人が共感しあえない生き物であるというのは悲しむべきことなのだろうか?いや、そんなことはない。むしろ共感できると思い込むから絶望が生じ、誤解は強まるのだ。だから、(自己に対してさえも)距離を置いて理解に努める姿勢は、むしろ明るく積極的なものと言えるのではないだろうか。
「ヤマアラシのジレンマ」という言葉がある。確かに、人間にも個人差こそあれ自我境界のようなものが存在し、不用意に相手に近づけば摩擦を引き起こすことがあるのは確かだ。しかし我々はヤマアラシと違って触れ合うことができるし、ものを鑑賞することを知っている(=創作物の様々な恩恵を受けることができる)。私はそれで十分ではないかと思う。
「ヤマアラシのジレンマ」という言葉がある。確かに、人間にも個人差こそあれ自我境界のようなものが存在し、不用意に相手に近づけば摩擦を引き起こすことがあるのは確かだ。しかし我々はヤマアラシと違って触れ合うことができるし、ものを鑑賞することを知っている(=創作物の様々な恩恵を受けることができる)。私はそれで十分ではないかと思う。
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