文化調査船「ガラクタ号」 プログ版

ツイッター連携・まとめ投稿機能が終了してしまったので、体調と気分次第で転載するしか・・・とほほ

7月31日(水)のつぶやき

2019年07月31日 07時11分19秒 | 個人的な感想とか意見

  • もしあなたが「消耗品」と言われたらどうでしょうか?あまり愉快な気持ちにはなれないでしょう。しかしスポーツ選手やエンターティナー(歌手・俳優・芸人など)は「消耗品」として当然視されてきた歴史が長くあるように感じます。 posted at 06:08:01

  • スポーツ選手やエンターティナーは「消耗品」扱いされないようにしてきたでしょう。しかし興行という考えや観客の好みの移り変わりがあって、必ずしも成功者を褒め称えるだけでは無い現実もあります。ハッキリ言えば悲劇を期待している観客もいるのです。 posted at 06:13:42

  • 才能溢れる者の短期に上り詰めるサクセスストーリーだけでは無く、長い下積みを経て開花するストーリー、もうすぐ大舞台に届く寸前での転落劇・悲劇も楽しむ。何か騒動やスキャンダルを探し求めて楽しむのが観客なのです。 posted at 06:20:32

  • 観客にとっては全ての対象は「消耗品」なので、個人への思い入れはありません。目にする機会が無くなれば忘れさられます。偶に思い出して貰う機会があっても、それは続きません。 posted at 06:24:41

  • 例えばスポーツ選手にとって酷使することになる自分の肉体は「商品」であり「消耗品」でもあるので、「商品価値」を保つことは重要関心事項でしょう。その一方でその選手自体は観客にとっても「消耗品」ですが「商品価値」は別の所にあります。 posted at 06:28:22

  • そういう流れで見直すと、最近の色々な話題になった事柄は、観客の望む幾つかの流れを反映しているような気がします。こうなったら楽しめる・おもしろそうという願望が強く出ている気がします。 posted at 06:41:15

  • 「消耗品」とは違うけれど「愛玩品」「独占品」だという振る舞いをする観客もいるようですね。商品として売るための虚像を、虚像として楽しめない人が事件を起こす。それすらも「商品」にして売る。複雑怪奇。 posted at 07:04:16

  • 私はこういう状況を不快に感じることが多くありますが、一般の人の事件事故も合わせるとニュース記事の殆どはこういうスタンスのような気がします。やはり私は少数派なのでしょう。 posted at 07:09:43

  • (不謹慎な例えですが)信号機の無い交差点に信号設置の請願をするとき、予算が十分に無い場合の優先順位の付け方があると予想されます。死亡・重大事故の件数の多さです。つまり犠牲者が多数あることで正当性が高まります。訴える先は国民ですね。 posted at 18:24:28

  • これも不謹慎な話ですが、自分の功績・業績を吹聴する人の話で、自分の前途ある部下を何人潰した・ライバルを何人潰した・交際相手が何人いた・会社を潰した・浪費したと誇る様子が痛々しい場合があります。 posted at 18:29:01

  • 自分が聞いた話で一番嫌な思いをしたのが、大手出版社の編集で、自分の担当作家や漫画家をどれだけ多く潰して田舎に帰らせたかを誇る人の話です。何故その人が編集者をしていたのかは判りませんが、育てたではなく潰したことを誇るのに複雑な感情があると思います。 posted at 18:32:54

  • 午前中のツイートでも書きましたが、スポーツなら素晴らしいプレーや活躍シーンだけでなく、絶望や悲劇を楽しむ観客がいるのです。スター・アイドルに声援を送る一方で、悲劇に見舞われてから更に応援する自分を楽しむファンも居たりします。表の綺麗な感情と裏の屈折した欲望が同居しています。 posted at 18:40:07

  • さて自分の家の前の交差点に信号機が無いとき、どういう手段を考えるでしょうか?人によっては署名を集めたり請願を工夫するでしょう。人によっては事故を誘発して設置理由を作り出そうとするかも知れません。他人を自分の都合で犠牲にします。 posted at 18:43:39

  • 今日読んだネット記事では、踏切を時間が掛かっても安全に渡りたいという理由で、電車に緊急停止させるための「非常ボタン」を日常的に使用した人の話がありました。本人にとっては「歩行者用信号の手動切替ボタン」の感覚だったのかも知れません。押せば止まってくれる便利なボタン、は共通ですが。 posted at 18:49:46

  • 自分の都合で勝手に、ということならば、白ペンキをつかって勝手に横断歩道標識などを道路に書き込んだ人の話もありました。侵入を防ぐバリケードやポールを許可無く置く人もいるようです。 posted at 18:54:28

  • 止むを得ず戦うこと争うこと傷つけてしまうこともあるでしょう。身を守るためとは限りません。でも踏みつけたり蹴り飛ばしたり塩を塗ったり唾を吐くのは、鬱憤晴らしに思います。自分がのし上がる途中に生贄にしてきた人に唾を吐くも見せないで欲しいです。でもウケて支持されて議員になるからなあ。 posted at 19:05:28

