ブログ~軌跡

2004年より

写真 4/2(土)初日 多賀城~塩釜港周辺の写真

2011年04月10日 | 災害ボランティア2011
右側はgoogleのストリートビュー

仙台東部道路で入ってきた光景。急に景色が変わった。海まではかなり距離がある。4kmくらいは


多賀城近くの国道45号。停電で大きな交差点では警察官が信号を。


初日のボランティア先(アパート)の庭先に他所の自動車が。


塩釜港近くのイオン(マックスバリュー?)車が乗り上げてる


すぐ近くには船も乗り上げてた


道路逆側には大きな船も


一件目のおじいちゃん宅。ほぼ全て泥だらけだが、とっておきたい物は多い。それらを塩釜港近くの倉庫へ。。。濡れた畳、タンスや食器棚、衣類や割れた食器、泥、外から来たものを出した後。


倉庫へ行く途中。公園には流されてきた車が多く残されたまま。


塩釜港近く中の島緑地






災害ボランティア七日目(最終日)

2011年04月09日 | 災害ボランティア2011
久々にパソコンからの投稿。携帯からはいつも以上に誤字や分かりにくい文章があったと突っ込まれました。
いよいよ最後の日。もっともっとやりたいが、今回は一週間と決めてきた。弟もそこまでは会社が特別休暇をくれたようだ。自分もそれ以上は今回厳しい。あっと言う間に過ぎてしまった。多くの刺激や情報は入ってきた。
残り1日頑張る予定だったが、最後の夜中に予想外の大きな余震。マンション5階の部屋に泊めてもらっていたので揺れは凄かったらしい(自分は寝ていて気付かなかった)。津波被害のあった場所にいたので慌てて車に乗り込み避難。あれほど車が流されたにもかかわらず、山に入る道は渋滞。やや焦るが前回の津波被害のなかった所まで20分くらいで到着。途中、安全と思われるところまで来て停まっている車による渋滞。後続車を考えるならある程度遠くまで行って欲しいと思った。
リスクについて教えてもらったり思ったことは、車はオシリから車庫に入れる又は山側(避難する側)に向けて停めておく事…すぐに逃げられるように。被災地ではほとんどの車が確かにこの停めかたをしていた。
 また2人で行ったので、お互いにカギと携帯を必ず身につけておくように常に確認した。避難時にもし1人がカギを探していても、すぐにもう1人のカギで車を動かせるように。それでも弟は最終日までいつも携帯と鍵を探していた(笑) 普段から危険予知を考えながら行動していれば、していない人に比べそのうち大きな差が出てくるのだろう。

山上のお寺の駐車場に避難してきた車が集まってたのでそこに駐車。携帯電話は通話もメールもネットもなかなか繋がらず、やっとメールにてブログ発信。約2時間後、寝ていたところへ戻り就寝。こんな時、すぐに寝られる特技は役立つ。横須賀から来て前日同じところを手伝ってくれてた田中さんは、酒を飲んでいたので朝まで車中泊しそのまま帰路に。部屋においていった寝袋などは鎌倉の弟が持ち帰り今度渡すと。

朝はいつもより遅く7時半くらいに起床。一週間の疲労と昨日の寝不足と地震の怖さ。今日やろうと思っていた方の家に行くと、昨晩の地震が大きかったので今日はお互いにそれどころではないので気をつけてお帰りくださいと。昨日まで倒れてなかった壁が倒れていたり、道路の凸凹が明らかに激しくなっていたりした。石巻のボラセンも幹線道路や家屋の安全が確認できないので、本日はボラ派遣できない!と知り合いになった人から電話が来た。3連泊させてくれた家主にお礼を言い、9時に家を出る。帰ってすぐに荷物を分けられるよう車の片付け、弟の荷物との仕分けなどをし10時半出発。帰路は全て自分で運転。途中1時間パーキングで仮眠。自宅近くの職場に到着したのが18時頃。まだ残っていたスタッフに元気な顔を見せられた。その後帰宅しリクエストしていた夕飯をいただく。
幸せだ。お肉が久々に食べたかった。プリンなんかも食べた。弟が帰るときに首から携帯電話をぶら下げられるモノをプレゼントした。

現地の人の生活に近いことをすれば何が必要なのかわかるのかも知れないと思った。
震災直後は3日ぶりにパンを一つもらったと。そのうち缶詰ももらったと。渡された缶詰は6人で分け合ってくださいと。今は炊き出しももらえたりしているし、NPOなんかも炊き出しやパン・おにぎりを配ってる。ただパンなどは明らかに多すぎる状態で断ってもたくさん貰ったりしていた。賞味期限が切れているのが多い。暖かい味噌汁やお茶を望んでるお年よりもいた。お風呂も設置されたようだが、遠く足も悪い人は大変だ。毎日行ける訳ではないようだ。お店も遠くまでいけばあるが近所の店は全滅してる。車も大量に流されている。自転車を盗まれた人もいた。震災後6回パンクしたという人もいた。
大変大変って感じに見えるかも知れないが、元気に明るく前向きな人達も多い。津波がまた来るかも知れないが、この町を元に戻しこの町に住みたいという人が大多数。10年、20年かかるか分からないが、話した感じでは職は水産関連が多く、次に原子炉系。
皆さんの応援もあり、たくさん笑い、元気、勇気をお届けできたと思う。現地で知り合った方からの連絡も今後たまに更新するかもしれません。

