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吉田調書問題の裏…朝日の動機は何か…事実の追求こそが仕事…メディア関係者の“焦り”…新聞と違う雑誌の仕事…人を騙す新聞はいらない

2024年05月23日 14時47分20秒 | 全般

以下は前章の続きである。
吉田調書問題の裏
門田 
朝日新聞が問題なのは、ストレートニュースと評論をごちゃまぜにしている点です。
産経新聞や読売新聞は、ストレートニュースと論評部分がはっきり分かれているので、論評に同意するかどうかは読者次第としても、ストレートニュースそのものは事実として受け取っていい。 
ところが、朝日新聞を中心とするリベラルメディアはそうではない。
まず「このように報じたい」という主義主張が先に立って、それに基づいてストレートニュースすら捻じ曲げてしまう。 
その最たるものが、いわゆる「吉田調書」問題です。
2014年に、当時の木村伊量社長が辞任しましたが、これはいわゆる「従軍慰安婦問題における吉田清治証言問題」と、「福島第一原発の吉田調書問題」報道の責任を取った形でした。 
このうち、「吉田調書問題」に関しては、私はいわば当事者です。
2014年の5月20日に、朝日が一面で「所長命令に違反、原発撤退」「福島第一所員の9割」との見出しで報じました。 
しかし私は『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の500日』(PHP)という本を書くために、福島第一原発の所員100名近くに実際の話を聞いています。
その話は、朝日の報道とは全く違うものだったので驚き、「(その時点で調書は見ていないものの)朝日の報道は事実と異なっている」と指摘するブログ記事を書きました。
すると大騒ぎになり、『週刊ポスト』でも「朝日新聞 吉田調書スクープは慰安婦誤報と同じだ」という記事を書いた(178ページに再録)。 
そうしたら朝日新聞から、「朝日新聞の報道機関としての名誉信用を著しく毀損する。謝罪のうえ訂正せよ。それをしない場合は法的措置を検討する」という、内容証明が飛んできたんです。 
のちに産経新聞が吉田調書を入手し、私も読ませてもらいましたが、朝日の記事のトーンとは全く違うことが書いてある。
しかし朝日新聞は、そう取れなくもないような言葉尻をピックアップし、繋ぎ合わせて、あたかも「所員の9割が所長命令に反して逃げた」かのように印象づけられるような記事を掲載していたことがわかりました。 
結局、この記事には問題があったことを朝日新聞も認め、社長の辞任にまで至ったのです。

朝日の動機は何か
須田 
朝日新聞は何のために吉田調書の内容を捻じ曲げた記事を書いたのでしょう。
門田 
「吉田調書報道」が1面に掲載された2014年の5月20日の朝日新聞紙面を見ると、社会面に〈東海第2、きょう審査申請 日本原電、再稼働に向け〉という記事が掲載されている。
つまり、再稼働を阻止したいがためにこの記事を作ったのです。
須田 
朝日新聞は、「再稼働阻止」という彼らの思う社会正義のためなら偏向・捏造もやむなしと考えて、「吉田調書」記事を掲載したということですね。
門田 
翌5月21日の1面コラム「天声人語」でも、吉田調書記事について〈所員の9割にあたる約650人が、所長命令に反して約10キロ離れた福島第2原発へ退避していたという。事故への対応が不十分になった可能性があるそうだ〉としたうえで、文章をこう締めくくっています。
〈事故から3年。のど元を過ぎて「2度目はなかろう」という新しい安全神話が広まってはいないか。古い時代の中国では、進軍は太鼓を、退却にはドラを鳴らしたそうだ。政官財の再稼働の太鼓に抗して、脱原発のドラは鳴り続けている。忘れてはいけない〉 
私自身は、原発に関しては推進派でも反原発派でもどちらでもありません。
どちらにも一理ありますから。
ただし、いずれの論調を後押ししたいにしても、事実に基づいていなければならないというのは鉄則です。
しかし、朝日は目的のためには、事実そのものを変えてしまうのです。
阿比留 
「どうしてそこまでやるんだろう」と思うでしょう。
しかし、朝日の動機は終始一貫しているんです。
慰安婦問題も、KYサンゴ事件も、そして吉田調書問題も、動機は同じ。
日本を貶めたいから。
吉田調書問題も、福島第一原発の所員たちは逃げずに原発事故に立ち向かった姿勢が評価され、海外メディアからも「フクシマ・フィフティー」と称賛されていました。
それが朝日は気に入らない。
「本当は9割が撤退していたんだ!」となれば、日本を貶めることになるわけです。 
先ほど門田さんが引いた天声人語も、〈危険な現場で苦闘する人たちは「最後の砦」と称賛された。その裏に、もう一つ事実のあったことがわかった〉と書いています。
では、日本を貶めて何がしたいのか。
そこは極めて単純な心理で、「自分たちだけが良心的で立派な人物である」と言いたい、アピールしたいだけのことなのではないかという気がします。

