goo blog サービス終了のお知らせ 

スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【大への返信】

2010-05-26 10:41:38 | 【チベット・満州・中国の旅】
この回も、ちょっとぶっ飛ばして、今の想いです。

「怒り」

ここにきて、腹の立つことがいくつかありました。

「あなたは滞在が他の2人より長いので、1日パーミッション料金で200元必要です。」
→そんなことはない!

「あなたは、今回駅までバスかタクシーで帰らなくては行けません」
→お金も払ってます!

英語が聞き取れない&わかってもらえない!
→自分の語学力の問題もあるけれど・・・

桜の話が日延べ日延べで最終日までどうなるかわからない!
→お願いしているのでなんともいえないけれど・・・

とにかく、怒りの感情が自分を支配しているのです。

なぜだ!

でも自分はここを、どう乗り越えればいいのか?
生まれた感情は正しい。
ではどうしたいのか?

わめくか?ごねるか?あきらめるか?

全て、いやなのです。

10:30から、フォレスト・カンパニーの方と話し合いです。

どういう気持ちで望めばいいのか。

どうしようもないので、ツアーガイドのTenzinと別れて、一人でジョカン寺へ。

お祈りに行きました。

たくさんの巡礼者の中で祈りました。
基本的には神様にお願いしてはいけないところなんですが、お願いしました。
 
「この怒りをお鎮めください。」

怒りは怒りを生み、憎しみは憎しみを呼ぶ。

そんな気持ちで、平和もクソモない。
自分の中のPEACEがもっと大事なのです。

ここを愛と感謝で乗り越えたい。

うまくいくいかないではく、自分の中に、愛と感謝で満たしたい。
難しい。

でもそれが自分へのチャレンジ。

大からの返事は凄く力になった。

もう一度、自分に返って、今からを大切にしたいと思います。

怒りにも感謝を。

【ポタラ宮】

2010-05-25 07:12:27 | 【チベット・満州・中国の旅】
今回の旅の目的が桜とはいへ、どうしても行きたかったところにポタラ宮がありました。
ダライ・ラマが、そこで生活し、祈り、政治を執り行っていたところです。

思い出すのが映画「セブンイアーズ・イン・チベット」。

ジャック・アノ-監督で、主演がブラッド・ピット。それこそ15年前くらいの映画です。
当時は明かされていませんでしたが、お忍びでカメラクルーをラサに送り、部分部分を現地で撮影していました。

どうりでリアルな訳です。というかリアルでした。

そして目の前のリアル。

そこかしこがあの映画と繋がってきます。ダライ・ラマが勉強していた部屋、祈っていた部屋、お客様が来たとき対応していた部屋、政治を執り行っていた部屋、会議をしていた部屋。そして歴代のダライ・ラマが祀られています。

でも・・・今そこに、いるべき人がいない。祈るべき人がいない。

ポタラ宮には、中国の赤い国旗が大きく翻っています。そしてそれはこう語ってるように見えます。これは私たちのものだと。

これは中日両国に対して、大変不謹慎な失礼千万な比喩ですが、例えば、皇居に赤い旗が翻り、陛下達がタイに亡命している様を想像してみます。

これは寂しいというのは言うまでもなく、耐え難き様相です。

それがチベットなのです。

中国に行く前に、旅の出発をご報告に伊勢神宮に行ってきました。
そこで、陛下は毎朝毎夕、日本の国のために、世界の平和のためにお祈りされていると聞きました。この祈りは歴代の陛下が、ずっと何百年も絶え間なく、途切れることなくつづけられています。

私は右翼でも熱心な愛国者でもありませんが、愛すべきものを愛し、祈る方に尊敬の念は禁じえません。ましてや、祖国、日本です。

それは素直な自然な感情です。

いろんなことはあるのでしょうが、それをもってしても、心から国を祈り、想う方の存在を心から誇りに思います。

ポタラ宮にダライ・ラマ14世はいません。
でもそれについて、当のダライ・ラマ14世は悲観していません。そこに自分はいなくていい、チベットが中国の中にあってもいいといわれます。

