文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

強弁について。

2013年08月22日 22時58分16秒 | 日記
さっきNHKのニュースを観ていた時に流れた映像は、インターネットで世界中に流れた映像だと言う。

当然ながらロシアも真夏だから、たくさんの人が海水浴をしていた。
ロシアでは有名なリゾートなのだろう。たくさんの人が浜辺を埋め尽くしていた。美しい光景の浜辺。
そこに突然、ロシア軍の巨大な水陸両用車が水面に現れ、どんどん大きくなって、浜辺に上陸。
海水浴に来ていたたくさんの人たちが見つめている。
その背中も唖然として居た。

軍の説明は「この場所は、元々、軍の上陸訓練が行われていた場所だから…」
消息通は「上陸する浜を間違えたのではないか」

勿論、消息通の意見が正しいのだろう。

軍の説明は、いまだに共産主義の遺物を抜けきれないロシア軍の体質なのだろう。
つまり、共産党の一党独裁であれ何であれ、独裁政治と言うのは強弁するのである。

但し、完璧な事実を突き付けられたりすると、散々、強弁を聞かされているいる側、散々、一方的な非難を浴びせられている側が、唖然とするほど、平然として、自分達が間違っていた、自分達は劣っている、などと本当にあっけらかんに言うのである。

芥川は、以前に人間社会の発展は、ルールを守る、ルールに従う精神に在ったのだ、と言うことを書いた本の書評を紹介した。

芥川は、あの書評を読んで思っていた事が在るのである。
多分、世界でただ一人。
ルールに従う、ルールを守る精神が形成されるためには、ちゃんとした体制が何百年以上続いた社会で在って初めて形成されるのだ。
それが真実なのであると。

ちゃんとした体制とは何かと言えば、簡単に言えば、京都を観れば分かるのである。

ジョブズもツイッターの創業者も、芥川と同じ観点で京都を、京都の庭園を観続けていたことを芥川は確信している。

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