政治家とかじゃなくても目線・視線が自分とは違うなあと感じる言動は結構あるね。「(ゴミ捨て場に)ゴミを捨ててやったぞ(俺はエライだろう)」という感じで、市町村の電池回収ボックスに「使用済みの紙おむつ」を丸めて置く人もいました。本人は「良いことをした」と思っているのでしょうね。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 19:57
この場合の「良いこと」と言うのは、捨てていく人には「ゴミ箱」に見えただろう電池回収ボックスにいれたということです。全然違う場所にポイと捨てなかっただろうと。ビニールに入れなくても、トイレや授乳施設にある専用ボックスに入れなくても、自宅に持ち帰らなくても、捨てた人には「良い行為」。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:01
まあおかしいと思う私ですが、このようなことでも「まだ良い」と思わざるを得ない体験があるのです。実際、お店の商品の陰にゴミを捨てている人って多いんですから。店内の商品をぶちまけた子に注意する親もいますが、そのまま通路放置にしたり逆ギレで店員に怒る親も結構います。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:08
エチケットとかマナーとか道徳とか法律とかが必要になるのは、人の歴史が対立と共にあったからだと思うし、それを回避していこうとの知恵がこれらを産んだのだろうと思います。でもそんなモノは自分に関係ないという人は次々に出てくるので、対立にオワリはないのですね。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:14
上から目線の「俺様エライ」タイプの人にそれなりの考えがあるとしても、それが当たり前に受け止められる風土・文化でなければ反発・対立の種になるでしょう。そのうち「外出先でゴミをゴミ箱に捨てる」という文化が否定され、自宅持ち帰り以外の処理は全て犯罪になってしまう可能性もあります。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:20
テロ対策で公共施設のゴミ箱が使えない・使いにくい状態があった人口密集地・大都市圏と、田舎でそのような対策が採られなかった地域では、また意識が異なるでしょうね。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:23
どうしてもTVやネットで目立つ人は「生贄」になりやすく「炎上」しますね。原因・切っ掛けを作る人も、その人を意図的に生贄に仕立てていく人も、無関係だけど燃料を投下して炎上を煽って祭りに参加して快感を感じている人も、「俺様エライ」という雰囲気で一杯に感じるのでひたすら逃げます。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:30
「炎上」の消火行動は素人には無理。逃げるしか無いでしょ。それぞれ「俺様エライ」の大群に言論なんて通じないし。同じ「日本語」を使っていても単語も文法も違うし意味も違うことすら理解していないのに、意志が通じ合えるなんて期待しないですよ。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:36
コミュニケーション困難(ディフィカルティ)という概念では無く、コミュニケーション不可(ディスコミュニケーション)に近いのかな。対応するだけで疲弊して行くと思う。
— superspeed1963 (@superspeed1963) 2019年4月12日 - 20:45