大局的にみて、中国からの独立はありえない。自治区として、チベットのアイデンティティーを守り、仏法のよきところを、中国に活かしていきたいと考えているのです。

ただ、急進的な変化を望んでいる訳でもありません。軍事的な力をもってどうこうするのでもありません。

ダライ・ラマはわかっています。

時間がかかると。

それでも主なき城ポタラ宮は、美しい。

世界文化遺産です。
美しきものは残ります。

中国の方もチベットに対して、守ってきているものが確実にあります。
未来に照らして、ベストなあり方、あるべき姿になってくる日が来る。

ダライ・ラマ14世は今もインドのダラムサーラで祈っています。
その日が来るのを。そしてその日が来てからもずっと。

それを1cmでも前に進めたい。祈りとともに。時間はかかっていいから。

桜にも祈りを込めて。

(写真はポタラ宮です。チベットの空と調和してるでしょ。)

【旅のカップル】

2010-05-25 06:56:35 | 【チベット・満州・中国の旅】
成都で部屋のドアノブに「一緒にラサに行きましょう」と誘ってくれたカップルがいました。彼らが今日からラサに入ります。とりたてて行くところもないので、駅まで迎えにいきました。
成都からラサまで44時間の電車の旅です。1時間遅れで、ラサに到着しました。

二人は数ヶ月前から旅をしていて、3日の滞在の後、敦煌から西安に抜けます。もう夕方近くになっていたので、今日はホテルまで行くぐらいです。身体に負担をかけると、高山病がこわい。

バナクショーホテルに泊まります。1泊20元、300円。
とにかく節約して、長く旅をしたいとのことでした。

旅をしているとカップルやら二人組みに合うことが多い。
それは旅をしているとわかるのだけど、一つはとても経済的になるということがあります。ホテルの部屋、ツアーの参加金額、そして食事。二人で丁度いいぐらいなのです。

もう一つはなんといっても感動の共有です。不便なこと、大変なことも知恵を絞って乗り越える。美しいものを見ては、気持ちをシェアする。そして潤滑なコミュニケーション。

一人旅は気ままで自由、結構嫌いじゃない。でもやっぱり、ちょっと相談したいことが結構あるんです。
バスの番号だったり、ホテルを決める時だったり、PCのことだったり・・・

きっとそういうの二人で決めてる。
それはうらやましい。
実務や感動の両側面で、補い合い、膨らまし合いできるのって素晴らしい、旅の質が変わってくる。

何で旅してるのかということが大事なんでしょうけどね。

成都で出会って、ラサのホテルで再会したオランダ人のカップルも素敵でした。

もう2年近く旅してるのだそうです。
ブログもやっていて、写真がハズバンド、文がワイフの役割分担。この後インドネシアに行ってから帰るとのことでした。自分より年上の彼らに聞いてみました。

「帰ってから何をするの?」

「まだ具体的には考えていないけど、今回の旅で、自分が日常生活の喧騒から確実に離れていることは間違いない。心穏やかで、自分が自分でいる感覚やポジティブにものを見ることが自然にできる。以前旅をしていたとき、国に帰るとあっという間に、日常の喧騒に舞い戻ってしまったけど、今度は今旅しているときのように、自分たちの思うままに生活したい。」
そう言っていました。

そしてクリスマスなどの行事が義務感で行われたり、不満や、噂話で時間が過ぎていていく日々を選択しないようにしたいとも言ってました。
二人とも。
モンゴルで乳搾りだとか、羊飼いみたいな生活もしたと言ってました。

それが何の役に立つのだろう?

それで生活になるのだろうか?