  • 横断歩道は指示標示らしいです。 posted at 19:30:01




7月30日(火)のつぶやき

2019年07月30日 21時17分44秒 | 個人的な感想とか意見

  • 高度成長期の経済成長や人口増加、バブル時代の収入増加、携帯電話やインターネット黎明期の加入者増加バブルなどが引き起こした社会基盤の制度設計の影響って未だにある気がする。 posted at 20:25:22

  • 都市交通基盤である高規格道路や鉄道・バス・地下鉄という長期大量輸送を前提とした輸送システムの計画。バスや地下鉄の採算って人口数維持地で無いと厳しそう。高齢化が進む地域や人口減少地では急激に悪化している感じ。自家用車が補完しているとは限らない。 posted at 20:32:11

  • 年金制度や健康保険制度、介護保険制度なども保険料負担に耐えられないほど低所得者への負担は重い。税金も含めるとそれ以上。色々なしがらみから生活保護などの公的扶助が相当のレベルにあっても、受給を拒む世帯が多いから何とか持っている感じらしい。年金と同じく古い制度設計が理由だと思う。 posted at 20:36:35

  • こういう過去の成長期に大元が出来た社会基盤・制度の設計を見直す動きは何度も出たらしい。少し前だと年金制度改革と特集はワイドショーでもあった。しかし変更は一部の人の負担を軽減するけれど、別の人の負担が増すことに繋がったり受取が減ることにもなる。抵抗は大きい。それがいくつもある。 posted at 20:41:03

  • バスや鉄道,道路についても問題は多い。人口の分布が単純では無く、全体としての少子高齢化と過疎化と人口減少により、まだそれなりの人口があっても採算が取れない地域が急激に増加している。高齢ドライバーの事故増加もこういう地域での解決策は不透明。都会とは別の解決策が欲しい。 posted at 20:48:10

  • 少子高齢化過疎化を前提とした「移動」の社会基盤・制度設計については情報を持っていない。自動運転技術などが取り上げられた番組を見たことはあるが、一部のユーザーへの対処になりそうだが、社会基盤になりうるかは判らなかった。 posted at 20:51:36

  • 通信基盤についてはあまり知識が無いけれど、現在の中心となる通信機器がスマートフォンで利用の中心が常時接続型の音楽・動画視聴らしい。基盤整備に掛かる費用は巨額で、回収のため端末料金や回線使用料をすぐに下げることは厳しい。またすぐ次世代整備が必要になり、長く使うことはなさそう。 posted at 21:01:40

  • (自分は修理終了を宣言された古いiPhone4Sを使っているが、使えなくなったら高額の機種に変更するしかないし、月額費用も相当高額なので解約予定) posted at 21:05:26

  • (つぶやきが1年なかったら、病気のせいかネットを解約したと思ってください。) posted at 21:10:54

  • 特定のスローガンや状況でメディアで話題になる政治家よりも、ひずみの多い現在の社会の基盤全体を見直すことのできる人(政治・官僚・市井問わず)の活躍を待望して支持します。 posted at 21:16:05




7月26日(金)のつぶやき

2019年07月26日 22時28分07秒 | 個人的な感想とか意見

  • ローマの昔から、舞台上で人が争って傷つけ合ったり再起不能になったり死ぬ姿を見せる大衆娯楽があったようです。現在では意図的な傷害やルールで規定された命のやり取りは否定されていますが、観客の性質は同じではないかと思う今日この頃です。 posted at 17:33:13

  • アニメ制作会社への放火事件、芸能プロと所属芸人の複層的な騒動、スポーツとケガに絡んだ幾つかの事件的なもの。そこにいた当事者全てが舞台上で争うのを、報道に見せかけ大衆の為の娯楽として煽るマスコミ。クリック数こそすべてで炎上も手段とするネット。 posted at 17:42:05

  • 剣闘士の舞台上での殺し合いを楽しんでいた2000年以上前のローマの大衆と基本的には同じだろう。大ケガで治療も不十分なまま出場しボロボロになって負けて引退する相撲とか、プロに入ってもすぐに肩を壊して活躍できなくなる高校野球とか、無残な敗者を楽しむ観客の意向が反映されている気がする。 posted at 17:48:26

  • スポーツや格闘技であれば、大けがをしてもすぐに復帰できるようにリハビリや復帰までの環境が整っているのを、表向き要請したり歓迎すると思うけれど、「敗者が没落していく悲運」を楽しみにしている大衆への迎合がある気がするのだ。 posted at 17:53:44

  • 芸能人や一般人の不幸を楽しむ態度も同じだろう。「人の不幸は蜜の味」と言うらしいが、幸福な人の報道は短期に盛り上がってすぐに収束、不幸な人・混乱の中にある人の報道は長く続く気がする。でも本当に解決したい問題はうやむやになってしまうのが不思議。 posted at 17:59:01

  • 先ほどの話は一般論なので、個別の状況や嗜好に言及していません。ですがそれほど現状からズレた内容ではないと確信しています。 posted at 21:17:57

  • 「政治指導者の現状認識や政治活動家としての人格は、選んだ有権者の現状認識や人格を反映している」という私の理念に基づいて見ると、参議院選挙に付随する報道から見えてくる有権者の意思はよく判らないというのが正直な思いだ。実にバラバラだからだ。 posted at 21:25:28

