学歴と生涯未婚率の相関:あるいはアンマッチの手当てをどのようにするか

2023-03-01 17:16:16 | 生活
最近は非婚や少子化の問題を継続的に取り上げているので、ここでは荒川和久「大卒女性の生涯未婚率は高いが、それ以上に深刻な高卒男性の『結婚できない問題』」に触れておきたいと思う。
 
 
端的に言うと、以下のような数値が示されている。
①女性は大卒になると(高卒以下や短大高専と比較して)生涯未婚率が高くなる傾向にある
 (1990年では4→6→9%。2010年では9→10→13%、2020年では16%→16%→19%と学歴が上がるごとに上昇)
 
②男性は高卒以下になると生(短大高専や大卒と比較して)涯未婚率が急激に高くなる
 (1990年では6→4→3%。2010年では23→17→14%。2020年では30→25→20%と学歴が上がるごとに下落)
 
③この傾向は1990年と比較して女性はそこまで極端化していないが、男性は高卒以下の生涯未婚率が急激に上がっている
 (女性大卒の上昇は10ポイント、男性高卒以下の上昇は約25ポイント)
 
 
女性だけにフォーカスすると、そこから「女性の社会進出=非婚や晩婚と少子化」という結論が強調され、そこに反発が生まれるという不毛な現象が起きそうだが、ここに高卒以下の男性の急激な生涯未婚率上昇を追加情報として入れれば、もう少し話が立体的になるのではないだろうか。
 
 
まず、学歴の上昇は収入の上昇と相関する。つまり、収入の低い男性は結婚が以前に比べて急速に難しくなっており、逆に収入の高い女性については結婚しなくなる人が増える、と言い換えて概ね問題ないだろう(ここでは女性管理職の未婚率が男性管理職と比べて高くなるというデータも想起したい。なお、学歴そのものがパートナー選択でどれほどのプライオリティーを持っていたのかは男女共同参画局の調査などを元に吟味する必要がある)。
 
 
このような読み替えの上で、少子化現象が特に東アジアで急速に進んでいる要因として挙げた上昇婚志向=男尊女卑的傾向の残存とコインの裏表にある結婚における意識(その一端が「デート代は男性が奢るべき」という発想)を思い起こせば、「収入の低い男性はそもそも婚活の土俵に上がるのが難しい人が割合的に多くなり、またそもそもある程度収入のある大卒女性はさらに上の収入の人間を求めるため、結果として成婚が難しくなるケースが増える」という状況が想定されるだろう。
 
 
前回述べたように、欧米の一部で見られる収入が低い者たち同士が生活のために結婚するという現象が、「30・40代でも親と同居することで低い収入をカバーする」という志向性がまま見られる日本においては起こらないため、特に男性の収入低下は(知人の紹介などであればともかく)スペック優先の婚活市場において選ばれるカテゴリーからごっそり除外されることとほぼ同義となる(念のために言っておくが、「女性は収入が低ければ低いほど良い」とか、まして「無収入でOK」という話ではないので悪しからず。このことは、そもそも専業主婦になれるのは夫の一馬力で家計が支えられる一部の限られた場合であることを想起すれば十分だろう)。なお、今の日本では見合いが激減し、職場での関係性構築も以前より難しくなった状況なので、マッチングアプリや結婚相談所などを用いた婚活の占める位置が大きくなっている。それは即ち、スペックから入るというアプローチの割合が増えるということであり、収入の低下や停滞がより結婚相手として選ばれるのを難しくする土壌が揃っているとみることができそうである。
 
 
以上、経済的停滞下におけるリスクヘッジのための合理的選択(親との同居やパートナーに要求する年収)の結果として、社会における成婚の難易度が高まっていると見ることができるのではないだろうか。
 
 
そしてさらに言えば、このようなデータを元に「じゃあやはり学歴は重要だ」ということになり、(それがある種の合理性を持つがゆえに)ますます社会における科挙的競争が過熱していき、それゆえやはりパートナーには収入が必要で上昇婚志向が止まらず、経済実態はそれに追いつかず・・・という悪循環が続くということも想定されるだろう。
 
 
え、その状況に対してどんな解決策が提示できるのかって?
まあ決してそうはならんやろなあという前提で一応書くなら、10・20年単位の短期的なものとしては「高学歴女性は外国人男性とのマッチング推進」で、「低学歴男性はAIやメタバースを活用したオルタナティブで承認の枯渇を埋め合わせする」という感じだろうか。
 
