文化調査船「ガラクタ号」 プログ版

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やはり「先住民族の権利」を認めたくないのでしょう

2008年03月24日 03時03分06秒 | 個人的な感想とか意見
国連の宣言に賛成したのは「形だけ」のようです。
「先住民族と認めて」 首都圏のアイヌの人々が署名集め(朝日新聞) - goo ニュース
国連の昨年9月の総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に賛成したあとの日本政府の動きが弱いようです。まあ、今まで千数百年もの間ずっと迫害してきたのですから、すぐには変わらないでしょう。いろいろな説があるので断定した言い方は出来ませんが、征夷大将軍とは蝦夷征伐をする頭領ですから、歴史上にはその行為がきちんと記されています。

「先住民族 indigenous peoples」という用語に関して日本を含めて多くの国や政府は、権利概念を含む用語であると考えていて、権利概念を含まない用語「先住民 indigenous people」という概念と区別しているようです。Peopleの末尾にsがつくと国際法上の自決権の存在を表すそうです。自決権を認めると、莫大な国家賠償や分離独立の「口実」になるということで、先住民族という用語を受け入れていない国が多いようです。(詳しくはこちら

そこで、宣言に関する政府の答弁書を幾つか読んでみました。
参議院第168回紙智子氏 「先住民族の権利に関する国連宣言」採択を受けた政府対応に関する質問に対する答弁書
参議院第168回福島みずほ氏 「先住民族の権利に関する国連宣言」の採択とアイヌ民族の法的地位に関する質問に対する答弁書
衆議院第168回鈴木宗男氏 国連総会における「先住民族宣言」の採択に関する関する質問に対する答弁書
衆議院第168回鈴木宗男氏 国連総会における「先住民族宣言」の採択に関する再質問に対する答弁書
「先住民族」については、現在のところ国際的に確立した定義がなく、宣言においても、「先住民族」の定義についての記述はないことから、我が国として宣言にいう「先住民族」に該当する民族がどの民族を指すのかは明らかではないと認識している。
だそうです。つまり政府の見解は「定義のない『先住民族』のための宣言に賛成した。アイヌが該当するかは不明」

この宣言に関する公式報告書(英文)はこちら。賛成(in favour) 143ヶ国 反対(Against) 4ヶ国 棄権(Abstain) 11ヶ国 欠席(Absent) 34ヶ国。反対はオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカ合衆国、つまり先住民がかなり多い国です。迫害され虐げられ差別を受けてきた先住民族の諸権利を認め出すと、移民・植民地であった国の支配階級である人々の脅威になるということですね。今更奪った土地や資源の補償を認めることはできないからでしょう。

日本の場合も諸権利を認めたら、過去の政府の行為に対しどれを補償対象とするのか決めることも難しいと思われます。一部でも「自治区」「保護区」を認めだしたら歯止めが無くなる。他の「琉球民族」などへの波及効果も考えられる。先住だけでなく様々な理由で我が国に居住する他民族の人々と、幾ら小さくても民族紛争を起こしたくない。そういうスタンスでしょう。ですから政府はあくまでアイヌ文化振興の「援助」はするけれど、それ以上は認めるつもりはないとして、こういった答弁になっているのでしょう。

日本政府が他国の民族問題に比べ国内の問題を重視していないように見えるのは、もしかしたらマスコミの報道の仕方にもある程度依存しているかも知れないですね。北海道と他の地域でも人々の意識が違うでしょうし。機会があったらまた考えてみます。





エコロジカルな生活

2008年03月21日 02時53分39秒 | 個人的な感想とか意見
今流行の言葉の一つが「エコ」ですね。エコロジーのことだそうです。解説はこちらをどうぞ。コマーシャルでも『地球に優しい』とか『環境に配慮』というキャッチコピーが氾濫してきました。

エコロジーを掲げる様々な活動があります。幾つかの理由があるようですが、「環境汚染」「地球温暖化」「ゴミ処理問題」「資源問題」といった物質的影響面を危惧しての活動と、「企業の印象を良くするため」「寄付を得やすいため」といった経済的な利益を追求する面があります。

今一番取り上げられているのは「地球温暖化」で、温室効果ガスの排出量の削減、特に二酸化炭素の削減です。しかし二酸化炭素削減のために化石燃料を使う火力発電を減少させ、代わりに原子力発電を推進するのは本当に「エコ」なのか大いに疑問です。

元々の意味である「生態学的な知見」を反映した見方をすると、一番簡単で結果がすぐ出そうなのは「人口の大削減」なのですが、さすがにこれでは外部からの資金的援助がもらえないでしょうね。手段を間違えると犯罪になりますし。なので日本では「ぬるい」やり方ですが「省エネ製品の普及」という「必ずしも財布には優しくない」活動をしているようです。現在のように貴重な資源を沢山使った新製品をどんどん開発して製品寿命を短くしている企業活動は、どう考えても「エコ」ではないです。

