スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【VOTE】

2020-12-31 10:07:26 | 【2020の歩み】
いまだ決着をみないアメリカ大統領選挙。主要な日本のメディアはまだ戦いがつづいていること、いくつもの不正の事実があがって来ていることを十分に報道しているとは思えません。

アメリカの正義はどこにあるのか?
アメリカの良心はどこにあるのか?

少し大袈裟かもしれませんが、あくまで個人的な意見としてアメリカのイメージを申し上げます。

“America’s got talent”というアメリカのオーディション番組を観たことはありませんか?

日本の70年~80年代でいうと「スター誕生」「お笑いスター誕生」、90年~00年代でいうとTV東京系の「浅草橋ヤング洋品店」から派生した「ASAYAN」をイメージして頂くとわかりやすいかもしれません。オーディションの形態をとったリアリティーショーですね。少し違うのが、審査員で合格者を決めるだけでなく、投票によって勝者が決められていくというシステムです。今はwebを介してスマートフォンやpcで投票できます。このスタイルはアメリカの放送局FOXで「アメリカン・アイドル」としてスタートし、「Ⅹファクター」を経て全米地上波NBCで“America’s got talent”として継承されてきました。2006年~2019年まで13年つづいており、「アメリカン・アイドル」も含めてカウントすると17年つづいています。国民的番組でその人口規模と勝者のその後の影響度で言うと日本とは桁が違ってきます。

アメリカ人とひとくくりにしてはいけませんが、アメリカの方々は投票するという意識、責任感においては世界有数の先進国だと思われます。それはアメリカの建国以来の文化であり、誇りです。大統領選だけではなくこのようなリアリティショーに到るまで、民意が反映されるのです。
この番組の投票の公正性がどこまでフェアであるかを日本人の私はわかりませんが、この番組の戦いぶりは実に説得力があり、共感を覚え、感動を呼びます。そこには投票というシステムが機能しているからだと思うのです。そしてステージでエントリーした方がパフォーマンスをして、審査員が評価するのですが、貶すときは相当激辛で、他方素晴らしい場合はきちんと最大限の称賛で褒めたたえるのです。そして観衆の方々がそのパフォーマンスを見届けるのですが、その姿が素晴らしい。私はアメリカのスタンディングオベーションという表現がとても好きで、いいものを、本物を、心に響くもの素直に評価するアメリカに憧れさえ感じます。

話は戻って今回のアメリカ大統領選挙です。先の【ちょっと長いお話】で、なし崩し的にバイデン体制が始まると書きましたが、アメリカの本当の民意は最終的にはそれを許さないでしょう。正義は勝つと言っては何ですが、事実がトランプ氏が勝つとかバイデン氏が勝つという次元ではなく、公正性に関して、民主主義の根幹をなすシステムの不義に関しては米国民はほっとかないでしょう。

トランプ氏が潔くないという論調、不正を凌駕する強さがなければいけないという考え方、それもあるでしょう。でも本当のアメリカはこれを放置することはないでしょう。なぜならそこにこそ人種・宗教を越えた米国民のアイデンティティがあるからです。何かっていうと、投票用紙、web投票をぜんぶひっくり返して、本当にバイデンが勝ったならば、トランプに投票した側も負けを潔く認める国民性があるということです。もしその結果リアルならばです。

“America’s got talent”にはゴールデンブザーというシステムがあります。今までの文脈を全否定しまうことになりますが、審査結果では負けていても、一人の審査員が強い想いを持って、次のステージにパフォーマーを進めたいとき、又は会場の大きな評価をカタチにするために押される特別のブザーのボタンがあるのですが、それが次のステージを盛り上げるシステムになっています。その仕組みもまたアメリカらしく、会場全体の感動の現れや、個人の特別な想いの象徴として、ルールやシステムを越えた「感動」の例外を認めようとするのです。誤解を恐れずに言葉にするとスピリチャルに響いたものへの尊重をもアメリカ人は持っているのです。

そこがまたアメリカの凄いところで、私の心を掴んで離さないところです。

本日はNew year’s eve、大晦日です。
どちらが勝つではなく、民主主義のフェアネスと正義に戦い続けるアメリカの国民に、ゴールデンブザーを押させて頂きます。

2021年が本当に良い年でありますように。

Have a happy new year!



