以下は前章の続きである。
京大が保存する「淀城着来図」には朝鮮通信使の一行が民家から鶏を盗む情景が描かれている。
それが示すように彼らは宿の食器から置物、布団まで何でも盗んでいった。
*木造船で北海道の無人島に流れ着いた純粋な漁船員と言うよりは北朝鮮の軍隊関係者と思しき人間達が、北海道の漁民たちが漁の拠点として使用する時のために、立てていた建物の中から、電化製品等、ありとあらゆるものを盗んだ態様は、彼らが、今に至るも、そのような民族である事を実証しているのである。*
ためにI回の通信使接待費は100万両に達した。
そのくせ京城に日本人使節を招くことは1度もなし。
新井白石は益するところがなにもない通信使の廃止を献策し、家斉が将軍職に就いたときは江戸でなく対馬で通信使を迎える易地聘礼に切り替えた。
現金な連中で、それ以降、彼らは二度とやってこなくなった。
西岡力教授が「ゆすり、たかりの国家・北朝鮮韓国」を上梓したが、朝鮮通信使はまさにそのゆすり、たかりの象徴と言える。
世界の記憶遺産の審査が去る10月末にあり、驚いたことに、この「朝鮮通信使の記録」が記憶遺産登録された。
それも日韓合同で提案していたとか。
朝鮮側は過去の恥ずかしい記録をよく出す気になったと感心したが、朝日新聞の社説によると、あれは日本と半島の深い文化交流の証で、その心は「今の外交や交流にも通用する」という。
確かに通信使の行状は彼らとどう付き合うか、すごくいい教訓ではある。
この稿続く。