文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

もし武装ゲリラが来たら、選挙監視員との間に割り込み、自分が撃たれたら正当防衛で撃ち返せ

2015年09月17日 22時38分42秒 | 日記

織田 「人間の盾」作戦というのもありました。

カンボジアでのPKOの時は、選挙監視員が武装ゲリラに襲撃される危険性が高かった。

それを「自衛隊に守らせろ」というわけです。

しかし法制上、警護はできない。

そこで精強なレンジャー20数名を選び、「もし武装ゲリラが来たら、選挙監視員との間に割り込み、自分が撃たれたら正当防衛で撃ち返せ」という作戦を考えだしたそうです。 

まさに「人間の盾」。非人道的です。

彼らは遺書を書いて作戦に臨んだそうです。

 

後略。


自衛官にとって、友軍がやられているのに助けられない、さらには日本人として日本人が

2015年09月17日 22時35分24秒 | 日記

香田 自衛官にとって、友軍がやられているのに助けられない、さらには日本人として日本人が危ない状況なのに助けられないというのは最も辛いことです。

火箱 元々自衛隊に反対だった人たちは、いまも「歯止め論」を口にします。

自衛隊はどうしても旧軍と同一視され、「権限を与えるとどこへでも行って戦争する」と思われてしまっている。

だから手足を縛る。 

積極的平和主義を掲げて、そのなかで国際平和や秩序の維持に自衛隊をどう活用するかを考えなければならない段階に入っているのに、国内ではどうしても「海外派兵をして悪さをするんじゃないか」というほうが先にたってしまうんですね。


「安全が確保されている」なら民間機が行けばいい。全くおかしな法律です。

2015年09月17日 22時30分42秒 | 日記

『リアリティなき空論』

織田 「自分がその立場に置かれたらどんな気持ちになるか」というリアリティがないんですよね。 たとえば今回も、邦人「保護」はできるようになりましたが、「邦人輸送」の問題は解消されていません。

「安全が確保されているなら」という条件がついているから、邦人が危機に曝されても自衛隊機で助けに行けないのです。

民間航空機が行けないから自衛隊が行くのであって、「安全が確保されている」なら民間機が行けばいい。

全くおかしな法律です。 

イラン・イラク戦争の時、241名の邦人がバグダッド空港に取り残されました。

フセインが「イラク上空を飛ぶ飛行機は敵性国家と見做して撃ち落とす」と言ったため、政府専用機を含め、自衛隊機は助けに行けなかった。

民間機は労組が反対した。

他の国はあっという間に軍用機で救出したのに、日本人だけが取り残されたんです。 

その時、助けてくれたのがトルコ航空でした。

「1890年のエルトゥールル号の恩義をいまこそ返そう」と、本当に有り難い事でした。

しかし、自衛隊としては情けない。

意志も能力もあるのに、「安全が確保されているなら」などという非常識な条件があるがゆえに邦人輸送すらできない。この問題は未解決のままです。


自分がその立場に置かれたらどんな気持ちになるか」というリアリティがないんですよね。

2015年09月17日 22時26分39秒 | 日記

以下は前章で略した前文である。

黒字強調は私。

『リアリティなき空論』

織田 「自分がその立場に置かれたらどんな気持ちになるか」というリアリティがないんですよね。 たとえば今回も、邦人「保護」はできるようになりましたが、「邦人輸送」の問題は解消されていません。

「安全が確保されているなら」という条件がついているから、邦人が危機に曝されても自衛隊機で助けに行けないのです。民間航空機が行けないから自衛隊が行くのであって、「安全が確保されている」なら民間機が行けばいい。