【ひとり 深夜 ラーメン】

2020-12-22 09:23:54 | 【2020の歩み】
この回は愚痴でございます。
まずは結論から、お見苦しい内容になりますのでご容赦下さいませ。

年末だからでしょうか、仕事が忙しい。
コロナ禍の影響で相変わらずお客様が戻ってこない飲食・旅行などの業界もある。
はたまた上には上があるわけで、自分より早く起きて、たくさんの業務をこなし、成果を上げている方々もたくさんいる。

そう思うと自分の多忙観なんて、とるに足らないちっぽけなことで、むしろ歓迎すべき有難い状況だと思うのです。

でも・・・

お客様と向き合う中で、当然ベストを尽くそうとはしますが、もっとできることがあったのではないかとの反省の念が降り積る訳です。
そして苦手な事務処理、量が増えれば事務効率の悪さはさらに助長されます。

7月から12月までの半期の中で、ほぼ去年1年分のお客様対応がありました。勿論コロナ禍で、前年度はお客様対応がなかった時期もありましたが、それにしても半年で1年分です。それには事情がありました。7月から異動で新しい職場で再スタート切ったのですが、配属された先のメンバーが一人ご他界されたのです。がんの転移でした。

接する期間は本当に短かったのですが、自分より年長の先輩で尊敬にあたる存在でした。その悲しみ、喪失の想いを軽減させてくれたのがある意味日々のお客様対応でした。そいう意味においても「忙」は心を亡くすと書きますが、心の欠損を補うにはそれくらいの「忙」が必要だったのかもしれません。

残された配属された先のメンバーは私が年長で、若い方3人ですが本当に素晴らしい方たちです。年齢を越え、心から信頼できリスペクトできる人たちでした。だからこそすったもんだありながらも乗り越えられて来たのだと思います。この半期は厳しい環境下ではありましたが会社の予算をクリアすることができたのもこの若い皆さんの力によるところが大きいのです。「近頃の若いものは・・・」と紀元前から言われておりますが、彼らと共に汗する中で想うことは、日本の未来は明るいです(断言)!

な、だけにそのコントラストとして自分の欠点・課題点がより浮彫され、その姿・かたちがマインドの中に表れるのです。そして実務がおっつかない。先日は鍵をうっかり普段と別の所に保管してプチ・パニックになったり、さっきまでそばにあった書類が消えてしまい2時間ぐらい探したり(結局見つかりましたが・・・汗)。自宅のトイレの水が止まらなくなったりと、ちょっとやばいかもと思っていたのです。

影が滲み出ている。

そんなわけで普段より2時間遅く職場を出て家路につくのです。翌日は休み、でも用事もある、本来ならばジントニック飲みたい、でもクリスマス前で出費は抑えたい、家には作ってくれた夕飯はある、でも噴火しそうなもやもやがある、でもってラーメン屋に行く。
夕飯は朝飯にしよう、でも作ってくれた人のこと、手間暇、気持ちを思うと罪悪感、でもってラーメン屋に行く。

ひとり反省会、替え玉しました。

そして朝、娘の顔を見る、元気が出る。
そんな日常です。

お風呂が冷めてきましたのでそろそろ出ます。

ではHave a beautiful day !


【ちょっと長いお話】 ―あとがき―

2020-12-12 09:02:08 | 【2020の歩み】
これで今回の【ちょっと長いお話】は終わりです。ちなみにですがこのお話はどこで紡がれたかというと、なんと「お風呂」なのです。家のお風呂が長方形で、深さが50cmぐらいあるのですが、お風呂に白い蛇腹の蓋2/3ぐらい広げて机替わりにして、その上でA5サイズのつばめノートを開いて書くのです。勿論休みの時は図書館に行ったり、ドトールに行ったりもありますが、デイリーでは時間の都合で朝の時間、お風呂で書いてました。

どうしてお風呂なのかというと理由があるのです。

それは習慣なのです。大井町で美和さんとwombをやっていたときに遡ります。美和さんは、お店が終わってお家に帰ってお風呂に入るときに本を読むと言っていたのです。Wombのころ美和さんは日中は歯医者で事務の仕事、夜は8:00から12:00までお店をやっての生活で、いま改めて振り返ると相当がんばっていたと思うのです。そして帰ってからもお風呂の中で本を読む。半身浴で美容にもいいし、お風呂で疲れをとるとも言っていたけれど、その時間も大切にしていたのです。5年前ぐらいでしょうか、自分もその真似をして朝お風呂に入りながら本を読むようにしています。といっても20分ぐらいですかね。家族がいて自分だけの時間を持つというのは独身時代と比べるとやや難なわけですが、その時間は自分にとってはゴールデンタイムなのです。本を読むスピードがやたらと遅い自分としてはコツコツ地味に本を読み進めるのですが、これが長続きしない自分の身に着いた習慣になっているのです。美和さんとはこの10年で3,4回しか会っていませんが、この習慣も含めて美和さんは今でも自分の核心部にありつづけているのです。そこは時間も空間も越えて。

一人の人が持つ習慣はその人自身のアイデンティティと密接につながっています。まえがきのマスクの習慣とそれの日常化について触れました。お風呂で本を読む、今回はその延長で日記を書くというこの習慣は、自分を豊かにしてくれました。【ちょっと長い話】も10数冊の書籍とYouTube動画の数々、虎ノ門ニュースを現場で2回ほど観に行ったり等々、地味ながらとても楽しかった。地道ながらその時間そこに自分がいたという自覚がありました。

