ブログ~軌跡

2004年より

火事場泥棒

2011年04月21日 | 災害ボランティア2011
先ほど、石巻の林さんから電話がありました。
こちらも少し荒れてきてしまってるよ、と。
今日、奥さんが家にいる時に4,5人の人が入ってきてなにやら物色していたと。
奥さんは怖かったが誰だか確認すると、役所の方から来たといい、帰ったらしい。
車は遠くに置いてあったようでナンバーは分からない。
近所では使えそうなモノや家電やらが盗難被害にあってるそう。

震災直後も泥棒と出くわし殺人事件もあったと、避難所の喫煙所で会った人は言っていた。

そんな話を聞いていてkidoの親戚さんの日記を思い出した。
許可頂いたのでコピー貼らせていただきます。

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嫁さんの実家は久ノ浜という海沿いの町で今回の津波では大きな被害を受けた地域のひとつ。

この久ノ浜は福島第一原発から半径30キロ以内屋外対比地区に指定されているため、大地震、津波、放射能の三重苦にあっている。

しかもその久ノ浜へ入る国道6号線もがけ崩れのため寸断されている地域。

俺のお客さんの一人もこの久ノ浜に4年ほど前に家を新築して住んでいたのだが、津波に一階部分をやられてしまった。

建物の剛性が強かったため、海側燐居の家が大破しその残骸が建物にぶつかったが、その残骸すべてをその家一件で止めて、裏の家には残骸がぶつかることは一切無かった。

一階の室内は海水と海砂でめちゃくちゃになったが、補修で済める状態まですることは可能だったが、すべては原発のおかげで家の前にうず高く積み上げられた残骸すらどけることが出来ない状態。。

3日前ほど、そのままでは心もとないので、お客さんと一緒にまだ使える家電製品類を運び出し、口のあいた開口部をブルーシートで閉じておいたのだが、今朝方電話があり、火事場泥棒に入られてしまった・・・

前回の訪問時に運び出せなかった、ブランド物のバッグ類などを盗まれただけだが、何よりひどいのは、今回の騒動が治まったらすぐにでも生活が出来るように津波に塗らされていない家具類をそのままにしていたところを激しく荒らして行った事。




前回は
「もう一度この場所に戻ってくる時期を考えるためにも近くに仮住まいをするんです」

なんて話していたのに、今日は

「もうここに住むかどうかも分からないから・・・」

って。


火事場泥棒が盗むものは金品だけでなく、これからがんばって一から出直そうとする人間の「希望」を根こそぎ盗んで行く。

人間の汚い面が震災の疲労でナイーブになった心に強く突き刺さります。

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お手伝いしてきた林さんも今日はめずらしく声のトーンが落ちていた。。。
こういう事が起きないようにするにはどうすれば良いのか。





また少し話は変わりますが、ボランティアで現地から帰ってきた方のメンタル的な話をラジオで聞きました。
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ボランティアに行った人たちは本当に自分たちが役にたったのか、疑問に思ってしまう人も多い。そして自分を責める人さえも。 
自分が行っても行かなくても変わらなかったのでは?たいした仕事が出来なかった。短期間しか手伝えなかった、もっと行かなければ。などなど。
ラジオでは例えそれがボラセンの受付やチラシ配りでもその人たちがいないと回らない。誰かがやらなければいけない仕事と考えるべき。また、現地に行った人を回りの人が応援してあげると良い。
現地を見ていない・実際ボランティアをしていない人から「被災地に行って結局何が出来たのか」「わざわざ現地に行かずとも出来ることはあるのに」という否定的な意見により、傷ついてしまうことも多々あるよう。
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運転中に聞いたもので記憶も定かではないが、そんな感じでした。
災害ボラ行く時は周囲から応援されるよう、多くの人に伝えると良いのかも知れません。
そしてその応援に応えられるように行動すること。(あまり頑張りすぎると体や心を壊すと言われているのでそこそこに・・・)
ボラ話聞いた人は、例えば2日ボラしてきた人に「俺の知り合い1ヶ月やってきたってよ」などもよろしくないのでしょうね。