事実の追求こそが仕事
小川 
メディアというのは、何よりもファクトベースで報じることが重要です。
国民としても、主権者たる自分たちの権力を代行してくれている政府がきちんとした政治を行っているかどうか、監視するのは当然のこととしても、その結果としてどう判断するかは国民がすべきであって、メディアではない。 
だからメディアの役割は、きちっと国民に事実を伝えているかどうか、この1点なんです。
ストレートニュースと論評を切り分けて、まず事実は事実として報じたうえで、「しかし私たちはこう思います」というのが当然の態度。
ところが、朝日新聞は事実関係を歪めてストレートニュースを報じ、ほとんど捏造に近いことまでやって報道をリードした。 
だから怒りをもって、私も『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を書いたのです。
本当はもっと考えなければならない問題が国内外に山積みで、はっきり言って朝日新聞とおままごとしている暇はない。
須田 
朝日新聞が「反権力」とか「権力監視」を掲げているメディアだと言われますが、「権力べったり」と言われているであろう、産経新聞の阿比留さんとしてはどうですか。
阿比留 
そんなこと言われてますかね(笑)。
「メディアは権力監視が仕事だ」という人は多いのですが、私はメディアの仕事は事実の追求だと思います。
事実を追うなかで、権力を監視することになったり、問題点を指摘することになるというまでのことで、「監視」や「批判」そのものが目的ではありません。
門田 
ジャーナリズムの役割を「権力の監視」などという輩を、私は最も軽蔑しています。
なぜなら、そういう連中にかぎって、自分の主義・主張でしか、物事を見ていないからです。
たとえば、「では、朝日新聞は民主党政権時代に政権を監視していたのか」と訊きたい。
監視どころか、朝日新聞の記事と論説の双方を統括する主幹が外務大臣に就任するのではないかとまで言われたことがあるくらい、「権力べったり」だった。 
「権力の監視が仕事」だというような記者やジャーナリストは、「自己陶酔型ジャーナリズム」だと思ったほうがいい。
「権力を監視して安倍を批判している」というだけで、自分に酔い、偉くなったような気になっている。
世の中には、多くの権力が存在します。
巨大な宗教団体をはじめ、権力そのもののような圧力団体が多数存在している。
あらゆる権力を監視し、闘っていくならわかりますが、まったくそんなものには尻尾を巻いて逃げているジャーナリストにかぎって、「権力の監視」を声高に叫ぶわけです。
彼らは、ただ「自己陶酔型シャッター症候群」にかかっているだけなのです。

メディア関係者の“焦り”
阿比留 
メディアは「第四の権力」とも言われますが、それに対するメディア側の意識が足りないと思います。
「権力監視をするメディアを誰が監視するのか」。
となると、同業者や読者が監視するしかない。
たしかに、ネットによって読者が「監視」するようになりました。
安倍総理も、「以前と違い、ネットがあるから有権者がメディアの報道に惑わされず、政権が持ちこたえられているのだろう」と仰っています。
門田 
朝日新聞の崩壊、焦りもインターネットが原因でしょう。
私はインターネット時代を「情報ビッグバン」と表現しているのですが、これまでのような記者やジャーナリストだけでなく、常に情報の受け手だった読者の側も、リアルタイムで情報発信が可能になったんです。 
朝日新聞などは、これまで情報を独占してきました。
記者クラブを持っていて、そこで官庁などからの発表を独占し、自分たちの都合のいいような形に加工して、読者である私たちに下げ渡していたんです。
須田 
そんなことが長く行われてきたわけですか。
門田 
もはや伝統芸ですよ。
朝日新聞は自分たちの主義・主張に沿って当事者の発言を捻じ曲げることを平気でやってきたんです。 
ところが、ネットの登場でこの状況が大きく変化した。
「加工」に問題があれば、当事者が「事実と異なります」と発信できるようになったし、読者も様々な情報を比較して、「下げ渡された情報は本当なのかどうか」を確認することができるようになった。
要するに、いい加減な嘘を書くことはできなくなった。
朝日新聞の「吉田調書」報道が瓦解したのも、私がまずブログで告発したのが端緒です。
須田 
ちょっと私なりのメディア論をさせていただくと、ネットを使っていない人は、特に若い人のなかにはほとんどいないと思うんです。
ニュースを読んでいない、新聞を読んでいないとは言っても、ネットで配信されるニュースには目を通しているはず。 
ツイッターやフェイスブックなどのSNSも、ある意味でメディアの一つで、これも多くの人が使っている。
これを通じて何か情報を得ることも多いと思いますが、さすがにツイッターで流れてきたものを全て本当の話だと思う人はいないですよね。
そうすると、ツイッター上の議論も、新聞の御高説も、すべてが同列線上に置かれて読者の判断材料になっている。
もうこれはメディアが溶け始めている、と言っていいんじゃないでしょうか。