その中で「大和化(やまとか)」―Yamatonization(ヤマトナイゼーション)―という言葉が生まれました。文章を書いているとごくごく稀に神様からのギフトが降りてくるのですが今回は「大和化」Yamatonizationでした。この言葉、考え方を大切にしていきたいと思っています。自分が書いた、思いついたものではなく、この文書を編む中で神様から贈られた言葉だと思っているからです。書かされたとも言えます。言葉が生まれるときは文脈があるのですが、ある意味神様も言葉にするとき必然の文脈が整ったときはじめてその言葉や表現をこの世に降ろすのだと思います。だから何かしらの準備が自分にできたと思うのです。

特にこれと言った具体的な何かがある訳ではないのですが、また何かが始まるような気がしています。

12月11日は結婚記念日でした。私たち夫婦にお祝いはありません。でもこの日、南町田のグランベリーパークで家族へのクリスマスプレゼントを買い出しに行きました。そして本当に久しぶりに二人でランチをしました。仰々しいことも派手なこともないけれど、とてもいい時間でした。

帰ってから娘とふわふわボールでキャッチボールをしたり、落書きをしたりとなにごともなく戯れる。この尊い日常を守っていくのが私の役割です。

今日が幼稚園の教育発表会。お遊戯会です。親として、どきどきしながら娘を見守りに行きたいと思います。

fin


【ちょっと長いお話】⑦

2020-12-11 08:00:00 | 【2020の歩み】
日本は皇統の系譜を持ち、「大和化」という力をもつ、ユニークで個性溢れる国家です。この圧倒的なアイデンティティをディープステイトは恐れているのです。

そうは言っても現在日本はディープステイトの傘下、掌中の中です。資本力や規模で見れば、日本は取るに足らない小国でしかないでしょう。しかしながら、国の尊厳や国民性の視点から考えると世界全体を見渡してディープステイトと対等に向き合える国は日本しかないのではないでしょうか。これは今まで述べた日本の成り立ち、歴史的背景によります。このままディープステイトの影響下でうまく立ち回ることで生き延びていくのか、このディープステイトをも「大和化」し、融合させていくのか。この答えは日本国民の中にあります。

トランプ氏の各国ファーストの考え方と日本の向かうべき方向は親和性が高く良い流れでもありました。しかし結果はディープステイト側に凱歌が上がりました。選挙の不正が明らかになったとしても、年が明ければなし崩し的にバイデン氏はその地位に納まるでしょう。これは大量破壊兵器の疑いで現地に乗り込み、フセインを殺害しその終結を見たイラク戦争と同じです。結果として大量破壊兵器は見つからず、責任の所在はうやむやになります。訴訟はつづいても、流れを逆流させることも止めることもできません。

次の体制のアメリカをあてにし過ぎては、日本国体の主体性維持は難しくなるでしょう。ましてや中国共産党と与(くみ)し、協調するのは世界中を敵に回す自傷行為と言っても過言ではありません。尖閣、台湾、香港、新疆ウイグル、チベット、南沙、各国との国境線そしてコロナ、人として、常識に照らし合わせてどう考えてもおかしい。シナの国民の皆様には申し訳ないですが現中国共産党の体制はダメです。経済優先、協調振興、日本経済界はもう充分深入りはしています。でもここは損をとっても引き返す勇気、距離を置く覚悟が必要ではないでしょうか。本当にシナと協調しお互いが繁栄のために投資・握手すべきは、ポスト中国共産党のまともにまっとうに話し合える民主化されたシナです。中間点や妥協点という次元ではなく、一線を越えたら毅然と取り合わないという姿勢で臨む。であればその一線ははっきりとさせなくてはいけないでしょう。日本はある意味曖昧さを美徳としてきた文化ですが、それは軸や中心がしっかりあって初めて活かされる文化です。軸がぶれ、中心があやふやだと単なるお人よしになり、自虐的に陥りやすくなります。

だからこそ、軸はどこになり、中心として大切なものは何かということを言葉にすることが大事なのです。曇った、もやもやした歴史観ではなく、クリアで信頼できる歴史観の元で、日本をそして自分自身を再定義化するのです。
とどのつまりすべての責任は単位こそ違いますが国から個人に帰するのです。自分とは何か、自分は何のためにいるのか、自分は何を持ってこの世界に貢献できるのか各々が持つこの答えのまとまりが共同体、地域、国を造ります。一人一人の力は小さいですが、今はネットで世界も繋がっていますし、変化のスピードは速くなっています。今ここで記していることもまだまだ少数派でしょう。ただ、ちょっと懐かしいのですが「101匹目の猿」の話もあります。ある一つの文化圏で一定の量の文化が定着すると他の地域でも同じ行動が伝播するというものです(ちなみにこれは宮崎県串間市にある幸島の猿のお話で「101匹わんちゃん」ではありません)。宮崎県出身の私としてはこの締めが一番しっくりきます。
そうですね、102匹目の猿、「102匹目のおさるのジョージ」として、今回のような発信も時々していきたいと思います。自分自身の再定義化と合わせて。sumera4lifeとしても。

