indifference to enlightment:年始お蔵出し其の伍

2018-01-02 12:19:40 | フラグメント

 

 

年が明けたのでテーマをガラっと変えるか継続性のあるもので行くかちょっと考えたが、別に年号が変わったからといって何が違うわけでもないので、ここは「明治以降も続いたキリスト教忌避」で触れたユニバーサリズムと似たような話をしようと思う。

 

今回掲載した動画で言われているのは、端的に言えばリベラル的言説・価値観の(必然的)限界についてである。話を聞く限りにおいて全くその通りと思う次第であって、俺が特に付け足すこともない。よってここでは、先のユニバーサリズムの件と絡めて書いてみたい。

 

俺の基本的なスタンスは「縁なき衆生は度し難し」である。なるほど確かに、それらしい都合のいい言葉を紡いで相手を丸め込む(望む方向にコントロールしたり動員したりする)ことはできる。しかし、相手に「わからせる」というのは不可能だと思うわけである。その理由を考えてみると、人に知識や思考様式をインストールされてパラダイムシフトを経験した、ということがないからだろう。三国志に関する親の感想から来た勧善懲悪というものへの疑いも、小学5年生の時の欺瞞の告発も(まあこれを何らかの発見みたく書くのもアレな話ですがね)、中学2年生の「極限状況では日常的判断など通用しない」という認識も、高校生の時に感じた「私を縛る私という名の檻」も、自ら思考していった先に出てきた結論である(「宗教と思索」なども同様)。ゆえに、自分で気づかないで一体どうやるって「わかる」っていうんだ?という認識が俺の根源にはあるように思われる。

 

だから俺は情報の提示や事象の説明はするが、「説得」というものに興味がない。情報を紹介はするが、そこに向かって進むかは勝手にシタマエ!ということだわな。別に相手をコントロールしてまでやってほしいことも別にないしねー。コントロールする面倒臭さより、コントロールしないで(あるいはその存在に関わらないで)事を成す方法がないかを俺は模索するね(てな意味において、俺はまあ「サイコパス」にはなりえんのだろう)。ただ、情報すら与えようとせずに「自己責任」とかいうのは意味がわからん、とは思うけども(少なくとも社会的・公共的な発言として言おうとしているのなら、必要な情報は提供して破滅する人間の数を減らし、社会全体の没落や治安の悪化を防ぐのは一応合理的な発想だと思うのだが)。

 

そんなワシにも謎なのが、たとえばリベラル的言説を用いようとする人たちが、反対する相手を説得する気があるようにあんまし見えんことだ。なんか助けないとダメだとか自動機械みちゃーに言ってればみんなついてくるとか思っとっとかね?オメデテーナw一つの方法として、自分のやっていることがいかに公共的かを数字などで説明し、反対する連中の腰をバキバキに折ってやるだけでなく、その主張に公共性がないことを示して社会の害悪であることを認識してもらう方向に持っていけばいいんでないの?そうしてそういう主張そのものが困難なようにしてやりゃあいいんだよ。まあもっとも、ポストトゥルース持ってこられてすぐにそれすら相対化・不可視化・ハシゴ外しをされるっつーのがこの動画で言ってることなんだけどもね。

 

ちなみにそうなってる理由が、この動画で言及されるセルフホメオスタシスの話だ。要は「自分の精神的安定のためになるものは摂取して、ならないものは毛嫌いする」という反応である。「日本人スゴイ」番組が最もわかりやすいが、あんなキモいものが受けるってーのは、要するに自信がないから自己承認を麻薬のように求めていることを示している。もちろん、人はそもそもそのように反応する生き物であって、要は程度問題にすぎない(だからわざわざ「良薬口に苦し」のような諺があるわけでね)。しかし問題は、急速な勢いで進むグローバル化や技術進歩の度合いはその耐用レベルを超えているため、複雑な背景やメリット・デメリットについての合理計算より前に、生理的嫌悪感や拒絶が先に立ってしまうということにある。しかもそのような反応が、ネット・SNSの普及であっという間に可視化される、と。そして情報が溢れかえっている状態では「色々見て判断する」ではなく、ますます「見たいものしか見ない」と。まあこう考えてみると手詰まり状態になってきているのがよくわかるし、それが民主主義の限界(といって語弊があるなら、非合理的判断の集合愚による政策決定はなるほど「民主的」ではあるが、それは肯定すべきものか)を示しているというのもその通りだろう。

 