きっと日常にかえれば、そういう問いは、自分たちからではなく、回りから来る。好きなことやってるわね。大丈夫なのかしらね。よりシビアに見られることもある。

でも。
カップルで世界を旅してる2人は素敵だ。
喧嘩や揉め事もあるかもしれないが、それをひっくるめて互いを必要とし合い、喜びを分かち合っている。
お互いがいることで、自分がより自分らしくなっていく。旅って向き、不向きがあるし、別に旅が全てでもないんだけど。自分との対話、パートナーとの対話を通して日々気づきがあるのです。
この21世紀。飛行機が飛ぶ。国境を超えて外国に行ける平和がある。それなのに何も見ないで死んでいくのはもったいないと思うのです。
これが50年前、100年前ならまだしも、その気になればどこの国にも行ける。そして、なんと言っても、時代も含めて、今やりたいとことを今行きたいところにいき、今営むべきことをする。
健全で自然で当然の欲求だと思います。

旅をしていても、衣食住があるのです。洗濯もすれば、掃除もするのです。お金の計算もする。
それは濃密な日常生活の延長なのです。

以前カウンセリングの先生が、「1週間旅すれば、それは1年間の日常生活に匹敵するんだよ。」と言っていました。
世界を旅する二人は、どれだけ色濃く、ダイナミックで素敵な日常を送っていることでしょう。
全てのカップルがそうとは思いませんが、今回旅先であったカップル達は、ホントに素敵でした。

えっっ?自分はどうよって?
やっぱりバランスが大事でしょう!なーんて当たり障りのないこといっちゃいますが、多分行くでしょうね、どこかへ。

その時にパートナーをしっかり守れるようになるのが、この旅のもう一つの学びなのかもしれません。
なのでたくさんぶつかって、たくさん困って、たくさん迷えばいいんでしょうね。

ともあれ、愛を磨く最大の道場として、海外の貧乏旅行、1年間をご提案します!
でも、日常生活も人生そのものが旅なんでしょうけどね。
今旅してるので、旅目線の恋人たちでした。

そしてこの日本人カップル、貫太君、晴ちゃんとラサの観光。聖地、ポタラ宮に行きます。

【審判の天気】

2010-05-24 09:16:38 | 【チベット・満州・中国の旅】
5月24日(月)AM9:15。

話は飛んで、今の気持ちを。

今日、なんらかの形で「桜」の植樹先の如何が動きます。

ラサに来て4日目、後2,5日。

今朝の天候は曇り。

東京は雨。

人事を尽くして天命を待つ。

果たして人事を自分は尽くしたか。

そう思うと、まだ自信はないのです。

でも可能性と時間がある限り、あきらめない。

結構、しつこいのです(^^ヾ

ではいってきまーす。

観光三昧の今日、明日です。

※注 
この回は、もうたまらなくなって今の気持ちを吐露したものです。
時系列的に言うと4日目。ちょっと狂ってんですがご容赦を・・

(写真はバルコルの夕暮れです。時間は20:00まだ明るいでしょ☆)

【希望の振り子】

2010-05-23 18:51:44 | 【チベット・満州・中国の旅】
16:00からの打ち合わせ予定から1時間経過。
もう明日か・・とあきらめかけたころ、ロビーに下りていくと、
マネジャーの方がちょうど帰ってきました。

そして侘びを入れて、桜の話は聞いているとのこと。

明日は日曜日なので、government(お役所)がやっていない。
月曜日に役所に行って聞いてみるよ。
もし役所がNOといったら、チベット人の知り合いを紹介するからと言ってくれました。