1~2ヶ月経つと状況も変わるのだろう。今回やってきた事はある程度終わっているとすると、その時のボランティアは何をするべきなのか。週末に話を聞きに行って、戻ってから送る事もいいかもしれない。

今回の自分の一番の仕事は向こうに行って頑張って来る事以外にもう一つ。それはブログなどを通じて、行ってない方へその状況をお届けする事。カンパや仕事の都合をつけてくれた人やそれ以外の方へも。毎日更新していたからか、おかげでブログのアクセス数はとても増えている。その誰かがその人が出来る事をし、少しでも広がれば嬉しい。自分が被災者だったらと思って、今後も考えていきたいと思います。
誰でも何でも出来る事はあると思います。募金もそうだしカンパもそうだし節電でも何でも。現地へ足を運ぶ事が一番だとは思いますが。

皆さん、応援ありがとうございました。
まだまとめてないですが、収支報告や写真、小話などはまとまり次第報告します。

災害ボランティアから帰宅

2011年04月08日 | 災害ボランティア2011
無事帰宅しました。実際には書ききれないほど、伝えきれないほど感じてきました。一週間経ち、便利な世の中に戻ってきました。当たり前にあるものが、なくなるとどうなるのか。
電気、水道、ガス、電話、車、職場、家、学校、友人、家族。
あって当たり前、いて当たり前ではなく、普段から感謝しないといけないと強く思いました。

応援していただきありがとうございました。今日は疲れたので寝ます。明日最終日分を書きます。おやすみなさい。

災害ボランティア六日目

2011年04月07日 | 災害ボランティア2011
今日は5時過ぎに起きて避難所のトイレへ。用を済ませて喫煙所へ。70歳くらいの女性。毎日パンで飽きている。ご飯もたまにもらえるがアンカケがのってるのが苦手だと。コーヒーや味噌汁が飲みたいと。早速湯沸かしセットで味噌汁作りました。大勢に喜ばれた。精神的にも疲れてる人多いような。

8時過ぎから昨日のお宅で泥出しとゴミ出し。今日は田中さんと言う方が多賀城の怪しいおっさんから送り込まれた田中さんと一緒に作業。15時に終わり次の軽い2件をこなし終了。
その後明日必要な方を探し夕飯終わり飲みタイム。仲良くなった人のお家での3連泊。
明日は晴れたら少し作業して早めに切り上げたい。
こちらで応援してくれた人にもできるだけ挨拶していきたい。

災害ボランティア五日目

2011年04月06日 | 災害ボランティア2011
今日は石巻市での活動。鹿妻南(かずまみなみ)で朝6時半から駐車場の泥出し。終了後、トイレと地元の人とのお話しをしたく避難所へ。お話し相手は・・・
一人目、40代女性、息子が水泳選手。津波で息子と流されたが息子に何度も助けられなんとか助かったと。また親友の女性は困っている人がいると見て見ぬ振りをできない人だったそう。津波に流されて助けを求めてる人がいて、泳げないのに助けに行って亡くなられた。シングルマザーで子3人。残された子達は、きっと親の姿を見て立派に育つだろうと涙ながらに話していました。泣けました。自分がそこにいたらどういう行動をしていたのだろうか。
二人目、80代女性。津波の時に足は悪いが必死に逃げたと。たくさんの人や車に抜かれたが、誰一人として声をかけてくれなかったと。
その他数人とお話ししましたが、圧倒的多数派はそれでもこの町に住みたいという意見。
話し込みすぎ2件目開始は10時頃?70前後の夫婦二人暮らし。子はなく、二人での作業。が女性は目が見えなく、足も悪い。家具の搬出、畳の搬出。一ヶ月かかってもこれだけ出来なかったと、大変喜んでもらえました。明日は泥出しと細かい物の搬出予定。
石巻市はローラー作戦で地域ごとに潰していってる模様。こちらの地区は一ヶ月くらい先までボラセンからは来ないとか。

