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江南市縁の七人の戦国武将-生駒 利豊 2-

2013-05-03 05:50:35 | 郷土の歴史
《 生駒 利豊 -2- 》

3年前に、江南市歴史民俗資料館で「生駒家文書展」が開かれました。
その時の様子です。



この古文書は、尾張徳川家の徳川綱義(後の3代藩主・綱誠)が、その守役であった、生駒家6代生駒利勝に宛てたものです。次のように書いてあります。

 露月死去
 可為力落候
 謹言
 五月十日 綱義(花押)

ここでの、「露月」とは、利勝の父(5代利豊)のことです。
「可為力落候」は「力落としたるべきそうろう」と読みます。
あなたのお父さんが亡くなり、私も力を落としましたという内容のお悔やみです。

尾張徳川家の跡取りが、家臣にこのような書状を渡すことは珍しく、生駒家をいかに重視していたかがわかります。



6代生駒利勝の「遺書」です。
1688年に書かれたもので、今で言う「家訓」に当たります。
利勝が、その子宗勝へ書いたもので、当主としての心得を示したものです。

3条に分かれている第1条を見てみましょう。

一 忠功ハ不及申ニ先祖ヲ祭ル者ハ 
  冥加ニ叶也、就中露月尊君ノ
  儀全ク粗略不可有、家伝記在
  所古実覚え置、子孫ニ相伝
  専用也、若妻子ニ愛着アラハ
  可為家絶事 

おおよその意味です。

「忠孝は言うまでもなく、先祖を祭るのは神仏の加護を得ることができる。とりわけ、先代(5代利豊)は疎略に扱ってはいけない。生駒家の歴史について子孫に伝えるのが(当主の)勤めだ。もし先祖より妻子に愛着が偏ると、この家は絶えてしまうに違いない。」

5代利豊から見ると、利勝は外孫に当たります。
すなわち利豊は、利勝の母方の祖父。

利勝が先祖を大切にしてきたことが実によくわかります。

実物はたいへんコンパクトで、片手にすっぽり収まる大きさです。
身近な所に置いておき、すぐに見ることができるようにしていたものと思われます。

「遺書」の第2条から、利勝の人柄や、当時の武家の暮らしぶりを想像してみてください。



一 勝手方身体ヲ第一可持立、
  不如意ニ無之様ニ心掛常々不
  失軍役等勤メ可被申人ハ、何時
  不慮ノ儀出来流牢難知也、
  一家知人中ニ無御苦労ヲ掛間
  敷也、惣テ借金取持加判口入
  断申達シ曽テ被仕間次敷事

私の主観的、かつおおよその解釈です。(間違っているかもしれません。)

「会計担当者は健康に気をつけるように。日ごろから失うことのないように、貧窮しないように心掛けるように。軍事上の負担をすることになると、何が起こるかわからない。みんなに迷惑をかけてはいけない。借金をしたり、連帯保証人になるようなことはしてはいけない。」

当主としては、やはり家計への気遣いが感じられます。

この遺書(家訓)の巻末には、次のように書かれています。
「この3条を、年中、2ヶ月に1回は目を通して守るように。これを守らないと、先祖や父母までが不幸になる。もちろん、後の代にもおよぶので、代々に伝達するように。」

生駒家中興の祖と言われる利勝らしい言葉です。

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