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「朝日、やっちまったな」…言論封殺を企図…実態なき騒動で一年無駄に…報道の「単細胞化」は深刻

2024年05月23日 14時38分48秒 | 全般

以下は前章の続きである。
「朝日、やっちまったな」
須田 
阿比留さんは『月刊Hanada』三月号で、「朝日新聞、やっちまったな」とお書きになっていましたね。
阿比留 
朝日新聞は、もう言論機関としての存在意義を自己否定してしまったとしか思えません。
須田 
同業者の言葉としては過激すぎやしませんか。
阿比留 
全然。
同じ原稿で書きましたが、朝日って以前、「私たちは信じている、言葉のチカラを」「言葉に背中を押された」「言葉に涙を流した」なんて大々的にコマーシャルキャンペーンを張っていたんですよね。
要は、言論機関として言葉の力を重んじている、と自ら言って、「ジャーナリス卜宣言」なんてやっていた。 
ところが今回、朝日新聞は「言葉のチカラ」ではなく、司法の場に逃げ込んだ。
言葉を全然信用していなかったんだ、と今回の件でよくわかりました。
産経新聞の何倍も部数を持っている朝日新聞が、無力であることを自ら露呈してしまった。
なんだか哀れというか、もはや「かわいそう」の域に入っていますよね。
小川 
そもそも裁判というのは、不名誉なことを書き立てられても釈明もできない、名誉回復も難しいという人が、司法に判断を仰ごうと言って裁判所に訴えるんです。
いわば弱者が、その手段しか残されていないからと法的手段に訴える。 
しかし朝日新聞は、私とは比較にならない発信力を持っている。
社会的信用も持っている。
世界的にも知られたクオリティペーパーなんですよ。
これだけの社会的信用と愉報発信力があれば、紙面を三回くらい使って私の本を批判するだけで、私はボコボコにやっつけられてしまう。
彼らの言い分に説得力があるなら、それが可能なのになぜやらないのか。

言論封殺を企図
門田 
朝日新聞がやっているのはスラップ訴訟、そのものです。
裁判に訴えなくても反論できる大企業や大新聞が一個人を訴え、言論を萎縮させる「恫喝的訴訟」です。
阿比留 
当の朝日自身、かつては「言論の問題を法的に処理するのはおかしい」と言っているんですよね。 
菅野完氏の『日本会議の研究』(扶桑社新書)という本が大ベストセラーになりましたが関係者から百ヵ所以上の間違いを指摘され、東京地裁が販売差し止めの仮処分を下した件についてですが、二〇一七年一月十二日に〈出版差し止め 表現の自由の理解欠く〉と題する社説でこう書いています。 
〈本の販売を許さない措置は、著者や出版社に損害を与え、萎縮を招くだけではない。人々はその本に書かれている内容を知ることができなくなり、それをもとに考えを深めたり議論したりする機会を失ってしまう。民主的な社会を築いていくうえで、極めて大切な表現の自由を損なう行いであり、差し止めには十分に慎重であるべきだ〉
花田 
販売差し止めとは異なるけれど、提訴によって小川さんと飛鳥新社は、「モリカケ」本の販売機会を著しく奪われているんです。 
提訴されたことによって、小川さんの本は新聞広告を掲載できなくなりました。
各新聞社には広告掲載基準というのがある。
そのなかで、係争中の本の広告は掲載しないことになっているという。
本来なら、「これが問題の本だ」「朝日の言い分と読み比べてください」と宣伝したいところなのだけれど、各社から掲載を拒否されてしまうんです。
須田 
もしかして、それが狙いだったんじゃないんですか?
花田 
朝日新聞がこういった掲載基準を知らないはずがないので、それを狙ったんだろうと言われても仕方がないと思います。

