文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

つまり日本は、天皇の国であり、そのような権力者は出てこない。このような愚かな人間が国の最高権力者になることはない。

2021年12月20日 17時42分13秒 | 全般

今日発売された月刊誌、WillとHanadaには日本国民のみならず世界中の人達が必読の論文が満載されている。
それでいて、それぞれ950円(税込)なのである。
およそ、これ以上、コストパフォーマンスが高いものは無い。
活字が読める日本国民は全員が最寄りの書店に購読に向かうべきである。
戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と、梅棹忠夫に匹敵するフットワークで知的生産を重ねている宮崎正弘の対談本である、世界を震撼させた歴史の国日本、は、老若男女を問わず、日本国民全員が、年末年始の休みに購読しなければならない。
p32-p38
⑤足利義満は中国外交で実利をとった 
高山 
元寇で中断していた支那との貿易の再開は財政を預かる幕府の長ならだれでも考える。
室町幕府第三代将軍の足利義満がそれを試みた。
いわばアシカガノミクスだ。               
相手はたまたま甥っ子を殺して帝位を簒奪し、国内からも非難囂々(ごうごう)の明の永楽帝だった。 
学者の方孝信は永楽帝の帝位は認められないと突っぱねて、一家眷属(けんぞく)どころか、嫁さんの方の眷属まで皆殺しにされている。
そんな時に義満は永楽帝を支那の正統の皇帝として、書を送った。 
永楽帝は多分、ああ、あの元の大軍もやっつけた東方の雄から祝辞がきたと涙を流して喜んだと思うんだ。
明は実は日本を強敵と思ってもいた。
元寇のせいだろうが、大宗が火薬の知識、青銅鏡の製法を絶対、日本人に見せるな、火薬の要の硝石を絶対に日本に売るなと厳命する記録が残っている。
その上で「日本国王の金印」を授けて勘合(かんごう)貿易が始まった。
その称号がどうのというけれど、それは些細なことだ。                         
宮崎 
永楽帝の話が出たところで、中国の易姓革命なるものが如何なる実態のものか言わせてください。
蒙古系の中国人、張宏傑という人が書いた『中国国民性の歴史的変遷―専制主義と名誉意識』「集広舎、2016年)という面白い本がありますが、それによると明を立てた朱元璋はゴロツキの出であり、第三代永楽帝となった朱棣(しゅてい)は表面的には仁愛を装っていたが、実は骨の髄からならず者だったという。 
第11代の武宗となった朱厚照(こうしょう)は、さらに酷い無頼の徒で、読書を好まず、ほとんど字を知らなかった。 
次の代の世宗は変態性欲者で、公然と大臣たちに媚薬を献上させ、ある時には1日に数10人もの女性と交わったとか。 
日本では政治の支配者である将軍だって、こういうことはしない。
ましてその上の天皇のこととなると、絶対に考えられない。 
つまり日本は、天皇の国であり、そのような権力者は出てこない。
このような愚かな人間が国の最高権力者になることはない。 
そこでこのような人物が政治の最高指導者になる国では、国民も変質する。
同じくこの本で翻訳者の小林一美氏が魯迅の言葉として紹介しています。
曰く、「暴君治下の臣民は、たいてい暴君より更に暴である」、「暴君の臣民は、暴政が他人の頭上にだけ振るわれるのを願い、彼はそれを見物して面白がる"惨酷"を娯楽とし、"他人の苦しみ”を賞玩し、慰安するのだ。その本領はただ自分だけが上手に免れることだけだ」と。 
まったくいまでも中国はこの通りだよね。 
易姓革命がいかに悲惨な歴史を展開させるかということです。
中国語の「光」には皆殺しという意味があります。
朱元璋が門外不出にした硝石を独自開発   
高山 
明朝が硝石を産することを隠していたことは前に触れたけれど、日本がそれを知るのは永楽帝の時代から200年後になる。
鉄砲が種子島に伝来する。
火薬の原料の硫黄も木炭も日本はあふれるほどあるけれども、硝石がない。
硝石をポルトガル人に頼むと、女50人と硝石1樽だとふっかけられて頭に来た。
そこで、初めて明に持っているか尋ねた。  
ところが、明の初代皇帝・朱元璋が硝石を軍事機密として門外不出にしていた。
とくに 日本は敵勢だから禁止すると命じている。
「青銅製の火器を絶対に人に見せてはならん」と朱元璋が書いている文章もある。
明の建国は1366年ですが、その時代に日本はもう敵国だとみなして、硝石は絶対に日本人には売るなという命令が出ている。
明は日本から硫黄を買っていたが、日本には硝石は絶対に売らなかった。
その命令はずっと生きていたんです。
実は李氏朝鮮の李舜臣は、明からのおすそ分けで火砲を持っていた。
豊臣秀吉の文禄、慶長の戦いの時、それを亀甲船に備え付けて日本の船を砲撃した。
秀吉の水軍はそれで一敗を喫した。 
これはどういうことかというと中国と朝鮮が結託して日本を敵視していた。
元寇でも支那朝鮮は結託したし、文禄・慶長の役は2度目だった。
日本もそれを自覚したから、江戸時代になっても日中友好みたいな幻想はいっさいもたない外交に徹した。
宮崎 
中国がレアメタル、レアアースを禁輸にした時、中国が日本へ供給をやめると言ったら、日本はさっと供給源をほかに多角化して、むしろいまはダンピングして中国が買ってくれと言ってきている。
で、硝石の場合は、結局どうしたんですか。
高山 
日本は自給することにした。
富山の五箇山や石山本願寺など各所でつくられた。
硝石はもともと鳥の糞が堆積したものです。
それで鶏や蚕の糞に藁灰でおおっておしっこをひっかけて、囲炉裏の下の床は常に乾燥しているから、いろいろなごみも一緒に入れて埋める。
こうして乾燥して臭くて汚い状況をつくって、5年たつと硝酸カリウム、硝石ができるんです。
宮崎 
昔、日本人のナカムラさんという酋長がいたナウルは鳥の糞でリン鉱石だらけだった。
そこには住友商事が目をつけて、住友がしばらく独占していたことがあります。
高山 
いまは取り尽くして、ナウルは海に沈みつつあるようです。 
中国がレアメタルを禁輸した時も、日本は電子部品を回収してそこに使われているレアメタルを再利用した。いわゆる都市鉱山というかたちでレアメタルを回収した。
だから、ポルトガルもだめ、中国もだめとなったら、自分でつくるという知恵が日本にはあったんです。 
硝石を通して日本人は中・朝の連合敵国という認識を持って、つきあいも最小にしていたという話になるわけです。
要するに外交というか、国のつきあい方はけっこう練れていたと言えますね。
宮崎 
それはそうですよ。
もう一つは、日本は戦国時代という戦乱のなかで貴重な経験を積み上げていて、情報の取り方とか、相手の力をいかに利用するかとか、戦争のやり方を十分にわかっていた。
その遺伝子が江戸の長き平和の問に崩れてしまって、あとは幕末に復活するまでないわけです。
高山 
しかし知識欲は旺盛だった。1808年に英国のフェートン号が長崎港に殴り込みをかけると、日本人はすぐに英語の辞書をつくった。
それが「諳厄利亜語林大成」(angariagorintaisei・文化11〈1814〉年)だった。
日本人は怖かって逃げるのではなくて、積極的に相手を知ろうとしている。
それで英語を使うやつは野蛮で危険だと知った。
そしたら今度はペリーが来てやっぱり危険だった(笑)。

 


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