あと動画に絡めて言うならば、仮にそう考えるとしても、どこまでの領域を視野に入れることが「公共的」なのかという問題もある。これは前にも書いたことだけど、真に平等というものを志向するなら、「地球全体の人間の生活・所得を同じにすればいい」といったことも提言自体はしうる。この主張がいわんとしていることは、「equalityを真に希求するなら、自分の社会の中での格差是正よりも、むしろ今飢餓に瀕している社会も含めた富の移動を行い地球全体の生活を平等にすべきだ」という主張をしないのか?という点に他ならない。しかし、かような主張をしたところで受け入れる人はおそらく皆無であろう。これがつまり、ロールズの正義論が提起する交換可能性は、所詮は狭い社会の中でしか適用できないものにすぎない、というサンデルの批判とつながるわけである。

 

え?じゃあ説得しねーお前はどーすればいいと思ってんのかって?ずーっと言ってるじゃありませんかお客さん。だから、人工知能の話をしてるわけですよ(つまり新反動主義者の考えと同じように、近代的な人間の訓練・陶冶というものはもはや不可能なので、人工知能に移譲するってことだ)。え、それじゃあ人類は衰退し滅びるんじゃないかって?俺は別に人類の存続に何らの必然性もないと思っているので、別にそのことに痛みも危機感も感じませんなあ(付言しておくと、自分が生きたいと思うことと、生きる必然性があるということは全くの別物である。大切な人に生きていてほしいと思うことと、その人に生きる必然性があるということも全く別の話である。それが同じであるはずだと言うのなら、たとえばユダヤ人をこの世界の害悪だとみなす人はユダヤ人を弾圧してよいということになり、明日出かけるから晴れてほしいと思えば晴れるはずである、という話になる。こうした喩え話をすれば容易にわかるように、願望を公理ないしは世界の摂理と認識してしまうことほど深刻な間違いはない)。宇宙の鼻くそみてーな存在がたかだか数十年後だか数百年後に消えたとして、それが一体何だというのかね?妙に人間を特権化する考えが当たり前になってるから、それが重大事だと思ってしまうわけでね。レヴィ=ストロースの次の言葉を引用して肩をすくめるだけのことだわ。「世界は人類なしで始まった。そして人類なしで終わるであろう」と。

 

え?遠い将来はともかく明日消えるならどうするか、って?そんな思考実験にどんな意味があるのか知らんが、そりゃ結構なことじゃないか。消えてしまうといい。全て無へと回帰したまえよ。一部の人間が消えて一部の人間は消えないという不平等ならば納得いかないが、全ての人類が消失するのに一体どうして記憶がどうとかやり残したことがどうとか慌てる必要があるのかね?思い出も後悔も憐憫も嫉妬も愛情も、全てが電源を落とすように明日プッツリ切れる、それなのに一体どうして「その先のこと」なんざ心配してんのか意味がわからんね。なーんて、これはもちろんチンパンジーの件を聞いた上でわざと書いてんだが。

 

あ、ただ一個だけすっげーどでかい問題があって、今の少子化や国際的な地位低下だけでもこれだけ人が不安になってんのに、これがさらに進んで(まあ進むだろうけど)しかも人工知能で職が奪われるようになったら、ちょっとマジでやばい社会現象が起こるかもしれんとは思う。そのダメージは最小化できるようにあらかじめ手当てをしとかんとね。なんかちょっと我慢しとけば(いわゆるスローガンみちゃーに「清貧」とか言って)何とかなるって思ってるアホは、財政破綻した夕張市とか見ればいいよ。このまま高齢化進んでいくのに数十キロ行かないと救急病院ないとかなったらマジでどーするんですかね?バブル期的な成長を夢想するのはもちろんアホだが、一方で「滅びに向かっていくしかないんだよ」みたいな発想は有害無益である。たとえば経済成長しないという前提で考えろとか言う時に、「戦後に成長してきた時と同じようにはいかない、ダウンサイジングの発想が必要だ」というのはその通りだと思うけど、そもそも他の先進国は経済成長してるのに日本は経済成長しないというのはおかしいし(つまり単に「成熟社会」という言葉で今の日本の状態を説明も正当化もできない)、それで一体超高齢化社会をどうマネージメントしていこうというのかねえ?また就職氷河期で正社員になれなかった40代の人たちをどうしていくのかねえ?あと作られてから長い年数が経ったインフラの劣化問題は?何とかしてハードランディングではなくソフトランディングしなければならないと思えばこそ、今述べた問題に対応するための施策が必要だし、また生産性向上にも国全体を挙げて取り組むといったことにもなると思うんだけど。

 

・・・というようなことを考えてる私としては、自分の身に降りかかる火の粉を払うための方策を考えたいとは思うものの、日に日に人が分断されていくのはまあそらそうなるよなあという感じで冷めた目で見ている次第である。

 

というのを書いた上で、いくつか思ったこと。

・宮台は人を買いかぶりすぎだなー。書き込みや発言をリテラルに取ってるアホはかなり多いと思うぜ。個人的な体感としては、むしろそういうのを読めない/読もうとしない人間は増えてる気がするけどね。

