《 生駒 利豊 -2- 》
3年前に、江南市歴史民俗資料館で「生駒家文書展」が開かれました。
その時の様子です。
この古文書は、尾張徳川家の徳川綱義(後の3代藩主・綱誠)が、その守役であった、生駒家6代生駒利勝に宛てたものです。次のように書いてあります。
露月死去
可為力落候
謹言
五月十日 綱義(花押)
ここでの、「露月」とは、利勝の父(5代利豊)のことです。
「可為力落候」は「力落としたるべきそうろう」と読みます。
あなたのお父さんが亡くなり、私も力を落としましたという内容のお悔やみです。
尾張徳川家の跡取りが、家臣にこのような書状を渡すことは珍しく、生駒家をいかに重視していたかがわかります。
6代生駒利勝の「遺書」です。
1688年に書かれたもので、今で言う「家訓」に当たります。
利勝が、その子宗勝へ書いたもので、当主としての心得を示したものです。
3条に分かれている第1条を見てみましょう。
一 忠功ハ不及申ニ先祖ヲ祭ル者ハ
冥加ニ叶也、就中露月尊君ノ
儀全ク粗略不可有、家伝記在
所古実覚え置、子孫ニ相伝
専用也、若妻子ニ愛着アラハ
可為家絶事
おおよその意味です。
「忠孝は言うまでもなく、先祖を祭るのは神仏の加護を得ることができる。とりわけ、先代(5代利豊)は疎略に扱ってはいけない。生駒家の歴史について子孫に伝えるのが(当主の)勤めだ。もし先祖より妻子に愛着が偏ると、この家は絶えてしまうに違いない。」
5代利豊から見ると、利勝は外孫に当たります。
すなわち利豊は、利勝の母方の祖父。
利勝が先祖を大切にしてきたことが実によくわかります。
実物はたいへんコンパクトで、片手にすっぽり収まる大きさです。
身近な所に置いておき、すぐに見ることができるようにしていたものと思われます。
「遺書」の第2条から、利勝の人柄や、当時の武家の暮らしぶりを想像してみてください。
一 勝手方身体ヲ第一可持立、
不如意ニ無之様ニ心掛常々不
失軍役等勤メ可被申人ハ、何時
不慮ノ儀出来流牢難知也、
一家知人中ニ無御苦労ヲ掛間
敷也、惣テ借金取持加判口入
断申達シ曽テ被仕間次敷事
私の主観的、かつおおよその解釈です。(間違っているかもしれません。)
「会計担当者は健康に気をつけるように。日ごろから失うことのないように、貧窮しないように心掛けるように。軍事上の負担をすることになると、何が起こるかわからない。みんなに迷惑をかけてはいけない。借金をしたり、連帯保証人になるようなことはしてはいけない。」
当主としては、やはり家計への気遣いが感じられます。
この遺書(家訓)の巻末には、次のように書かれています。
「この3条を、年中、2ヶ月に1回は目を通して守るように。これを守らないと、先祖や父母までが不幸になる。もちろん、後の代にもおよぶので、代々に伝達するように。」
生駒家中興の祖と言われる利勝らしい言葉です。
3年前に、江南市歴史民俗資料館で「生駒家文書展」が開かれました。
その時の様子です。
この古文書は、尾張徳川家の徳川綱義(後の3代藩主・綱誠)が、その守役であった、生駒家6代生駒利勝に宛てたものです。次のように書いてあります。
露月死去
可為力落候
謹言
五月十日 綱義(花押)
ここでの、「露月」とは、利勝の父(5代利豊)のことです。
「可為力落候」は「力落としたるべきそうろう」と読みます。
あなたのお父さんが亡くなり、私も力を落としましたという内容のお悔やみです。
尾張徳川家の跡取りが、家臣にこのような書状を渡すことは珍しく、生駒家をいかに重視していたかがわかります。
6代生駒利勝の「遺書」です。
1688年に書かれたもので、今で言う「家訓」に当たります。
利勝が、その子宗勝へ書いたもので、当主としての心得を示したものです。
3条に分かれている第1条を見てみましょう。
一 忠功ハ不及申ニ先祖ヲ祭ル者ハ
冥加ニ叶也、就中露月尊君ノ
儀全ク粗略不可有、家伝記在
所古実覚え置、子孫ニ相伝
専用也、若妻子ニ愛着アラハ
可為家絶事
おおよその意味です。
「忠孝は言うまでもなく、先祖を祭るのは神仏の加護を得ることができる。とりわけ、先代(5代利豊)は疎略に扱ってはいけない。生駒家の歴史について子孫に伝えるのが(当主の)勤めだ。もし先祖より妻子に愛着が偏ると、この家は絶えてしまうに違いない。」
5代利豊から見ると、利勝は外孫に当たります。
すなわち利豊は、利勝の母方の祖父。
利勝が先祖を大切にしてきたことが実によくわかります。
実物はたいへんコンパクトで、片手にすっぽり収まる大きさです。
身近な所に置いておき、すぐに見ることができるようにしていたものと思われます。
「遺書」の第2条から、利勝の人柄や、当時の武家の暮らしぶりを想像してみてください。
一 勝手方身体ヲ第一可持立、
不如意ニ無之様ニ心掛常々不
失軍役等勤メ可被申人ハ、何時
不慮ノ儀出来流牢難知也、
一家知人中ニ無御苦労ヲ掛間
敷也、惣テ借金取持加判口入
断申達シ曽テ被仕間次敷事
私の主観的、かつおおよその解釈です。(間違っているかもしれません。)
「会計担当者は健康に気をつけるように。日ごろから失うことのないように、貧窮しないように心掛けるように。軍事上の負担をすることになると、何が起こるかわからない。みんなに迷惑をかけてはいけない。借金をしたり、連帯保証人になるようなことはしてはいけない。」
当主としては、やはり家計への気遣いが感じられます。
この遺書(家訓)の巻末には、次のように書かれています。
「この3条を、年中、2ヶ月に1回は目を通して守るように。これを守らないと、先祖や父母までが不幸になる。もちろん、後の代にもおよぶので、代々に伝達するように。」
生駒家中興の祖と言われる利勝らしい言葉です。