まずは今日から、まずは自分から。


【ちょっと長いお話】⑥

2020-12-10 08:00:00 | 【2020の歩み】
ドラッカーはこう言います。明治以降の近代西欧化の流れに成功したのは日本だけであると。他のアジア・アフリカ諸国も開国しているわけですがタイを除いてほとんどのアジア諸国が植民地化を余儀なくされました。当然日本にも西欧の科学技術・経済・文明・哲学・文化もどっと流入してきましたが、日本は植民地化から免れました。

ドラッカーは「日本は西欧化するのでなく西欧文化の【日本化】に成功した」と表現しました。

怒涛のように押し寄せる西欧化の波をそのまま鵜呑みにするのではなく、日本というフィルターに通して濾過し、解釈変換し、アウトプットしていったのです。西欧文化を日本流に洗練させ、活かせるように造り変えていったのです。

ドラッカー以外にこの「造り変える」力に小説で応えた小説家がいます。芥川龍之介です。芥川の作品群の中でキリシタンものというジャンルがあるのですが、その中の一篇に「神神の微笑」という短編があります。この作品は日本の中世、安土桃山(信長・秀吉)時代に、キリスト教布教のため宣教師として来日したイタリア人、オルガンティノと古代日本からつづく霊力を持つ仙人との対話で物語が進行されて行きます。オルガンティノは日本での布教の難しさに深く悩みます。その悩みに仙人が応えていくのです。ある日3人の武士がキリスト教に帰依することになり、オルガンティノは自身の努力が無駄ではないことに安堵します。その時に仙人が言うのです。表向きキリスト教の信者は増えるかもしれません、ただしそれは表層に過ぎない。シナから入った孔子、老子、荘子、の四書五経も、インドから入ってきたブッダ(仏教)の教えも日本人の中身を変えることはできませんでした。私たちが持つ力は破壊する力ではありません、「造り変える力」なのです。こうオルガンティノに伝えたのです。この作品は1922年に書かれたものですから、まさに西欧化流入の渦中にありました。芥川は明示していませんが、この最中に、日本の歴史の中で西欧化の端緒である、鉄砲・キリスト教伝来の時代を例示しながら、日本文化の性質・アイデンティティを言及しています。「造り変える力」これは芥川が例示した宗教や文化だけでなく、科学やテクノロジーの分野に通底する特性で、ある意味強みとも捉えることができます。そしてその強みをより個性化するもの独自化するものが先程お話しした「理念」なのです。

ただ捨てたり、組み合わせたりするのではなく、全てが国や自身の幸せや成長につながるために「造り変え」られてきたのです。お金のためや、支配するためではないのです。物事の発想、着想の起点は倫理観が非常に重要ですがこれを「理念」で担保されているのが日本の「造り変える力」なのです。例えとして適しているかはわかりませんが、お鍋をご想像下さい。「ダシが決め手」はCMのキャッチコピーですが真理をついています。目には見えづらく、入っているのかよくわかりませんが全てに影響が及び、素材の持ち味を引き出します。私たちのDNAにはその力が脈々と受け継がれてきました。

つまり日本は「融合力」に長けているのです。そして他文化を自文化に取り込み、破壊させることなく融合していくことを「大和化」といいます。

“大きな和―great harmony―”です。

「大和化」Yamatonizationは造語ではありますが、この考え方は日本だけに必要な概念でしょうか。いいえ違います。世界中がこの考え方や力を発揮して、世界全体で成長していく時代が今なのです。モノ、文化、科学、テクノロジー、人が人として生きていく上ではもうある程度成熟の域に達しています。衣食は足り、利便性・効率性も相当よくなっています。もはや世界は無から有を作り出す段階でも、マイナスからゼロに引き上げる段階でもありません。また1から10に引き上げるフェーズでもなく、今のスピード感で言うと、10を100に拡大していくフェーズと言えます。こういう状況の時こそ「融合力」は最も大切で重要な力です。あえて「大和化」という言葉を使いますが、何でもかんでもではなく、自国の文化・理念・倫理を包含して融合していくことが大事なのです。


【ちょっと長いお話】⑤

2020-12-09 08:00:00 | 【2020の歩み】
戦後ビジネス界でマネジメントの父と言えばピーター・F・ドラッカーです。
彼は著書の中で、世界のビジネスの中での日本を分析しています。その中で二つの奇跡として日本の特性を言及しています。

それが「明治維新」と「戦後の復興と高度成長」です。

「明治維新」とは、240年間つづいてきた江戸幕府が、西欧の脅威からの開国を背景として天皇にその政権を奉還、すなわち戻したことを指します。政権交代は歴史の常ですから珍しいことでも特異なことでもありません。20世紀以前はそれがどのようになされてきたかと言えば、欧米でも中国でも武力、戦いを伴う革命によってなされてきました。

明治維新は違いました、幕府と薩長を中心とした幕末の志士が話し合いをもって政権の移管が果たされました。勿論一滴の血も流れなかったかと言えばそうではありません。戊辰戦争や西南の役など摩擦も犠牲もありましたが、全面戦争などはなく、大局的には平和裏に話し合いで成し遂げられました。これは人類4000年の歴史の中では例を見ない特殊な快挙なのです。基本的には前政権の王朝なり支配者を次の政権を主導するものが革命や力で捻じ伏せるのが常です。前政権者の一族は処刑され根絶やしにされます。罪なき市民も巻き込まれ犠牲者が多数出るのが一般的なのです。明治維新はそうなりませんでした。