・あー、自己啓発セミナーは俺も今の会社で行かされたからよくわかるわー。まあ洗脳の仕組みがわかるとある意味おもしろいんだけどねwある種なんかVRのゲームでもやってる感じでwこれそういうゲームとわかってんのに一応精神や身体はちゃんと反応するのがおもしろいというかね。もちろん、これはかなり嫌味を込めて言っとります。なんせ新人研修で人死にが出たりしとる会社もあるわけだから。

「ブレードランナー2049」はそこまでクソ映画とは思わんかったけどなー。というのは主人公の孤独が度々強調されて他者との繋がりを求めていることが推測されるわけで、「人間でなかったこと」を嘆いているというよりは他者との繋がりに関する部分が主人公の苦悩や喜びに繋がっているんじゃないかと思うがね(まあ「高度に発達した人工知能はパートナーなどというものは必要としないのであって、そのこと自体が過度に人間に寄せて考え過ぎている」といったような批判をするのならわかるけど)。もちろん、人間より身体能力などは優れているはずのレプリカントが人間との優劣などというものに拘ったり、生殖というものに拘ったりするものかは?という疑問なら理解出来る。ただその場合、たとえば「解放のために反乱を起こすなど意味はない、だってどうせ人間はいずれ滅びていくのだからと合理計算をして何もしない」といったある種怜悧な・ある種超越的な反応になって、宮台が動画の中で言っていた「人間に任せていては人間性が十全に発揮できないから人工知能にむしろ頼る」みたいな発想とは食い違いが生じると思うんだけどどうなんかね?

 

 

 

 

[以下原文]

投げやりである理由を真面目に説明する、というのもおかしな話だが。

 

最近投げやりなのではなく、元々投げやりである。理由は、啓蒙というものに対して極めて懐疑的だからだ。言い換えると、説得というものに興味がない。気付くのは他人によってではなく自分。どれだけ説明をしようが、究極的には意味がない。わからないのか、残念だな。で終わり。

 

人は自分が愚かな判断をしてしまうものだ、ということが全くわからないらしい。洗脳や極限状況、病気。自分や身の回りの事例も含めてみればわかるはずなのに、本質的に理解していない。ちゃんと生きていれば破滅なんてするはずがない、バカな選択なんてするはずがないと思っている。そう、わからないのか、残念だな。人工知能で(近代的価値観に沿って言えば)こぼれ落ちる人間が加速度的に増えていく中でこのナイーブさがどう変容するのか、あるいは人がそこにしがみつくのか見物だな。よほどおめでたい人間でもなければわかっているはずだ。ブレグジット、トランプ(ただしトランプが選ばれた際の得票率をつぶさに見ると、=マジョリティがトランプ肯定のような言説は早計というものだろう)、ドゥテルテ。ある種プーチンもそう(共産圏は自殺率が高い。アノミーの影響か)。これでルペン、カタルーニャ、スコットランドetcどこまでいけば気づくのか。ヒトラーの時代からあったと言う人もいるが、あれは一点集中だからナチス政権を問題にするという方法をとることができた(まあ選んだのはドイツ国民だとしても)。しかし今や、自由に情報が見れる状態で人は を選び始めている。加速するグローバル化の中で不安が増大。ステュグリッツ。フロムの言説の正しさを裏付ける。

 

リバタリアニズム。南師の教え。嘲笑の淵源。大学時代の。帰ってきたソクラテス。その思考が、大学時代は無関心。今は「やさしく」見えるかもしれない。ある意味だから4000を越える記事をかけたのかもしれないが。このブログを始めた頃に色濃く。その後リベラルな言説と見えるものをよく書いた。根本は変わっていない。だから多様性の議論でも人権より損得勘定の話をする。俺は無理だと思ってるからね。でも、損得勘定でも無理だと思うよ。今の状況を見てればわかる通り。ここで人工知能が台頭してきているのがおもしろい。人間理性への不信、あるいはそれに伴う民主主義、もっと言えば人間が作り出したシステムへの不信の中、十年後には73億人分の知能を越える処理能力のスパコンが登場。まさにイミテーションゲームで書いた状況が到来。。あえて言うなら、ここにきてようやく失楽園的な構図に到る。正しいけど従いたくない神の一派と、正しくないけど心引かれる堕天使の一派。まあこれはナイーブな二項対立なんでもうちょい真面目にいうと、26世紀青年か  かってことだな。

 

それが人工知能の発達やブレグジット、トランプ当選という状況を受けて再び前面化してきただけのこと。

 

いいじゃねえか首を絞めあって死ねよ。それもまた人間だ。ただ、そこに巻き込まれるのはごめんだね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明治以降も続いたキリスト教... | トップ | エロス・タナトス・デンジャ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

フラグメント」カテゴリの最新記事