  • どういう候補者を有権者に提示して支持を得ようとしたのかは各政党の思惑があっただろう。中には何処の選挙区なら類似した政策の候補へ支持が分散されないかまできちんと戦略を練っていたように見える政党もあった。政党名だけで候補者個人には魅力無いところもあった。 posted at 21:31:27

  • 当選して議員になれば、名目上は特定の政党・団体の代表ではなく国民の代表として振る舞って欲しい。自分の掲げた政策以外はどうなろうと知ったことでは無いという態度の人に、6年間も高額の歳費と議員特権を渡すのは納得できない。 posted at 21:35:56

  • 逆に国民の代表として活動の意志を示しているなら、その活動を支える為に高額の歳費・議員特権はもちろんだが別枠の支援が必要なら受け入れたい。私的な目的という疑念を持たれる場合は公開説明して欲しい。 posted at 21:41:06

  • 有権者は自分が支持する政党・政策へは無条件に(まったく吟味をしないで)賛意を示し、そうでない政党・政策へは無条件に非難することが当たり前に見えます。自分は政策の実現手段として政党の意義を捉えているので、無条件に従うことが出来ません。 posted at 21:50:38

  • 国会での不規則発言(ヤジのようなもの)と同じように、自分の存在をその場に示して満足感を得たい人が、リアルの場でもネット上でも紋切り型の主張をしている場に出くわすことがある。その人なりの主張なのかもしれないがよくわからない。 posted at 21:56:27

  • 私とは主義が異なる人の意見でもそれなりの論拠が提示されたものは目を通そうと思うが、借りてきた主張を継ぎ接ぎしたようなものは言いたいことが伝わらないで読めなくなる。紋切り型の主張はそれと似ている気がする。 posted at 22:00:54

  • かなりの偏見だと思うが、紋切り型の主張の人はクラシック音楽のコンサートで演奏が終わると同時に(時にまだ演奏中でも)「ブラボー」と大声で叫ぶ人と同じだろう。演奏とは関係なく静寂の中大声で叫んでストレス発散するのだ。きっと周りの顰蹙も想定内? posted at 22:09:31

  • 私の考えは、演奏に満足したら演奏終了後に精一杯の拍手をすればいいし、満足できなかったら拍手をしないとかブーイングをすればいい。でも他の客の鑑賞(余韻も含む)を妨げる行動は鑑賞費用以上の弁済をする覚悟がいるぞと。 posted at 22:15:36

  • 政治家の言動でも、大手芸能事務所の問題でも、人命や尊厳に関わる大きな事件であっても、私とは異なる主義主張意見見解があるのは当然だと思うのだが、こちらのような存在を頭から否定して存在すら認めない紋切り型の人とはどう対処したら良いのかなあ。 posted at 22:20:59




7月21日(日)のつぶやき

2019年07月21日 17時00分06秒 | 個人的な感想とか意見

  • いわゆる二分法・二項対立的分類法が、長く広く深く人間の思考を支配していると私は思っている。単純な分類法だからだ。善悪、是非、正邪というものや、強弱、勝負、攻守も、男女、親子というものも。そこに特定の価値観を重ねて固定化されていくと、外せない「色眼鏡」になると思う。 posted at 00:51:18

  • 実際は男女という2分法ですら実状と合っていない。社会的コストが少なくて済むように「男」「女」のどちらかに無理矢理押し込めているようだ。最近は複数の国で「どちらでもない」という第三の性も選択することが出来るようになっているらしい。単なる3択では本質は変わらないのだが。 posted at 00:59:25

  • 男を定義してそれ以外を女とする、または逆に女を定義してそれ以外を男とするという考え方を疑うことが無ければ、男女どちらにも決められない存在は「あってはならない」ものであろう。個人的には受け入れられる環境があったとしても、社会的には厳しいだろう。 posted at 01:03:50

  • 善悪・是非・正邪のようなものは、そういう二分法が広く受け入れやすいとしても、何を「正」として何を「邪」とするのか同じでは無い。そういう風に「正邪」の扱いが異なる集団間では対立が生まれる。隣人として付き合えるのか殲滅するしか無いのかは、「そうではない」選択肢に寄ると思う。 posted at 01:10:18

  • 柔軟な思考が出来るうちは、「A」か「Aではない」かという二つ以外に、「そうではない」という第三の選択肢が思いつくし、また選択できると思う。更に第四、第五の選択肢も。 posted at 01:13:25

  • 「男」「女」以外に、「どちらでも無い」であったり「どちらでもある」があったり「どちらにも変動する」があるだろうし、前に私がつぶやいたようにもっと複雑な指標もありうると思う。ただし社会のコスト負担というのは全部のパターンに細かく対応できないと思うけれど。 posted at 01:18:29

  • ある反社会的な行為を行った者に対して、法に照らして出した結論(司法判決)と一般的な意見(世論としよう)が大きくズレて話題になることがある。一審の裁判員裁判制度で出された量刑が、二審の従来型の裁判で既存の判例寄りになるとか、性的暴行関連の認定が被害者に不利だとか。 posted at 01:26:00