リデュース(減量)・リユース(再使用)・リサイクル(再循環・再資源化)といった廃棄物の削減のための行動指針を聴く機会が増えましたが、「便利」「簡単」な大量消費型の生活に慣れてしまった我々にはなかなか実行出来ていません。一日中明かりやテレビが付けっぱなしというのは、少し前のアメリカの普通の光景でしたが、今でもそうなのでしょうか?日本では数度の石油危機があり、節水節電は当たり前のようになりましたが、うるさく指導される会社では細かく行っても自宅ではやらない人はまだまだいるでしょう。

一部には、数世紀前の生活スタイルに戻ったり、都会から離れ自然の多い環境に移る田舎暮らしを目指したり、ロハスなんてスタイルもあります。しかしそれらには営利活動に結びつけるため巧みに誘導された面もあり、見かけだけのものもあるようです。

レジ袋は貰わずにエコ・バッグを使うとか、エアコンの設定温度を緩めるとか、そういったことで地球環境に貢献したと満足せずに、もっと大きな視点でも見て欲しいですね。

ちなみに私は、人は「エコ」よりも「エゴ」を選ぶと考えています。ですので人類が他の現存生物を道連れに全滅するのもしょうがないかなと半ば諦めています。

なお「地球寒冷化」というのもあります。
現代の科学は、地球の歴史上最低4回はほぼ生物が全滅した「スノーボールアース」状態があったという仮説を支持しています。

「医療問題」の問題点

2008年03月20日 02時54分14秒 | 個人的な感想とか意見
医師不足とか救急搬送の「たらい回し」などのいわゆる「医療問題」がいろいろなメディアで報道されています。昨日も「報道ステーション」で救急病院の実態をレポートしていました。

さてこの問題に対してはいろいろな原因が挙げられています。医師の養成システムが変わったことで、大学病院を中心とした地域の医師派遣システムが崩壊してしまったこと。訴訟リスクが高い小児科や産科、外科系の志望者の減少。夜間当直や救急外来に対する保険点数や手当の低さ。二次病院や三次病院の空きベッド数不足の常態化です。これらは医師側に原因を求めています。

しかし厚生労働省が一番手を焼いているであろう医療費の増大に関しては、単純ですが深刻な原因があります。「患者」の急激な増大です。当たり前ですが、「患者」というのは病院等で診察・治療行為を受けている、もしくは受けることを希望している状態の人です。

まず単純に、患者になる人が増えています。高齢者の増大は患者の増大になっています。治療法や症状の緩和などが研究されると、今までより治療期間が長くなります。特に致死性が高い病気が治療可能になったり、発病を抑えられるようになるなど、長期にわたる薬物治療を受ける期間が長期化します。また今までは「病気」「事故の後遺症」と見なされていなかった体調不良が、研究により「病気である」と認定されると「患者」が発生します。医療の発達は、多くの命を救い症状の緩和に貢献してきましたが、より多くの「患者」を創りだしたとも言えます。

日本の医療保険制度は、患者の割合が低い時期にはとても有効に働き、患者にも医師にも大きく貢献していました。その後患者数が増加し始めると、保険制度は軋み始めました。保険料率は上がり、窓口の負担割合も上がり、収入の少なくなる年金受給者の負担まで増えました。高齢化に加え少子化も進行してきたので「介護保険制度」も登場しましたが、場あたり的な政策であることは明かで、もう崩壊しかけています。

解決策はないのでしょうか?・・・あります!

そこまでして生きることを選ばない・・・・orz

薬漬けの自分には言えない言葉なのですが、「患者であることを放棄する生き方」をする人がある程度増えていかない限り、日本の医療制度はもっと崩壊して行かざるを得ないでしょう。医療行為というのは「自然の摂理」に逆らうものなので、それなりに限界があります。医学的にも財政的にも。

こうやって突き詰めて考えていくと、「医療問題」もまた心の問題のようです。

現代の「植民地」政策

2008年03月19日 02時22分29秒 | 個人的な感想とか意見
連日チベットでの暴動を報道しています。経緯がかなり複雑なのでしっかりと理解はしていないのですが、なぜ中国政府はチベットに力を入れているのかを考えてみました。

20世紀型帝国主義の終焉の後、旧植民地のほとんどは独立を果たしました。旧宗主国のグループの一員として支援を受けながらという形でかなり影響を遺しながらですが。イギリスもフランスも、アフリカの旧植民地からの移民や留学生が多くいます。インドや東南アジアの国々も、旧宗主国やアメリカに多くの移民や留学生を送っています。構造的には大幅に変わったように見えますが、貿易や技術移転などで影響がまだあるということですね。

日本の旧領土・植民地であった地域のうち、朝鮮半島は朝鮮戦争の後も米ソの軍事的影響下にあったため、韓国も日本よりはアメリカの影響下に入ることになりました。民族の結束を強固にするため、徹底した反日政策・教育を行いました。中国もやはり国内をまとめるために徹底した反日政策・教育を行いました。実質賠償金であった膨大な経済援助と技術援助も一般国民には知らされませんでした。短期間に組織を一つにまとめるには「敵」の存在がかなり有効なのは歴史に学んだのでしょう。そういう意味で台湾が日本と友好的関係が保たれているのは、「敵の敵は味方」という考えなのでしょうか?