全くおかしな法律です。 

イラン・イラク戦争の時、241名の邦人がバグダッド空港に取り残されました。

フセインが「イラク上空を飛ぶ飛行機は敵性国家と見做して撃ち落とす」と言ったため、政府専用機を含め、自衛隊機は助けに行けなかった。

民間機は労組が反対した。

他の国はあっという間に軍用機で救出したのに、日本人だけが取り残されたんです。 

その時、助けてくれたのがトルコ航空でした。

「1890年のエルトゥールル号の恩義をいまこそ返そう」と、本当に有り難い事でした。

しかし、自衛隊としては情けない。

意志も能力もあるのに、「安全が確保されているなら」などという非常識な条件があるがゆえに邦人輸送すらできない。この問題は未解決のままです。

香田 自衛官にとって、友軍がやられているのに助けられない、さらには日本人として日本人が危ない状況なのに助けられないというのは最も辛いことです。

火箱 元々自衛隊に反対だった人たちは、いまも「歯止め論」を口にします。

自衛隊はどうしても旧軍と同一視され、「権限を与えるとどこへでも行って戦争する」と思われてしまっている。

だから手足を縛る。 

積極的平和主義を掲げて、そのなかで国際平和や秩序の維持に自衛隊をどう活用するかを考えなければならない段階に入っているのに、国内ではどうしても「海外派兵をして悪さをするんじゃないか」というほうが先にたってしまうんですね。

織田 「人間の盾」作戦というのもありました。

カンボジアでのPKOの時は、選挙監視員が武装ゲリラに襲撃される危険性が高かった。

それを「自衛隊に守らせろ」というわけです。

しかし法制上、警護はできない。

そこで精強なレンジャー20数名を選び、「もし武装ゲリラが来たら、選挙監視員との間に割り込み、自分が撃たれたら正当防衛で撃ち返せ」という作戦を考えだしたそうです。 

まさに「人間の盾」。非人道的です。

彼らは遺書を書いて作戦に臨んだそうです。

後略。


この事実を初めて知った友人は、朝日の記者に対して怒りと軽蔑を表明していたのは

2015年09月17日 22時08分41秒 | 日記

以下は、友人が教えてくれた、月刊誌「WILL」の記事からである。

この事実を初めて知った友人は、朝日の記者に対して怒りと軽蔑を表明していたのは言うまでもない。

19ページに渡るもので、朝日や毎日を読み、ニュースステーションやニュース23等ばかりを観ていたのでは全く分からないことが満載されている。タイトルは、

「陸海空、自衛隊元幹部座談会」

『日本の弱さの自覚が足りない』

火箱芳文、第三十二代陸上幕僚長 

香田洋二、元海将・自衛艦隊司令官 

織田邦男、元空将・航空支援集団司令官

前文略

黒字強調は私。

香田 以前には、実任務中に海外で朝日新聞の記者を助けたあとで、背中から斬りつけられたこと(窮地を救われた記者本人が、「派遣部隊指揮官は法律違反をした」という趣旨の記事を掲載して指揮官を強く非難した事こと)もありました。規則に則って判断しながら、憲法違反にならないようにぎりぎりのところで助けたのに、まるで憲法違反のように書かれたのです。もう少し書きようがあったのではないかと思います。

火箱 メディアにはぜひ、自衛隊が行動したことで出てくるポジティブな要素もアピールしてもらいたいですね。

 後略


憲法が人々の生命、財産を守る国家の安全保障と矛盾するようでは、

2015年09月17日 21時21分59秒 | 日記

以下は前章の続きである。

平和の希求もよい。

侵略戦争の放棄もよい。

しかし、9条はそれ以上のことをいっている。

特に2項のいっさいの戦力不保持は、それ自体が国家の安全保障に関わるもので、国家の政策を予め縛ってしまうのである。 

憲法が人々の生命、財産を守る国家の安全保障と矛盾するようでは、基本的人権を保障する憲法の基本的な意義にも抵触するであろう。

憲法学者にアンケートをとるならば日米安保体制の合憲性、個別的自衛権の合憲性、そしてさらにはこの憲法下での日本の防衛のありかた、について聞きたい。

憲法を論じるのなら、憲法(根本的法秩序や司法)を機能させる国の安全保障をどうするかを同時に論じなければならないからだ。  

京都大学名誉教授 佐伯 啓思

 


