「恋愛初期」はプロスポーツ選手でいうところのZONEに少し似ている。
ボールが止まって見える、身体が風になっている、そんな状態だ。
相手が全てになり、時間が二人の為に流れる。
厳密には違うが、脳が異常になっている点では共通している。
いつもの自分ではなく、日常の思考パターンから外れるので、自ずと行動も変わる。
それでいて不思議なのは、まぎれもなく自分であることだ。
あれから5年が過ぎ、やっとこさ結婚に辿り着けた。恋愛初期は相手を見ているようで、結局は自分を見ている。ベクトルは自分に向けられている。ある時期を過ぎればZONEは当然なくなっており、ベクトルは自分ではなく、相手にも向けられていく。お互いが共に生活し生きる上での理解と摩擦を繰り返す。
それは非日常ではなく、日常の中で。異常ではなく正常な状態で。
ただこの恋愛初期の異常や視野の狭さを否定するという訳でも、ダメだというわけではない。むしろ本当に素敵だと思う。今回物語に込めることで改めてそう思えた。
そして二人で継続して生きていく中で、この特別な状態は、恣意的に意志的に作っていくことが二人の成長には欠かせなくなってくる。それがライフイベントで、結婚だったり、子供の誕生だったり、家を建てたりというところに繋がっていく。ただそれは一般的な話であって、それぞれの関係にそれぞれの過程、ライフイベントがある。それを経ることで、関係性の個性が生まれ、絆は深まる。その営みはよくよく見ればドラマチックだ。
成長を促すものとして、異常時が故の出逢いというのがある。
5年前、相当BARに行っていた。ここに紹介していない素敵なBARもいくつかある。人生の中で、あんなに夜出歩いていたことはなかった。特別な時だった。
だから今はここに描かれているBARやお店には行っていないというのが現実だ。
実はそのほとんどがなくなってしまった。
「BABY BABY BABY」「Bel canto」「MORINOKO」「RIPPLE」は閉店している。
「JUNK DE COTE COTE」も下北沢のお店は閉店。
「LOVIN’G POWER」「LOVEL」「麺屋 かまし」は営業している。
ただその店さえもずっと行っていない。
ZONEの時を過ぎたといっても、これだけ人生に大きな影響を与えてくれた舞台に対して、あまりにも薄情な自分がいる。
だからこの作業を通して、改めてマスター、スタッフの方たちにお礼をお伝えしたいと思う。
今はカタチが変わったり、ないかもしれない、でもここに生きている。
その店を作った想いの波紋が、確実にそこを訪れた人たちの人生に大きな影響を与えた。
その一つがここ【三茶物語】の中にある。
不義理で薄情な自分ですが、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
そして元気でやっております。
想いが種であれば、その芽が育つ土壌が「街」にあたる。
三茶は、物語が生まれる土壌が肥沃で豊かだ。
CARROT TOWER 26F ここからまた想いの種を飛ばす。それはタンポポの綿毛のように小さく儚い。ただそれが根に着いた時、しぶとく、強く、コンクリートをもぶち抜く。
この舞台を作った方たちのように、自分も何かを作らなくては、改めてそう思えた。
我慢強くお読み続けて下さったみなさまへ、心から御礼申し上げます。
ありがとうございました。
皆様の物語の発動に少しでも力になれればと思っております。
<shige!>