フラグメント72:従属的思考

2010-01-09 18:03:05 | フラグメント
7月14、15日のフラグメント。元々は「鳴海孝之の評価に関する断片」のコメント用の草稿。余談だが前掲の記事で触れた心理描写の話は「主人公の心理描写に対する評価」へと繋がっている。またここで書かれた内容は「虚構への埋没・感情への埋没」、「Superficial Cynicism」、「シニカルさが覆い隠す埋没」の先駆けとなっている。なお、最後のものはどの記事が該当するのか忘れた(てゆうか調べるのめんどくさいw)。「終末の過ごし方」の評価を通じて強調しておきたいのは、感覚に正直になることそのものは非常に重要であるが、そこに居直ることは重大な閉塞を生みだすということだ。理論を述べる自体を「理屈っぽい」とか「そんな小難しいことはどうでもいい」として退ける人がいるが、レビューの中で示したようにその感覚自体がある一定の枠組み(今回の場合アルマゲドン的展開)から生みだされたものにすぎないのである。ゆえに、枠組みの中で戯れているつもりがいつの間にか閉塞の中でもがく事になり、逆に枠組みについて考えることが「自由」を担保することにもなるうるわけだ(あるいはここで、麻薬中毒への過程を考えてみるのもよいだろう)。まあ非常にありきたりな話だが、念のため補足をしておきたい。


<経験>
経験依存度が高いのはその通りだと思います。実際、宗像の小覇王は自分の経験に照らし合わせて高く評価していましたし(それこそエロゲーというくくりで人に勧めてしまうくらいに)、私自身、最初にプレイした時は(すでに高く評価はしていたのですが)似たような経験をしていたら今よりずっと高い評価になっていただろう、と思っていました。また恋愛経験に止まらず、本文でも触れている生活の話もそうでしょう(一般化→しがらみ、葛藤)。にもかかわらずそれを全面に押し出さなかったのか?二つ理由があります。一つは具体性がなく印象論になってしまうこと。


<経験2>
もう一つは、先の発言と矛盾するように聞こえるかもしれませんが、経験がなくても十分理解できると考えたからです。なるほど背景だけで複雑な内面が描かれなかったり、(アニメのように)暗示されるに止まっているのなら、孝之の行動を経験者以外が理解するのはおよそ困難でしょう。製作者は理解困難自覚的故細かく描かれているのです(まあその執拗さに胸焼けしたプレイヤーもいるのでしょうが)。それゆえに、私は最初の頃のレビューで具体的な描写を取り上げて「もっとちゃんと読め」「もっと考えろ」と書いたわけです。なぜ読めない?なぜ考えられない?


<経験3>
もし通りすがりさんのように自分の評価に距離を取れているレビューを一つでも目にしていたなら、私は一連の記事の内容を大きく変えていたかもしれません。しかし残念ながら、そのようなレビューには出会ったことがない。みなただ孝之がヘタレだと不快感を垂れ流すばかり。つまり「なぜ私は不快に思うのだろう?」という視点が完全に欠落している。要するに、相手に要因があると思って疑ってないわけですよ。もちろんこれを想像力や思考力の欠如として馬鹿なプレイヤーばかりだと言うこともできますが、そんな非生産的な罵倒よりなぜそのような状態に陥るかを考えた


<支配> →「終末の過ごし方
今の内容を見て、実存的な読み方ができていないからだめだ、と言っているようにとらえた人がいると思われる。しかしそうではない。例えばレビュワーが「やっぱりアルマゲドンみたいにスペクタクルがないとつまらない」と言うのなら、よく理解できるのだ。そして逆に言えば、そのように「AだからBはダメだ」という構造を欠いた、つまりは「Bはダメだ」という底の抜けた批判しか書いていないから「支配されている」と言うのである。
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