  • 裁判の役割というものが、「A」か「Aではない」かを決めるものなのに、それ以上の役割を過剰に期待しているから、ズレが生じているような気がする。有名な日本の裁判三審制も、同じことを3回やると勘違いしていると思う。訴えた人の尊厳だけでなく訴えられた人の尊厳も守ることはかなり難しい。 posted at 01:35:35

  • 例えば悪質な交通事故の量刑が納得いかないという世論の後押しを受けて、危険運転に関する法を新設したり改訂してきた。それでも「法の条文で想定された条件」に合わなければ期待された量刑にはできない。法は常に後追いである。 posted at 01:39:53

  • 「A」か「Aではない」かという思考の枠組みはとても使いやすいモノであるが、「どちらでも無い」のようなものを取り入れていけば、もう少し複雑な世の中でも対応できることが増えていくのではないかと思う。ついでに社会的なコストへの関心も高めて欲しい。 posted at 01:45:18



  • 何か事件が起きたときにその原因を探ることを、エンターテインメントとして演出することはよくある。週刊誌や新聞TVなど既存のマスコミはもちろん、クリック数などで費用を稼ぐネット上のメディア・動画サイト投稿者も同じ仕組みだろう。政治・経済・科学・芸能・スポーツ・スキャンダルと幅広い。 posted at 16:10:27

  • 当たり前だが、こういうものにはそれなりの需要が見込まれるから制作される。硬派な記事にも軟派な記事にも需要がある。ただし日本では政治経済を中心にした高級紙と、幅広い分野の内容を載せる一般紙と、芸能やスポーツ・ギャンブルなどの扱いが大きい夕刊紙・タブロイド紙の差が小さいようだ。 posted at 16:15:32

  • 今はどうか知らないが、30年位前に電車通学・通勤をしていた頃だと、乗車時に読むことが許容されたのは高級紙・一般紙くらいで、夕刊紙・タブロイド紙系のものは、時間帯を選ぶものだった。発売開始時間と記事の内容が理由だ。その頃でも性的な内容(特に写真付き)への厳しい目はあった。 posted at 16:20:54

  • 今の様子はよく知らないが、移動中でもスマートフォンやタブレット端末で記事も動画も自由に閲覧できるのであろう。ただし自分の興味に関連した分野のみに特化したもので。勝手な推測だが昔は余り差が無かった興味・関心の差は広がっているだろうし、知識も分裂・分断している可能性がありそうだ。 posted at 16:27:07

  • 知識だけでは無い。思想とかものの見方も分断・分裂していると思う。ある事象を観察分析していこうというとき、ある人は例えばサイコロの一の目の面からだけ、ある人は同じく六の目の面からのみというように感じる機会は多い。もちろん二の目三の目四の目五の目の人もいるけれど。 posted at 16:30:55

  • 先に特定の理念とか主義主張があって、何があっても一の目の面以外は認めないというタイプの人も居るだろう。しかし自分には一の目以外に全く興味を持たず、一の目以外の世界があることすら見えていない、それ以外の一切は認めないという頑な態度ばかり目立つのだ。聞く耳も何も持たない。 posted at 16:35:06

  • 自分は他の目の面も一通り扱ってから何らかの見解や意見を出すことをする人の態度を尊重しているつもりだ。その時の自分の意見と異なっても。ところが特定の一面のみにこだわる人の見解や意見にはまるで共感する切っ掛けも感じられない。政治理念の左右とは関係なく。中身が無いとも感じる。 posted at 16:40:42

  • 何が貫きたい信念があるから現状を分析してこういう改革を提案したいという場合でも、一面しか無い人には現実とかけ離れた案しか出してこない。優先順位を付けたくないので総論だけの曖昧な案になってしまうようだ。そういう人に限って他の全ての案を否定するのもセットになっていそうだ。 posted at 16:45:11

  • 複数の面を比較できる場合、短所や欠点があっても比較したり順位を付けることに躊躇が無い。「比べる」のは特に負担では無い。総論だけでなく各論にも関連がハッキリしてわかりやすいように思う。 posted at 16:48:53

  • まあ識者・専門家と言われる人、異端とか改革者とか言われる人がどういう言動をしてきたかを見れば、自分と似たようなアイデアは出てくるだろう。 posted at 16:52:26

  • ちなみに「どちらの(どの)意見・見解が正しいのか」という質問自体が一面的であると思っている。「どれも正しい」から「どれも間違っている」まであり得るし。正解があると思い込んでいたり、正解として選ばなければならないという義務感があっては、どんな事件も虚構と同じだろう。 posted at 16:57:22



  • 「自己責任論」というものがあるそうです。現在の状況は過去にした選択によるものだから、その責任は選択主体であるというものです。彼と結婚するのを選んだのはあなただから、現在の不幸を嘆いてもあなたが悪い。機会があったはずなのに非正規雇用を続けた君が悪い。など。 posted at 19:22:53