ドラッカーが明治維新を知ったのは1930年代です。ドイツではヒットラーが政権を取り、各国に宣戦布告をしていた時期でした。当時の欧米は王政が権力を失い権威も含めて減退、民主化が定着し始めている時代です。そんな折、欧米とは合わせ鏡のように、王政復古が平和裏に達成されている事実を知る訳です。ドラッカーは歴史上見当たらないこのような事象が、アジアの極東で実現している事実に驚きとともに興味を持ちました。ビジネスの世界で名の知れた彼ですが、欧米に加えて日本の企業だけでなく「国」そのものも研究の対象になりました。

そして戦後の復興も同様です。焼野原になった東京、廃墟になった広島・長崎、多数の犠牲者を出した沖縄、日本各地も空襲でボロボロになりました。その国が復興するとはアメリカ、統治しているGHQも含めて誰も思ってもみなかったのです。勿論朝鮮戦争などがあり、景気回復材料がなかったわけではありません、GHQの支援もあったでしょう。それにしても街が灰色からカラーに蘇るのです。また復興だけではありません、それを土台として成長に転じ世界第2位の経済大国にまで上り詰めるのです。欧米は元より、アジア・アフリカの途上国諸国も驚きの逆転劇です。日本には蘇る力もあったわけです。ドラッカーはこと戦後の復興については、明治維新とは違ってある程度理由はわかると述べていました。

これも2つ言葉で集約できます「理念」「融合力」です。

まずはすべてに通じる「理念」が土台になります。ドラッカーは日本のマネジメントの中に神道の影響を見出していました。その根っこは【君民一体】【八紘一宇(為宇)】の理念です。天皇と国民は一体であるということ、国民はみんな家族なんだよという考え方です。そもそも天皇の御役目とは何か、公務とは何かを掘り下げると、植樹祭で木を植えるとか、自治体の行事で挨拶するとかが仕事ではありません。本来の御役目、それは国民の安寧・平和、幸せを祈ることです。それを毎日一日もお休みされることなく祭祀を通して祈祷するのです。これが2000年来ずっと続いているのです。そして国を治めるものを任命認可するのも大切な御役目です。そういう訳で天皇に何かを決定する権限はないのです。国民がそれを決めていくのが日本の考え方の基本です。その決め方のプロセスを象徴しているのが、聖徳太子の17条の憲法、「和をもって貴しとなす」「夫れ事独り断んべからず。必ず衆とともに宜しく論ふべし」、明治天皇の詔(みことのり)でもある五箇条の御誓文「広く会議を興し万機公論に決すべし」に通じます。

目的を果たすためには独断に走るのではなく、みんなで話し合いなさいということです。画一的な考えに偏らなくするため多種多様な意見を取り入れながら、最後は目的のために最優先すべきことに意思決定が集約していく。その目的の大元は「国」「国家」の繁栄です。日本の歴史は天皇と国民との祈り想うものと慈しまれ愛されるものとの関係性で育まれてきました。

日本の国民一人一人の幸せが前提として天皇の存在があるのです。
だからこそ一人一人の生き方考え方を大事にした上で話し合い、意思決定しなさい、その先には「国」全体の繁栄が見出せますよということです。

なので意志決定のベクトルは日本国民全体の繁栄に向けられているのです。民主主義はアメリカから輸入されたとされていますが、実はより高度な民主主義は2000年来日本が持っていたものなのです。そういう土台があったからこそ、欧米の進化した民主主義を大いに取り入れることができたわけです。

ただそれだけにはとどまりません、それが2点目の「融合力」です。

【ちょっと長いお話】④

2020-12-08 08:00:00 | 【2020の歩み】
ではそんなディープステイトが恐れているものとは何でしょうか?

それは真の自由に裏打ちされている個性です。アイデンティティです。ディープステイトの掌中の自由や権利ではなく、自然から発露されたその人らしさです。たかだか150数年程度で作られた資本家の利益から作られた囲われた自由ではなく、万物の起源から誕生する命一つ一つに宿る自由です。その前ではディープステイトの富や名声や業績も色褪せてしまいます。圧倒的なオンリーワン、突出した個性に対し、作り上げた世界、見据えている将来像が破壊されることをディープステイトは恐れているのです。

では世界中を俯瞰してそんな国があるのでしょうか。

それが日本なのです。恥も照れもなく言えます、日本こそが世界に比類のない圧倒的な個性、揺るぎないアイデンティティを持った国なのです。
具体的に何なのかと言えば、それは「国体」にあります。国の存在や在り方、在り様です。日本は世界で最も長くつづいている国家です。それを裏付けるのが皇室の歴史、皇統の系譜です。2000年間皇族が日本の国体を守ってきました。最初から数えると神武天皇から令和の陛下まで126代脈々と綿々とつづき、首尾一貫しています。

