日本人と「宗教的帰属意識」3:「慣習」の人工的創生及びその強制

2005-10-11 20:29:35 | 宗教分析
ではいったい何が、「日本人の無宗教」という状況を作り出したのか。

これまでの事例からすれば、「宗教的要素」や「宗教的行為」が「慣習」として受け止められているということこそ、現代日本人の宗教的帰属意識に甚大なる影響を及ぼし、その特殊性を為していると結論することができるだろう。故に、そういった観念がいかなる歴史的経緯で生まれてきたのかを解明することが、日本人が「なぜ」無宗教かという疑問の解決に結びつくと言えるだろう(あらかじめ注意を喚起しておきたいが、現時点での知見から原因が一つでないことはほぼ間違いない。それについては別の機会に述べたいと思っている)。
 
では、「慣習」という受け止め方に最も強い影響を与えたのは何だったのだろうか?阿満利麿の『日本人はなぜ無宗教なのか』(及び、同『国家主義を超える』)によれば、「宗教ではなく慣習」といった認識は、全く歴史的・政治的に作り出された概念であった。詳しく言えば、明治政府が、天皇を現人神と位置づけると同時に、近代国家の体裁を整えるための「神道非宗教説」を唱えたことによって、意図的に生み出されたものであった[ただし、仏教儀礼も慣習と受け止められている原因の考察はほとんどなされていない]。
 
ここで、「神道非宗教説」が出現することになった理由について、私見を述べてみたい。明治政府における「天皇=現人神」の観念と、その天皇を元勲として定めた憲法上の規定が存在するため、他国が日本を「(政教分離のできていない)神権国家」として認識する恐れがあった。「神権国家」ともなれば、日本が、旧態依然とした体制を採る近代国家の枠組みから外れた国であると見られ、条約改正などといった宿願の達成が難しくなるばかりか、外交上の不利益となることも予想される[これに関連することとして、岩倉使節団がアメリカに行った時、キリスト教の禁圧を理由に不平等な関係を正当化されるなどということがあった。そしてその反応を見た伊藤博文は、中間報告で日本へ帰っている間に大隈重信へ宛てた手紙にキリスト教の禁圧をやめるべしという趣旨のことを書いている。かように、他国が日本に持つイメージに、明治政府はすこぶる気を使わなければならなかった]。ゆえに明治政府は、「現人神=天皇」を頂点に据えつつ、同時に近代国家の枠組みを保つという二律背反をクリアーしなければならなかった。そこで考え出されたのが、「神道非宗教説」なのであった。それによれば、天皇の神性は、神道を超えたところにおいて定められ(「絶対不可侵」)、天皇が行う諸々の儀式は「慣習」となる

この理論によって、「神権国家」という網の目を(体裁的には)潜り抜けつつ、それと同時に「国家の福祉に反しない程度の信教の自由」(大日本帝国憲法)を認め、神道儀礼を一般民衆に強制するという行為を「宗教儀礼ではなく『慣習』だから問題ない」として理論的に正当化することが可能になったのであった[しかも、その儀礼の方法は伝統的なものではなく、政府主導により新しく創生・規定・統一されたものが数多く含まれていた]。これについて井上順孝氏の記述を引用するなら、

祭政一致であるが、政教分離とする。つまり、神社神道は国家の宗祀と位置づけられ、「祭祀」であるから、宗教とは別であるとされた。そうした上で、政治と宗教(神社神道を含まない)の分離が原則となり、政教分離が実現されているという理論である。(『近代天皇制と宗教的権威』6p)

こうして神道儀礼を強制することに成功した国家神道は、「天皇の不可侵性」と相まって、政治権力の側から伝統宗教・新興宗教を規制・弾圧することを正当化するのに一役買ったのであった(これと関連して、結果的に規制・弾圧と深く関係することとなった治安維持法なども注目される)。(続く)
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