大学時代に半年間「社会思想史」の講義を受けて担当教官に一言質問しました。
「平等ってなんですか?」
教官は明らかに「お前なに言っているんだ。あきれた。」という顔をしました。
わたしは直ちに教室を出て行き、当然その講義のテストは受けませんでした。
私としては、半年間いろいろな社会思想を勉強した結果として、「平等」という概念が重要な地位にあることがわかった代わりに、逆に言葉としての平等が乱用されていると考えたのです。
だいたい「平等」という言葉だけでは何も意味がありません。これは限定された条件での比較に用いる概念なのです。法の下の平等とか、男女平等とか、機会の平等とかです。対義語は「差別」になります。「男女平等」は性による優越を認めないという考えですね。「男女雇用機会均等法」の理念は、雇用時に男性優遇や女性優遇をしないということです(あくまで雇用時ですが)。歴史上、奴隷制や階級制の厚い壁により社会的差別を受けてきたからこその理念であるものの、安易に使われている気がします。
半年間の講義を受けてなお、「平等ってなんですか?」と聞かざるを得ないほど思想家により違った意味で使われていたと考えたのです。
最近話題の話では、
・同じ仕事量をこなしているのに賃金が異なる
・時間たっぷり余裕をもって業務をする人と、せわしなく業務をしている人が同賃金
滅亡した「社会主義国」での話ではありません。今の日本でもありますね。特にお役所。
非常に難しい事ではありますが、万人が同意・納得できる比較基準によって評価されてこそ「平等」と感じられるのではないでしょうか。それが「仕事の成果」という合意ができれば、今論議のある「ホワイトカラーエグゼンプション」も受け入れられるでしょう。
「様々な差別を克服し平等な世の中を」というスローガンは、思考を停止させてしまう魅力がありますが、よく考えてみる必要があるように思います。
(1/1追記 「平等」と「公平」がうまく使い分けできていない文章になっている気がします。もう少し検証してみます。)
「平等ってなんですか?」
教官は明らかに「お前なに言っているんだ。あきれた。」という顔をしました。
わたしは直ちに教室を出て行き、当然その講義のテストは受けませんでした。
私としては、半年間いろいろな社会思想を勉強した結果として、「平等」という概念が重要な地位にあることがわかった代わりに、逆に言葉としての平等が乱用されていると考えたのです。
だいたい「平等」という言葉だけでは何も意味がありません。これは限定された条件での比較に用いる概念なのです。法の下の平等とか、男女平等とか、機会の平等とかです。対義語は「差別」になります。「男女平等」は性による優越を認めないという考えですね。「男女雇用機会均等法」の理念は、雇用時に男性優遇や女性優遇をしないということです(あくまで雇用時ですが)。歴史上、奴隷制や階級制の厚い壁により社会的差別を受けてきたからこその理念であるものの、安易に使われている気がします。
半年間の講義を受けてなお、「平等ってなんですか?」と聞かざるを得ないほど思想家により違った意味で使われていたと考えたのです。
最近話題の話では、
・同じ仕事量をこなしているのに賃金が異なる
・時間たっぷり余裕をもって業務をする人と、せわしなく業務をしている人が同賃金
滅亡した「社会主義国」での話ではありません。今の日本でもありますね。特にお役所。
非常に難しい事ではありますが、万人が同意・納得できる比較基準によって評価されてこそ「平等」と感じられるのではないでしょうか。それが「仕事の成果」という合意ができれば、今論議のある「ホワイトカラーエグゼンプション」も受け入れられるでしょう。
「様々な差別を克服し平等な世の中を」というスローガンは、思考を停止させてしまう魅力がありますが、よく考えてみる必要があるように思います。
(1/1追記 「平等」と「公平」がうまく使い分けできていない文章になっている気がします。もう少し検証してみます。)