声とガワがあれば兎鞠まりになれるのか?:Vtuberのキャラクター性について

2021-01-14 11:59:59 | Vtuber関連

前回の記事では、Vtuberのキャラクター分析とその限界、そして動画よりも配信が増えている状況を踏まえ、Vtuberの属人性に対するニーズについて述べた。

 

この話を踏まえ、何度か言及している兎鞠まりについて、「ボイチェンとガワがあれば、誰でも容易に兎鞠まりになれるのか?」ということを少し考えてみたい。

 

先ごろ引退したピンキーポップヘップバーン(PPH)との対談を見てみよう。

 

 

ここでは二人の「女子力対決」という企画で話が進んでいくが、その中に部屋着の話が出てくる。兎鞠がスプラトゥーンのTシャツを着ているというのは特筆すべき点でもないと思うが、そこでPPHの振った「ジェラートピケ」に対して普通に反応し、あまつさえ「足掛け毛布の手触りが好きだから家で使っている」というのには驚きを禁じ得ない。

 

ここで仮にワイであったらジェラートピケへの反応は以下のようなものだったであろう。

ワイLV1 「ハァ?」 (何言ってっかわかんないねw) →対談の返しとしては下策

ワイLV2 「お菓子の名前?」 (ピケさんが作ったのかな?) →トボケて教えてもらう

ワイLV3 「ジェラールじゃなくて??」 (サッカー選手ならわかる) →ボケつつ自分の得意フィールドに巻き込む

ワイLV4 「ジェラールよりスナイデル(掛詞)の方が好き」 (サッカー選手でつなげてみました) →ハイレベルパターン

あたりがせいぜいで、あんな返しは間違ってもできないわけである。

 

まあワイに女子力は微レ存すらしてませんな(・∀・)って話だが、少なくとも兎鞠の反応が(男性として)一般的と言いがたいことは、PPHやコメント欄のそれからしても、断定してよいのではないだろうか。このことからすれば、声を変えてガワを被ったとしても、「兎鞠まり」にはならないし、なれないと言えるだろう(以前の記事では、兎鞠まりの人間性に着目して同様のことを述べたことがある)。その点、VtuberはVRという意味で交換可能でありながら、同時に中身の交換不可能性があるという厄介でおもしろい存在とも表現できる。

 

以上を踏まえ、「兎鞠は一日にしてならず」という古い格言の顰に倣って教訓を引き出しつつ、この稿を終えたい。


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