お役所までの大袈裟な話にするつもりはなかったけれど、
とにかく最終的に場所と受け入れ先がきまればいいので、とにかくお任せすることにしました。

ようやくほっとしました。

前に進んでいる感じ。

自分でどうすることもできないことはお願いするしかありません。
ここにかけます。

そして翌日。

とりたてて行きたい所がないというのもあるのだけど、
もう一つの宿題。

それは桜のチベット語の翻訳。
歌えなくても、音は拾いたい。

ツアーガイドのTenzinに頼むことにしました。
快く引き受けてくれました。

チベット語の発音、難しい。
前回のブログで、言葉の話にふれましたが、
聞き取れない音は発音できません。
つまりは日本語にない発音が複数あるのです。

Tenzinがどれだけいい人かは我慢強さでわかりました。
中国語のときもそうでしたが、この翻訳と音起こしの作業は時間がかかるのです。
やってみるとわかります。

2時間近く集中してやりました。
おかげで、ノートとビデオに収めることができました。

これで、3言語合唱のたたきがそろったというわけです。
音楽の力は偉大です。

桜の曲を聴いたTenzinは、この曲をすごく気に入っており、
森山直太朗さんは国境をこえたグローバルなアーティストだなと思いました。

本当に歌えたら素敵だ。
きっと歌える日が来る。

きっと。必ず。

(写真はTENZINとツアーに参加したメンバーと、ポタラ宮の麓の洞窟食堂で)

【焦らない】

2010-05-23 18:00:57 | 【チベット・満州・中国の旅】
※注 この回、すごく長いので、読み飛ばしても大丈夫です。ちょっとカタい内容なんで。2,700字です(行間込みで)。はい。ごめんなさい。次からは短くいきます。

ラサに着いて2日目の朝。
10:00にツアーガイドのTenzinとロビーで待ち合わせ。
朝イチで桜の打ち合わせを予定してました。

ぎりぎりまで寝て、体力が大事ということで、朝から奮発して、ホテルの朝食バイキングへ。量は少なめにして、果物、ヨーグルト、卵焼き、トマトそしてお粥を食べました。その金額30元(450円)!これはかなり贅沢なんだけど、外に出ることなく、自分で好きなものを適量ずつ取れるのは本当にありがたかったのです。

高山病対策で、夜はシャワーを浴びず、朝浴びます。スッキリ☆
水もかなり大量に飲みます。

時間に少し遅れたところで、合流しました。

打ち合わせ、16:00に変更。ん・・なかなかですな~。

そして観光となるわけですが、これといってあそこに!っていうのがないのです。
しょうがない、目的が違うんだから・・・といってもガイドさんは仕事で自分をどこかに案内しなくっちゃあならない。

まずはラサで一番歴史があるジョカンテンプル(大昭寺)に行きます。その回りがバルコルといって、お寺を中心にしてぐるりと円を描いて通りになっています。散策です。そこには、みやげものや、レストラン、日用品、衣類などが大量に販売されています。屋台のものもあれば、建物になっているものまぁ~いろいろです。カラフルでごちゃごちゃしてて面白い。

そこからチベット博物館へ。

こちらはなんと珍しく入場料無料!(なんでだろう・・・?)

チベットの歴史、紀元前3000年からの展示がありました。猿人から原人までの生活、ここから始まりました。一般には7世紀のソンッツェン・ガンポがチベットの統一王朝、吐蕃を作ったところから歴史が始まります。この博物館の時の広がりは大きくびっくりしました。仏像もたくさん展示、地方の人たちの暮らし、民族衣装、チベットの自然などもろもろ、3階建てで4ブロックに分かれて充実の内容でした。

でも・・・

なんかやっぱり、しっくりこないのです。

それは、1959年チベット解放という歴史認識。中国が1959年にチベットを自国の領土として主張し侵攻。ダライ・ラマ14世はインドに亡命します。その年が1959年。

中国の中にある、チベットなのです。

15年前と今年で明らかに違うことがありました。それはダライ・ラマ14世の写真、肖像が一切見られないことです。15年前は、バルコルの市場にも、ポタラ宮にも、ジョカン、ナモチェにもあったのです。それがない。

チベットの歴史にダライ・ラマがいないなんて、それは歴史ではない。
でもそれが現状で事実。

他方で、中国政府も民族の融和をうたっています。町はかなり発展を遂げていました。お寺も修復がなされ、文化大革命時代に破壊した仏閣の補修なども積極的にフォローをしているようでした。

