文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

2011/8/8…今朝、脳裏に浮かんだ曲は、"Union City Blue" by Blondie だった。

2011年08月08日 11時47分04秒 | 日記

それにもまた、理由があっての事だったのである。


"Union City Blue"

Oh, oh, what are we gonna do?
Union, Union, Union City blue
Tunnel to the other side
It becomes daylight
I say he's mine

Oh power, passion plays a double hand
Union, Union Union City man
Arrive, climb up four flights
To the orange side
Rearrange my mind
In turquoise Union, Union, Union City blue
Skyline, passion, Union City blue

Power, passion plays a double hand
Union, Union, Union City man
I say he's mine
I have a plan
I say he's my Union City man

Oh, oh, what are we gonna do?
Union, Union, Union City blue


2011/8/8…愚か者について。

2011年08月08日 07時30分34秒 | 日記

愚か者とは、第一義的には、教養の無い者の事である。
しかして、この20年超のマスコミや痴呆テレビ、あるいは、所謂、ネットだけで、情報収集してきた様な、若い人たちの多くは、この範疇に入るだろう。

愚か者が為す悪とは何か

愚か者の特徴の一つを言えば、当然ながら、体系的な思考、体系的な思索と言うものが無い事…
まともに勉強をした事もなければ、1冊の本を熟読玩味(がんみ)した事もないはずだから、当然だろうが。

そこで、常に、愚かな己の、実に狭量な頭で、その場限りの、所謂、場当たりな、ツギハギとしか言いようのない、嘘を考えだす事。
あなたの周りの男や女、現首相と、その取り巻き達、皆、同じ事。
そうして、人を騙し、傷つけ、あやめるものまで、
そうして、この愚か者たちが戦争を始める。

そこに在るものは、常に狭量。
簡単な言葉で言えば愚かな「思いこみ」

私たちが、明治維新以来と言うか、正確には、その後の或る時期からと言うべきか、
いずれにしても、この一部のエスタブリッシュメントの(今なら約3万人)愚かな「思いこみ」が、巨大な、「おためごかし」、となって、常に、国を誤らせ続けて来た。
それは、日本に限らず、世界共通の、「愚かな人間の所業」。
狂信性や、偏狭なナショナリズム…
この極地が、一党独裁に依るファシズムと言うものだろう。


2011/8/8…事の次第について。

2011年08月08日 07時24分05秒 | 日記

人が事の次第を知るのには、時間がかかる。
それは、どんな次第でも同じ事。
辺見庸が、共同通信記者だった頃に、北京で釈放されたというか、開放されたと言うか、「伊藤律」との合同記者会見に、立ち合った時もそうだろう。
或いは、私は、今、生活環境がガラリと変わっているのだが、今回は、事の次第について、完全に理解するのに、5日掛った。
何故か?
生活環境の変化を理解するのには、肉体の理解も必要だからである。
新入社員が事の次第を理解するには、何日掛るだろう。
男と女の場合は、付き合ってから数年して、或いは、結婚して数年してから、事の次第に、気が付いて、別れたり、離婚したり。

昨夜、FC2に於いて、極めて悪意のある男が、数日前に「下品」の極みのコメントを寄こしして居た事に気が付いたが、世の中には、性悪説というしかない様な「下品」=悪が、2割は居る、と言う事の次第に気がつくのにも、時間が掛る。

大変な時間が掛って気がつく事が、この世の、私たち人間の常態なのだろう。
その事を、今、正に、まざまざと、この日々に、証明してくれているのが、現政権、その代表の菅や、その取り巻きたち、及び、朝日新聞の論説委員の中の重鎮等と呼ばれている或る者達なのだろう。
つまり、人間は、そう賢くない動物なのだ、と言う事に、心して、生きなければならない。

この愚かさが、世の中を主導しようとするのが、実は、人間の歴史の大半だったのだ。

フクシマに至った有り様と、今のマスコミの有り様、という、事の次第には、何ら変わりが無いことに、気づくべし。


辺見庸について。

2011年08月08日 07時20分49秒 | 日記
芥川が彼を知ったのは、このブログを書き出し、先般、朝日ジャーナル復刻版特集号を弊社専務から譲り受けた時だった。彼が、宮城県出身である事=芥川の同郷人であることは、その時に知った。石巻出身、石巻高校~早稲田~共同通信社~芥川賞受賞という経歴は、今週号の週刊朝日で初めて知った。

芥川賞については、かすかに新聞で目にした様なしない様な気もしないでもないのだが。

いずれにしても、芥川は、彼が同郷人であることを、ただそれだけで、誇りに思う。故郷に対する意識と言うものは、そういうものだろう。そこに何も問題が無かった人にとっては、「帰りなん、いざ」、それが常に故郷というものだと芥川は思う。

芥川の、今日の、この言は、実は、なかなかに深いのですぞ(笑)

何故ならば、芥川は、故郷論と同時に、故郷喪失論を、一瞬にして書いているのだから。



閑話休題



辺見庸は、今や、一切、制御しない、或いは容赦しない。
その理由は、彼の事を知り、彼の今を知るものなら、言うまでもない事だろう。

芥川は、今は、まだ制御している、容赦している。