いまだ決着をみないアメリカ大統領選挙。主要な日本のメディアはまだ戦いがつづいていること、いくつもの不正の事実があがって来ていることを十分に報道しているとは思えません。
アメリカの正義はどこにあるのか?
アメリカの良心はどこにあるのか?
少し大袈裟かもしれませんが、あくまで個人的な意見としてアメリカのイメージを申し上げます。
“America’s got talent”というアメリカのオーディション番組を観たことはありませんか?
日本の70年~80年代でいうと「スター誕生」「お笑いスター誕生」、90年~00年代でいうとTV東京系の「浅草橋ヤング洋品店」から派生した「ASAYAN」をイメージして頂くとわかりやすいかもしれません。オーディションの形態をとったリアリティーショーですね。少し違うのが、審査員で合格者を決めるだけでなく、投票によって勝者が決められていくというシステムです。今はwebを介してスマートフォンやpcで投票できます。このスタイルはアメリカの放送局FOXで「アメリカン・アイドル」としてスタートし、「Ⅹファクター」を経て全米地上波NBCで“America’s got talent”として継承されてきました。2006年~2019年まで13年つづいており、「アメリカン・アイドル」も含めてカウントすると17年つづいています。国民的番組でその人口規模と勝者のその後の影響度で言うと日本とは桁が違ってきます。
アメリカ人とひとくくりにしてはいけませんが、アメリカの方々は投票するという意識、責任感においては世界有数の先進国だと思われます。それはアメリカの建国以来の文化であり、誇りです。大統領選だけではなくこのようなリアリティショーに到るまで、民意が反映されるのです。
この番組の投票の公正性がどこまでフェアであるかを日本人の私はわかりませんが、この番組の戦いぶりは実に説得力があり、共感を覚え、感動を呼びます。そこには投票というシステムが機能しているからだと思うのです。そしてステージでエントリーした方がパフォーマンスをして、審査員が評価するのですが、貶すときは相当激辛で、他方素晴らしい場合はきちんと最大限の称賛で褒めたたえるのです。そして観衆の方々がそのパフォーマンスを見届けるのですが、その姿が素晴らしい。私はアメリカのスタンディングオベーションという表現がとても好きで、いいものを、本物を、心に響くもの素直に評価するアメリカに憧れさえ感じます。
話は戻って今回のアメリカ大統領選挙です。先の【ちょっと長いお話】で、なし崩し的にバイデン体制が始まると書きましたが、アメリカの本当の民意は最終的にはそれを許さないでしょう。正義は勝つと言っては何ですが、事実がトランプ氏が勝つとかバイデン氏が勝つという次元ではなく、公正性に関して、民主主義の根幹をなすシステムの不義に関しては米国民はほっとかないでしょう。
トランプ氏が潔くないという論調、不正を凌駕する強さがなければいけないという考え方、それもあるでしょう。でも本当のアメリカはこれを放置することはないでしょう。なぜならそこにこそ人種・宗教を越えた米国民のアイデンティティがあるからです。何かっていうと、投票用紙、web投票をぜんぶひっくり返して、本当にバイデンが勝ったならば、トランプに投票した側も負けを潔く認める国民性があるということです。もしその結果リアルならばです。
“America’s got talent”にはゴールデンブザーというシステムがあります。今までの文脈を全否定しまうことになりますが、審査結果では負けていても、一人の審査員が強い想いを持って、次のステージにパフォーマーを進めたいとき、又は会場の大きな評価をカタチにするために押される特別のブザーのボタンがあるのですが、それが次のステージを盛り上げるシステムになっています。その仕組みもまたアメリカらしく、会場全体の感動の現れや、個人の特別な想いの象徴として、ルールやシステムを越えた「感動」の例外を認めようとするのです。誤解を恐れずに言葉にするとスピリチャルに響いたものへの尊重をもアメリカ人は持っているのです。
そこがまたアメリカの凄いところで、私の心を掴んで離さないところです。
本日はNew year’s eve、大晦日です。
どちらが勝つではなく、民主主義のフェアネスと正義に戦い続けるアメリカの国民に、ゴールデンブザーを押させて頂きます。
2021年が本当に良い年でありますように。
Have a happy new year!
