文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

中国人は言葉の内容を信じていない…「言葉通り」「文字通り」はあり得ない…

2023年01月19日 08時29分39秒 | 全般

以下は月刊誌WiLL2月号の特集、押し寄せる中国の危険〈チャイナリスク〉に、習近平の夢は日本屈服、と題して掲載されている、戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と世界有数の東洋史学者である宮脇淳子の対談特集からである。
p130-p141
習近平の夢は日本屈伏
フビライ、スターリンも果たせなかった偉業を達成したい野心に満ちている
色つきの集団ばかり 
 
高山 
中国全土で広がった反習近平の抗議デモは「白紙革命」と呼ばれている。
中国で易姓革命が起こるときは、漢の末期には黄巾の乱、元の末期には紅巾の乱、明末には李自成の乱が発生するなど、農民の暴動がきっかけでした。
宮脇 
明を滅ぼした満洲族は八旗制(正黄・鑲黄(じょうこう)・正白・鑲白・正紅・鑲紅・正藍・鑲藍の八つ)と呼ばれる社会組織・軍事組織で攻めてきています。
高山 
なんだか色がついている集団が多いね(笑)。
宮脇 
今回の白紙革命の人数・規模はそれほどでもありません。
しかし、習近平の政策に不満を覚えている人たちがいるのも事実です。
ゼロコロナ政策で経済が停滞し、失業者が増えている。
高山 
今や若年層の失業率は19.9%と過去最高を記録している。
宮脇 
学生たちは一所懸命、勉強して一流大学に入ったものの、就職先がない。
怒りの矛先が習近平体制に向かうのも当然です。
高山 
実は白紙革命の前から、兆候があった。
中国共産党大会開幕の3日前、北京市海淀区の四通橋に「独裁の国賊、習近平を罷免せよ」と大書した横断幕が掲げられた。
しかも、映像としてしっかり残っている。
実際、党大会の人事発表はひどかった。
習近平の派閥に属する「太子党」の息がかかった連中ばかりが重用され、李克強や汪洋、胡春華などの共産主義青年団派は完全に排除された。
宮脇 
最初は残すつもりだったと言われています。
高山 
最終的には胡錦濤まで会場から追い出された。
実に象徴的な場面に見えた。
党大会を通じて中国共産党は習近平一派が牛耳る独裁体制になったと宣言したに等しい。
そんな独裁体制に「NO!」を突きつける声が出たわけだ。
衆人環視のもと横断幕を掲げるなんて驚天動地の話だ。
億単位で設けた監視カメラやすぐ制圧する警官隊は一体どうしたのか。
宮脇 
一人で実行することは不可能ではないでしょうか。
政府内にも”反習近平派゛が一定数存在しているのでしょう。
高山 
共産党内での権力闘争は日常茶飯事だけど、中国の民衆から、それまで禁句だった「共産党政権反対」という声まで上がっているのは注目していい変化じゃないのかな。
宮脇 
天安門事件のときは、共産党体制まで言及することはありませんでした。
高山 
求めたのは「民主化」だけ。
ところが、今回は違う。
1949年、中華人民共和国が成立して以降、初めて耳にする抗議の言葉でしょう。
しかも日本でも人民解放軍の分派だと思われてきた在日中国人学生が共産党やめろとやった。
宮脇 
新宿駅西口でした。
高山 
中国には有事に軍事動員する「国防動員法」がある。
中国にいる政府が何かを命令したら絶対に従わなくてはならない。
しかも、それは海外の中国人も例外ではない。
そんな連中が「共産党打倒!」「習近平政権反対!」とシュプレヒコールしている。
瞠目すべき状況でしょう。

典型的な中国人
宮脇 
もう一つ、中国人の特質も考慮に入れなければなりません。
「共産党反対」と言っても、そのまま鵜呑みにできません。
というのも中国人は言葉の内容を信じていないからです。
「言葉通り」「文字通り」はあり得ない。
日本人は「刎頸の交わり」「竹馬の友」と言ったら、幼い頃から変わらぬ友情を持ち続け、一生裏切らないことを意味し、それを実行します。
ところが、中国人は違う。
そのときどきの状況で敵や味方を変えることが当り前です。
高山 
これこそ中国人の典型じゃないかと勝手に思っている人物が2人いる。 
1人が方伯謙(1854~94年。清朝末期の軍人)。
英国の王立海軍大学にも留学し、中国人の中で唯一人の英国紳士と言われた男です。
帰国後は丁汝昌の右腕として働いている。
日清戦争では防護巡洋艦「済遠」の艦長を務め、豊島沖海戦で、日本海軍の第一遊撃隊「吉野」「秋津洲」「浪速」の3隻に遭遇した。
砲撃が始まり、被弾した「済遠」は白旗を掲げ、停船した。
しかし日本艦が近づくのを待ち、2発の魚雷を発射して遁走した。
海軍士官は国際法を順守する紳士という誇りがある。
国際法を悪用して騙し討ちをやるなど誰も信じられない悪行だ。
彼は漢民族らしい生き方をした。 
だから身内から非難されることなく、その2ヵ月後の黄海海戦にも済遠艦長で出てきたけれど僚艦が日本艦にバタバタ沈められるのを見て、同じく臆病風に吹かれた巡洋艦「広甲」と一緒に敵前逃亡をやってのけた。
ために北洋艦隊の陣形は崩れ、日本海軍に好きにやられてしまった。
それでも彼を責める声はなかったが、君臨していたのは満洲族の清王朝だ。
彼らはまともだった。
西太后は方伯謙を旅順港から呼び出し、斬首した。
中国は今また、漢民族の中共政権が支配するが、漢民族自体が国際法のルールなど守る気がない破廉恥な国民性だから、今では方伯謙斬首は冤罪だという声が出ている。
宮脇 
信じられません。

信じられないいい加減さ
高山 
もう一人が、黎元洪(1866~1928年。清末・民国初期の軍人・政治家)。
済遠と一緒に敵前逃亡した巡洋艦「広甲」の機関士をやっていた男で、敵前逃亡中に座礁して海に飛び込むが、実は泳げない。
何で海軍なのか首を傾げるが、なんとか友軍に助けられた。
その後もう海軍は御免と陸軍に転じ、湖北新軍の旅団長となって武漢を仕切った。
やることは孫文らに賛同する革命派を捕えては処刑する毎日。
そんなときに武昌で火薬庫の爆発があった。
単なる事故だったが、革命派は革命の蜂起と信じる。
一方の黎元洪も革命派の決起と信じて逃げてしまう。
司令官がその有り様だし、やっているほうもいい加減な漢民族だから付和雷同で革命派にくっつく。
あっという間に革命派が武漢を制圧してしまう。
そんなとき隠れ潜んでいた黎元洪が見つかる。
あっさり血祭りにあげられるかと思ったら、革命派の方も肝心の孫文が日本人にたかったカネで米国コロラド州で遊び惚けていたほか、だれも幹部級の消息がつかめない。
それなら黎元洪は結構、世間に名を知られた男だ、じゃあ、お前が革命の総大将になれとなって辛亥革命は彼の手によって成立した。 
信じられますか、このいい加減さが。
だから、あれは辛亥革命じゃない心外革命だと、中国に造詣の深い宮崎正弘さんは言っている(笑)。 
方伯謙と黎元洪-中国人の特質をよく表している。
その2人を足して2で割ったのが、最近、亡くなった江沢民ではないか。
この稿続く。

 

2023/1/17, at Osaka



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