ディープステイトは市場経済ではいざ知らず、人類の歴史にその存在を照らした時、この日本の歴史には対抗することも太刀打ちすることもできません。だからこそ力ずくかつ緻密に日本を骨抜きにしようとするのです。実際、戦後の情報統制、WGIP戦略は奏功しています。

一つは違和感です。天皇陛下の名前を挙げるだけで、日本を戦争に導いた権化であると思い浮かべる方もたくさんいるでしょう。またよくわからないけど偉い人なのかな程度の認識にとどまっている方も多数います。皇統、皇室の名を上げると、また右翼か、また天皇陛下万歳かというイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。そのような理解こそがディープステイトが望んでいる結果です。日本で言うと野党は勿論、自民党の中でも反日親中派がたくさんいます。リトマス試験紙ではありませんが、「日本は世界で最も長く続いている国家です。」という言葉を聞いて、「そうそう」となるか頭に「????」でいっぱいになるかどちらかです。そして「よくわからない」これもディープステイトにしてみれば理想的な回答なのです。戦後生まれの人は大切なことを教わってきていないのです。

「女系・女性天皇」の議論は耳にされたことがあると思います。男女平等が世界標準で当然とされている今日、女性の天皇、女系の天皇で代を繋いでもいいのではないかという考えです。秋篠宮 悠仁様がご誕生される前の2004年に皇室典範に関する有識者会議が開かれました。当時と今では悠仁様がいるということで状況は全く違いますが、女系天皇も認められる方向で動いていました。御世継ぎの話はデリケートな問題なので慎重を期さなくてはいけませんが、女性天皇ではなくこと「女系」に関して言えば容認できません。というか容認しようがないのです。2004年当時は小泉内閣でこの議論がなされていました。当時の小泉元総理はこうおっしゃっていました。

「愛子様がご成婚されて男子が生まれればその子を認めないということですよね。それをわかって反対しているんですかね」。

全くもってその通りです。そもそも議論の余地がないがないことを反対や賛成もないのです。この2000年間男子を皇室外から迎えることは一度もありません。なぜかと言えば、皇統自体が国体、アイデンティティだからです。皇室は「姓」を持ちませんが、例えば愛子様が外部から鈴木さんという男子を迎え、男の子がご誕生された場合、お子様の血筋の半分が陛下の血筋であったとしても半分は鈴木さんになります。そしてそのお子様に男子が誕生されれば、半分のままですが、女子しか継承者がいないとなれば前例に従い皇室外部からまた男子を迎えるという流れになります。そうなるとそのお子様はクォーター(1/4)ということになります。皇室の純度が薄まるということは、国体そのものが曖昧になるということです。そして国民もその鈴木家に心からの敬意を表すことができるでしょうか。不敬ながら真子様の件で例えるなら、半分が小室様になるということです。極論ですが日本人がフランス人と結婚して子供を産みました。その子が今度はアメリカ人と結婚して子供を産みました。勿論その子の価値がないということではありません、しかしながらその出自や血統はもうよくわからなくなります。これはご自身のおじいちゃんおばあちゃんまではイメージできてもその先はよくわからなくなるのと同じで、ましてや血筋や国籍が違えばなおさらです。話を元に戻すと、皇統は血統の系譜なので、それが半分になった段階で、日本は一旦終わりになるのです。2000年つづいていたものが終了です。樹齢2000年の木を切り倒すということです。元号も形式上は残るかもしれませんが実質は半分なので、その後継続するかの議論も熱は帯びないのではないかと思われます。

そうするとどうなるか、自分が自分である理由がなくなるので、日本人じゃなくてもよくなるのです。中国人になるかもしれないし、アメリカ人になるかもしれない。私はなにものでどこから来たのか、わからない、それで本当にいいのでしょうか?わかっていることで戻れる場所や自分の存在が確かであることを感じることができる。それは一つの強さです。

ディープステイトの狙いはそこにあります。骨抜きにしてぐにゃぐにゃにするのです。私たちはゆでガエルになる前に熱湯から飛び出なくてはなりません。本来ならば「女系」の議論が行われる以前に、それはそもそもおかしいという感覚がなくてはならないのです。その感性が失われているのはWGIPが浸透しているということの一つの現れです。時の首相や大臣クラスがこんなレベルになるくらい戦後の教育はコントロールされてきたのです。

目的を果たすために、「白」を「黒」にするためなら緻密に戦略的に時間がかかってでも成し遂げようとするのがディープステイトです。なぜそこまでしなくてはいけないか、それを見つめていくと、逆に日本の強みが見えてきます。

日本の強みを「2つの奇跡」をキーワードにして紐解いていきましょう。

【ちょっと長いお話】③

2020-12-07 08:00:00 | 【2020の歩み】
選挙の不正に論議はまだ収束は見ませんが、ともあれ政治の主体がディープステイト側に動いているのは現実です。日本はこれからどうすればいいのか、またどういう影響があるのでしょうか。