先日多賀城市で会った怪しいおっさんが24歳中村君をこちらに回してくれた。なかなかやる気のある行動力のある子。農業やってるかた。明日は石巻ボラセンで頑張ってくると。
明日は田中さんて人を回してくれる。面白い流れや繋がりができてきたけど残りは後二日。誰かにこの流れをつなげたい。
やりたい方は多賀城ボラ駐車場で白い軽四ワンボックスの怪しい関西弁のおっさんに話しかけて見てください。単独行動してると思います。篠原さんて名前です。自分に聞いてくれても構いませんが自分はもうすぐ戻るので生の声が良いかと。
ボラセンがボラを派遣してくれることすら知らない地域は多い。

ボラ初日に比べ弟と共に成長してます。毎日3回は携帯電話探してる弟に首から下げる紐を買い与えたい。

今日はメールとブログ同時送信。

コメント代わり

2011年04月06日 | 災害ボランティア2011
同じようにボラセン並んでではない方法でやるなら石巻駅近くの市役所2階で工藤さんて方に話せば良いと思います。屋根直した佐藤と同じように動きたいと。車とかないと厳しいでしょうが。車は泥だらけになります。
あとはボランティア保険はそこでただで入れるようです。(自分たちは事前に地元で済ませたけど)
あとは個人で見つけた時には作業前後に工藤さんの携帯に一報。

どれか分からないが自分の設定したNGワードがコメントの邪魔(笑
コメントの代わりに投稿。

災害ボランティア四日目(石巻)

2011年04月05日 | 災害ボランティア2011
ブログ遅くなりすみません。安否確認の連絡いくらかいただきました。
今日は朝から車で必要としている方を探す。ボラセン並んで順番待たされるよりは・・・
今日は4件ほど回りました。初日に比べかなり行動力アップしました。
早起きし8時過ぎに一つ目の現場を発見。港町の漁師さん宅。半数くらいの家が丸ごと流されている地域。広い敷地の泥出しと他所から来たゴミの搬出。11時頃である程度かたがつき、依頼主(親子30歳、60歳)も用事があったので終了。乾電池やらアルミホイルやらカイロ、ウェットティッシュをお渡し喜ばれました。主観抜きですが自衛隊は役に立ってないと言ってた。やる気ない状態で来られてもと・・遺体も自分達で集めたと言っていました。作業完了後、日本酒と缶詰をもらいました。何回も断りましたが・・・
近くで自分の船を探している漁師さんもいました。道路も50mくらいなくなっていました。
2件目以降は鹿妻南。目の前の道路が瓦礫だらけ、2階床上くらいの浸水地域。車が出入りできるようにして欲しいと。3時間程度かな?依頼主60歳男性は、娘と孫は津波に流されたと。一生懸命前向きに頑張ってました。
3件目、4件目は短時間で同じような作業。
石巻市には建築系の仕事がないか随時確認してます。
たくさんのお手伝いができ、充実感アップしてます。
また、明日の仕事も見つけたので朝一から楽しみです。

3件目の依頼主はたくさんお話しがしたそうで、夕飯は一緒にカレーライスを招待。のはずが、自宅に来てくれと。鹿妻南3丁目のマンション5階502。お邪魔してたくさんお話し。今日貰った一升瓶を持って行きカレーを食べた。ので今日も酒飲みました。
今日の4件とも皆社長をしている方で良い刺激も受けました。
何もないけど車よりは暖かいだろうからうちで寝でげと言われ、遠慮せずに。部屋って暖かい!!!いつも当たり前なところに感謝!
今は携帯でブログ更新しながらほろ酔いで暖かい部屋で寝袋に入ってます。

今日は皆さんにとても喜ばれました。残り少なくなりましたが存分に力を出したい。

災害ボランティア三日目

2011年04月04日 | 災害ボランティア2011
今朝も早起き。ボラ用駐車場で寝泊まりしているおじさんから、多賀城市内で人手が不足していて独自で話しを通している場所があるので一緒に行かないか?との提案。ボラセン並んでも無駄な時間多いだろ?と。超関西弁のするどいツッコミ。怪しさプンプンな感じ。
起きたてだが場所を同行、下見に。今日は石巻でも屋根の修理を頼まれていると。建築士持ってる事を話すと、是非同行してくれって事で急遽石巻市へ。昨晩ハンゴウで炊いて余ったベチャベチャおにぎりを食べながら向かう。
現地に着きボラセン登録し現場に向かう。梯子を家主借り状況確認。依頼主はろうあの為手話の人が同行。瓦が一部割れ瓦が歪んでる。
コーキングを買いに行き瓦を調整し応急処置。
大変喜ばれました。

その後、石巻の状況を足で確認し、ボラセンでボラ行けてない場所の話をし聞き取りました。明日はボラセン並ばずに6時から現地を回り需要のある場所を探したい。工場からイカが大量に流れてきて臭いとか。石巻は建築士チェック欄があり嬉しかった。
石巻市は多賀城市の比じゃないほどの被害。自分が出来ることを探し頑張る。弟が疲れてきていないか心配。
今晩は一番寒そう。