表題の現代の「植民地」政策ですが、基本的には「民族移民による地域の実効支配」とまとめることができます。今回のチベットで言えば、初期はチベット民族の独立を認めていましたが、後に中国による直接支配に移行します。かなりの大量虐殺も行われたようです。この地域の一番の魅力は「膨大な地下資源」ですから、自治や独立を認めたくないようです。この頃は漢民族の移民も進んでいるようです。宗教弾圧・民族弾圧が反中運動・独立運動になるものの、逆にそれを理由に更なる弾圧や虐殺、文化・宗教施設の破壊をしているようです。

この頃あまり報道されなくなったアフガニスタンも、初期は米ソおよびイスラムの勢力(パキスタン)との争い、後に地下資源の奪い合いが宗教対立や民族対立を利用した内乱へと移行しました。現在はアメリカの影響が強い政府と、イスラム原理主義のターリバーンの対立が続いています。

イスラエルとアラブ諸国との対立はもう少し複雑です。世界中から集まってきたユダヤ教徒の短期大量移民による人工国家の建国は、元々住んでいたパレスチナの民や周りのアラブ諸国に大きな対立を産みました。イスラエル国民の全てがユダヤ教徒ではなく、キリスト教やイスラム教の国民もいるのですが、共存を望まない人たちのうちの一部が反イスラエルの強硬派として武力闘争を続けています。一つだけ安全保障上の特徴を挙げると、世界中、特にアメリカに支援をするユダヤ民族がいて、その国の外交政策に大きな影響を与えています。

漢民族もユダヤ民族も、国の枠を超えた「安全保障」を世界中にいる同胞の経済的影響力を巧みに利用して目指しています。できれば穏便に外交により解決することを、出来ないものは圧倒的な軍事力で既成事実を創り出すことを選択しています。

現代の領土問題もまた資源問題であると言えるでしょう。日本が周辺国と領有を巡って対立している場所は、漁業資源や油田やレアメタルなどの地下資源をもつ場所でもあります。しかし、日本は外交的にも上手く立ち回っているとは言えず、実効支配をしている国と比べ弱い立場でもあります。

ここではあまり言及しませんでしたが、アメリカの中南米諸国に対する様々な外交的軍事的政策も単純な安全保障よりも資源問題であるようです。

連日のチベット暴動の報道の中で、こういった背景がどのように解説されるのかじっくり見ていきたいと思います。

NHK「学力低下!?」を最後まで見れませんでした

2008年03月10日 02時27分49秒 | 個人的な感想とか意見
3月8日にNHK総合TVで放映された「日本の、これから」で学力低下について取り上げていました。
番組のHPは こちら。

始めの1時間くらいまでは頑張って見てみようと努力したのですが、「どんどんイライラしてきて」途中でテレビを消しました。
理由は、司会者が議論ではなく意見を誘導している感が強いのと、それぞれのコメンテーターが使う言葉の意味が違いすぎるのと、他人の発言を聴いていない人が多いと感じたからです。ただ気になるテーマで、今までも何度かブログで扱った事もあるので、また考えをまとめてみました。

0.「学力低下」を語る前に
 「学力」という言葉を使うときに、それぞれ全く違うものを想定していると話がかみ合わない。「基礎学力」「応用力」についても同様。なのでくどい言い方になっています。

1.生きるのに必要な学力
 中学に入る前までは、ほとんどの人が「基礎学力」として納得できるものを「叩き込む」時期だと考えます。それは「小学校6年間で」ではなく、「基礎学力が身につくまでが小学生」という区分と考えるべきではないかと。やはり単純な四則演算が出来ない、順序を追って説明が読めない、交通標識が区別できない、自動販売機・券売機が利用できないなど、日常生活に支障をきたすようなまま社会に出て行くのは、本人にも周辺にも負担が大きいと考えるからです。また十代前半までは一番学習能力の差がある時期でもあります。出来る限り科目ごとに少人数クラスや習熟度別クラスなどを充実させないと、伸びる余地のある生徒も習熟に時間のかかる生徒も、意欲を失なうと思います。(30数年前、私が小学生の頃の反省です。既に中学レベルの内容は理解できましたが、それを隠さねばならないのが苦痛でした。そのストレス解消のために他人に暴力をふるう事が多くありましたが、その時は自分でコントロール出来ませんでした。)