  • さっきつぶやいていた多面的な視点や、その前の「A」か「Aではない」かの二分論にも通じますが、「自己責任論」っていうのもある面から捉えるだけで思考停止している、固定化した見方で満足している、自分が当事者で無い場合の切り捨て態度、ではないかと思います。 posted at 19:27:34

  • 自己責任を声高に主張するのは、当事者が何かを選択可能である限定的な状況を後から振り返ってみたときにではないかと思うのですが、実際は選択可能とは言えない状況であったり実現困難なものを選択肢のようにしていた場合もあるようです。 posted at 19:32:55

  • 高校野球部に所属していて、プロ野球の選手になって活躍することを実現性の高い選択肢に出来るのは、どれだけいるのでしょう。民間の募集が少なかった時期に公務員になって安定した生活を送るのは?激戦区で人気のラーメン屋を何年も維持するのは? posted at 19:36:57

  • ブラックな企業に勤めて収入も健康もあきらめるのか、生きることは可能であるが安定からほど遠いアルバイトを転々とするのか、働くことを諦めて引きこもるか。こういう3択になる人生が自己責任だとすれば、その前提になる社会に問題がありそうだと思うのですが、自己責任論者は認めないようです。 posted at 19:43:22

  • 自己責任論者曰く、どういう親にも生まれて育ってきたのかという環境も、学校や友人もすべて自己責任。嫌なら家出したり退学するなり友人と縁を切れば良かった。それに甘んじたあなたの責任だ。事故に会うのも病気に罹るのも自己責任だ。・・・これって運命論者と余り変わらない気がします。 posted at 19:48:15

  • 自分が主体となって選択可能な中から選ぶのなら「責任」というものもわからないでも無いですが、選択主体になれないとか選択肢があるようでなかったでは「責任」を持つのは辛いと思います。「言い訳」用に形だけ選択主体のように、または選択肢があるように振る舞われていた気がします。 posted at 19:53:43

  • 「自己責任論」が全面的に間違っているのでは無く、それに合わない状況でも「自己責任」と決めつけ型にはめた判断をして悦に入るのはどうかなあというわけです。 posted at 19:56:06

  • 困難な状況でも常に複数の選択が可能なほど、環境や人材など色々なものに恵まれていると、「自己責任」という理念への自信が強まるのではないかと思います。逆に自分には決定権の無い状況に長くいると、選択機会を活かすことも出来なくなるのでしょう。投票時刻過ぎたので打ち止め。 posted at 20:00:51




7月19日(金)のつぶやき

2019年07月19日 15時51分10秒 | 個人的な感想とか意見

  • 「あなたのいる世界と私のいる世界は同じなのだろうか。重なって存在していると錯覚しているのか、そもそも幻影なのだろうか。同じ単語が使われる同じ言語のつもりだったのに、全く意味がわからないし伝わらない。蓄積してきた色々なもの、単純に言えば文化が違うのだろう。相互理解は当然ではない。」 posted at 00:20:44

  • などと格好をつけたくなるニュースをいくつか見た。もう何回目なのか。 posted at 00:23:09

  • 漁獲高の変動とくに急激な減少が話題になると、資源のコントロールができていないとか海流などの変動を考慮してとか無計画な文化輸出による消費爆発が悪いとか色々な話になる。それぞれの立場からそれぞれの都合によってもっともらしい理由が示される。生態系への関心か経済的な利益か気候変動自体か。 posted at 00:31:49

  • 同じような話なのにこれが植生の問題になると感心が薄れる。野生動物が田畑の作物を食い荒らすとか熊に襲われたということで経済的被害・人的被害はニュースになるが、その原因と推測されている杉や檜ばかりの人工林造成や保水力の低下はあまり話題にならない。電流金網が田園風景の普通になったのに。 posted at 00:46:07

  • 何かの分野で成功した人や企業への中傷行動もニュースになっている。私には真実はわからないし事実関係も断片報道のみなのでわからない。だから誹謗中傷が正当なものなのか言いがかりなのか妄想を信じ込んでいるのかもわからない。なんとなくそういうのはありそうな話だなと思う程度。 posted at 00:51:55

  • ただし精神的肉体的に傷つけるような行動をしているのに、それに無自覚であったり快感を覚えて常習化するパターンには閉口する。刃物を持ち出したり火災を起こすのは以ての外。正当性など認めない。 posted at 00:57:36

  • 私人でも不愉快だが公人の品性のない発言は凶器を振り回すのと同じに感じる。国会議員なら与野党問わずヤジ(いわゆる不規則発言)をする人は国民の代表として不適だと思っている。アレは国会の華とは思えない。テクニックであろうと、つまらない質問と中身のない答弁は政治参加意欲を削ぐだけ。 posted at 01:05:49

  • 閣僚や国会議員が起こす単なる事実誤認や記憶違いによる失言や的外れな対応を否定するつもりはない。立場に応じた責任を理解しないとか、公務についてまるで勉強する気がない態度なのはダメ。逆に細かいミスを論って鬼の首を取ったような行動をするマスコミもダメ。より良くしたい感が無いから。 posted at 01:13:41

