文化調査船「ガラクタ号」 プログ版

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3月7日(木)のつぶやき

2013年03月08日 03時49分38秒 | 個人的な感想とか意見

朝食を摂りながら「衆議院予算委員会質疑中継」を見ていた。自民党高市早苗氏が、海外渡航制限や外国籍の不動産購入制限を理由に憲法改正と私権制限を強く主張していた。自由権も私有財産権も国益にとって不都合だということらしい。やはりお国のために滅私奉公する日本人像が理想なのだろう。


誰のための国益なのかなあ。きっと私は入っていないのだろう。


きっと高市氏にとって「国が必要とする人材」「国の必要に応じて働く人材」以外は不良品なのだろうなあ。私は不良品です。


高市氏の主張を全面否定するつもりはありません。自由権・私有財産権を濫用しているのではないかと感じる事象はありますし、他者との共存の為に働くことは必要だと思います。しかしその意見に反対する人々への態度が不寛容であることに危惧を感じています。


才能のある人は、自分の才能以外の条件で制限されていることにはとても敏感だ。女性差別に敏感な人は、自分が男性であったならもっと高く評価されたはずという原体験があったのだろう。出自産別に敏感な人は出自が、というのように。しかし才能がない人のことは鈍感だと思う。理解できないようだ。


才能以外でも似たようなモノがある。努力して成功した体験、我慢していたら成功した体験、訴えたら成功した体験。成功体験からそれを正解だと信じるようになってしまうようだ。努力が続かない、我慢できない、訴えることができないなどは、見下され否定されてしまう。この溝が深い。難しい。


才能や努力や我慢などをしても成功しない人は、それ以外の要素として「運」があるとしている。しかし成功者は「運」を逃さないためには才能や努力や我慢が必要だという。「運」だけでは成功しないと。私は「運」が才能や努力や我慢への態度までも左右していると思う。


才能や努力や我慢によって成功可能性を高めようとする心は賞賛されても良いと思う。しかしそれができないことを見下したり否定したくない。私は偶々こういうように「考えることができる条件が重なった存在」だが、そうではない人に比べ優れているのでも恵まれているのでもない。


「国民共助の精神」と「報酬を払わなくてすむ国家公務員化」とは違うと思う。


「在るがまま」を肯定する心境にはまだほど遠い。迷ってばかりだ。


@atsushifemme 「下層になるほど性差別が激しくなる」のは何故でしょう?実際の性指向・嗜好よりも、男性的外観・男性的態度しか頼るモノがないからですか?男性優位思想と性のマイノリティの扱いは、そんなに簡単なものではなく、結構複雑だと思っています。


現在防災科学研究所の地震情報ポータル「防災地震WEB」はメンテナンス中(~3/8(金)17:00)です。強震モニタは kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/ のモニタ#2を、AQUAシステム震源速報などの情報は hinet.bosai.go.jp を見ましょう。

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児童虐待、児童ポルノとも摘発数過去最多 児相通告も大幅増 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/affairs/news/1… 今までより児童虐待・児童ポルノであるとの認識がされるようになった、被害を減らす・防ぐようになってきたのなら歓迎したい。が、これだけではよくわからない。


児童虐待事件摘発 過去最悪に nhk.jp/N46N5Sew 「最近は子どもを洗濯機に入れて回すなど、かつてなかったような深刻な虐待が目につくようになり、家庭や福祉では対応できなくなってきた。」「子どもだけでなく親が虐待を繰り返さないように支援する体制作りが必要だ」


子ども安全メールfrom消費者庁Vol.126「ゆたんぽでの低温やけどを防ぎましょう」を配信。ぜひご覧ください! 携帯 caa.go.jp/m/mail/kodomo/… PC caa.go.jp/kodomo/mail/pa…

superspeed1963さんがリツイート | 17 RT

虐待する親は「(大人の)自分にできることが何故(自分の)子にはできないのか」「自分の望むとおりに何故ならないのか」という思考に陥るのだろうか。そういう思考になってしまうのは、共通する原因があるのだろうか。「育児に関心を持てない」タイプの虐待を救うことはできるのだろうか。


自分の周りだと、溺愛の親の方が多い。これも見方によっては虐待と同じなのだろう。私は結婚もしていないし子も居ない。わからないことばかりだ。私も親になると虐待するようになってしまうのだろうか。


実際には子がいない私が、子を育てる視点で考えるときに重視するのは「親からの自立に繋がるのか」ということだけ。子が生き残れるようにするのに財産を残すという発想は採用しない。教育や生活環境整備も、子が生き残るための準備。子の自立後の人生は自分の為で良いと思う。


私は障害が重くなり自立できない状況下にある。自立できないことへの自責の念は強い。支援してくれる親に感謝しているが、親の心労を思うととても辛い。「親からの自立」は親を安心させたい自分の目標になっている。


(早く毎日散歩に出られる位になりたいものだ)


姪の勉強に付き合っているうちに、ストーブのある部屋で2時間過ごした。頭が熱っぽくなって気持ち悪い。私には気温が高すぎる。