ブログ~軌跡

2004年より

ボランティア初日

2011年04月02日 | 災害ボランティア2011
4月2日
AM2:00弟からうちに到着の電話で起きる
2:50自宅出発
7:50多賀城到着。380kmの道のり。
テレビと同じ風景だが生で見ると涙が出てきます。
9:10皆さんからの救援物資を市役所にお渡しする。弟と2人で3往復するほどお渡しできました。とても喜んでいただけました。
10:00用意を済ませボランティア受付
10:45依頼主鈴木様邸到着。ボラ6名のリーダーとなる。自分達のみ初ボラ。70台後半の男性宅(3DKアパート)からの家具搬出と泥の搬出、畳の搬出。床上1.5mくらいまで津波でやられていました。部屋には死んだ海の魚も。庭にはひっくり返った車も。浴槽はたっぷりと海水で満たされてます。
依頼主は捨てるのが勿体ないようで完全に水に浸かった冷蔵庫、洗濯機、扇風機などを塩竃港近くの自分の倉庫へ運ぶと。濡れた布団なども。力になれたと思います。
14:45作業終了
16:15ボラセンに戻り作業の報告
16:30近所からの30前後の男性ボラさんと話をする。内容は、地震時彼は仙台港で働いていた。最初の津波警報時5mだったので、逃げない人が多かった。警報が10mになり慌てて外にでるも道路はごった返し。信号も消えていて皆、車に車をぶつけても気にせず逃げていた。職場は流され家にいても・・・という事でボラに。しかし今日のボラはピアノが地震で動いてしまったので直して欲しいとの依頼。6名で行き2分で終わったとか。前回は地震で鍋がひっくり返ったので戻して欲しいと・・・かなり呆れ返ってました。参加時刻が遅いからかもしれませんが。
私たちの今日の依頼元は、他者に比べかなり重装備だったからか、ヘビーなところだった模様。今日で10日目の地元大学生は今日が一番酷いと言ってました。全身泥だらけになりました。
他にそのボラさんから従姉妹の話。彼女は震災時大型スーパーに勤務。上司に津波の判断を仰ぐと屋上へ逃げるか外へ逃げるかは自己判断でと。屋上へ逃げ津波は回避。夜になっても水はひかず、胸まで水に浸かり、遺体を掻き分け帰ったと。もう思い出したくないので店には行きたくないと。

津波被害のない所は同じ市内でも電気は普通についています。被災地は信号もついてなく、重なりあった車も残っています(大きな通りはある程度処分済みのよう)

作業後ボラセンに一輪車やスコップは必要か聞いてみると、数が不足しているとの事。持って行ったのをお渡しすると所長まで出てきてお礼されました。


以上、ご報告。