分けることには違和感を覚えています。自分と違うスタンスにいる人に対しても意見を言ったり、意見を聞いたりすることは意味のあることだということを感じてくれた人もいたようです。


互いの〝レッテル〟を乗り越えたい


―「記者ですが」掲載後の反響などを踏まえ、今どう感じていますか。

 批判はあると思いますが、書いたことを後悔はしていませんし、別の題材で書けば良かったとも思っていません。4月から北部報道部に配属されますが、北部に行くに当たっての決意表明でもありました。

―「記者ですが」では、「かつて私のような人たちに現場の状況を理解してもらえるか、考え続けている」と結んでいます。

 どんな立場や考えの人であっても、事実に基づいた力ある記事なら、人の心にちゃんと届くと思います。記事をきっかけに、例えば「一度ぐらいは辺野古の現場に足を運んでみようか」とか「現場に行った人に話を聞いてみようか」など、少しでも何かしらの行動につながればいいと思っています。

 〝現場〟に行くことなど考えてもいなかった人や、「ちょっと怖そう」と思って敬遠している人も多いかもしれません。私が現場に行ったのは逆に、座り込みしている人を論破しようと思っていたということもあります。残念ながら、「琉球新報は左だ」などというレッテルが貼られているのも事実です。そのレッテルに邪魔されて、書いたことが真っすぐに届いていないと感じて苦しくなることもあります。

 そんなレッテルは、私たちから打ち破る必要もあるかもしれません。そして、もしかしたら異なる立場から打ち破ってくれる人もいるかもしれません。

 今さらですが「ネット右翼」という表現も、一つのレッテル貼りなのでしょう。そんな言葉こそが、対話の機会を遠ざけている要因の一つなのかもしれません。私が『ネット右翼だった』と自認すること自体も、過去の私にレッテルを貼る行為なのかもしれません。いつの間にかつくりあげてしまった〝レッテルの亡霊〟に邪魔されて、対話ができないような事態を飛び越えられるような記事を書いていくことができれば、と考えています。

 そのためには私自身も、レッテルの亡霊から解き放たれる必要があるのだと考えます。今回のコラムがいろいろな論議を呼んだことも含めて、私自身がレッテルの亡霊から離れる一歩になったと考えています。





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