私が私の母校の先輩である阿羅健一さんの事を全く知らなかったのは、私が朝日新聞の購読者だったからである。昨年まで高山正之氏を全く知らなかったのも同じ理由による。従軍慰安婦問題が嘘である事を追及して来た人たちの事を知らなかったのも同じ理由である。
つまり、朝日新聞社と言うのは、自分たちの過ちを正しく厳しく批判する人間たちは決して紙面には登場させない新聞だったからだ。
以下は3月に発売された別冊正論26に掲載された阿羅健一先輩の労作からである。私が初めて知った様に、日本国民の大半も初めて知る事実だろう。もちろん、世界は全く知らない事実の数々である。
前文略
中国の資料は反論可能なシロモノ
しかし、そうだとしても阻止できなくはなかった。
というのは、事件は架空なので登録すべき史料がないのだ。
申請するに当たって当初中国が提出した資料は、マギーフィルム、程瑞芳日記、谷寿夫中将の裁判記録というようなものであった。
史料という点からいえば、マギーフィルムと程瑞芳日記が当たるかもしれない。
マギーフィルムは、当時南京にいたマギー牧師が撮影したもので、病室の負傷者や民家が写っている。
昭和十三年五月のアメリカの写真週刊誌「ライフ」にも紹介されたが、写っているのは数人の負傷者で、それらもほかの写真も戦場の写真としてはありふれ、大虐殺を写したものでもなければ、髣髴させるものでもない。
政治ショーのような東京裁判でも証拠として提出されなかった。
利瑞芳日記は、金陵女子文理学院の舎監であった程瑞芳の十二月の日記を指し、難民収容所になった金陵女子文理学院の様子が記録されている。
それによると殺戮を暗示するような噂話が記載されているものの、程自身の見た殺人は一件もない。
強姦と掠奪が九件起きたと記述されているだけである。
二十万の虐殺があったとしたなら、収容人数の比率からいって金陵女子文理学院では一万人ほどの殺害があってよいはずである。
強姦にしても二万件の強姦があったとの判決であるから、若い女性を中心に収容した金陵女子文理学院では数千件の強姦があって当然である。
翌年一月四日のニューヨーク・夕イムズは、金陵女子文理学院で中国軍大佐をトップとした中国人の一団が日本軍の仕業に見せかけて強姦をしていたと報道しており、程が挙げた強姦にしても日本軍によるものかどうか。
強姦と同数起きたとされた掠奪は食料の鶏やおカネといったものである。
このように、ふたつは事件の史料とはなっていない。
むしろ南京が通常の戦場であることの証拠である。
また、谷寿夫中将は戦後南京に連行され、昭和二十二年に銃殺刑に処せられているが、谷中将率いる第六師団が城内に入ったのは数百メートルまでで、数日すると主力は蕪湖方面に転進していった。
谷中将も入城式に参加するため一週間ほど南京にとどまっただけである。
南京事件は翌年まで続いていたと判決はいっているが、その責任を谷中将に問い、裁判で日本の弁護士がついたのでもなかった。
谷中将の反駁書によれば、南京事件というものを知ったのは戦後にアメリカ軍が発表した「太平洋戦争史」によってである。
そういう戦争裁判の記録にすぎない。
今回の世界記憶遺産への申請は九十六件あったという。
平成27年初夏、審査小員会で事前審査がなされ、そのうちの五から七件に問題があると判断され、追加資料の提出が求められた。
南京事件もその一つであった。
こういったことを踏まえればいくらでも反論できたはずである。
この稿続く。