今回の選挙の例からもわかるように、力づくかつ緻密な戦略で破壊していくのがディープステイトのやり口です。そもそも太平洋戦争後、日本の独立性を曖昧にし、日本の誇りや歴史を封印してきたのがGHQ/連合国軍総司令部のWGIP(war guilt information program)です。ここにもディープステイトの息がかかっています。戦争に対する贖罪の意識を募らせ、東京裁判史観を揺るぎなきものし、原爆投下に対する反対意見も封印する。それも学校教育や情報統制により成されてきました。

カエルを熱湯の中に入れると、すぐにカエルは飛び出しますが、冷たい水から少しずつ温度を上げていくと飛び出そうとせず、最後はゆでガエルになる話を聞いたことはないでしょうか。まさに日本は戦後の歴史教育やメディアによって、この国の誇りや強みを弱体化されつづけてきました。先に示したようにディープステイトは自身の利益に繋がり、自身に有利な秩序を維持されている分には他に害を与えることはありません。ただし、ディープステイトの利益や秩序に抵触すれば話は違います。乱すものは撃ちに、反勢力には潰しにかかります。


【ちょっと長いお話】②

2020-12-06 08:00:00 | 【2020の歩み】
結果としてアメリカ国民が豊かになり幸せならば、ディープステイトの政権で何か問題はあるのでしょうか?
みんなで仲良く協調して成長発展していきましょう、この考え方に非の打ちどころはあるでしょうか?

毎年1月にスイスで行われる2020年のダボス会議で、オックスファム・インターナショナル(oxfam international)は下記のような報告をしています。

「世界の富裕層の上位2100人の資産が世界の総人口の6割にあたる46億人分の資産を上回る」
「世界で最も裕福な1%の持つ富の合計は、その他の69億人が持つ富の合計の2倍以上となっている」

この格差は今の世界秩序の結果です。人類は資本主義経済を選択してきました。この結果は資本家が自由競争を勝ち抜いてきた答えなのだから問題ないのでしょうか?

一部の富める人に富が集まる仕組みが今の秩序なのです。その仕組みに乗るか乗らないか、勝ち組・負け組、そんな問題でもありません。資本家に富が集中する秩序をどのようなやり方、倫理観でやってきたのかその中身が問題なのです。

陰謀論と言われるかもしれませんが、ディープステイトが戦後の冷戦構造、資本主義と共産主義の対立を水面下で煽り、民族分断、人種問題、戦争を利用し金融市場への意図的介入が繰り返されてきました。ディープステイト=国際金融資本家に資金が集まるためには手段を選ばず、やり口が非常に下品です。勿論「功・罪」あります。功の部分もたくさんあります。寄付もたくさんし、税金を納めているという点においての貢献度は極めて高いと言えます。何が問題かを具体的に例示すると今回の選挙にもよく象徴されています。どんな手を使ってでも現在の秩序を維持しようとするその強引な姿勢です。メディアの情報発信、コロナ禍、BLM(ブラック・ライブズ・マタ―)、公正性を欠く投票なりふり構わずやってきます。

特にコロナです。中国武漢に端を発する武漢ウイルスですが、その管理、拡散、情報隠蔽については中国の責任は回避できないものです。ただし、そもそもこのコロナの研究先を補助金付けた上で武漢に委託したのはアメリカ国立アレルギー感染症研究所所長のアンソニー・スティーブ・ファウチでした。ディープステイトの影響下にある組織です。ファウチ氏は今回の選挙中もコロナ対応でトランプ氏とバチバチやりあっていましたが、どの顔ぶら下げて言っているのか神経を疑います。厚顔という言葉はファウチのための言葉といっても過言ではありません。彼は前回の2016年の大統領選挙後トランプ就任10日前の公の場で、この4年間の間にサプライズ アウトブレイク(未曽有の流行病)が起こると発言しています。発言そのものも不謹慎ですが、その言葉は嘘から出た誠でしょうか。選挙の1年前から種は撒かれていたとみるのは下衆の勘繰りでしょうか。作為・意図・伏線が張り巡らされています。ディープステイトはそれほどまでにトランプ体制を奪おうとしていました。選挙の構図はトランプ対バイデンではなく、トランプ対反トランプ、共和党対民主党ではなく、グローバリズム対ナショナリズムが正解です。
メディアもまたほぼディープステイトに握られていました。地上波もケーブルもNETもバイデン有利を報じ、バイデンのスキャンダルはなぜかスルーしてトランプのBLMに対する対応やコロナに対する失策は大きくとりあげる。

それでも約半数をトランプ氏が得票するのを見るにつけ、アメリカ国民の半数は後戻りすることをきらい、ディープステイトに国益を奪われつづけてきた歴史に辟易していたのだと思います。そしてアメリカをアメリカ人のものに取り戻したいという想い、原点回帰、理念復古が反映された結果ともとれます。