2.入学試験と学力
 中学生や高校生にとって(都会では小学生も)は、進学希望校の「入学試験」に合格できる能力を付けることが「学力」という評価になり、自分の入試に関係ないものは「学ぶ必要がない・時間の無駄」と思っているのではないでしょうか。学校や塾などに求めるのも基準は同じだと思います。入試に関係ない科目の授業で習う知識や考え方などに関心を持てるのは少数でしょう。生徒が授業に「わかりやすさ」を求めるのは間違ってはいないと思いますが、教える側だけに過剰にエンターテイメント性を求めている気がします。「わかりにくいこと」に挑戦していくこと自体が学力の一部であると思うのですが、「答え」だけを効率よく覚えることを勉強だと<記憶主義>になっているのでしょうか?
 社会的に特定の科目の学習を重視または必要とするという意見が多いなら、解決策は「入試科目にすること」であると言えるでしょう。現在の学習指導要領の社会分野では、中学の歴史は日本史中心高校の歴史は世界史必修です。きちんと流れがあります。しかし数年前、多くの進学校で入試科目でない世界史の未履修問題が話題になったのを覚えていますでしょうか?
 また入試というものが「ふるい分け・差別化」のために行うものなので、基本的に受験生には「教科書以上のレベル」の学習を強いています。しかしこれは行き過ぎると、入試対策のためだけの柔軟性に欠ける学習を誘引して、「学校が期待する能力」の検査とは違う方向へ行く可能性があります。
 それに何十年前と違い、研究者や学者を育てる機関としての大学の役割は低下していて、ほとんどの学生にとっては単なる高等教育機関でしかない状態です。新設大学は「アカデミックな専門学校」のようなカリキュラムばかりです。それなのに研究者や学者の卵でもなければ解けないような問題を出題する大学もまだあります。飛び抜けて能力のある受験者を見つけたいと考えての出題だと思いますが、学内で行われるテストでの「お遊び問題・おまけ問題」のつもりで出題されているのかもしれません。私立小中高校でもこういった入試問題をよく見かけます。
 記述式の問題は、教師側から見て採点するのに手間暇がかかるので、特別な試験以外では敬遠され気味です。生徒の側から見れば尚更でしょう(学習塾の教師をやっていた頃、長文問題や記述問題の回答欄に空白が多かったことを覚えています)。結果学校内でのテストも入試でも「知識の詰め込み」が横行することになります。でも試験後1週間も経たないうちにほとんど忘れるような知識はまるで役に立たないのは皆さん経験があるでしょう。ちなみに私はそういった試験で良い点数を取ったことはほとんどありません。試験のためだけの大量の暗記ができなかったからです。

3.授業と学力
 学校側の期待する「基礎学力」とは、その学校で行われる授業に付いてこられるだけの基礎知識と、短時間で授業内容を消化する学習能力であると考えられますが、必死になって能力を全開にしてやっと入試に合格した場合には、残念ながらそれだけの「基礎学力」はなくいわゆる「落ちこぼれ」になってしまう割合が高いです。スポーツでいう「基礎体力」が参加するステージレベルによって違うのと同様ですね。プロレベルの「基礎体力」はかなり高いですよね。学校側の言う「基礎学力」というのはそういう意味です。普通の人は志望高校や大学の「退学率」「留年率」「休学率」って気にしないようですが・・・結構います。
 高校まではいろいろなタイプの塾がありそれなりに補完しているようですが、大学ではまだ「補講」を行い救済を試みようとするところは少ないですね。この頃は予備校の先生に高校レベルの授業を「補講」してもらう大学もあります。大学の教員をしている知人の話では、結構上位レベルと言われている大学でも、授業についてこれない学生の割合は増えてきているそうです。昔は「日本の大学は入学が難しくて卒業が簡単」と言われていましたが、これも変化しているのではないかと推察されます。

4.社会と学力
 卒業後社会に出て就職したり社会生活を歩み出すときに、会社内や地域社会の中で期待される「基礎学力」とは、いわゆる「一般常識」であることが多いです。「応用力」とは目の前にある様々な課題に対して解決を模索する能力ですが、状況によってはこれも「学力」と見なされる事もあるようです。
 一時期、上司や世話役などから指示をもらわないと何も出来ないとか、周りの人たちと協調できないとか、マナーを知らないとか、学校で習う知識では解決できない問題ではないかと話題になったことがありました。これらは本来高校や大学で「集団生活」や「授業」、場合によっては「クラブ活動」を通して習得しているであろうと期待されていたものですが、そういったものを避けてくる学生も多いです。従って大学卒とはいえ、「そんなことも知らないのか!」とか「学校で何を習ってきたんだ?」と揶揄される場面も良くあります。
 また逆に大学でそれなりの専門教育を受けてきた場合でも、最新の開発現場との知識の差は圧倒的で、会社の戦力になるまでにまた数年の専門学習が必要となることもあるそうです。

5.産業の発展と学力
 日本は、世界の中でもかなり早い段階から知的生産活動を重視する政策を採ってきました。技術を持ったスペシャリストである「職人」を社会全体でリスペクトしてきました。高い識字率や市井での様々な文化活動は、江戸時代からずっと続いてきました。そのおかげで明治以降の富国強兵政策も短期間で成果を上げ、東アジアではトップを走ってきました。戦後の復興や高度成長期に多くの人が活躍しましたが、これも特定のリーダーになった人だけではなく参加者全員の能力が高かったから成し得たことです。
 現在お隣の韓国や東南アジアの国々も、一部のエリートだけでなく一般国民の能力を上げることを強化しています。工業化社会も情報・ネットワーク社会もある程度平均学力が高くなくては成立しないからです。高度な技術を使う工場で働いてもらう従業員の知力・学力・高い倫理観が高くないと、高い品質がキープできません。高額な家電・コンピュータ・車などの商品を買えるだけの収入がなければ、マーケットが広がりません。国民の学力アップこそが国力アップに繋がると、国を挙げて教育に力を注いでいます。

