『9.11 生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』読了。ジム・ドワイヤー&ケヴィン・フリン著。三川基好訳。文藝春秋。
帯にはこう書かれている。
1機目が激突してからツインタワーが崩壊するまでの102分。
126人の死者を含む、ビル内にいた352人の証言でいま初めて明かされる、
大災害真っただ中の超高層ビル内で起きた
混乱と助け合い、悲劇と幸運、そして生と死の分かれ道
以前広告か書評でこの本のことを知ったときに、読んでみたいと思いながらもなんとなく二の足を踏んでしまっていた。この、今世紀最初の大災害については当時から多くのことが語られ、あまりにも深い痕跡を様々な場所に残し続け、数年が過ぎたいまも余韻のようなものはおそらくそこここに残っているのだろうと思う。それに中途半端な気持ちで触れてしまうことさえ悪いことのように思えていたところは確かにあったのだ。でもまえがきにも書かれているように、「歴史から生きる指針を得ようとするなら、何にもひるむことなく事実を直視しなければならないと。」ということもまた必要なのだとは思う。
読んでみてよかったと思う。あの大災害の渦中に、ふたつのビルの中で、いったいどのような出来事が発生していたのか、どのような状況だったのかを、かなり鮮明に知ることができた。たった102分。一機目が北タワーに突入してから、それだけの時間しか残されていなかった。南タワーに続き、102分後には北タワーも崩壊した。そして、二つのビルに残っていた多くの人たちには、ビルが崩壊するという可能性については伝達されていなかった。
本書は、米国でも2005年に出版されている。事件から3年以上が経過しての出版には様々な理由があり、その大きな要因のひとつは数多くの人の証言を丹念に追っていったからだ。一人の視点ではとても捉え切れないその大災害を、様々な立場の、様々な人たちの証言を借りて立体的に再構築しているのだ。読み進めていくと、膨大な数のインタビューをこなし、緻密な資料の付けあわせを行ったのだということがよくわかる。
ある程度の時間が経過し、けれどもまだ傷口が乾ききっていない時期に、あのときいったい何が起こっていたのかということを再構築することにはおそらく意味があるのだと思う。当事者たちにとっても、当事者でない人たちにとっても。
もちろん、膨大な数と言ってもインタビューは352人だ。当時ふたつのビルには1万5千人近い人たちがいた。つまり、抽出する352人が異なれば、別の角度からの生死を分けた102分が描かれることだろう。けれども、本書はそのうちの紛れもないひとつではある。そして、そこに書かれた内容は様々なことについて考えさせられる。
読んでいて、強く感じたことのひとつは、大災害時における情報の大切さだ。たとえば、南タワーのA階段は飛行機の突入後上層階に取り残された人々が脱出することのできる唯一のルートだったが(実際、その階段からわずかな人数が助かっている)、そのことは上層階にいる多くの人たちには知らされていなかった。地上にいる消防たちもその情報を掴んでおらず(地上は地上で混乱していたのだ)、まだ火も回っていない階にいて119番に電話をした人たちにもその情報は伝えられなかった。もし地上の様々なセクションの連携が取られその情報を掴んでさえいれば、119番などをしてきた人たちに助言することができ、さらに多くの人が助かったかもしれないのだ。
同様に、南タワーが崩壊し、北タワーが崩壊するまでの間にも少しの猶予があった。その際に北タワーからの撤去命令が出ているが、警察と消防の無線の周波数が違う、最新型の無線が使用されておらず増幅器が必要にもかかわらずその設備が稼動していないなどの理由で、多くの人たちがタワーからの撤去行動に移ることができなかった。状況を知らされず階段の途中で休んでいる人たちも多くいた。
どちらもある部分では人為的な災害に巻き込まれてしまったということができるだろう。
災害時における混乱状態というのは、頭が切れ、普段は冷静な人たちをも混乱させる。そして状況は刻一刻と予想外の方向へと次々と形を変えていく。そのビルで働いている人たちの多くはいわゆるエリートたちで、知恵や行動力に関しては並々ならぬものがあったはずだ。けれども、必要な情報がなく、分断された極限状況の中では、現実や常識が理解できる形では機能せず、翻弄され続けるしかなかったのだ。また、過去に地下が爆弾テロに遭っていたときに影響が軽微だったこともあって、中にいる人たちの多くはワールド・トレード・センターが崩壊するということを思ってもみなかったと考えられている。現に、ビルを管理する港湾公社の職員たちは、消防がくるまで持ちこたえようと、自分たちで多くの人たちを助けている。けれども上層階へと向かいながら閉じ込められた人たちを助けていった職員たちも、数十分後に自分たちの足場ごとビルが崩壊するとは思っていなかったはずなのだ。もしその可能性について認識していたら、人命を救助しながらも、下へ下へと移動していたはずだからだ。
102分の間の、多くの人たちの行動。その中には自己犠牲を厭わない英雄的な行動があり、傷を受けながらも見知らぬもの同士が助け合う状況があり、パニックに陥る者がおり、愛する家族に最後のメッセージを送る者がいる。必死に走り続ける者も、諦めて倒れこむ者も、運に恵まれた者も運に見放された者もいる。そして、現実は冷徹に最後の時を刻んでいく。
もし自分がその中にいたら。本書を読んだ人はどこかでそう考えるだろう。自分はこんなふうに行動することができるだろうか? 冷静に考えることができるだろうか? 諦めるときの心境はどのようなものなのだろう? あるいは、そんなことを考える瞬間すら与えられないとしたら?
最初電車の中で読み始めて、部屋に帰って食事をしてから最後まで読み続けてしまった。途中でやめられなかった。そんなことはひさしぶりだった。
そしていろいろと考えさせられた。あまりにも大きな規模の出来事と、その中での個人の行動。
最後にぱらぱらともう一度前書きをめくっていたときに、「歴史から生きる指針を得ようとするなら、何にもひるむことなく事実を直視しなければならない」という文章がもう一度目に飛び込んできた。確かにそうなのだろうなと思う。
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お知らせ
帯には映画化決定とも書かれているのですが、絶対に観に行きますが、重い映画になるのだろうなと思います。
風邪がはやっているようですが、お気をつけください。なかなか治らなくて困りました。
Crystal Kayは自分ではものすごくお気に入りというわけではないはずなのに、気がつくと新しいアルバムが出るたびに買っている気がします。多くの人に届くのびやかな歌のうまさがあって、そういうのはジュースをいろいろ飲んでも最後にはやっぱり水に戻ってしまうというみたいに、基本のような感じなのかもしれないなとか思っています。
クレーは観る側に想像力を働かせる余地が多いところがやっぱりいいよなあとあらためて思いました。
『ホテル・ルワンダ』はよかったですよ。実話だけに、過剰にドラマチックなストーリーになっているわけでもなく、リアルに登場人物たちの尊厳が感じられます。これが現実だと考えると、もちろんいろいろと考えさせられてしまうのですが。
風邪はええと、気力で治す予定です。まだ本格的ではないので(というか、早くDaysなんか書いていないで早く眠るべきですね)。