実態なき騒動で一年無駄に
須田 
一年の間に森友、加計ときて、今度は「スパ」まで加わった。
スーパーコンピュータ開発の補助金不正受給疑惑ですが、東京地検特捜部に詐欺容疑で逮捕されたペジーコンピューテイング社代表取締役の齊藤元章容疑者が政界人脈をもっていたことから、「また安倍さんや麻生さんのお友達の事件なのでは」といわれていましたよね。
阿比留 
スパコンについては、私が聞いている範囲では、やはり安倍さん自身は全くかかわりがないようですが、周囲の人々の影がちらついてくると野党は追及すると思う。 
しかし、そんなことばかりやっていていいのかなと思いますよね。
2017年もそうですが、北朝鮮情勢が切迫しているさなかに、メディアの議論もさることながら、国会までもが「モリカケ」で1年を費やしてしまった。
こういう政治の在り方は非常に疑問です。
小川 
いや、大問題でしょう。
安倍総理の2018年1月22日の施政方針演説を読めば、北朝鮮情勢と内政の問題に比重を置いているのは明らかです。
特に人口減少の問題は、実は2016年からつるべ落としが始まっていて、このままの出生率で百年経てば、日本人は4千万人まで人口が減ってしまい、200年後には日本人は消滅の危機に哂されることになります。 
そうなると「移民社会にしよう」という方向が打ち出されるのですが、安倍総理はそれを必死に抑えている。
しかし、抑えるためには人口増加政策を取らなければなりません。 
人口が減ると何が起こるか。
自衛官は足りない。
老人の孤独死は急増する。
介護どころか、死体回収業者を増やさなければならないかもしれない。
こういうことを真面目に考えなければならない未来がすぐそこまできている。
そういう時に何が倒閣運動なのか。
倒閣どころか、国家破壊運動に等しいですよ。
日本の未来をどうすべきかという時に、虚報で始まった、全く中身のないモリカケ問題で騒いでいる人たちには、私は殺意さえ覚えます。

報道の「単細胞化」は深刻
門田 
今年もまだ「モリ・カケ・スパ」なのかと思うと、本当に目の前が暗くなる。
皆さんに国会の状況を思い出してほしいのですが、あの安保法制の時もそうだったように、いまの国会では自民党が出した法案が何の修正も加えられずにただ通ってしまう状況になっているんです。 
野党はきちんとした議論をせず、ただただテレビに向かって「強行採決反対!」「戦争法!」「アベ政治を許さない」なんてプラカードを掲げるだけ。
これを見て怒りが湧きませんか。 
昔の野党だったら、表ではもちろん論戦して、裏でも戦って、仮に法案が通るとしても、自分たちの修正案を少しでも反映させようと努力したものです。
ところが、いまの野党はそういった努力を一切せず、テレビに向かってアピールすることばかり考えている。
暗澹たる気持ちにならざるを得ない。 
特に2017年は、まさに朝鮮半島有事が顕在化するかと言われていたさなかです。
どのように法整備をすれば、有事の際に自衛隊が在韓邦人を救出できるのかなど、考えなければならないことは山ほどあった。 
にもかかわらず、メディアも野党も「昭恵夫人を国会招致しろ」と叫ぶだけ。
こういう状況を見ていると、日本人は本当にバカになってしまったんじゃないかと思います。
阿比留 
物事を多面的に見ることができなくなっているのかもしれません。
「事実に基づいた報道を」というと一つとっても、たとえば『世論』を書いたウォルター・リップマンは「事実とは、複雑な形をした多面体」という趣旨のことを書いています。
新聞やテレビがそれに対してできることは、複数のサーチライトを多面体に当てて、なるべく実態の形を浮かび上がらせることであり、それが「事実の発掘」に近い作業なんですよね。 
左派系のジャーナリストは「マスコミは真実を追求するんだ」なんてことを臆面もなく言うわけですが、真実というのはおおよそ文学や比喩でしか語れない。
それを「取材によって追求できる」と思っている人は、取材をしたことがない人なのではないかと思ってしまいます。
この稿続く


2024/5/22 in Kyoto

 


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