6.これからの学力観
 若年層の知的生活活動の時間が、学校の授業と読書を中心としていた時代の後、テレビ放送やテレビゲームを中心とする時期を過ぎ、ケイタイだけですべて完結してしまう世になりました。洋服ならばレディーメイドよりはカスタムメード、授業ならば集団授業よりも個別授業と、流れ的にはみんなと同じよりも個性を読み取って尊重して欲しいというように変わってきました。学力も、何と比べるのかという「測る物差し自身の変化」を見る必要が出てきます。ただそこまで行くと「学力低下」という概念それ自体に意味が無くなってしまうかもしれません。

法と運用 「建前重視」の危険

2008年03月08日 11時40分58秒 | 個人的な感想とか意見
週刊新潮3/13日号に「地元漁協」から聞こえてくる「イージス艦だけが悪いのではない」という記事がありました。
簡単にまとめると、
>法律上はイージス艦に回避義務が生じるが、それは2隻の艦船の航路が重なる場合を想定している場合である。
>今回のように複数の船群と航路が交わる場合、大型艦船が進路を変えるほうが返って危険なことがある。
>大型艦船は急な進路変更は出来ないので、実際は小型船が回避行動を取る事が多い。
>他の漁船は回避行動を取ったが、沈没した漁船は取らなかった。イージス艦に気がついてなかったかも知れない。

近所にある国道1号線の制限速度40km区間で「流れ」を無視して40kmで走るのは大変危険です。ましてや深夜になれば尚更です。時速80kmくらいで走行している大型トラックが赤信号通りに停止しているのを見たことがありません。右折をするために追い越し車線で待つのは無謀です。私は左折してからUターンしていくようにしています。

事故が起きその結果責任が問われる状況では、法を厳格に適用するのは当然でしょう。しかし今回のように一方的に決めつけるだけなのは不公平のような気がします。

もう一つ気になったのは、「行方不明」の漁船の2名に対する扱いです。建前としては行方不明なのですから「死亡扱い」をしてお悔やみ発言をしたタレントなどに「不謹慎だ」というコメントがあったようです。関係者にとっては、冬の海で数時間以内に救助されなければまず助からないのは常識です。漁業関係者も多数「救助活動」をしましたが、せめて遺体くらいは見つけてあげようというものではなかったかと推察されます。マスコミが特に「建前」をあまりに厳しく押し出すことに違和感を持ちました。

「ずさん」だったのは「人事採用」だったのでは?

2008年03月08日 05時18分38秒 | 個人的な感想とか意見
新銀行東京、融資先2300社破たん…焦げ付き総額285億円(読売新聞) - goo ニュース
新銀行東京 粉飾企業へ融資多数 旧経営陣「焦げ付き不問」(産経新聞) - goo ニュース

>旧経営陣が「融資先の焦げ付きは不問にする」と指示していたことも判明
>融資先への訪問調査や通帳による資金確認を行わないまま融資していた(関係者)
>「半年つぶれない会社だったらどんどん貸せ」との方針を示し、回収を問わず
 融資実績を上げた行員には最大で200万円の報奨金まで出していた。


こんな指示を出すような経営陣もひどいですが、その経営陣を「誰が選んだのか」ははっきりしています。旧経営陣について刑事・民事両面から責任追及するそうですが、任命した人にもそれなりの責任はあるでしょう。

大体「大手銀行から融資を受けられないような中小企業」の救済というのは、慈善事業のような「ばらまき」以外にどんな方法があるのでしょう。技術があっても運転資金がない企業に本当に必要なのは、その時だけの運転資金ではなく継続した仕事のはずです。仕事がなければ借りた運転資金は返せません。手元に「創業用資金」が少ない場合も、それなりにしっかりしたビジネスプランがあり、それを実行できそうな経営者かどうかを調査して支援を決めるのが当たり前です。ロクな審査もせずに無担保で借りられるのなら、詐欺師には「鴨ネギ」に思えるでしょう。

「中小企業救済」をビジネスとして行うのが簡単ならば民間が参入するはずです。難しすぎて手が出ないのが現状です。あわてて銀行を設立する前に、叡智ある人たちから提案を募るくらいの度量がなかったんでしょうか。

「モノリス」は4億年前に「刺激」を与えてくれたらしい

2008年03月06日 00時59分02秒 | 個人的な感想とか意見
4億年前に入り込んだ遺伝情報、哺乳類の脳生成に深く関係(読売新聞) - goo ニュース
一般に「生物の進化」に関する研究は、系統樹という種の分化のイメージにまとめられています。
記事の一部抜粋
研究チームは、進化の過程でゲノムに入り込み、その後は抜け落ちずに子孫に伝わる「レトロポゾン」という短い配列の遺伝情報を手がかりに、爬虫 ( はちゅう ) 類、鳥類、哺乳類に、特定のレトロポゾンが共通に存在し、哺乳類でのみ、脳組織の発達を促す役割を担っていることを突き止めた。