何かっていうと、中国もがんばってるということです。お金をかけています。
でも、やっぱりしっくりこないのです。

博物館が無料なのも、歴史認識を中国領有視点にシフトさせるという、意図を感じます。警備は厳重でした。途中で停電になったのも中国らしかったですけどね。

なんかいい方法はないものかと、改めて考えてしまいます。
まったくもって、余計なお世話なんですけどね。

不自然と違和感。どこかおなかに一物抱えて、博物館を出ます。

そうこうしている内に、頭痛が少しづつ薄れてきました。
でも別な悩みが頭をもたげます。

それは、英語です!

ガイドさんの英語がわかんないのです。

旅のさなかで思うのは、やっぱり言葉、言語って大事ということ。
だってわかりあえないんですよ。

“Pardon?”(ごめん!もう1回言って?)“ Pardon?”(ごめん!その意味って?)のラリーですは。はい。

やっぱり、お互いを分かり合う心って大事。これが1番だと思うんだけど、実際的な話、分かり合えている状況を作るには、言語は不可欠だなぁ~と思うのです。

また書きますが、チベット語もすんごく、手ごわいんですわ☆

ところで、去年の暮れ、上野でチベット展があって、あれはチベットではないとの抗議があったようです。

でも、自分思うのは、ここの博物館も違和感と不自然なんだけど、それが中国の歴史観だということ知るうえでは、やっぱりよかったなと思ったのです。

上野のチベット展だって、日本政府も中国政府もチベットの担当者のかたも、一生懸命、難関、難事を調整してきたはずなんです。

お金がどうこうの話もあったかもしれませんが、それをも飲み込んでこぎつけた努力は、やった人にしかわからないでしょう。

別に全てが正しいなんては思わないけれど、それは、見るものが主体性と問題意識を持ってみれば、感じるもの。

今できる精一杯がリアルな現状で事実、それを踏まえて、次⇒。なんだと思うんですよね。

すぐに解決!すぐに答えを!とアピールする状況が今、アピールするやり方が正しい、のかもしれませんが、本当に必要なことはなんなんでしょう?

やっぱりどうしていきたいかってことなんじゃないかなと思うんです。
どうなっていきたいのかってことなんじゃないかなと思うんです。

それが見えた時に、じゃ、なぜそれできないんだっけ?最初にそうなったきっかけって、なんだったんだっけ?ってなって、その原因やことの端緒をお互いの立場から共有した時にはじめて、わかりあえるんじゃないかと思うのです。

「あ~そういうことだったんだね。」って。

で、その時に、言葉、言語って大事だと思うんですよね。

でも言葉を学んだり、歴史を学ぶのっ

【高山病】

2010-05-22 17:08:16 | 【チベット・満州・中国の旅】
あ、頭、痛い。
おなか、気持ち悪い。
階段がいつものように昇れない。

はい。見事に高山病ですね。

飛行機が到着してすぐ、頭が重くなりました。

空港では、ツアーガイドのTenzin(テンジン)が迎えに来てくれていて、正直凄く助かりました。

ツアーであることに、コストの負担、不自由さに不満を持っていたのだけど、このコンディションと「桜」の目的を果たすためには、一番よい形だったかもしれません。

まず、歓迎のカタを首にかけてくれました。
そしてラサまでの50分のドライブです。

15年ぶり。

頭は痛かったんだけど、まずは結論から入っていきました。

shige:「Tenzin、桜のこと聞いてる?」

Tenzin:「えっ、何のことかしら?」

頭痛の2発目はかなり効きました(泣)

でもこんなことは日常ちゃめしごと!頭痛い、空気が欲しい、でもまずはここを避けては通れんのです。

今回の旅の目的から話始めます。
そもそもツアーガイドの彼女、見ればわかるのですが、本当にいい方。
この人ならと思って、想いを話したわけです。

そしたら、協力するとの言葉とマネージャーに取り次ぐ約束を快くしてくれました。

それがラサまでの道のりであったこと。

伝えるべきこと伝え安心したのか、一瞬、眠りに落ちました。そして目覚めるとそこにはあのポタラ宮が!