アンケートに従えば半数ほどの憲法学者が自衛隊は違憲だと考えている。

2015年09月17日 21時18分55秒 | 日記

以下は前章の続きである。

平和主義と国の防衛の齟齬 

こうなると大多数の憲法学者の「常識」と世間の「常識」の間に、かなりの懸隔があるようにみえる。

アンケートに従えば半数ほどの憲法学者が自衛隊は違憲だと考えている。

つまり、自衛隊という組織を解体せよ、というわけである。しかし今日、この主張はほとんどの国民の支持を得ることはできないであろう。

また憲法改正にしても、各種の世論調査ではおおよそ50%前後が憲法改正に賛成という結果がでているのである。 

問題の根本はどこにあるのだろうか。

これは憲法9条の「平和主義」と「国の防衛」の間の齟齬へといきつく。

この稿続く。


それはともかく、このアンケートでは自衛隊の合憲性も問われている。

2015年09月17日 21時15分59秒 | 日記

以下は前章の続きである。

朝日新聞が憲法学者209人にアンケートをおこなっている。

その結果が朝日のデジタル版(7月11日)に掲載されているが、回答した122人のうち、安保関連法案が憲法違反だとする者は104人、違反にはあたらないとする者は2人だという。

圧倒的多数の憲法学者が集団的自衛権を憲法違反とみなし、安保法案に反対だという。

護憲派はこれをもって安保法案反対の重要な根拠としてきた。 

普段、政府の意思決定を多数派の横暴といい、少数派の意見を尊重することこそが民主主義だ、などといっている朝日の論調からすれば、少数派の2人こそ尊重されてしかるべきだ、という気もするが、それはともかく、このアンケートでは自衛隊の合憲性も問われている。

違憲とする者は50人、違憲にはあたらないとする者は28人である。

また憲法改正に関しては賛成が6人、反対が99人である。 

この稿続く。

 


ここには重要な問題があって、国家の安全保障というような、国の存立の根底にかかわるような問題については

2015年09月17日 21時10分51秒 | 日記

以下は前章の続きである。

憲法は無条件に優位に立たない 

通常は、これは立法府によって成立した法律をめぐる司法判断であり、違憲立法審査である。

ところが、1959年の砂川判決をみてもわかるように、最高裁は、日米安保体制そのものは高度な政治的課題である、として、その司法的判断を避けた(統治行為論)。 

ここには重要な問題があって、国家の安全保障というような、国の存立の根底にかかわるような問題については、憲法(法規範)と政治とを整然と区別することは困難であり、無条件で憲法が優位に立つ、というわけではない、ということである。

ある種の政治的課題について、憲法の立場からこれを縛ることがまた政治的行為になってしまうのである。 

この稿続く。


いや、護憲派の憲法学者たち自ら、政治的影響力を行使しようとしている。

2015年09月17日 21時03分34秒 | 日記

以下は、今日の産経新聞の「正論」に掲載された論文である。これこそ、正に「正論」である。

黒字強調は私。

『国家の存立縛る憲法学への疑問』

 京都大学名誉教授 佐伯 啓思

私は憲法学についてまったくの門外漢であるが、以前からよくわからないことがあった。

それはどうして大方の憲法学者が護憲を唱えるのか、という疑問である。

憲法学の一つの仕事は条文解釈である。

それは現行憲法を前提として、条文間の整合性や現実への適合性を保つというものであろう。 

しかしもう一つの仕事は憲法とは何かという法哲学的考察、憲法成立に関わる歴史的考察、さらには他国との比較憲法的視野から日本国憲法の意義や特殊性、問題点を炙(あぶ)りだすことである。

つまり無条件で現憲法を前提とするのではなく、その問題を提示することも憲法学の仕事ではないかと思う。 

政治的影響力を行使する護憲派 

しかも、常識的に考えれば、敗戦後の占領下にあり、間接統治とはいえ、事実上、主権を奪われた下で、連合国軍総司令部(GHQ)がきわめて短期間に作成した憲法である。

とても万全の法典と想定することはできまい。

とすれば、現憲法のもつ問題を指摘することもまた、憲法学の大事な仕事であるように私には思われる。 

さらに条文の整合的解釈をめざす解釈憲法学を中心にする憲法学の立場からしても、護憲・改憲の価値判断は直接的にでてくるものではないであろう。

憲法を前提とした条文の法理的解釈からどうして護憲というような価値判断がでてくるのであろうか。

憲法を前提とした解釈論には、憲法そのものを相対化する視点はないだろう。 

にもかかわらず、憲法学者の大半が護憲派であり、しかもそのことが政治的影響力をもっている。

いや、護憲派の憲法学者たち自ら、政治的影響力を行使しようとしている。

しかもそれこそが立憲主義だという。

現下でいえば、安倍政権下で進められてきた安保法制は憲法を超えた立法権の暴走であるから、それを憲法によって抑止しなければならない、と彼らは主張している。

つまり、憲法という根本規範によって、ある政治的決定を覆すという政治的課題を遂行しようというのである。 

この稿続く。

 