化石などから推定して、レトロポゾンは、約4億年前に脊椎動物のゲノムに入り込み、約2億年前に哺乳類の共通祖先の中で、高度な脳を発達させる機能を獲得したと見られている。


映画「2001年宇宙の旅」には、数百万年前の猿人が謎の黒い石版「モノリス」と接触した途端に道具の使用と同族殺しという「知恵」を得る有名なシーンがあります。人間は遺伝子を直接組み換える技術を持つようになりました。やろうと思えば品種改良の様に時間を掛けてゆっくりと変化させるのではなく、短時間で新しい生物を創り出せます。好ましい特性を持った生物を自然界から発見する手間を省いてくれます。しかし剰りに強力なので「何らかの事故」が起きて生態系のバランスを壊したり、人間そのものが変貌してしまう可能性があります。

「4億年」はとても長すぎて実感がわかない時間ですが、「4年」にならないようにも気をつけて欲しいものです。

このままでは「政治的公平性」が保てなくなる

2008年03月05日 22時43分10秒 | 個人的な感想とか意見
行き過ぎた「民営化推進」の延長にNHK民営化もあるのでしょうか?
NHKいよいよ暫定予算?(産経新聞) - goo ニュース
政争に巻き込まれて困るのは一般国民・視聴者なんですけれど。

まずNHK受信料の未払いの増加は、単に払うだけの余力がない世帯の増加でもあります。受信契約は個人ではなく「世帯単位」であり、単身者世帯の増加は契約口数の増加に結びつきました。しかし単身者世帯の増加により世帯あたりの収入が減少していますので負担割合は大きくなるのです。これは国民年金・保険の未払いの増加とも関連しています。それに加え、NHK職員の不祥事などがあって「未払いの口実」を作っただけです。

またNHKの予算の額が大きくなりすぎたことも問題です。これは先ほど書いたように世帯数の増加により契約口数が増えたため、それをベースにして予算が増大し続けたからです。一旦大きく膨らんだものを減らすのはなかなか難しいと思いますし、私も量・質が下がることはとってもいやなんですが、見直しが必要でしょう。

数々の不祥事と対処に問題があった経営陣の刷新が不十分なのかはわかりませんが、野党はそれも争点にしたいようです。

そして一番の問題は、一般国民・視聴者に「NHKが国営であるかのような誤解」があり、「政治的公平性」を求められていることを知らないと言うことです。収入のほとんどは受信料であって、税金で運営していません。(例外は国際放送と放送関連の研究資金)しかし放送法では「国民(視聴者)の代表である」国会での承認を規定してますので、今回のように議会運営で与野党の対立が起きたときに「とばっちり」がきます。

ちなみにこちらが平成20年度NHK予算と事業計画の資料です。
放送法についてはこちらを参照してください。

政治家の思考レベルがここまで低くなっていたのに驚く

2008年03月04日 23時52分33秒 | 個人的な感想とか意見
政治家の認識が30年前のオイルショックの時から全然進歩していないのに「絶望した!」
テレビの深夜放送自粛しては? 自民、環境対策で検討へ(朝日新聞) - goo ニュース

このブログでは常々「政治家は我々が考えるレベルのことぐらいは当然考えていて、それ以上のことを見ているはず」と多少持ち上げてきましたが、すみません、私は間違っていました。この発言者達は、環境問題の本質も京都議定書の精神も現在の日本国内の化石燃料の使用状況も理解していないようです。

地球上に様々な環境問題がある中で「地球温暖化問題」が大きく取り上げられるのは、その原因が地球上に広く分布している上に結果として地球全体に影響が出てくるからです。地球上のあらゆる国家・地域・組織・市民が一丸となって取り組まなければならない課題だと認識されているからです(反対意見もありますが)。地域限定の公害問題と違い国や地域を越えた取り組みが不可欠だから、京都でわざわざ国際会議を開いて議定書をつくる必要があったわけです。

目的 地球温暖化の原因とされている「温室効果ガス」を減らす。
A 大気中に排出する二酸化炭素などを減らす努力をする。
B 既に排出されてしまった二酸化炭素などを「固定」して回収する技術を開発する。

Aの実現のために、石油石炭などの燃料としての利用を減らす。「燃焼処理」を減らす。
・発電なら  火力発電を減らす 原子力や太陽光など他の発電方法を増やす 省エネ機器の利用で電力需要を減らす
・自動車なら ガソリン利用を減らす 燃費の向上 代替バイオ燃料の普及 自動車以外の交通手段の整備
・日常生活なら ゴミの焼却処理を減らす 省エネに心がける リサイクル リユース エネルギーを使う生活様式の見直し
Bの実現のために、二酸化炭素を「固定」するシステムの構築をする。
・植物の利用 植林をする 森林伐採量の抑制、灌漑、水資源の適切な管理 休耕地の積極的な利用 二酸化炭素吸収の多い作物への転換 自然植生の保護

