レンズの向こうに・・・・。

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Vol.1184 横浜大桟橋からの風景   (その1) (Photo No.8177)

2011年09月29日 23時27分23秒 | DX ED 17-55mm F2.8G
横浜の大桟橋の手前にある大桟橋ふ頭ビルの手前に赤いバスが
やって来ました。「あかいくつ」と書いてありますね。横浜港を
観光できる周遊バスで、桜木町の駅前から、みなとみらいを周っ
て赤レンガ倉庫、大桟橋、港の見える丘公園まで行ってくれます。
料金は、たったの100円です。港の見える丘公園からは、のんびり
散歩しながら元町に降りてきて、そのまま山下公園に行けるので
横浜観光が一度にできますよ。「あかいくつ」というバスの名は
野口雨情が作詞した童謡の「赤い靴」に由来していて、山下公園
には「あかいくつ履いていた女の子像」も作られています。
ところで、この女の子は童謡の中では、異人さんに連れられて行っ
ちゃったと歌われていますが、実はそうではなく下記のような
話が定説になっているようです。岩崎かよの娘・きみ(1902年7月
15日生まれ)がモデルになっている女の子です。


【岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り
 鈴木志郎と結婚する。きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、社会主義
 運動の一環として当時注目されていた北海道の平民農場へ入植
 する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父・佐野安吉
 の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット
 夫妻に託すことにした。やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事に
 なるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行
 く事が出来ず、そのまま東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院に預け
 られてしまう。きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で
 亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒
 にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院
 で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。
  1903年(明治36年)に社会主義詩人として出発していた野口雨情
 は、その後、1907年(明治40年)、札幌市の新聞社に勤めていた時
 に、同僚の鈴木志郎やその妻のかよと親交を深め、「かよの娘の
 きみが宣教師に連れられて渡米した」という話を聞かされた。乳飲
 み子の長女のぶ(きみには異父妹)を抱えて、鈴木夫妻は開拓生活
 に挫折していたのだ。その後、1921年(大正10年)に、この話を
 題材にして『赤い靴』が野口雨情によって作詞された。】


【撮影日】2011/09/25 16:34:19.49
Nikon D300 レンズ:17-55mm F/2.8G
焦点距離:17mm F/3.5 1/5000秒

爽やかな秋晴れが続く東京です。ついこの前までは、暑い夏に悩まされ
ていたのに、不思議ですね。地球が太陽の周りを一年で一周する「公転」
をしている影響ですが、地球の地軸が23.4°傾いているおかげで秋から
冬にかけて、わずかながら太陽から遠く離れる為に気温が下がるなんて
宇宙の神秘ですよね。でも何と言ってもすごいのは、太陽系の中心にある
太陽から放射される熱ですね。地球にこんなに影響力があるなんて、あら
ためてすごいなと、思います。

今日は、すっかり遅くなってしまいました。IT関連のとある会合が高田馬場
であって、その後、西早稲田のおでん屋さんで、懇親会でした。とにかく
みなさん、会社の社長さんや幹部の方ばかりで、会話が上手で、笑いっぱなし
でしたね。とても会話が面白くて、しかも話し方が上手なんです。私も、会話は
苦手な方ではありませんが、とても勉強になりましたね。末永いお付き合いを
させていただければと思います。よろしくお願い致します。


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