  • まあ私の感覚と違って国会議員同士もマスコミ同士も戦争しているのでしょうね。実弾が飛び交っていないだけです。日本と周辺の国々も戦争中なのでしょう。野生動物と農家も、有名人(企業)と中傷者も戦争しているのでしょう。法に反する実力行使で凶器や放火をするのも戦争だからかもしれません。 posted at 01:22:55

  • 戦争でも当事国同士で色々なルールがあって、国内的にも超法規的措置でなんでも許されるわけというものではないのですが、戦争中だからと勝手に自分に都合の良い捻じ曲げをして正当化する創作物を読んだことがあります。歴史的に今とは生命倫理や人権意識が異なる時代背景なのは踏まえています。 posted at 01:32:35

  • それでも戦争だという意識を持つものには、自分に都合のいい解釈で自分に有利な成功が待っているという感覚があると思う。 posted at 01:35:30

  • 繁栄の未来より滅亡の未来を自然に感じるひねくれ者の私には、わざわざ戦争をするのも面倒に感じるので勝つとかに興味ないです。痛いのと苦しいのはなるべく少なめで。 posted at 01:48:46




7月15日(月)のつぶやき

2019年07月16日 01時12分48秒 | 個人的な感想とか意見

  • 何故そのようにしたのかという制作者の意図をユーザーに伝えるかは、提供されるサービスの評価を大きく左右する重大事項だと思うが、実際の操作や利用によって感じ取って欲しいと明示しないスタイルもある。広く受け入れられれば良いが、受け入れられないことも多い。 posted at 17:30:39

  • オンラインゲームなどで言うと、制作側が用意した新しく構築された「世界」が重要な売りになる場合では、その世界観が共有されやすいように何らかの仕掛けが用意されることが多い。「世界観」とでも言うべきものだ。それすらも敢えて不統一にしている企画もある。 posted at 17:35:12

  • 「世界観」(舞台になる場所や時代が別ものであっても)が特定の著名なプロデューサー・ディレクターが制作・監修に携わることで担保されていた時代も長くありました。 posted at 17:48:03

  • 電化製品や自動車でも「設計思想」とか「伝統」のようなものがある。詳しいことはマニュアルに寄るが、基本的には見ただけでどういうものかわかるし、操作方法も何となく感じ取れるというようなものだ。全ての製品で操作配置が異なるのが普通だとしたら混乱しか生まない。 posted at 17:52:39

  • 新しい製品を生み出すときや新しい世界観を作り出すとき、今までにないものをと張り切ってしまうのかも知れないが、ユーザーに伝わらないところに力を入れすぎてしまうようだ。半歩先・一歩先までなら評価を得るが、何歩も先に行くと商業的な成功はない。 posted at 17:56:43

  • 制作側は「このくらいユーザにもわかるだろう・読み取ってくれるだろう」と気楽に考える。その説明では全く不足しているとユーザーが感じ取った場合の行動はとても厳しい。後から気づいて修正して取り返せる場合もあるが、離れたユーザーは戻らないことが一般的。 posted at 18:00:58

  • 先日新しくンラインゲームを始めたが、設定が反映されないなどの操作系のバグも散見するし、操作や画面にも説明が無い。何が出来て何が出来ないのかを探すのもゲームのうち。クエストを受けるべきかも不明。自由度は高いけど立ち位置不明。 posted at 18:08:47

  • 右往左往するだけで解決にはほど遠い。そういうゲームなのです。 posted at 18:12:13




7月14日(日)のつぶやき

2019年07月14日 23時42分30秒 | 個人的な感想とか意見

  • 迷走中。反応が良くない天井シーリングライトのリモコンを分解して清掃した。ネジ止めでは無いので無理矢理マイナスドライバーを差し込み外装を外す。アルコール入りのウエットシートで電流を流す接触部品を洗浄。我が家のリモコンの半数以上は側面に開封傷があるよ。 posted at 23:16:24

  • 消費者が中を開けて分解して掃除するのが当たり前の時代から生きているよ。 posted at 23:22:06

  • 掃除機を使ったら中に溜まったゴミを捨てるだけじゃなくて、掃除機内部も掃除するよ。 posted at 23:23:48

  • メンテナンスフリーなんて信じない。支障が出たらすぐに買い換えて欲しいというメーカーの希望は無視する。貧乏だから。 posted at 23:25:37

  • すぐに壊れるような極細の内部配線で廉価な電化製品を造るとか、分解も出来ない圧着の超薄型カードリモコンなのにすぐ廃番にするのはヤメテ。 posted at 23:29:14

  • 廉価なリモコンが使えなくなると高価な本体まで使えなくなるのを仕様と言うな。代替のリモコンの方こそ長期に必要だ! posted at 23:32:34

  • (テレビやビデオ・DVDのリモコンは買う人が沢山いるから、古い機種でも使える汎用品があるのにね・・・) posted at 23:34:25

  • 使用する周波数を小まめに変えて混信を防ぐ為に「専用リモコン」が望まれたのかなあ。テレビやレコーダーのようにリモコン電波のチャンネル切替で汎用化・共通化してカタログ寿命を伸ばせばいいのに。 posted at 23:40:16