いろいろなものを並べてみましたが、政治家がやらなくてはいけないのは、こういったことが必要なんだと世界中の人がに理解してもらうこと、つまりエネルギーを浪費する生活様式の見直しをしようという啓蒙活動でしょう。例えテレビの深夜放送を自粛しても、レンタルビデオや録画したビデオを見たり、代わりに別のメディアを使ったりするのでは全く意味がありません。政治家にはオピニオンリーダーとしてまだまだ活躍を期待したいのです。もっと反対や誤解を招くような発言を減らすようにして欲しいです。またマスコミにも「政治家の言質の挙げ足取り」ではなく、もっと堂々とした啓蒙活動をして欲しいです。

画像情報を言語化して要約できる技術ということになるのか?

2008年03月04日 06時35分10秒 | 個人的な感想とか意見
道路上の固定カメラで通行した車のナンバープレート情報を記録しているとされるNシステムならもう実用化されていますね。
まるでSF 録画・検索できるゴーグル開発 東大講師ら(朝日新聞) - goo ニュース
カメラシステムで写した映像を記録しておくものはありますが、必要な情報があるかどうかを人間がチェックするには膨大な時間と注意力が必要です。それでは短時間にデータ分析をすることが出来ません。そのためには画像情報を何らかの形で「変換」をして自動的に要約できることが望まれます。今回の研究開発成果は、動画内の情報を検索可能にする極めて画期的な事だと思います。

現在のインターネットの検索エンジンでは、キーワードと画像情報を結びつける何らかの仕組みを編みだし、画像検索サービスを提供しています。しかしキーワードと画像の内容にほとんど関係が見つからないような検索結果が結構あります。今回の良いところは、ゴーグルには独自開発のプログラムが組み込まれ、見たものの名前を瞬時に認識する。処理速度は従来の約1万倍。過去に学習した名前をもとに、同じようなものを見たら、その名前を推測する能力もあるということです。このプログラムを使えば、膨大なビデオ画像の中から埋もれていた映像を探し出す技術や、人間のような能力をもつロボットの開発などに貢献できるという話です。特に後者はリアルタイム性を活かし、乗り物の自動運転に大きく貢献できそうです。

是非実用化に向けて協力者を増やして欲しい話題でした。

お客様を神様扱いしてしまった「つけ」

2008年03月04日 06時03分57秒 | 個人的な感想とか意見
「客」ばかり大切にして、従業員を肉体的にも精神的にも消耗させる日本の企業はおかしいと思います。
ヨーロッパ人が忙しくない追加的理由(WIRED VISION) - goo ニュース

>先日ある新聞に「感情労働」の記事が出ていました。自分の感情を押し殺すことを強いられる仕事の、
>時間や肉体的な疲労度とは別の労働強度であります。接客の仕事はその典型でしょう。理不尽な客にも
>笑顔を絶やさずへりくだる。ますます増長する一部の「お客様」。あらゆる不平不満に対応すべく精緻
>さを極めていく日本のサービス。でも一部では従業員の精神的肉体的健康と衝突をきたしているような
>気がします。日本に帰って思いました。人間の笑顔って総量一定かもなって。ヨーロッパ人はお客さん
>には日本人ほどニコニコしませんが、仕事を離れたらそれなりに愛想がよいです。他方、日本では誰も
>職場で笑顔を使い果たしてしまうかのようです。

接客業・サービス業と思われる職種は多いですね。お店屋さんも学校も「クレーマー」に悩まされるところでは、どこも同じように「お客様を神様扱いせよ」という態度の客に振り回されているのではないでしょうか。一旦増長した客は他のところでも同じように要求するでしょう。企業が「お客様に感謝する心」みたいな標語を社訓などに入れて、接客をする従業員に要求していますが、「サービスを提供してくれる人に感謝する心」を啓蒙するところはないんですかね。逆に公官庁職員や議員の皆さんには、もうちょっと民に感謝する心を持って欲しいです。

本来企業と個人の間だけでなく、個人と個人・企業と企業の間も対等で、「お互いに感謝し合う心」を持つべきでしょう。現実は力関係が存在して、一方的になっていたり搾取されるような理不尽な関係が圧倒的に多いですが。

やはりお客様を神様扱いするのは「偽善」であると思います。

「猥褻(わいせつ)表現」は反社会的で有害なのか?

