大本営発表から学ぶ

2016-09-19 13:45:39 | 歴史系

 

「大本営発表」と言えば欺瞞の代名詞のようなものだが、しかし重要なのは、それが成立した背景を知ることであろう。というのも、動画のコメントにもあるように、類似の隠蔽や水増しはまさしく今の政府とマスコミの関係性あるいは東芝三菱などを思い起こすまでもなく、「今でも起こっている」ことだからだ。

 

ではその理由は何だろうか?ここでつい日本特殊論を語りたくなるが、反証はいくらでもある。たとえば、ナチスドイツや中国のような「わかりやすい」ものに限らず、アメリカ政府がCIAの報告に反してイラクに大量破壊兵器が存在する証拠はあると言い募り、その証拠がないと発表した学者の妻がCIA工作員であることを暴露したことなどを思い起こすといい(つまり遠い昔の話でもないし、独裁国家に特異のことでもない)。

 

そこからは「権力は腐敗する」という一般的なテーゼが導き出されるわけだが、ではそれを抑止するシステムが今の日本にあるだろうか?クロスオーナーシップ、記者クラブ制度、放送法etc...むしろマスメディアは自己の権益のために政府にすり寄り、政府の意を汲んで委縮してすらいる現状だ(ちなみに言うと、現在のテレビ局の広大な敷地は戦中に政府から与えられたものもあり、つまりは政府からの一方的な抑圧・弾圧をイメージする当時でさえ、政府とマスコミの間には確かな共犯関係が存在していたのだ)。このようなシステムが温存されている限り、過去の大本営発表とそれが生まれた状況を全く笑えないことだけは確かだろう(まあ「永続敗戦論」的な視点で言えば、そもそも公職追放された人間がしばらく経ったらのうのうと政治家になり、戦争をあれだけ賛美していた朝日新聞がのうのうと生き延び、今は別の意味でズレた言説を繰り返していることを思えば、反省と体質変化など口が裂けても言えない状況なわけだが。戦争賛美のファシズムも、平和賛美のファシズムも、思考停止という点で根っこは同じなのになぜそれが理解できないのかね?)。

 

繰り返すが、大本営発表的なるものは、どこにでも、どのようなレイヤーでも起こりうる(卑近な例で言えば、つい上司に希望的観測に基づく数字を騙ったことがない人などいるのだろうか?少なくとも私は一度ならずある)。ゆえに、それを防遏するシステムの構築が必要不可欠である(有り体に言うとチェックアンドバランスね)。そのような見地に立たなければ、大戦に突入したこと以上に、大戦に負けた理由を「何がダメだったのか?」ではなく「自分たちは悪だった」と思考停止してしまった先人たちを、私たちは決して批判することはできないだろう。

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