新聞と違う雑誌の仕事
門田 
私が生業としていた週刊誌で言えば、本来、新聞があれだけおかしな報道をしていたら、『週刊文春』や『週刊新潮』などが現地取材をして、裏を取って、「森友学園問題の真相はこれですよ」と読者に分かりやすく報じなければならなかった。
ところが両誌とも、同じ情報洪水の渦に巻き込まれていただけでなく、不倫告発だのアイドルの恋愛問題などにうつつを抜かしている。
花田さんとの対談本、『「週刊文春」と「週刊新潮」―闘うメディアの全内幕』(PHP新書)でも述べましたが、週刊誌は一体何をやっているんだ、と。
花田 
雑誌の役割というのは、大メディアの報道の流れに乗るのではなくて、「それってちょっと違うんじゃないの」「こういう疑問には誰も答えてくれていないよね」ということを提示するのが役割だと思っているんです。
いわば「異議申し立て」するのが仕事というのでしょうか。
須田 
そもそも花田さんは、『週刊文春』時代から、朝日新聞には一貫して厳しい立場をとられていましたね。
花田 
私は編集者になって今年で50年なのですが、そのうち45年くらい、朝日新聞批判を続けてきていまして、「朝日新聞の天敵」と言われたこともあります。
朝日は最高で800万部の発行部数を持つ大メディアですから、その報道に「本当にそうなの?」と疑問を投げかけるのは雑誌の仕事でもある。 
これまでは、いくら批判しても朝日新聞は揺るがなかったのですが、2017年から18年にかけてのモリカケ報道で、私は朝日新聞の「報道」が根底から揺らぎ始めたと感じています。 
平成元年にサンゴ事件というのがありました。
沖縄のサンゴに朝日新聞のカメラマンが自分でサンゴに「KY」と刻んで撮影し、「こんなことをする日本人は愚かである」と嘆く記事を書いた。
これが自作自演であることが判明し、当時の社長だった一柳東一郎氏が辞任。
平成は31年で終わりますが、モリカケ虚報で朝日の渡辺社長が辞任すれば、平成の始まりと終わりの年に、朝日新聞の社長が辞任することになります。 
「モリカケ」報道は、まさに”戦後最大級の報道犯罪”であり、朝日の上層部が責任を負うべき重大な問題ではないかと思います。

人を騙す新聞はいらない
阿比留 
私は朝日新聞を、もうほとんど反社会勢力に近いものがあると思っているんです。
「世の中に仇なすもの」と言えばいいのでしょうか。 
歴史を振り返ってください。
戦前は日本を戦争に無理矢理引っ張っていった。
その後、反省することもなく、戦後は中国の文化大革命を礼賛し、カンボジアのポル・ポト政権を褒め称え、北朝鮮を「地上の楽園」と持て囃した。
すべて嘘でした。 
挙句に従軍慰安婦問題を捏造し、南京大虐殺の嘘を広めたのも朝日新聞。
靖國問題を国際問題化したのも朝日です。
こんな新聞、日本に必要ですか? 
私は、朝日新聞の記者の人が「朝日でござい」と名乗っているのを見ると、恥ずかしくないのかなと思ってしまうほどです。
小川 
「嘘をついて人を騙す」という存在は、敵役としても存在すべきではない。
単なる社会の迷惑に過ぎない。
朝日新聞の論調が悪いと言っているのではなくて、嘘つきが毎日、600万部の新聞を売って平気な顔をしている―社会でそんなことが許されていいわけがない。
「朝日新聞批判」というのはつまるところ、「嘘をついて人を騙す新聞があってはならない」と言っているまでのことなのです。

 


2024/5/22 in ktyoto


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