2008年03月02日 06時17分25秒 | 個人的な感想とか意見
警察の「猥褻表現の取り締まり」に対して、摘発・逮捕された側は「表現の自由」を主張することが多いようですが
審査本数減少で危機感=メーカー要望も、基準緩和-ビデ倫わいせつDVD事件(時事通信) - goo ニュース
「不当な介入」と抗議=表現の自由侵害、理解できず-審査部部長逮捕でビデ倫(時事通信) - goo ニュース
「表現の自由の侵害」 ビデ倫が警視庁の捜査を批判(朝日新聞) - goo ニュース

ちなみに「猥褻(わいせつ)」とはどのような概念なのでしょう。
ウィキペディアには、判例によれば、「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」と定義されるとあります。
またその性格として、何かがわいせつであるか否かは、その時代、社会、文化に対応した一般人の性に関する規範意識を根底に置きながら、社会通念によって具体的に判断されるものである。とあります。

そして刑法ではこのように規定されています。
刑法第174条(公然わいせつ) 公然とわいせつな行為をした者は、6ヶ月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。
刑法第175条(わいせつ物頒布) わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。


刑法第174条について考えてみます。「表現の自由」に反して適用される可能性があるのは「演劇系」の表現行為でしょうか。ひっかかる語句は「公然と」ですね。対義的概念は多分「内密に」「秘密に」といったものでしょう。その表現行為が「わいせつ」とみなされるもので、かつ不特定の「多数」に見られる「可能性」がある場合は適用されることになります。以前は女性の乳首が見えるだけでアウトでしたが、今では芸術性が高そうな前衛演劇や舞踏(バレエ)では、いたずらに強調されていない露出の場合にスルーされるようです。「性的興奮や羞恥心」を煽ることが目的ではなく、結果的にもそうではなかったからでしょう。単なる露出狂の行為との違いを示せないような表現では、法の適用以前に社会的に非難を浴びる事になります。

今回の摘発の根拠である刑法第175条をよく読むと、例え「わいせつな表現を含む著作物」であったとしても、それを制作しただけの人や組織は適用対象外ですし、著作物の購入者も取り締まりの対象ではありません。制作は日本で、販売拠点は法的に問題にならない外国で、販売方法はインターネットを使い「データ」をダウンロードかストリーミングで、日本在住の人が個人で楽しむ目的で買うという場合には適用外なのです。(印刷物やビデオ・DVDの場合は関税法69条の8第1項の適用になってしまい、個人で楽しむ目的の場合でもほとんどの場合輸入できません)対象になるのは、わいせつな表現を含む著作物を「社会に広めようとすること」です。大げさに言えば「日本の社会秩序を乱そうとする行為」を取り締まろうという法であるといえます。ウィキペディア刑法第175条によれば、法が守ろうとする目的(”保護法益”というそうです)には諸説があり、(1)性道徳・性秩序の維持、(2)社会環境としての性風俗の清潔な維持、(3)国民の性感情の保護、(4)商業主義の否定、(5)見たくない者の権利ないし表現からの自由、(6)青少年の保護、(7)女性差別の撤廃、(8)性犯罪の誘発防止、(9)表現の自由の保護 といったものが挙げられています。

写真や動画に於いて具体的な人体の猥褻部位とは「陰部」「陰毛」「肛門」「女性の乳首」があたるようです。既にこのうち「女性の乳首」が規制対象になることはないですし、「陰毛」については黙認状態です。関連記事を読んでみると、一部のAV作品では「肛門」にモザイクがを掛けてないそうです。残った「陰部」ですが、摘発されたビデオ作品では輪郭がわかるほどの細かいモザイクであったようです。しかし芸術作品では男性の陰部をそのまま描いた絵画・彫刻でも展示許可が下りることもありますし、男性器をかたどった巨大な造形物をその神社の宝物としていて祭事を行うところもあります。テレビでニュースとして放映する場合には「そのものを映さず」伝えるようにしているみたいですが、お祭りで町中を練り歩く時にはかなり多くの観光客が見守ります。映画では「シンドラーのリスト」ある場面で、状況を考慮してモザイクを掛けずに上映したそうです(TV放送も)。

漫画では時々摘発がありましたが、「成人コミック」の自主規制と販売場所の制限、コンビニでの閲覧防止措置などが印象を変えたのか、近頃はあまりニュースにはなりません。逆に一般誌とはっきり分けられた頃から、性交場面や性器の描写が際どくなったという評価もあります。活字の世界での成人向け書籍については、現在事実上取り締まりは無い状況です。一般の書店でも大量の成人向けの文庫本が売られています。近所の比較的大きな書店でも、漫画と違い成年向けコーナーに隔離されていません。新刊本が一般のものと同じコーナーに置いてあります。

ここまで来たのなら、そろそろ「猥褻表現」であっても取り締まらなくても良い気がします。

「性」そのものに対する社会通念が「秘め事」「隠すべきもの」であり、「公の場で語るべき話題ではない」とされていた時代では、守るべき社会秩序の一部として保護するのは当たり前であったのでしょう。しかし現在の日本社会は、むしろ”公然”と「性」について議論すべき状況になってきていると考えます。子供だけでなく大人にも「新しい性教育」が必要です。そしてこれからの状況によっては、「性欲を興奮又は刺激させる」ものが必要不可欠になる可能性があります。少子化対策も、晩婚化も、離婚増加も、性犯罪の抑止も、性感染症対策も、正面から「性」に向き合わない限り解決できないと思います。

また規制があり手に入れにくいものほど、裏で高額な取引対象になるものです。そういったものは犯罪組織の資金源になる事が多いとされています。当然、脱税行為などの温床になりやすいです。普通の商売と同じように管理はしても規制しないほうが良いのではないでしょうか。