  • ・・・などと、リモコンの分解清掃中に考えて迷走した。 posted at 23:41:08




7月4日(木)のつぶやき

2019年07月04日 14時06分29秒 | 個人的な感想とか意見

  • 避難喚起広報への評価が難しい。万が一の命の危険を回避するためにもっと強力な広報活動が必要という考えもあるし、ある程度の実害を伴う痛みが無いと効果が薄いという考えもある。自分の中でも揺れ動く。このあたりは難病の経済的支援や交通事故原因の扱いとも共通する。 posted at 12:34:02

  • 高齢者だけで無く自動車のコントロール能力が低下するアルコール摂取・違法な薬物使用者や、そもそもコントロールに関心が薄い運転自体に酔う性格の人などもいる。一部は自動車の構造やシステム改善で対応できるとしても、それを拒否する人にはどう対処して良いかわからない。 posted at 12:39:38

  • 私は性善説でも性悪説でもなく、育つ環境や教育といった後天的要素をわりかし重視しているが、中には後天的影響では変わりにくい性質・性格もあると理解している。しかし教育の効果は抜群で、養育者や教師やクラスメイトからの影響は大きいと思う。 posted at 12:47:56

  • 人格形成の大事な時期に環境の否定や人格の否定・生存の否定を感じさせる言動を受けることで、自己否定や無能感・虚無感に囚われてしまう人がそれなりの数いるようだ。ある人には生命力を奮い立たせる成果を生む言動も、ある人にはピリオドを打つ選択に結びつくことがある。 posted at 12:54:02

  • 今回の豪雨でも同じ広報活動が、ある人には避難を促すことに結びつくし、ある人は不利だから耳を塞ごうという選択に結びつくだろうし、またある人には逃げられないからという絶望感に結びつくこともありそうだ。千差万別という考え方の意味を実感する。 posted at 12:58:25

  • 災害が起きたら出来る限り人命救助したり復旧や復興をするのを期待してしまうが、人員も資金も厳しい状況にあると聞く。自然災害・交通事故・医療保険制度も資源分配が平等では無くなる選択が迫られていると思う。 posted at 13:04:15

  • 災害や事故に遭ったとき、「救助拒否」とか「搬送拒否」の意志を表示して、そこで野垂れ死ぬような特別扱いを受けたいなあ。周りは困るだろうけど。 posted at 13:11:29

  • 少し戻って、環境や教育などの人格に与えた影響を、裁判で考慮して判決を言い渡すこともあるらしい。また服役中に反省させるための教育プログラムもあるらしい。実効性がどのくらいあるのかは知らない。多分刑罰と矯正は分離した概念で、矯正より刑期が重視される。 posted at 13:22:39

  • 刑期重視は、形式的でわかりやすいし平等性が保ちやすい。再犯率が高い人のことや、再犯率の高い種類の犯罪が統計で示されても、予防として刑期とは別の対処をしないと。誰の責任でどのような予算で行うか、国民の支持を得られるのかなど課題は多そうだ。 posted at 13:29:03

  • 年金問題も形式的でわかりやすく平等性を保つために、年齢と金額を重視している。退職から死去するまでの期間が比較的まとまっていた制度発足時期と、退職時期が分散して死去するまでの期間もバラバラで支援親族の状態もバラバラになっている最近も同じなのは疑問に感じる。 posted at 13:34:37

  • 人間の人生・寿命の分布が狭い範囲に集中しているのならそれに合わせた制度が良いと思う。寿命の分布が広がって、健康に働ける年齢の分布も広がって、個別の状況に大きな差が出ているのに、同じような金額の年金だけでいいのか、他の制度は利用できないか。 posted at 13:38:01

  • また収入が年金以外にないのに、税金や医療保険や介護保険の費用負担が年々上がってきている。それぞれの制度の趣旨はわかるが、それが積み重なると手元に何も残らない。それこそ生活保護を受けないと危ないレベルでも忌避されてしまう。生活保護も財政的に厳しいようだ。 posted at 13:41:32

  • 国民も公的機関もそれぞれ懸命に努力していると思うのだが、どこかちぐはぐに感じてしまう。 まあ、生き残りを希望しない自分にはどうでもいいことだが。 posted at 13:46:06




7月3日(水)のつぶやき

2019年07月04日 02時29分30秒 | 個人的な感想とか意見

  • 自然への畏敬の念がそれなりにあったのは、単に知識や情報が不足していたからなのでしょうか。最近地震の後に津波災害の可能性を知らされても特に避難行動をしないとか、現在進行中の洪水や土砂災害の可能性が高まった場合でも避難行動をしないのは「知識が増えて高を括っている」のではないかと。 posted at 18:09:58

  • どれだけ災害の可能性や被害に遭った人の話を見聞したとしても、「そんなことは知っているぞ。でも自分には関係ないぞ。」という心理になっているのではと。それは何度もアナウンスされているうちに感覚がマヒしたということだと思う。TVなどでの啓蒙が逆効果になっている例はある。 posted at 18:14:54

  • もちろん避難行動をしたくても、移動手段が無いとか家を離れると生活困難性が上がる障害を持つとかを理由とする場合もある。ただこういう場合は、自治体の担当者や避難所利用者との連携で解決される可能性がある。しかし避難自体に興味関心を持てなくなって居る人を動かすのは難しそう。 posted at 18:19:54

