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共産党幹部は大半が幹部本人だけでなく一家全員がグルとなって腐敗に励む

2020年12月22日 17時10分27秒 | 全般
以下は月刊誌Hanada今月号の巻頭を飾る石平氏の連載コラムからである。
本論文は極めてユーモアに富んでいるとも言える。
何故なら多くの人が、いくつもの箇所で笑ってしまうはずだから。
「全家腐」からみた中国的道徳心の異質性  
本欄の前号は、中国における「全家腐」の本実態を紹介した。
共産党幹部は大半が幹部本人だけでなく一家全員がグルとなって腐敗に励むため、「全家腐」は三文字熟語の一つとさえなっている。
これは中国ならではの独特な現象であろうが、なぜ中国人は恥も外聞もなく、一家総出で腐敗の悪事を働くのか。
それを理解する一つのカギが、中国古来の「宗族」という家族制度にある。 近代以前の中国の地域社会、特に農村社会で大きな勢力をなして人々を束ねていたのが、「宗族」という組織である。
たとえば、「石」という一族の場合、数百年前に先祖の一人が四川省の某地にやってきて子孫がその地で繁衍(はんえん)し、いつの問にか数百軒の「石家」ができていて、いくつかの村を形成した。
そして、それらの「石家」はバラバラに存立するのではなく、共通の祖先をもつ一つの宗族を作って集団的な社会生活を営むのである。 
宗族には統治機構である「族会」があり、一族の有力者か長老が「族長」となって君臨する。
宗族にはさらに「族規」と呼ばれる一族の法律、ルールがあり、族会や族長はこれに基づいて族人を統率し、宗族内の秩序を保っていく。
宗族の集団生活の中心となるのは祖先を祀る「祠堂」であって、祠堂は一族の集会所でもあり裁判所でもある。
宗族はまた、共同財産である「族田」を持ち、そこから得た収入を財源に族人の子弟たちのための塾を開いたり、族人のなかの病弱者や孤児などを救済したりする。
その一方、一族内の壮健な若者たちが「自衛団」のようなものを結成して外部勢力から宗族の安全を守る。 
こうしてみると中国の宗族は、実質上、一つの小さな「国家」なのである。
近代以前の中国において、広大な農村地域で林立しているのは、まさに大小の宗族であって、幾干幾万の「ミニ国家」である宗族がこの国の形を作っていた。 
問題は、なぜ人々が宗族という「ミニ国家」を作って生活しなければならないのかであるが、その答えは簡単だ。
要するに、中国全体を統治する皇帝と朝廷は天下万民のために何もしてくれない、ということである。
だからこそ、人々は宗族という血縁集団を作って、自分たちの手で秩序を保ち、一族の安全を守り、一族のなかの弱者を救済し、子供たちの教育を行ったりしたのである。 
昔の中国人にとっては、朝廷も皇帝も国家も遠くにある意味のない存在であって、社会生活のすべてが宗族頼りだった。
そこから生まれてくる中国人の社会意識は、すなわち「宗族中心主義」。
「国家」の意識もなければ「公」の意識もなく、人々の忠誠心や愛着心や帰属意識は全部、自らの所属する宗族に注がれるのである。 
そして、こうした「宗族中心主義」はいつの間にか「宗族のエゴ」となって異常に肥大化した。
普通の中国人たちは自分たちの「宗族」を中心にして価値判断を行い、宗族のためには公の利益や国家の利益を損なっても構わないと考えるようになり、挙げ句の果てには、一族のために公の利益や国家の利益を損なうことは、むしろ宗族にとっての「善」であり、「美徳」であるという、一種の倒錯した価値観が中国社会で定着したのだ。 
そのなかでは、官僚の汚職・腐敗も一種の文化として定着した。
中国社会で出世し権力を手に入れた官僚たちにも当然、自らの所属する宗族がある。
したがって、彼らにとっては権力を利用して蓄財し自分たちの宗族を潤すのはむしろ当然の義務であって、進んで行うべき「善行」そのものなのである。
こうして社会的悪であるはずの腐敗汚職は、宗族の人々にとって最高の「善」、大いに褒めるべき立派な行為となった。 
現代中国の「全家腐」も、まさにこのような宗族中心の倒錯した道徳観念に由来する。
現在の中国では都市化が進むなかで伝統の宗族社会が徐々に消えつつあるが、核心的価値観である「一族中心主義」は依然として根強く生き残っている。
だから腐敗幹部一家からすれば、幹部本人の権力を利用して「全家腐」に走ることは悪事でもなんでもない。
むしろそれはその一家にとっての最高の「善行」であって誇るべき行為なのだ。
摘発さえされなければ「全家腐」の一体どこが悪いのか、と彼らは心底思っている。 
もちろん、庶民たちは一概に、「全家腐」に対して大いなる不満や憤慨を持っている。
しかしそれは単に、自分たちは腐敗したくてもできない時に限る。
普通の庶民でも高尚な知識人でも、一旦何らかの権限を手に入れて腐敗できる立場になれば、一家総出で「全家腐」に飛びつく。
家族のため一族のために社会や公や国家から何かを収奪することは、偉大なる中国人民にとっての最高の「美徳」だからである。

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