文化調査船「ガラクタ号」 プログ版

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3月23日(土)のつぶやき(手動転載)

2013年03月24日 08時53分29秒 | 個人的な感想とか意見

精神が不安定な状況が続く。現実感がドンドン薄れている。暗い部屋で一日中過ごしているからだろう。


日本に限ったことではないだろうが、「こうあるべきだ」を強く打ち出したくてもできない場合に「こうあるのが望ましい」という表現をする。「あってはならないこと」が支援されないよう、手出しすることを規制する。アンタッチャブル(言及不可)事項になるように誘導する。


国際問題としては、領土や歴史的な対立が多い。北朝鮮問題、イスラエル問題、急進的なテロ組織、麻薬組織なども。国内では政策的身分制度に関する差別問題、戸籍・氏名に関わる問題、性教育問題、性産業や性表現に関わる問題、利権問題、賭博類似行為の問題など。


生活困難者とその予備軍に対しての問題もその一つだろう。数十年前の都会生活者の多数を占めた層を「モデル世帯」と設定して、その多数を占めるモデル世帯が少数のモデル外の世帯を支えるのが「公的支援」だったのだろう。私的な組織・団体が主で、公的なものは従。これが現状と大きくずれている。


この設定は、多数が少数を支援するのとは違う。都会生活者の多数を占めた「モデル世帯」は全国的には多数ではない。地方では逆転していた。また時代の変遷・経済情勢の変化・雇用環境の変化などで、都会生活者の中でも多数ではなくなっている。支援される側が圧倒的に多くなっているのが現状だ。


しかし支援というのは、経済的な面でも人数的な面でも、資源を多く持つモノが少数へ行う場合に厚くできるが、資源を多く持たないモノが多数に行う場合には薄くしかできない。制度を決めるときに比べて支援を受ける側が急増した場合でも、同じだけの支援を期待してしまうものだから破綻していく。


結果として、元々支援を受ける想定の層と急増したより(政治的な)力のある層との対立を生むことになるようだ。保守的な人は前者への支援に留めたいが、現状追認の人は後者への支援も望む。どちらも支援を減らすことや切り捨てるような発言で非難を受けることを避けたいので曖昧な状況が続く。


それ以外に公的支援そのものを嫌う層も存在する。希望する人だけが支援をすべきだというものだ。非難を受けることも避けないほど大きく発言できる人もいる。誤解されやすいが、経済的に恵まれた環境の人が上から目線で、と決めつけてはいけない。


私は、公的支援一般がアンタッチャブル(言及不可)事項になるように誘導されつつあるように感じる。もっと広く公的な保険制度(医療・介護・年金)も、問題提起まではされるがその改革を具体的に論議する段になるとアンタッチャブル事項となるように見える。


アンタッチャブル事項にして先送りし更なる悪化だけは防ぎ、これ以上対立を煽ったり激化させないという「知恵」を利用したい問題もあるだろう。しかし先送りすると悪化していく問題までアンタッチャブル事項に誘導していくのは「知恵がない」と思う。