 
何を言っているんだと思われるかもしれないが、日本人女性が求めるレベルの年収に達している日本人男性が枯渇していれば「経済成長している国で年収の高い外国人男性までパイを広げる」のは当然の選択である(それも嫌だと言うなら、貯蓄して孤独な老後に備えてくだされ)。
 
 
また日本人男性の件については、単純に短期的な解決策が皆無だからだ。まず、女性のように大人になっても友人のグループを作り続ける能力が相対的に乏しく、かつ「男性=柱」的発想の呪縛により稼げない男性の肩身は女性以上に狭くなるので(=精神的に居場所がない)、二重三重に追い込まれることになる。
 
 
一応「リカレント教育」や「副業収入(マルチインカム)の充実促進」とかそれっぽい提案は色々あるけれども、それが個人単位ではなく社会レベルで実行されて影響を与えるまでに一体どれだけの時間を要するかって話だし(大体どっちも日本では普及が遅れている)、そもそもそれにコミットする時間や費用を割けるリソースが当該男性の側にあるのかという極めて大きな問題がある(ワーキングプアのような状態ではなかったとしても、モチベーションを醸成することがそもそも難しいのでは?)。それなら、無責任にもあるべき理想像を提示し、それとのギャップで尊厳を毀損させ続け、極端な話「自裁か拡大自殺か」という選択肢しか残せないのであれば、こういったオルタナティブを用意するくらいしか今のところ選択肢がない、という話である(前に触れた「インセル」的ルサンチマンをどのように防遏するのかという話にリンクする。まあこういうのは「ソイレントグリーン」のような古典においても安楽死シーンで描かれたりするように、割と昔からある話ではあるが)。
 
 
いやいやもっと「人間的な」解決策を考えろと言われれば、例えば「ボランティアなども通じた社会的包摂」(労働と収入以外による承認の調達と社会への埋め込み)といったものを提示はできるが、この施策は「それに取り組めるだけの生活の余裕」が確保されていることがまず必要である(ただ、下手すりゃ「そういう行為に取り組む余裕があのに貧しいだなんてウソだ」なんてしょうもないバッシングを始める人間すら出てきそうじゃあないかね?)。
 
 
さらに言えば、以前取り上げた「『寒くないの?』の声かけだけで不審者扱い」という記事にもあるように、そもそも自分のコミュニティの外にいる他者とのコミュニケーションに慣れていない人間たちが、共同体が崩壊し自己責任論と忍耐=美徳的気風が跳梁跋扈する社会に身を置いたらどうなるか考えてみるといい(これは「『共感』という病」に関する記事で触れた「共感」の恣意性・傾斜の事ともリンクする)。
 
 
助けようとも思えないし、助けを求めることもできない。そうこうしているうちに、問題は悪化してジエンドってわけだが、さてそんな社会で先に述べたような社会的包摂の仕組みがどれだけ現実的でありえるか・・・もちろん局所的には可能である。しかし、それは決して大勢になることはないだろう。というか、自己責任論で放置した結果、その影響を被るのは自分たちなんだがねえ。仮に「無敵の人」が増殖したら、それこそ「自己責任」で武装でもするつもりなのかい(・∀・)?社会的レベルで問題を考えたいのならば、「情けは人のためならず」という言葉をもう一度思い起こしていただきたいものだ(まあ社会保険や年金制度を充実させることで社会主義運動に大きな打撃を与えたビスマルクの詰めの垢でも煎じて飲んだらええのとちゃうかw)。
 
 
以上から端的に言えば、先の社会的包摂の話は「意識高い系の人がいかにも思いつきそうな、現実をよく見ていない解決策」の典型に感じられるんだよねえ(最初から部分最適化を目指しているのなら話は別)。いやまあ何か良いコト言った風にするのが大事なら別にそれでええけど、そんな歯の浮くような綺麗事並べたところでどうにもならんて話ですぜ。
 
 
とまあこういう具合に現在の社会風潮も考慮に入れて施策を考えると、結論として「低学歴(の未婚)男性はAIやメタバースを活用したオルタナティブで承認の枯渇を埋め合わせする」になるんですわ。早い話、様々な要素を考慮すればするほど、全体としては社会がどれだけ詰んでいるかがよくわかるってことですな(その中で、多くの政治家は国民に向けて何かをやってるフリはすると)。
 
 
というわけで今回は以上。

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