そこにはアメリカの良心や希望が輝いています。


【ちょっと長いお話】①

2020-12-05 09:00:00 | 【2020の歩み】
アメリカ大統領選が終わったとき、共和党のトランプ氏が再選しても民主党のバイデン氏になっても日本は相当な覚悟が必要になると思っています。ひいては自分にもその覚悟が求められ、その結果がどちらに転んでも逃れられないものです。ただその覚悟の内容と質は大きく違ってきます。

トランプ氏再選ならば、日本がより日本らしく成長するために備える覚悟です。日米同盟やFIVE EYES(アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)との協調・連携を強化し、対中国共産党との姿勢を明確に示していくことが必要とされます。そして日本の自立性と成長戦略を邁進させなくてはいけないでしょう。企業は中国頼みの経営ではなく、生産拠点を国内または中国以外の国に移し、雇用を国内に取り戻し、生産プロセスも含めて日本発のすべてのものの「質」をより高めることが最重要ミッションになります。品質、サービスの質、生産過程の質を上げていくこと、それは日本の強みを活かすことにも繋がります。武漢ウイルス後の経済の復活で内需を拡大させ国力の指標であるGDPを押し上げることが必定となります。トランプ氏が再選すれば以上のように覚悟は必要とはいえ前向きで一つの成長機会/チャンスとの捉え方ができます。

では反トランプ陣営、バイデン氏が新大統領になったらどうか?日米同盟、沖縄基地問題、尖閣諸島の対応についても先行きが見えません。中国共産党に対してもトランプ氏ほどの強硬姿勢で臨めるかどうかもわかりません。民主党オバマ政権時、副大統領だったバイデン氏ですから、その時の対外政策、福祉政策に戻る可能性は高いと言えるでしょう。そして何より重要なことは、バイデン氏の背後にある組織による支配体制が再び始まるということです。グローバリストの台頭です。グローバリストによる支配はUN/国際連合、WTO、WHO、IMFなどの国際政治機関主導での世界です。このコロナ禍の対応で、WHOと中国の蜜月を見ていればわかる通り、国際機関としての機能が正常ではなくなっていることはみなさんご存知でしょう。

そもそもこの中国共産党という国家や仕組みを戦中から戦後全般にわたり資金力と政治力で支援してきたのはこのグローバリストたちでした。しかしながら昨今の習近平の常軌を逸する政策にグローバリスト達も反中の姿勢を取り始めています。その中身はトランプ氏のナショナリズム、自国ファーストの理念とは相容れません。そのグローバリストですが国際金融資本家とも呼ばれ、2つの潮流があります。一つはロンドン・シティのロスチャイルド系とNY・ウォール街のロックフェラー系です。アメリカの大統領ですが、第25代マッキンリーの代からオバマ大統領までずっと、ロックフェラー系の後ろ楯のある大統領が就任していると言われています。アメリカは共和党と民主党の2大政党制ですが実質はこのロックフェラー一族の代弁者であり、大統領の背後で国を動かしているのが、このロックフェラー系のいわゆるディープステイトです。今回の選挙においても、存命の元大統領、カーター、クリントン、ブッシュ、オバマ全員が反トランプ、バイデン支持を表明しました。共和党のブッシュまでもがです。このよくわからない構図に、ディープステイトの補助線を一本入れると見えてきます。政党は違いますが同じ穴の狢(ムジナ)なのです。先程国際政治機関主導の世界観と述べましたが、ディープステイトは世界統一の国家観です。利権や権益は国際金融資本家である中央に集まり分配される。ヒト、モノ、カネの動きを自由かつボーダレスにし、富の循環の受け皿として国際機関が存在します。国家が無い国家観です。ディープステイトの拠点はアメリカですが、目的はアメリカの国益のためではありません。世界経済の肝を握っているものがその益を享受しその延長としてアメリカに益があるのはいいのですが、そもそもその目的はアメリカに益を齎(もたら)すことではありません。トランプ氏の言葉を借りればディープステイト・ファーストなのです。そういう訳でアメリカ国民は自国の益を享受することなく犠牲を強いられてきた側面があります。2015年来のトランプ氏の登場、大統領選出馬はその文脈上にあります。アメリカ国民が損なってきた国益、ディープステイトに富が帰する循環にNOを唱えたのです。国家の主体者、主権は国民です。「people」です。民主主義の根っこです。この「people」にアメリカを戻そうというのがトランプ氏のアメリカファーストの理念に繋がる訳です。アメリカファーストというと独善的で、アメリカの国益のみに特化され過ぎではないかとも言われますが、そうではありません。そのあとに続きがあり、各国が自国ファーストであることを強調しています。国益を重視せよ、国民の力や命を犠牲にしてまで、協調すべきではないと言っているのです。つまりは相互依存の前に自立独立し、双方が対等のコートの上で外交や支援の議論をしましょうということです。誤解を恐れずに言うと、世界平和の前に、まずは自国を愛しなさい、各国が自立し国益を守った上で協調しましょう。こういうことです。無論余力があり民意が支援の方向に振れれば、その援助や協調を無碍にすることもないでしょう。要は、国家の主体者が「国際金融資本家」なのか「people」なのかということです。