私のこの言を、全くその通りと思われた方は、日本中に、フォロー、拡散してほしい。

2015年09月17日 20時42分50秒 | 日記

私が京都大学名誉教授佐伯啓思さんを知ったのは仕事で東京と大阪を行き来していた頃だった。新幹線の車中に置いてある月刊誌ウェッジに載っていた論文を読んだのが初めてだった。私は、彼は本物だと確信した。

先日、朝日新聞に彼が寄稿した資本主義の或る面についての懸念の論文を読んだ時、私が「文明のターンテーブル」に書いた、金融国家論こそが解決であることを再認識した。

このことについて彼あてに書こうと思っていた矢先に、友人が、今日の産経新聞に掲載された以下の論文をさし示してくれた。

朝日や毎日などを購読し、ニュースステーションやニュース23などという、本当は、とてもジャーナリストとは言えない連中が、自分たちの歪んだ思想を実現するために放送している、つまりは、日本国民を誘導している、彼らの言説が正しいなどと思いこんできた人たちの全てが、読まなければならない論文である。

これこそが、本当の正論、「文明のターンテーブル」が回っている国である日本に相応しい本物の知性の論説である。

朝日や毎日を読んで育ち、大江健三郎を偉大な知性だなどと勘違いし、或は、単なる剽窃野郎を、偉大な作家だと勘違いして来た、日本国民のすべてが読むべき論文である。

私のこの言を、全くその通りと思われた方は、日本中に、フォロー、拡散してほしい。


La raison pour laquelle l'une des choses suivantes enseigné à moi,

2015年09月17日 17時22分32秒 | 日記

La raison pour laquelle l'une des choses suivantes enseignées à moi, par rapport à une telle Oe, tous renommée sociale aussi ne disposent pas, par rapport au revenu annuel d'un milliard d'unités qu'ils reçoivent, par la durée de vie du revenu annuel égal à zéro, il a continué à rechercher la vérité, il était un homme du nom de M. Nakamura.

Pas un de japonais sait, professeur d'université que cette Uemura a le droit de parler pour une raison à la Commission des droits de l'homme des Nations Unies, de continuer à faire le discours et l'action que si le Japon est la pire violation de l'état des droits de l'homme dans le monde tout comme,

Alternativement, un avocat que cette Totsuka est allé de nombreuses fois à l'Organisation des Nations Unies, est multiplié par la question des femmes de réconfort est une fabrication de l'Asahi,

Il a été dit que ce ne sont pas les femmes de réconfort, il est des esclaves sexuels, et il a continué à exercer le comportement, comme ridicule,

À propos de ces choses, parce que les médias de masse du Japon, qui était dirigée par Asahi n'a pas de nouvelles, nous vivons dans le monde réel, il ne sait pas du tout.

Cependant, comme Oe qui fait le discours et l'action qui est toujours politique, ils écrivent une chose, en d'autres mots, parce qu'ils vivent dans le monde de l'information, il aurait été naturel qu'ils le savent, et la possibilité d'avoir connu sera plus élevé.

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Il motivo per cui una delle seguenti cose insegnato a me,

2015年09月17日 17時22分02秒 | 日記

Il motivo per cui una delle seguenti cose insegnate a me, rispetto a tale Oe, tutti la fama sociale anche non hanno, rispetto al reddito annuo di un miliardo di unità che stanno ottenendo, attraverso la vita del reddito annuo pari a zero, ha continuato a perseguire la verità, era un uomo di nome signor Nakamura.

