贋物の狂気

2005-12-14 19:20:18 | 感想など
CROSS†CHANNELをやって狂気に触れていると、昔の自分を思い出すことがある。高校生だった時、全校生徒に短歌を書かせ、優秀な作品を選び出すという催しがあった。今でもはっきりと覚えているが、私は「狂人」というペンネームで三つの句を書いたのだが、その一つは「むかついて 殺してしまった 人間を 誰を殺すか いつもとまどう」というもので、他も似たような内容だった。

内容の良し悪しなど論じる価値もないので置いておくが、こういう内容をわざわざ書いたところに、「普通」という基準への嫌悪と自分を「狂人」として周りを引かせようという歪んだ自己顕示欲が存在していたことは確かだ。つまりそれは、怨恨と過剰な自意識に裏打ちされた、自分が周りと違うことをアピールしたいだけの「贋物の狂気」だった。しかも救いがたいことに、当時の自分は、それこそがまさに狂気であり、それを表現する自分は狂人に他ならないと思い込んでいた。若気の至りとはいえ、それを恥じる気持ちは正直かなり強い[もちろんそれを乗り越えた上で今の自分があるわけだが]。

だから私は、露悪的な作品に対してはかなり評価が辛口になる。例えば狂気をただ見せるだけで引かせるような段階は、私にとってとうの昔に通り抜けてきたものだからだ。だからこそ、「狂人」とは全てが狂っている者のみを指すのではないということに、人よりはいくぶん敏感になることができるのだろう。類型化された、言い換えれば「風景」としての狂気などに大した重みはない。それならば、精神科で研修した友人から聞いた「他は全く正常だが、『完璧』という言葉に対して異常に怒り、暴れまわる人間」という話の方がどれほど狂気というものの本質(=理解からの隔絶)に迫っていることだろう。そしてまた、そういった狂気の本質を、プレイヤーを置き去りにしないカタチで表現することに成功したCROOS†CHANNELに対し賞賛の気持ちを禁じえないのである。
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