goo blog サービス終了のお知らせ 

コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

「是れより西、藤川宿へ 是れより東赤坂宿へ」~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-21 19:50:29 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目

「是れより西、藤川宿へ 是れより東赤坂宿へ」

▲様々な情報が記載されているのだろうが、興味なくスルー。赤坂宿へのルートはあっているようだ。

cosmophantom


名電山中駅(愛知県岡崎市舞木町山中)~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-21 19:50:28 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目

 

名電山中駅

名電山中駅(めいでんやまなかえき)は、愛知県岡崎市舞木町山中にある名古屋鉄道名古屋本線の駅。本宿駅← →藤川駅

 

 

 cosmophantom


「此れより東 本宿村」説明板~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-21 19:50:18 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目

此れより東 本宿村

 

 赤坂宿へ壱里九丁
本宿は往古より、街道とともに開けた地であり、中世以降は法蔵寺の門前を中心に町並が形成された。鎌倉街道は東海道の南、法蔵寺の裏山辺りを通り鉢地から宮路山中へと続いていた。近世に入り、東海道赤坂宿、藤川宿の中間に位置する村としての役割を果たしたといえる。享和2年(1802)の本宿村方明細書上張によれば、家数121軒、村内往還通19丁余、立場茶屋2か所(法蔵寺前、長沢村境四ツ谷)があり、旅人の休息の場として繁盛をきわめた。東海道中膝栗毛に「ここは麻のあみ袋、早縄などあきなふれば北八、みほとけの誓いとみえて法蔵寺、なみあみ袋はここの名物」とある。本宿は古くから麻縄(召縄)の産地として知られ、農家の副業として麻細工が盛んであった。また、家康公が食したといわれる当地独特の法蔵寺団子があり、その他、草鞋(わらじ)、ひさごなどが土地の名物として売られ、街道筋の評判となった。往還南に大宝元年(701)僧行基開創と伝えられる古刹法蔵寺がある。歴代の松平氏をはじめ、家康公幼少の頃のゆかりの寺として近世を通じ下馬の寺であり、往来する諸大名をはじめ、旅人の参詣があとを絶たなかったという。その他、往還筋には旗本柴田氏本宿陣屋、尾張藩七里役所、高札場、一里塚、常夜燈などが設置されていた。慶応4年(1868)柴田勝誠が新政府に提出した高取調張には、村高536石余(柴田知行所457石余、法蔵寺領79石余)と報告している。明治7年(1874)の額田郡誌には135戸、550人と記されている。この辺りは、山綱村との村境であり、往古の駅家はこの付近と言われている。南の山裾平五沢では荻野流、高島流の砲術家でもある代官冨田牧太庸秋が砲術稽古を実施した所である。また、シーボルトの「江戸参府紀行」に、この辺りの山中から法蔵寺裏山にかけて植物採集をしたと記述されている。この辺りから上衣文村を経て宮崎村に至るおよそ3里程の山家在道があり、山地との交流に欠かせない道であった。1994年9月 国道1号本宿地区東海道ルネッサンス事業委員会・郷土史本宿研究会

cosmophantom


宇都野龍硯邸跡と長屋門~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-21 19:50:15 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目

宇都野龍硯(うつのりゅうせき)邸跡と長屋門(現存)

 

 

 本宿村医家宇都野氏は古部村(元岡崎市古部町)の出といわれ、宝暦年間(1751~63)三代立碩(りつせき)が当地において開業したのが始まりといわれている。七代龍碩はシーボルト門人青木周弼(しゅうせき)に、医学を学んだ蘭方医として知られている。安政年間 当時としては画期的ともいわれる植疱瘡(うえぼうそう)(種痘)を施している。郷土史本宿研究会

cosmophantom


十王堂跡~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-21 19:50:09 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目

十王堂跡

街道に沿ったこの地に十王堂(閻魔堂)(えんまどう)があり旅行者や村人から尊信されていた。堂宇は昭和30年欣浄寺(ごんじょうじ)境内に移された。 本尊木造地蔵菩薩坐像(鎌倉期)は昭和六十二年岡崎市文化財に指定された。(非公開)  郷土史本宿研究会

 

cosmophantom


本宿陣屋跡と代官屋敷(現冨田病院)~旧東海道を歩く(11回目)

2011-07-21 19:50:07 | 旧東海道ウォーク

街道ウォーク<旧東海道<御油宿(御油駅)~池鯉鮒宿(知立駅)
2011年7月16日 11回目

本宿陣屋跡と代官屋敷  (現冨田病院)

元禄11年(1698)旗本柴田出雲守勝門(柴田勝家子孫)が知行地支配のため、本宿村に陣屋を設けた。以来明治に至るまで存続した。陣屋代官職は冨田家が世襲し、現在の居宅は文政10年(1827)の建築である。郷土史本宿研究会

 

cosmophantom