Nessuno di giapponese sa, professore universitario che tale Uemura ha il diritto di parlare per qualche motivo nella Commissione dei Diritti Umani delle Nazioni Unite, di continuare a fare il discorso e l'azione come se il Giappone è la peggiore violazione dello stato dei diritti umani nel mondo proprio come,

In alternativa, un avvocato che tale Totsuka è andata molte volte alle Nazioni Unite, viene moltiplicata per il numero delle donne di conforto è un'invenzione della Asahi,

E 'stato detto che non sono le donne di conforto, è schiavi del sesso, e ha continuato a svolgere il comportamento, come cosa ridicola,

A proposito di queste cose, perché i mass media del Giappone, che è stato condotto da Asahi non ha notizie, abbiamo vissuto nel mondo reale, che non conosce affatto.

Tuttavia, come Oe che fa il discorso e l'azione che è sempre politica, scrivono una cosa, in altre parole, perché vivono nel mondo delle informazioni, avrebbe dovuto essere naturale che sanno, e la possibilità di avere noto sarà più alto.

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La razón por la que una de las siguientes cosas enseñaron a mí,

2015年09月17日 17時21分34秒 | 日記

La razón por la que una de las siguientes cosas que se enseñan a mí, en comparación con tales Oe, toda la fama sociales también no tiene, en comparación con los ingresos anuales de mil millones de unidades que están recibiendo, a través de la vida de la renta anual igual a cero, no ha dejado de buscar la verdad, fue un hombre llamado el señor Nakamura.

Nadie de los japoneses sabe, profesor universitario que tal Uemura tiene derecho a hablar por alguna razón, en la Comisión de Derechos Humanos de las Naciones Unidas, para seguir haciendo el discurso y la acción, como si Japón es la peor violación del estado de los derechos humanos en el mundo al igual que,

Por otra parte, un abogado que tal Totsuka es, fue muchas veces a las Naciones Unidas, se multiplica por el tema mujeres de confort es una fabricación del Asahi,

Él ha estado diciendo que no son las mujeres de solaz, es esclavas sexuales, y no ha dejado de realizar la conducta, como lo ridículo,

Acerca de estas cosas, porque los medios de comunicación de Japón, que fue dirigido por Asahi no tiene noticias, hemos estado viviendo en el mundo real, no saber en absoluto.

Sin embargo, como Oe que hace el discurso y la acción, que es siempre política, escriben una cosa, es decir, debido a que viven en el mundo de la información, que debería haber sido natural que saben esto, y la posibilidad de tener conocida será mayor.

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Der Grund, warum die eine der folgenden Dinge zu mir beigebracht,

2015年09月17日 17時21分03秒 | 日記

Der Grund, warum die eine der folgenden Dinge zu mir beigebracht, im Vergleich zu solchen Oe, die alle gesellschaftlichen Ruhm auch nicht gegenüber dem Jahreseinkommen von einer Milliarde Einheiten sie bekommen, durch das Leben des Jahreseinkommens gleich Null ist, es hat sich weiter, um die Wahrheit zu verfolgen, war es ein Mann namens Mr. Nakamura.

Keiner der japanischen weiß, Universitätsprofessor, dass solche Uemura hat das Recht, aus irgendeinem Grund in der Menschenrechtskommission der Vereinten Nationen zu sprechen, um weiterhin die Reden und Handeln zu tun, als ob Japan ist die schlimmste Verletzung der Menschenrechte Staat in der Welt gerade wie,

Alternativ kann ein Anwalt, dass eine solche Totsuka ist, viele Male bei den Vereinten Nationen ging, wird durch die Trostfrauen Ausgabe multipliziert ist eine Fertigung der Asahi,

Er hat gesagt, dass es nicht die Trostfrauen, es Sexsklaven, und er hat sich weiter um das Verhalten durchzuführen, wie beispielsweise lächerliche Sache,

Über diese Dinge, weil die japanische Massenmedien, die von Asahi geführt wurde keine Nachrichten, die wir in der realen Welt lebt, weiß er nicht, überhaupt nicht.

Doch wie Oe, die das Reden und Handeln, das immer politisch ist der Fall, schreiben sie etwas, mit anderen Worten, weil sie in der Welt der Informationen zu leben, hätte es natürlich, dass sie wissen, und die Möglichkeit zu haben, bekannten höher sein wird.

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