帰ってきましたチベット☆
歓迎のご挨拶は、高山病でした。
ただ、これからの7日間をこの地で乗り越えるには、自分は浄化する必要があるのだと思いました。

なーんて書いてますが、これがしんどい。
階段の一段一段が重い。気持ち悪い。頭痛い。

ホンマに浄化かいな?

ただ、高山病って、低酸素症の総称。つまりは、酸素不足ってこと。要は、酸素をたくさん取り入れよ!ということ。

なので、とにかく呼吸を意識しました。
薬なんてないので、ここで活躍するのが、Dr.ヒューレンのホ・オポノポノ。

呼吸とともに、「ありがとうございます」を唱えます。
だってできることなんてそれくらいしかないわけです。はい。

よく考えてみれば、お薬が酸素。この部屋の空気がお薬。酸素のありがたみを、しみじみ感じました。

目に見えないものへの感謝が否応なく湧き上がります。
人は呼吸をしている。酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出してる。
この当たり前の奇跡。
本当にすごい。

早く寝る。22:00には寝る。朝がちゃんと来るようにとつぶやきながら、眠りに着きました。

「桜」はどうなんでしょうね。。
高山病って治るのかな~?

ラサの空は突き抜けるよに青く、澄み切っているのだけど。

(写真はジョカン寺の前、元気そうでしょ。でもこの後に初めての体験。扉のないトイレにかけこみダッフンだーのしげでした。)

【世界の屋根から】

2010-05-22 16:48:52 | 【チベット・満州・中国の旅】
成都発07:50 - ラサ着09:50

朝5:15起床です。
眠い!でも6:00にフロントだから起きなくちゃっ!てことでシャワーを浴び、
6:00かっちりに、フロントに集合です。
といっても一人でした。

結構電車で行く人が多くて、飛行機に乗る人は少ないようです。
みんな旅なれてますね。

そして思い出したように母に電話をしました。
おふくろ、心配してました。
失敗したな~と思いました。
日本いる人たちが知りたいのは元気だということ。
それを知らせるのは、ある意味こっちにいる人の義務ですよね。

なので先にお伝えしたいのは、青海省のチベット自治区の地震です。
今回行くのは、震源地からかなり離れており、被災していない地域です。
青蔵鉄道も毎日動いていて、大丈夫です。ので、ご安心を。

大好きだったSim's cozy hotel とのお別れです。
昨日の夜は、BARのスタッフと四川鍋を食べに行きました。
先週の金曜日からまるまる一週間、行く前の慌しさ、北京に入ってからの緊張もここでほぐれました。これから何があってもきちんと向き合える、気力と体力は充電できました。

鍋を食べた後、ショッピングセンターに行って、桜の受け入れ先に、お土産を買いに行きました。中国の方と行くと、やっぱりことがスムーズに進みます。

そして今、飛行機、機上から再びです。
搭乗手続き、持ち物検査、搭乗口、あらゆるところで、チケット、パスポート、入境許可証の提示を求められます。
一枚の紙切れが、その入国を決めるわけです。
持ち物検査で、とめられ、今回のツアーをシェアする二人のカップルのことを聞かれました。
つまり、なぜ今日は一緒にいないのかということです。
彼らは後から、電車でラサに入るんだという説明を3回して、やっと伝わりました。ちょっとしたことなんですが緊張します。
そして、手荷物や携帯などをX線のベルトコンベアに乗せる時、靴を脱げといわれます。そんなことは初めてでした。

