文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

少しでもカネを手にしようと福祉に群がり、利権をもとめて政治家と繋がろうとし、自己の立場が少しでも不利となれば権利の平等をたてに大声を張り上げる

2019年08月21日 22時58分42秒 | 全般

以下は昨日の産経新聞に「令和の8月に思う 戦後74年、矜持を失った保守」と題して掲載された佐伯啓思京都大学名誉教授の論文からである。
若き西部邁氏の体験から 
『週刊サンデー毎日』に評論家の高澤秀次氏が「評伝西部邁」を連載しており最近完結したが、そのなかで氏はあるエピソードにふれていた。
それは、西部氏が東大に入学し、同時に共産党にも入党した時のことである。
いわゆる山村工作隊として地方の農村等に若い党員を派遣するという当時の共産党の方針に従って、若き西部氏も和歌山の山中の被差別へ赴いた。
勤務評定闘争によって授業が行われていない小学校で子供たちに勉強を教えるためである。 
帰り際に西部氏は、子供たちにアイスキャンディーをふるまおうとした。
しかし子供たちはそれを受け取らなかった。
子供たちからすれば、西部氏は東京からやってきたエリートである。
自分たちは、社会のどん底にいる。
しかし乞食ではない。
ものを恵んでもらういわれはない、というのだ。 
この小さな出来事は西部氏にとっては、実に大きな経験であったようで私自身も何度か聞かされたことがある。
おそらく、この子供たちの拒絶にあって自身の内にずっと抱え持っていたある根本的な感情に決定的な確信を与えることができたのであろう。
東京へ戻った西部氏は共産党から離れ党を除名された学生による過激な運動組織であるブントヘと走り、60年安保の指導者の一人になってゆく。 
ここで私はほぼ一年半前に自死された西部氏の行跡を改めて振り返ってみようというわけではない。
「日本の戦後」というものについて論じてみたいのである。また、よきにせよ悪しきにせよ「戦後日本」を支えた「保守主義」について考えてみたいのである。 
どれほど社会から排除され貧窮にあえいでいても、その社会の上層にいる者からの同情も施しも即座に拒否した和歌山の山村の子供たちの姿は、「戦後日本」の一般的な図柄とは真逆のものである。
高度成長をへて、年々豊かになり後の三島由紀夫の言葉でいえば、カネよカネよと浮かれてゆく戦後日本の「大衆」とはまったく異質のものであった。
しかもすべてをカネに換算して恥じぬ戦後日本はもうひとつ、戦後の平和をアメリカによって担保されている現実を恥じることもなかったのである。 
豊かさと平和の代償として 
和歌山の子供たちが示したのは食えなくても守らなければならないものがある、というぎりぎりの矜持であり、真の誇りであった。
そして戦後日本は、豊かさと平和の代償としてこの矜持を失った。
少しでもカネを手にしようと福祉に群がり、利権をもとめて政治家と繋がろうとし、自己の立場が少しでも不利となれば権利の平等をたてに大声を張り上げる、
そして政府に何とかしてくれ、と訴える戦後日本人の姿は醜くゆがむ。 
西部氏が、この「戦後日本」へのほとんど無謀な対決を試みたのは、アメリカに依存した「平和」と「豊かさ」を無条件に受け入れ「めしが食えれば」どころか、ともかく「もっとカネをよこせ」となってもまだ不満だらけのこの大衆社会と、アメリカ追従をすぐれた現実的選択として賞揚する現実主義の双方に、戦後日本の醜さを見たからであろう。
日本人のもっていた矜持、つまり「独立・自立の気風」を守るには「戦後日本」と敵対するほかないのである。  
「独立・自立の気風」どこへ 
保守主義とは、この「独立・自立の気風」を、また人間のもっとも根源的な尊厳と矜持をできる限り守ろうとする精神である。
その意味では、戦後日本における「保守」を語ることは法外なまでの困難と強い意思を必要とするのである。
気楽に「保守」など名乗れるものではない。
なぜなら、戦後日本は、精神的に圧倒的にアメリカの影響下にあるだけではなく、国家構造そのものがアメリカによって与えられたからである。
いうまでもなく、憲法と日米安保体制である。
したがって、戦後日本の「保守」は、憲法問題とアメリカ問題(防衛と外交の過度なまでのアメリカ依存)を問うほかない。 
だがまさにここで、「保守」が「現実」の壁にぶつかるのも事実である。
いまさら現憲法の有効性を疑問視してもどうにもならず、安全保障も日米関係に依存するほかない。
それでも先日の、トランプ大統領による(戦略的な思い付きとはいえ)安保条約の破棄発言に際しても、日本の防衛についても日米同盟についての論議も起きないのでは、「保守」など消滅したというほかない。
平和が続き経済が豊かになればかつての山村の子供にあった、カネや食べ物よりも大事なものがあるという矜持も薄れるであろう。
しかしそれでも人間の精神は現実を批判できる。 
カネをばらまいて株価を上げ、訪日外国人がいくらカネを落としてくれたと喜び、日米関係の強化で平和を守れればよいという「現実」をそのまま擁護も賛美もするわけにはいかないのが「保守」であろう。
令和元年は戦後74年である。
この時代は、ほんとうに「保守」が問われる時代となろう。       

(さえき けいし)


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