東アジアにおける儒教的価値観と少子化:(共同)幻想とその由来の分析

2023-02-14 11:30:30 | 生活

 

 

 

 

 

 

先進国=成熟社会で少子化が進むのは一般的傾向だが、その傾向が特に顕著な地域として東アジアがあり、その原因として儒教的要素、すなわち科挙的競争社会(にかかる育児費用)男尊女卑的傾向(男性を柱とするため理想像が高めになる)の二つがあるのではないか、と述べた。

 

前者については、元々「ファスト教養」映像授業の件に絡めてあれこれ書いたりもしていたので、その流れからそのまままとめた感じだが、後者については実は冒頭のような2chの書き込みをまとめた動画がモチベーションとなっている。

 

一体どういうことやねんと思われるかもしれないが、こういった動画を見ていると、そこにはデータに基づいた発言もあれば、全くの思い込みや自分の周囲のことを過剰に一般化したようなケースもあり、こういったギャップの存在をおもしろく感じ、ほならその意識の統計調査を元に、実態との乖離を記事にしてみましょか~となって、「東アジア=儒教社会における非婚と出生率低下の理由」が出来上がったってワケだ。

 

ゆえに、高額化する中国社会の彩礼(結婚準備金)と平均年収のギャップや、日本女性の結婚相手に求める希望年収と実際の平均年収のギャップといったものをデータに紐づけながら提示する内容となった(ちなみにその「解決策」なるものはいずれ書いてみたいが、まあ仮に実行したとしても、効力を発揮するまでには半世紀くらい時間がかかるものと思われる。例えば孤独死したくないから家族を作ろうみたいに言う人もいるが、多様な価値観を認める現代において、「その程度」のことであれば、じゃあbotや電子ペットなんかを進化させればええやん、といった技術的解決を目指す方向に行くことだろう)。

 

これは(何度もこの話で恐縮だが)カール・マンハイムの知識社会学に絡めて述べた認識論と実証主義の話ともつながるし、さらに言えばそのような認識(誤認)がどのようにして生まれるのかという背景を考えてみたかったのである(マンハイムの知識社会学は、一般的真理を標榜するイデオロギーを、同時代の共同幻想や間主観性[デュルケームなどを想起したい]に基づいて由来を分析・解体するという側面を持っており、ゆえに共産主義者などから強い反発を受けたりしたのでもあった)。

 

まあよくよく考えてみると、このブログを始めたきっかけは「ひぐらしのなく頃に」という作品の推理掲示板に入り浸り、そこで展開される推理という名の様々な思考や誤認の体系に触れ刺激を受けたことであった。その意味では、毒書会で次に取り上げる『イデオロギーとユートピア』、あるいは知識社会学というテーマは、ある種の原点回帰とも言えるように思う。

 

というわけで、「東アジア地域において、儒教的価値観と近代欧米社会という二つの共同幻想の混在がどのように少子化に影響を与えているのか」という今回のテーマも、その一環であると述べつつ、この稿を終えたい。


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