以下は下記の本からである。
出来るだけ多くの活字が読める日本国民が最寄りの書店に購読に向かわなければならない本である。
日本が強い国だからこそ、「鎖国」ができた
和田
日本の歴史教育の中では、鎖国についても正しく教えていません。
私は、東京都の中でも日教組や全教(日共系)が強くて、真っ赤な教育として有名な小金井市で育ってきました。
鎖国については、日本が弱かったから国を閉じたと教えられました。閉じこもるためにやったんだと。
だけど、国が弱かったら鎖国なんてできない。
東南アジアの各王国は、欧州の人たちに「あなたたち、布教をやめて下さい。もうお帰り下さい」と言ったら、征服されて植民地にされたのですから。
日本の場合は、当時は、戦国合戦の時期。世界最多の鉄砲を保有し、つねに戦をやっていた。
非常に軍事的にも強かった。
だから、朝鮮出兵するときに、秀吉はフィリピンのマニラにいたスペインの司令官にも降伏勧告文書を送っているんですが、スペインの司令官は日本に攻められたら勝てないと思って、援軍を送って欲しいという書状を本国に送っています。
日本にいる宣教師や商人たちから、「日本を攻めても勝てませんよ。逆にやられてしまいますよ」ということが伝わっていたのだろうと思います。
欧州諸国は、日本だけは植民地にはできないと諦めていました。
国を閉じたあとにも、ポルトガルが通商再開を申し入れて来ましたが、ポルトガルからやってきた使節数十人を全員殺しています。
ポルトガルにしてみれば、日本に攻め込む絶好の口実ができたわけです。
ところが、ポルトガルは「あ、はい、わかりました」という感じで退いていった。
使節を殺すのはどうかと思いますけど、圧倒的に強かったから、どこからも攻め込まれることなく、鎖国、ができたんです。
こういう事実は、教育の中でまったく教えられていません。
強かったゆえに鎖国ができたわけですが、そのことを消したい勢力がいるのだろうと思います。
歴史的な事実を学べば、国を守るために何か必要かということがわかりますからね。
圧倒的な軍事力なり、防衛力があれば、相手国は攻めて来ないわけです。
そのことを歴史の記憶から消し去ろうという動きがあるんじゃないかと思いますね。
高山
鎖国したというけれど情報は取っていたし、支那オランダとは通じていた。
根性の悪い国は来るなと言っただけ。
貝殻にこもったわけではない。
それ以上に、何度でも言うけど、キリスト教を追い出したことがすごい。
これは、どの国もやらなかった。
和田
したくても、できなかった。
高山
中国は1723年、清の康正帝がキリスト教の布教を禁止しだけど、宣教師は北京に残留を許された。
いろいろと抵抗したけど、結局キリスト教を受け入れざるを得なくなった。
日本だけは、他の宗教と仲良くできない宗教はダメだと言って、完全に追い出した。
明治になっても、キリスト教を受け入れなかった。
五箇条の御誓文とともに出された五榜の高札には、切支丹、邪宗門は厳禁すると書いてある。
明治政府が出したこの高札を見て、各国の公使は怒った。
だけど、明治政府はひるまなかった。「あなた方は、日本に来て、神社とみればぶっ壊すし、寺と見れば叩きつぶすし、坊主は殺すじゃないか」と言って厳禁にした。
そうしたら、彼らは「いや、今はもうそんなことはしません」と言う。それで明治政府は、「もう乱暴はしないよね」ということを確認して、教会を建てる自由を認め、最終的に明治23年の憲法で、キリスト教の存在を認めた。
それまでに事実上、信教の自由は認めていたけれど。
日本人がバテレンを迫害したというのは、まったくの問違いで、乱暴を働く宗教を厳禁にしてきただけ。
他の宗教とも仲良くするように、長い年月をかけて、キリスト教を良くしていった。
そのうえで、他の宗教とも仲良くするならいいよということで、やっとキリスト教を受け入れたわけだよ。
この稿続く。