とにかくなぜ?という気持ちを抑えて、流れに任せます。

無事、搭乗待合口に入りました。
こちらに来てから心がけているのは、たとえどんなクレームやトラブルがあってもとにかく落ち着いて対応しようということ。そして笑顔。
金持ちけんかせず(金持ちじゃないけど・・・)、というか、目的を果たすための優先順位が明らかであれば、どこで引き、どこで駆け込むべきかがなんとなくわかるのです。
そして自分の要望が通った時はとにかく感謝ですよね。
無理な時は、それを受け入れて、プランB,Cを模索します。

ともあれ無事に飛行機に乗れました。

飛行機の高度はぐんぐんあがるけれど、チベット山岳地帯の標高も高い。
雲の上に、山の頂(いただき)が、そこかしこに見えます。
雲海に浮かぶ島のように。
天空の城ならぬ、天空の島なのです。
そして広がる山岳地帯を眼下にして、その自然の壮大さ、偉大さに畏怖の思い湧き上がります。

間違いなく、ここに放り投げられたら生きていけない。

でもそこで生き、生活を営む人たちがいます。
彼らの当たり前が、すごいことに、彼らはきづいていない。
なぜならそれが日常だから。

自分はこれからそこに入っていきます。6泊7日。
鐘はもう鳴っています。
もうすぐラサに到着です。

(写真はホテルについてからの1枚、実は頭痛もち・・・)

【ストレス/軽度・適度・過度(3)】

2010-05-20 16:04:09 | 【チベット・満州・中国の旅】
このタイトルって微妙ですよね?

ってところから入りますが、明日からチベット・ラサに入ります。
6泊7日。

いよいよ本番です☆

少し想いを書いちゃいますね。

旅先で聞かれるのです?
「なにかの団体ですか?」

「一人です。」

ちっぽけな自分に何ができる?

中国に来ていろんなこと思うんですけど、やっぱり、
中国の方たちも自分の想いに添って生きていく時代は間違いなくくると思うわけです。

55の民族、13億の人たちがそうなる。

そうなるとき、国家としての機能はどうなるのか?
共産主義がよくないわけでも、
資本主義がベストだとも思っていません。

ただ新しい国としてのあり方が今必要とされているのだと思うのです。

こちらのお坊さんと、チベットのお坊さん、同じ仏教でありながらも違うのです。

同じことがいいことだとも、
違うことが悪いことというわけでもない。

おそらくみんながどうありたいかが大事だと思うのです。
一人一人が何のために生まれてきたのかが大事で、
幸せに生きることが大切だと思うのです。

では、何のために生まれてきたのか?
では、幸せに生きるとはどういうことなのか?

それは全て自分の中にあります。
問い続け、生きればいいのだと思います。

キリスト教も、仏教も、肝心要のところを言ってない。

でも多分ジーザスもブッダも言っていたと思うのです。

自由だと。

自分の人生を自分で選び、自分で決めることができるということを。

ラサに桜を植える。

だからなんだということなんですが、ただ、自分の気持ちに正直に生きていった結果なんです。

紆余曲折、Long long winding road,遠回り遠回りし、ここまできた。

でも自分はこの上なく今の自分を好きといえる。
今の自分を愛しているといえるのです。

ぜんぜん未熟、まだまだ子供だとは思うけれど、
自分を肯定できるのです。

自己満足かもしれないけれど、今までは自分を否定し、追い込みしていた歴史です。
でもそれを否定はしていません。

多分これからの時代は、満たされる中から溢れてくるエナジーこそが、時代を作るのだと思います。

自分は今満たされていると思うのです。
まだゴールには程遠いにも関わらずです。

自分は自分の人生に今しっかりコミットし、自分が幸せを感じ生きることに責任と喜びを感じています。

何十年先かはわからないけれど、天高いラサの空の下、桜の花咲く中で、国家、民族、宗教、ジェンダー、ジェネレーションを超え、笑顔でうまいもの食べて、酒飲んで、歌って、踊れる日が来る。

私はみんなが想いを語り、想いがつながり、自分自身を生きることが当たり前になる時代を作りたい。
生きてる間に無理なら、その基盤になれるものを作りたい。

この世界全体は絶妙なタイミングで、大きなタペストリーを作っていると思います。

完成されることへの恐怖を手放したい。

中国に入る前、伊勢神宮に行ってきました。
日本には、多様性を受け入れる文化が生き方の中に根付いています。

生きとし生けるもの全てに命があります。
その命を敬い大切にするのが日本のカルチャー。

私はそれこそが、これからの時代に必要な考え方ではないかと思うのです。

明日からラサ。

AM5:30出発。

起きれんのか?

