新型インフルエンザのワクチンの接種回数を2回から1回にしても良さそうだという提案がされたそうですが、
厚生労働省の政務官の方は慎重に見極めたいとして、2回接種を原則として維持するようです。
ヘリコプター搭載型護衛艦の衝突事故では、その艦体の強度が案外低いということが露呈しましたが、
対潜水艦作戦の中心になるはずの新鋭護衛艦がすべて事故や試験のために作戦行動できない状況にあるようです。
高速道路無料化の社会実験に対して、JR7社は見送りの要望書を国土交通省に提出したそうですが、
多くの企業の存亡に関わるようなことを「マニフェストで国民と約束したから」と強行するようですね。
無駄な公共事業の見直しや中止もマニフェストで掲げられた項目ですが、
経済効率が悪い事業や当初目的が十分達成できない事業やランニングコストが掛かりすぎる事業はあると思いますが、
全くどんな効果もない「無駄な」事業はないと思います。
共通して言えるのは、政治を行うものが負う「責任」をどう考えているのかが見えてこないことです。
刻々と変化していく世の中で民間企業とは違う視点で国全体を見ることができているのでしょうか。
長期に渡って行う事業に関しては、コストや安全性を重視してより高い効果を挙げることができるように見直しを図る。
不測の事態に備える防衛には、防衛費をどう使えばより高く隙のない防衛力・戦争抑止力が得られるのかという戦略を。
緊急対応が必要とされる新型インフルエンザなどの高感染力の伝染病には、巧遅よりは拙速を尊ぶべきではないか。
一番重要なのは、マニフェストに掲げていても選挙で勝ったからとすぐに実行するのではなく、
改めて関係者の合意ができるまでの過程を尊重していくことだと思うのです。
それが民主主義と言うものではないでしょうか。
政治を行うものの責任は、国民個々の幸福を保証することではなく、
国民が幸福を追求する環境を保証することだと思うのです。
後で訴訟を起こされるとか、賠償を求められるとか、非難を浴びるとか、ミスを責められるとかを気にして、
結局何もしないという「責任回避」を如何に無くしていくか。
官僚主体で責任回避の政治をしてきたと自民中心の政権を非難してきた民主党ならば、
政治主導という形式でではなく、責任を回避しない政治をするという本質で差別化を図って貰いたい。
失敗をすることよりも、信頼を失うことを恐れて欲しい。
もし政治主導になっても責任回避の政治のままなら、更に国民よりの政党が求められるのではないかと思われます。
厚生労働省の政務官の方は慎重に見極めたいとして、2回接種を原則として維持するようです。
ヘリコプター搭載型護衛艦の衝突事故では、その艦体の強度が案外低いということが露呈しましたが、
対潜水艦作戦の中心になるはずの新鋭護衛艦がすべて事故や試験のために作戦行動できない状況にあるようです。
高速道路無料化の社会実験に対して、JR7社は見送りの要望書を国土交通省に提出したそうですが、
多くの企業の存亡に関わるようなことを「マニフェストで国民と約束したから」と強行するようですね。
無駄な公共事業の見直しや中止もマニフェストで掲げられた項目ですが、
経済効率が悪い事業や当初目的が十分達成できない事業やランニングコストが掛かりすぎる事業はあると思いますが、
全くどんな効果もない「無駄な」事業はないと思います。
共通して言えるのは、政治を行うものが負う「責任」をどう考えているのかが見えてこないことです。
刻々と変化していく世の中で民間企業とは違う視点で国全体を見ることができているのでしょうか。
長期に渡って行う事業に関しては、コストや安全性を重視してより高い効果を挙げることができるように見直しを図る。
不測の事態に備える防衛には、防衛費をどう使えばより高く隙のない防衛力・戦争抑止力が得られるのかという戦略を。
緊急対応が必要とされる新型インフルエンザなどの高感染力の伝染病には、巧遅よりは拙速を尊ぶべきではないか。
一番重要なのは、マニフェストに掲げていても選挙で勝ったからとすぐに実行するのではなく、
改めて関係者の合意ができるまでの過程を尊重していくことだと思うのです。
それが民主主義と言うものではないでしょうか。
政治を行うものの責任は、国民個々の幸福を保証することではなく、
国民が幸福を追求する環境を保証することだと思うのです。
後で訴訟を起こされるとか、賠償を求められるとか、非難を浴びるとか、ミスを責められるとかを気にして、
結局何もしないという「責任回避」を如何に無くしていくか。
官僚主体で責任回避の政治をしてきたと自民中心の政権を非難してきた民主党ならば、
政治主導という形式でではなく、責任を回避しない政治をするという本質で差別化を図って貰いたい。
失敗をすることよりも、信頼を失うことを恐れて欲しい。
もし政治主導になっても責任回避の政治のままなら、更に国民よりの政党が求められるのではないかと思われます。