文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
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佳代子さんが、さんざん家庭内暴力を小泉から受け出て行くと決めたあとに、小泉が佳代子に最後にかけた言葉は

2018年05月28日 13時04分10秒 | 日記

以下は前章の続きである。
<歴代、ワースト1位> 
小泉純一郎が就任して以来、自殺者数は、歴代総理大臣中1位。自殺者数は過去最大で第1位。会社倒産件数歴代1位。

百貨店のトップであったダイエーが倒産。

銀行は軒並み倒産。倒産件数は激増。

最悪の不況である。

<死ぬ・殺せという言葉の多用される随筆> 
○ 小泉純一郎は、慶応大学の時に「横須賀慶応学生会」の文集にこう書いている。 
発行は65年6月。

短い随筆の中に20回以上も「死ぬ」「殺せ」と類した言葉が出てくる。

「随筆 死のうは一定!小泉純一郎」

「青春は人生にたった一度しかこない。しかもその人生もまたやり直すことのできな 
いたった一度きりのものである。私は一生を考え、ふと空しさを覚えるときがある。虚無を感ずる時がある。胸の中を北風が通り過ぎるような思いがする。何もかも馬鹿らしくなってしまう。何のために生きているのか。(中略)死んでしまえば何も残らない。(中略)虚無感 にふと襲われるときがくる。そんなとき、私は、人生50年 化転の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を 受けて滅せぬ者のあるべきか」 をうたい、「死のうは一定!」「それ貝を吹け、具足をもてい! 」と(中略)一挙に今川義元を打ちとったあの時の織田信長を思い出す。 人生50年、どうせ一度は死ぬのだ。(中略) 相手を倒さなければ自分が殺される厳しい戦国時代の武将に私は強く魅かれる。 戦いに明け暮れ、死など考える暇がなく、しかも死が眼前にある。(中略) ときに襲ってくる虚無との戦いに負け死を考える時が無きにしもあらず。だが、死んでしまったらそれこそおしまいである。自殺は敗北である。私は自殺くらい馬鹿なことはないと思う。人間死にたくなくとも必ず死ぬのだ。(中略)私は自分の志す仕事が達成された後ならすぐ死んでもいいと思っている。 
われは金剛石。打て 打て 打て われを されど われは 死なじ。われは不死鳥のごとし 己の死よりふたたび命を得 殺せ 殺せ 殺せ われを されどわれは死なじ。」 とある。

○昭和52年の夏、青山学院大学4年だった宮本佳代子さんに東京赤坂のレストランで、見合いをした8月25日の翌日、小泉は、プロポーズする。あってわずかの2日目である。
○昭和52年8月26日早速二人でデート。日比谷映画で「わしは舞い降りた」と見た後、小泉は「あのう、僕を信頼してくれますか?」彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ」と一言。小泉は、「それで決まりましたね。」

<その4年後>

4年後、結婚は破綻。佳代子さんが、さんざん家庭内暴力を小泉から受け出て行くと決めたあとに、小泉が佳代子に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追 わず、来るものは拒まずだな」の一言だった。
佳代子の親族は、「総理になった純一郎さんを見ていると、あの人は、表の顔と、裏の顔がかけ離れた二重人格じゃないかとおもわざるをえません。」 
小泉氏は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされる。
佳代子さん自身も夜の営みの時に首をしめられていた。
この稿続く。


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