受け入れ先、友だちは本当に見つかるのか?

自分という実験台、でもリハーサルなしのいつも本番。

こうやって、思いっきり自分にストレスかけるのです。

どMですね(^^ヾ

やったります!

(写真は今日までのルームメイト素敵な人たちでした。from England.)

【ストレス/軽度・適度・過度(2)】

2010-05-20 09:27:56 | 【チベット・満州・中国の旅】
13番のバスで大仏寺へ。

今度はばっちりです。

でもどこか心そこにあらず。

地球の歩き方のないのこれから半月の旅をつい想像してしまいます。
楽山で、こんなんで、ましてや広い中国、どうすんの、俺・・・

悩みつつ、大仏のある入口に入ります。
(入場料90元/1,350円⇒これはなかなか高い!)

心ここにあらず。

いつもこうなんですよ。
センター試験の時は受験票バスに忘れるし、
アメリカ行ったときは、航空券飛行機に忘れるし、
タイでは財布なくすし、

そんな思いで大仏さんです。

すると大仏さんは大仏で、高さが71mある訳です。
なんといっても大仏ですから。

頭のてっぺんまで結構階段登りました。
観光客の方もたくさん!おじいちゃん、おばあちゃん大変そうでした。

頭の後ろと背中から汗が出てきます。

ふつうの自分だったら・・
こんな大きな大仏作るくらい、当時の人たちは大変やったんやろなー
なんて思うわけですが、今回は気がそぞろ・・

しいていえば、そこのお坊さんが座禅を組まれていた洞窟では、当時を思い起こさせました。

結構広くて、寒くて、暗い。お坊さん、ストイックです。

そして、頭から足元への移動です。
これまた急な下り階段です。歩きずらい。
石畳でできていて、狭いわ、急だわ、気をつけないと足踏み外しちゃいそうです。

一歩一歩踏みしめます。

こんなんところで、転んでは大怪我必死。
おっとと・・おっとと・・

なんていってる間に大仏様の足元に。
さすがに足も大きいのです。

なんていうのか、心ここにあらずで旅してもつまらない。

今を自分の真ん中において、ぶれずに生きるのって結構大変。
だからこうやってバランスを崩すなかでどうやって自分を保ち楽しめるのかこれが日々修行なんだと思うのです。

大仏様を前には感じなかったんだけど、改めてこうやって日記つけてると、
当時のお坊さんたちも、時代の流れに翻弄されながら、
仏の道に勤しんでいたのではないかと思いを馳せています。

ちなみに自分はぶれぶれです。
まだまだですな~。。。

大仏様の帰りにバスセンターに行き、忘れ物はないかと探してもらいました。
残念ながら出てきません。

いつも奇跡はつづかないけれど、こういう体験も大事に刻みたいと思います。
大仏を刻む人たちが1350年前くらいにいました。

2010年の今、自分の人生を魂に刻みます。

1350年後、どうなってるか?
当時のお坊さんたちが想像だにしていなかった世の中が今。

とにかく、日々入魂でいきたいと思います。

でね、地球の歩き方ですが、今滞在中のホテルに日本人の方が数冊残していっていて、それを買い上げしました。

なのでご心配なく。

でも旅は自分発見の連続なんです。

それは自分にとって悪くない。むしろいい。

ぜーんぶ、食べてしまおうと思ってます!

今日も元気です♪

(写真は大仏とshige!です。鉄人28号もびっくりの大仏様でした。)