以下は2016/10/30に、日・米・独ー10年後に生き残っている国はどこだ、と題して出版された、高山正之と川口マーン恵美の対談本からである。
以下はp154、諸悪の根源は、やはり「朝日新聞」だ、からである。
高山
「憲法」についての報道にも問題がありますね。
「憲」という字を「間違えたものを正す」という意味で使う憲法論を朝日新聞が盛んに言っています。
いわゆる「立憲主義」というのもその意味で使っています。
しかし日本の場合には、聖徳太子の時代にすでに「十七条憲法」というのができています。
「和をもって尊しとなす」というのがエッセンスです。
だから日本の場合、「憲法」は「和」というのに置き換えていいものなのです。
そのような意図的な曲解がいまの日本のジャーナリズムで横行している。
産経新聞の阿比留瑠比氏が最近本を出しましたが、その中で、田原総一朗が「俺なんか3人も首相の首をとったんだ」と自慢しているというエピソードを書いています。
逆を言えば、首相ぐらい無力な存在はありません。
やはり、日本のジャーリズムというのは大きく間違えている。
政府の政策をダメ出しして政府を困らせ、首相や閣僚をクビにすることが新聞の役割りだと思っているのです。
川口
そう言えば、ある編集者と雑談したことがありました。
日本のマスコミは、「与党に物申すのは自分たちだ」という勘違いしているのではないかと。
野党がしっかりしていないので、自分たちが野党の代わりだと思っている。
それもいいけれど、国益が二の次で、政府批判ばかりでは被害が多すぎる。
高山
そして、常に鍵を握っているのは朝日新聞です。
論点のひとつは日本の場合、例えば江戸時代の行政がわかりやすいですが、裁判所の判事と弁護士と検事とをすべて町奉行がみていたという点にあります。
当時、スウェーデンから来たツンべリーがびっくりした。
裁判官と判事と検事をひとりの与力が差配して、それで情状酌量もされて、裁かれる人も納得している。
それこそノブレス・オブリージュではありませんが、日本の場合は、上に立つ者というのはそれなりに「上に立つ者としての自覚」があるわけです。
「武士は食わねど高楊枝」のような感覚ですね。
ところが、「自民党一党独裁」の如き言い方をして、「民主主義の在り方は二大政党だ」と朝日新聞は二言目に言ってきました。
でも日本人の大勢というのは、昔の与力と同じで、公平な中でばらつきがあるぐらいでバランスがとれるので、その意味で対立政党という存在は自民党の派閥レベルでだいたい吸収できます。
それが朝日にはわからない。
バカのひとつ覚えで「民主主義議会は二大政党だ」と繰り返す。
川口
朝日新聞は見下し癖があり、自分たちがインテリを代表しており、しかもインテリのための新聞をつくっていると思っていますね。
高山
「二大政党制」を主張して、一時は社会党を手駒にしたこともありました。
ですが社会党から出てきた人材と言えば、土井たか子・村山富市・いまの福島瑞穂と所詮は二流以下の人材であるわけです。
だから空中分解し、社会党の政治というのはまったくなっていないわけです。
そして社会党が駄目になったとき、朝日新聞がかついだのが民主党です。
川口
鳩山・菅・野田と三代続けて潰れました。
政権奪取には成功しても、運営には 実力が必要です。
これまで培ってきた外国との関係や、長年の勘も。民主党には、そのうちのどれもなかった。
いままでメディアは自分たちの味方だと思っていたら、与党になったら、やおら攻撃されたので、それにも驚いたでしょうね。
でも、日本のメディアは、いままでの通り、政権攻撃をやっただけです。
それまで攻撃しなかったのだって、別に民主党を愛していたわけではなかった。
ドイツはいまCDUもSPDも落ち目で、小党乱立気味ですが、戦後はずっと二大政党制でした。
そういう意味では、CDUとSPDは両党とも、政権運営の実力がちゃんとあったということです。
ただ、一言付け加えるなら、二大政党制はロスが多いですよ。
政権交代のたびに、方針が変わるので。これはアメリカの政治を見ていても、よくわかります。
高山
朝日新聞がもう一度二大政党制にしようとして、民進党を共産党と野合させようとするのはそういう動きの最後になるでしょう。
社会党も駄目だった、民主党も駄目だった、それでも次は「民共連合」と言い続ける。
大衆は二度も三度も騙せるほど愚かで、どんな嘘でも刷り込むのは簡単だと思ってやっているのです。
川口
朝日新聞やテレビが、国益を無視して国民を煽るのは、本当に困りますよね。
ある著名な文化人が以前、某雑誌のコラムで、「国益を前面に出すのは品がない」というようなことを書いていたので、びっくりしました。
日本は日本人だけのものではないというのと繋がりますね。
でも、政治の目的が国益でなくて何でしょう?
イギリスのパーマストン元首相いわく、「国家には永遠の友も永遠の敵も存在しない。存在するのは永遠の国益だけである」―。
国際親善や文化交流はほかの分野の人に任せて、政治家にはやはり国益を追求してもらわなければ。
この稿続く。
2024/6/13 in Kanazawa