文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

閣僚だった父親が政治力で事件をもみ消し、ほとぼりが冷めるまで海外に出したと当時から噂されていたこと。という具合になる

2018年05月28日 16時22分33秒 | 日記

以下は前章の続きである。
●「レイプ疑惑」は当時から地元では知られていた
さて、私は後になって知ったのだが、小串さんとの対談が記事化されるのと時期を同じくして、ニューヨーク市立大の雷見(つるみ)芳浩教授が、連載コラム(2002年6月13日号『日刊ゲンダイ』の「ニッポンを斬る」)の中で、この問題に触れていた。
このコラムは、「歪んだ日本の情報公開」と題して、最後の方に次のような記述があった。
く小泉首相の後見人が森「神の国」喜朗前首相だが、ある雑誌(*『噂の真相』)が同氏が大学生時代に買春で逮捕された動かぬ証拠を公表した。すると、森氏は司法官僚と共謀してこの雑誌を訴え、東京地裁は森氏に偽証を許して、同氏の勝ちとした。また、森「オットセイ」氏の弟子の小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。同首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまで逃がしたものらしい。しかし、日本のメディアはこの真相追及はしない。今、こんな及び腰のメディアをも封じ込めるのが個人情報保護法である。〉

私と雷見さんは友人として本や記事を交換する仲なので、お互いにそれで情報を得た可能性もあるが、「小泉の暗い影を英米の情報機関が握っている」というのは、私には初耳だった。
さらに、私はその後、日本を訪れるたびに、各方面からこの件に関する情報を得た。それらをまとめると、
○慶大生時代の小泉が女学生と問題を起こし、横浜で警察の取調べを受けたという話は、当時から地元の横須賀ではよく知られていた話であり、多くの人が噂の存在を肯定していること。
○事件は1967年4月頃に起きたこと。そして、その直後に、小泉が留学の名目でロンドンに行ったこと。
○閣僚だった父親が政治力で事件をもみ消し、ほとぼりが冷めるまで海外に出したと当時から噂されていたこと。という具合になる。
しかし、これらの噂は、日本のマスコミの中で多くの人間が知りながら、今日まで誰も調査報道せずに放置され、政治家につきもののゴシップで済んでいたのである。
また、ある大手新聞の社会部記者による情報では、代議士になって数年目にも暴行事件が起きており、(婦人に対する)それは示談によって和解が成立したというものもあった。
さらに、小泉の先輩に当たる慶応大学のOBから聞いた話では、暴行事件の和解には★飯島秘書官が関与しており、それから飯島秘書官の立場が急に強くなったというのであった。
この稿続く。


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