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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

今週号のニューズ・ウィークは、いつもにまして凄いと思った。

2010年12月03日 23時55分25秒 | 日記

今週号のニューズ・ウィークは、いつもにまして凄いと思った。JBLの創業者である91歳の彼が「アメリカの宝」だからだとして、誰一人解雇せず、発行を継続させてくれた事に対して、全ての記者のジャーナリスト魂が、更に輝きだしたのだろう。

 

この雑誌の凄い所は…この点は、我らが週刊朝日も遠く及ばない…何一つ、無用な、ゆるい、プチブル的な記事=文章がないのである。ありとあらゆる記事に宝石が潜んでいる…最後の、世界各国の読者の意見に至るまで。

 

おまけに、エンドにある今週のインタビュー記事は、ウッディ・アレンなのだ。

 

こんな雑誌は世界でも稀だろう…ありとあらゆる思索とアイデアの宝庫。

 

後は、あなたが読むか読まないかだけ…その差はとても大きい。

 

何故か?…これこそ知性というものだからだ。


番組は1時間半だった。

2010年12月03日 08時45分37秒 | 日記

2001年、ヒロシマをテーマにした曲を発表…(これがまた凄い。テナーサックスの響きの深さ、美しさ。)

ミュージッシャンだから、ジャズ語で記録した…こういうことは二度と起こしてほしくない…依頼されて、最初に写真集を見せられて、大変なショックを受けて…これは断ろうと思った。

一枚、若い女性が上を向いていた写真があった…とてもきれいな表情の写真だった…これなら書けると思った…ひとはどんな時でも希望をもてるんだって気付かされたから。

両手が委縮する病気に罹って、ビッグ・バンドを解散して…逆に、ピアノを弾こうと…手術して…リハビリが大変なんですよ…最初にピアノを弾いた時、涙が出た。

建物を造る時は、土台がしっかりしていないと…ジャズのジャイアンツが、生きていた時代だったから…一緒に演奏した。それがわたしの財産になっている。

日頃の訓練は、猛烈にやらなきゃいけない…まだまだ未熟で、もっともっと勉強しなきゃいけない…テクニック的には20代には追い付いていない、でも、音楽的には、良くなってると思う…音は良くなってると思う…(芥川、同感。凄いよ。凄い音だよ。)

演奏するってのは、自分が考えた事を演奏する…だから、それを…

We can’t win but we can try…それが人生だと思う。

これから何か起きるだろうなって思う…自分が見つけるものが…みんなが共有しているものであってほしいなって思ってる。

Be kind yourself……せっかく、これだけのものを持ってるのに、これだけでやめちゃったらいけない…アメリカ人は、そういう言い方をする。

最後に「Hope」を、演奏した…。(これは凄かった…その響きが、始まりの一音から。凄い、本当に凄くて、深くて、素晴らしかった。)

100年後へのメッセージ。

宗教でいがみあっているけど、100年後には、なくなっていると願う…

お互いに尊敬し合って…相手の方も尊敬して上げる…もっと良い地球になると…地球があればですけど。

(みなさまがたも、仕事の後だから、重たいかな、などと思わずに、或いは、その感じには、必ず打ち勝って、観るべきものはみるべきだと…芥川は痛感した午後8時でした。)

(その差は、本当に大きい…人生と一緒だと僕は思う。この時間に、下らぬ痴呆番組を観ていたあなた、と、僕では、地球一周分違ったよ。僕の実況中継で、半周は追いつけると思うけど(笑)。)






続き。

2010年12月03日 08時44分47秒 | 日記

それから寝ないで、稼ぐ。
それで自費コンサートを開く。
 

 ジャズにおいて日本人であること。
 

フロントに立っている人間には必ず成功が在る。
 

 ルー・タバキンと再婚して。
 

ジャズを止めようと思ったが。
 

 自分は何者なのか。…唐木順三「無用者の哲学」を読んで…。

 黒人暴動とかの社会問題の中で。アジア人であることが滑稽に見られた。

 自分に存在価値が無いと感じた時…真剣に自分の存在意義を考えた。

多分、日本に居たら、こういう気持ちにならなかったと思う。

 

アップ、アップしてて…自分はジャズミュージシャンとして、どこに居るんだろうか。

彼女の、有名なビッグ・バンドでの、デビュー作「孤軍」が流れた。(始まりの音を聴いた瞬間に驚いた。…凄い)

…小野寺少尉の姿に心揺さぶられて、この曲を捧げた。と彼女は言う。

 

ものすごく心が痛んで…我々、ちっちゃい人間は、上の命令で…
それで彼の姿を見て、凄く心が痛んだ…。

鼓…音が横に流れる。ジャズは縦。それを合わせる…だいぶ時間がかかったんだけど。

自分が持ってる物は…自然に出てくるもんだなって…。

日本では叩かれるだろうな、って思った…日本のジャズファンは違うと言うだろうなと思っていたら、「うぉっ」という驚きをもって受け入れられた。

デューク・エリントンが亡くなった時…彼は、自分が黒人である事を、大事に、誇りに思っていた…あたしも自分の伝統を掘り下げるべきだって思った。

あたしは誰よりも経験を持っていたが…日本を表現する事で、ジャズに恩返しができるんじゃないかと思った。

(秋吉敏子の音の凄いこと。芥川は驚いた。勿論、名前や功績は殆ど知っていたけど、恥ずかしながら、ちゃんと聴いたのは初めてだったから尚更。)


NHKハイビジョンで、8時から始まった「秋吉敏子特集」

2010年12月03日 08時28分28秒 | 日記

(今しがた、NHKハイビジョンで、8時から始まった「秋吉敏子特集」が終わった…彼女は、なんと81歳…80歳をとうに過ぎてから「科学者としての宮沢賢治」を書いた斎藤文一さんと一緒だなぁ…なんという凄い人たちだろう…本物のたいじんが、またひとり増えた。)


NYから、NHKの招請に応じてかけつけて来てくれた。


 

(仕事が終わった後だから、少し気が重かったのだが…芥川は、I-tunesの中に、ジャズの達人たちの名演奏も結構入れているのだが…どちらかと言えば、ジャズは殆ど聴かないから…この少しばかりの気の重さに打ち勝って…最初から観て良かった。)


 (番組の最初に、彼女が、コンサートで必ず弾くと言う曲を演奏したからだ…。)


1953年、日本最初のライブハウスらしいテネシーカフェで、来日公演中だった、オスカー・ピーターソンに見出される。…彼の後押しで、「TOSHIKO‘S PIANO」を出す。それで単身渡米。ボストンのバークリー音楽院に入学。


合間に、ルイ・アームストロング、ディジー・ガレスピー、デューク・エリントン等と演奏。


結婚して離婚。子供を育てるために職業安定所に行く…何も出来ない、タイピングも、何も…姉が引き取る。と…お母さんも生きていたから…


「お金ってのは、一番大事なことは解決できないけど、解決できることは一杯あるんですよね」…もちろん、その頃はお金の余裕はなかった…アパートの家賃を払うのが精一杯で。

 

…それで実家に子供を預けた…あれは間違いだったですね。

(気取らせぬ様に彼女はしていた…何気なくのどに手をあてた時、僕は、彼女が、心の中で慟哭していたのが分った…そんなことには気が付かない感じのカメラが、暫くして彼女の表情を、とらえたとき、やっぱり。…本当に奇麗に澄んだ瞳が…全く曇りのない目が…少し曇っていた。)