動物の多様性から人間の多様性を思う

2020-04-19 11:59:04 | 感想など

 

「へんないきものチャンネル」やら『犬と猫 どっちも飼ってると毎日たのしい』に触れ始めて数か月が経つが、その中で最も勉強になったことの一つが、同じ種の中でも非常に多様性があるという事だ。

 

それは同じ犬でもシベリアンハスキーとダックスフンドでは全然違うのはもちろんだとして、動画にもあるように、同じデグーであっても「個性」というものがきちんと存在していることにある。

 

私たちは、よく知りもせず(調べもせず)「犬とは~な生き物である」とか「猫とは~な生き物である」と言いがちである。なるほど確かに、人間は好んで食べるが犬にとっては毒物となってしまうとか、逆にある種の野生動物は好んで食べるものを人間が食べたら身体を悪くしてしまう、といった生物学的・生態的な差異は存在しているから、こういった視点は必要である。

 

しかし、同じ犬であっても、好きな食べ物は違ったりするし、また人との関わり方も積極的に構ってほしがる子もいれば、なるべくそっとしておいてほしいような子もいる。要するにそのような個別性は人間と似ているのであって、犬=X、猫=Yといった決めつけは単に理解を遠ざけるだけと言えるだろう。

 

さて、このような動物の多様性は、人間についても同じことを考えさせる。私たちは、何かと次のように言いがちである。すなわち、「A型は~な人間」、「・・・人はー」などなど。(誤解を恐れずに言えば)動物ですらこれほど多様性があるのに、触れる情報や食材がよりいっそう多様で生活環境も大きく異なる人間が、どうしてそのようにカテゴライズできると思うのだろうか。

 

環境の違いへの理解や、多くに見られる行動がどういう文化的・政治的背景を持っているかといった傾向性のフィルターは有効に機能することもあるが、それを全体に適応して何かをわかった気になっているのは、ありがちな誤りだと言えるのではないだろうか。

 

そういった戒めをも、動物の多様性は私たちに教えてくれるのではないかと私には思えるのである。


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