以下は26日に発売された月刊誌Hanadaの巻頭を飾る石平氏の連載コラムからである。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
中国・朝鮮と違う「とてつもない日本」(文化偏その2)
この連載は前回に続いて、「中国・朝鮮との違いから見た日本」というテーマの文化編として、文化の面における彼我の相違と日本文化の特質を考察してみる。
今回は、文化における「美」を考察の対象としよう。
どの民族の文化においても、美しさへの追求と美しさの表現は大きなテーマの一つである。
しかし中国出身の筆者は、日本文化においてこそ「美の追求と表現」は特別に重要な地位を占めていると認識しており、日本民族ほど繊細なる美意識と美を愛する心の持ち主は他にない、と思っている。
幕末、日本にやってきたイギリスの植物学者、囗バート・フォーチュンは名著『幕末日本探訪記-江戸と北京』のなかで、江戸で目撃した普通の日本人の「花好き」を次のようにレポートしている。 「(江戸)郊外の小ぢんまりした住居や農家や小屋の傍らを通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっている。日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている」
このような観察に基づき、フォーチュンは日本人の国民性について有名な論評をこう残している。
「花を愛する国民性が、人間の文化的レベルの高さを証明するものであるとすれば、日本の庶民は我が国の庶民と比べるとずっと勝っているとみえる」
文明国家のイギリスからやってきたフォーチュンが、江戸時代の日本人の「花好き」をそれほどまでに絶賛していることは現代に生きるわれわれにとっても強烈な驚きであるが、やはりフォーチュンが指摘したように、「花を愛する」こと(一側面において、すなわち美を愛すること)は日本人の国民性の特色であって、文化的レベルの高さの表れでもあろう。
フォーチュンにはるかに遅れて、昭和最後の年に日本にやってきた不肖の私も、実は人生初めてのこの異国の地で、「美しさ」が至る所に遍在していること、「美しいもの」は人々によって程よく愛されていることを発見して新鮮なる感動を覚えた。
日本を訪れて早々、新しい友人に誘われて人生初の花見を楽しんだ時、来日してひと月が経った五月の小雨の日に友人に連れられて京都の嵯峨嵐山を散策した時もそうであった。
それから数年後に二回目の嵐山散策を楽しんだ時、天龍寺の境内でかの有名な曹源池庭園を観た瞬間、人生で初めて「極美」というものを知って感激した。
そして日本で長く生活していくと、美しい庭園があるのは何も天龍寺だけでないことを知るようになった。
同じ京都でも、東福寺の本坊庭園、南禅寺の方丈庭園、十五個の石が主役の龍安寺の石庭、一面の苔で覆われる西芳寺庭園などなど。私かいま住む奈良にある吉野の竹林院群芳園と大和郡山の慈光院庭園、葛城の當麻寺中之坊庭園からなる「大和三庭園」は、京都の名庭と比敵するほどの魅力があろう。
あるいは、大阪ならば四天王寺の本坊庭園も見事なものであり、滋賀県へ赴けば、龍潭寺庭園、月心寺庭園、西教寺庭園などなど、ここでも数多くの寺院庭園に出会うことができる。
この他にも、「桜の名所」となっている寺院や「紅葉の名所」となっている寺院は京都や奈良に限らず日本全国に無数にあろう。
もちろん、中国にも朝鮮半島にも由緒のある古刹はいくつか現存しているが、日本のように「花のお寺」や「紅葉のお寺」、あるいは「庭園のお寺」として知られる寺院が中国や韓国にあるとは寡聞にして知らない。
日本人だけが、寺院などの宗教施設を信仰の場として大事にしながらも、それを「美しい場所」に変えていく。
日本民族は、やはり特別に「美しさ」を愛しているのであろう。
社会生活の面においては「汚いことはしたくない」というのが日本人の倫理観の根底にあり、「潔さ」に対するこだわりが日本人の行動原理の一つとなっている。
そして、その両者は道徳観念というよりもむしろ美学的観念となっている。
つまり、日本人にとっては「人間の美学」が最も大事なものとされている。
美しさを極めるという日本人の秘めた情熱は凄まじい。
だからこそ日本人は、花を生けることを「華道」としてその極意を追求し、お茶を飲む行為を「茶道」として精進していく。
着物の一つにしても、あれほどの手間暇をかけて美の意匠を凝らす民族は、やはり日本人をおいて他にないのではないかと思う。
筆者の私は幸いにも日本に来ることができ、そしていまは日本国民としてこの美しい国に住んでいる。
先人たちの育んだ「美を愛する日本の心」を受け継いで内外両面の美しさを求めていくことを、これからの人生のテーマの一つにしていきたい。