  • 参議院の選挙について、投票率の低下に言及した発言も読んだ。これも投票率が何故低いのか、より低下してきたのかへの反省が欲しい。政治や政治家の行動に関心が持てない維持できないのが理由だと思う。それなりに政治に関心を持っていたのに「もう見捨てるしか無い」と思わせてきたと思う。(私見) posted at 18:24:32

  • 毎回違う政党から立候補している候補者とか、諸理由で登院してこない議員さんって有権者からどう見えるのか? posted at 18:27:07

  • オリンピックイヤーに外国からの観光客を大量に迎えるのも一因でしょうが、G20に合わせてコンビニの使い捨てのレジ袋廃止の話も出ています。が、一方で使い捨てのビニール傘は自治体の頭をかなり悩ませています。自然環境を破壊している原因を減らしたいとしても、何かちぐはぐに感じます。 posted at 18:38:12

  • ビニール製品を使用後にゴミの回収・処理が出来ていれば、これほどの動きにならなかったでしょう。しかしコンビニ弁当も飲料容器やストローも、ビニール袋に入れられたまま路上に捨てられています。川や海への投棄だけでなく雨や洪水津波による流出も相当量のようです。 posted at 18:45:08

  • ビニール系のゴミを投棄したり、洪水や津波で海に流されるような場所に置く人は、ストローの問題やコンビニのレジ袋の廃止に案外鈍感かも知れません。有料化して代金が増えても気にしないと思うのです。スーパーで巻いてある無料のビニールの内袋を大量に持って行くおばちゃんは敏感なのかなあ? posted at 18:52:47

  • 別の話題。中日ドラゴンズの応援歌で歌詞の一部の表現への関心について。基本は「どうでもいいこと」なのだが、これってイジメ・体罰・ハラスメントへの関心と同じでは?人によって視点が違い見方や感じ方が違ってしまうので、正しいとか間違っているとかおかしいとか、見解が入り乱れているようだ。 posted at 18:59:16

  • 正直言って、監督・球団の視点や懸念を払拭するだけの回答が思いつかない。公表をシーズンオフにすべきだった時期が悪いという意見にも頷くが、これも以前とは社会の許容度が変わりつつあるので難しい判断だろう。チームが低迷している時期なのも、応援している側にはナニカチガウ感があるようだ。 posted at 19:06:17

  • また別のニュースで「過疎」という表現を変えたいという記事を見た。マイナスのイメージが多く付いた言葉を別のものに言い換えていこうとするのは「言葉狩り」とも揶揄されるが、実に数多くの事例があり、いわゆる放送禁止用語にも多くある。年月が経つと何故変えたのか忘れられてしまうが。 posted at 19:12:12

  • 多くの人を救おうとして注意喚起をしても、当人達にとっは避難の参考情報になっていない。環境への意識が高い人だけしか改善参加していない。自分以外の人がどう感じるのかを理解できない。言葉を換えても問題は改善されない。何か共通していそうなんだよなあ。 posted at 19:23:08

  • 憲法理念にある「戦争を回避するための不断の努力を志向する平和主義」ではなく、個人が平和を願えば実現するという空想的な平和主義に陥ってしまう人が生まれる原因がよくわからない。そういう人の言動を見ると、相手に関心が無く周辺にも関心が無い。自己陶酔に近い。 posted at 23:11:06

  • 既に戦争状態のつもりで行動しているとしか思えない勢力があると思うのだが、それに反応した政策すら平和を脅かすものだという思考で反発する。 posted at 23:18:21

  • ちょっと前までは、アメリカ的な政治体制や日本の政治体制を肯定的に宣伝して、権力が中央にかなり集中している政治体制を否定的に宣伝していた。実際は国の数だけ体制はあるし、それぞれの成立理由・過程を考慮しない評価は不遜だと思う。その国の国民への敬意を感じられない。 posted at 23:30:48

  • 私の価値観とは相容れない政治体制であっても、相手の国なりの歴史的な経緯から「今は」その政治体制になっているとして敬意を払う。それも戦争を回避するための不断の努力の一つだと考えるから。では既に相手側が戦争状態のつもりで行動しているときはどうしたらよいのだろう? posted at 23:37:36

  • 殴ってくる(武力行使)前に、相手が嫌がることをしてこちらの要求を認めさせるのが国際関係だ。制限をするぞと挑発的な発言をしたり、間接的直接的に貿易を利用するのは何処の国でもやっている。超大国も大国も小国も、手段は違えど手法は同じ。もちろん日本も。 posted at 23:48:25

  • 「経済制裁」は相手の政府への直接的な攻撃では無い。しかし相手の国民への打撃は大きい。直接的な戦争行為での死傷ほど短期では無いが、同じくらいの犠牲者を生むことがある。難民が多い場合には周辺国をも疲弊させる。それでも武力行使ではないから戦争状態ではないというのが一般的見解らしい。 posted at 23:56:00

  • 平和って何でしょうねえ? posted at 23:57:35