アメリカの正義はどこにあるのか?
アメリカの良心はどこにあるのか?
少し大袈裟かもしれませんが、あくまで個人的な意見としてアメリカのイメージを申し上げます。
“America’s got talent”というアメリカのオーディション番組を観たことはありませんか?
日本の70年~80年代でいうと「スター誕生」「お笑いスター誕生」、90年~00年代でいうとTV東京系の「浅草橋ヤング洋品店」から派生した「ASAYAN」をイメージして頂くとわかりやすいかもしれません。オーディションの形態をとったリアリティーショーですね。少し違うのが、審査員で合格者を決めるだけでなく、投票によって勝者が決められていくというシステムです。今はwebを介してスマートフォンやpcで投票できます。このスタイルはアメリカの放送局FOXで「アメリカン・アイドル」としてスタートし、「Ⅹファクター」を経て全米地上波NBCで“America’s got talent”として継承されてきました。2006年~2019年まで13年つづいており、「アメリカン・アイドル」も含めてカウントすると17年つづいています。国民的番組でその人口規模と勝者のその後の影響度で言うと日本とは桁が違ってきます。
アメリカ人とひとくくりにしてはいけませんが、アメリカの方々は投票するという意識、責任感においては世界有数の先進国だと思われます。それはアメリカの建国以来の文化であり、誇りです。大統領選だけではなくこのようなリアリティショーに到るまで、民意が反映されるのです。
この番組の投票の公正性がどこまでフェアであるかを日本人の私はわかりませんが、この番組の戦いぶりは実に説得力があり、共感を覚え、感動を呼びます。そこには投票というシステムが機能しているからだと思うのです。そしてステージでエントリーした方がパフォーマンスをして、審査員が評価するのですが、貶すときは相当激辛で、他方素晴らしい場合はきちんと最大限の称賛で褒めたたえるのです。そして観衆の方々がそのパフォーマンスを見届けるのですが、その姿が素晴らしい。私はアメリカのスタンディングオベーションという表現がとても好きで、いいものを、本物を、心に響くもの素直に評価するアメリカに憧れさえ感じます。
話は戻って今回のアメリカ大統領選挙です。先の【ちょっと長いお話】で、なし崩し的にバイデン体制が始まると書きましたが、アメリカの本当の民意は最終的にはそれを許さないでしょう。正義は勝つと言っては何ですが、事実がトランプ氏が勝つとかバイデン氏が勝つという次元ではなく、公正性に関して、民主主義の根幹をなすシステムの不義に関しては米国民はほっとかないでしょう。
トランプ氏が潔くないという論調、不正を凌駕する強さがなければいけないという考え方、それもあるでしょう。でも本当のアメリカはこれを放置することはないでしょう。なぜならそこにこそ人種・宗教を越えた米国民のアイデンティティがあるからです。何かっていうと、投票用紙、web投票をぜんぶひっくり返して、本当にバイデンが勝ったならば、トランプに投票した側も負けを潔く認める国民性があるということです。もしその結果リアルならばです。
“America’s got talent”にはゴールデンブザーというシステムがあります。今までの文脈を全否定しまうことになりますが、審査結果では負けていても、一人の審査員が強い想いを持って、次のステージにパフォーマーを進めたいとき、又は会場の大きな評価をカタチにするために押される特別のブザーのボタンがあるのですが、それが次のステージを盛り上げるシステムになっています。その仕組みもまたアメリカらしく、会場全体の感動の現れや、個人の特別な想いの象徴として、ルールやシステムを越えた「感動」の例外を認めようとするのです。誤解を恐れずに言葉にするとスピリチャルに響いたものへの尊重をもアメリカ人は持っているのです。
そこがまたアメリカの凄いところで、私の心を掴んで離さないところです。
本日はNew year’s eve、大晦日です。
どちらが勝つではなく、民主主義のフェアネスと正義に戦い続けるアメリカの国民に、ゴールデンブザーを押させて頂きます。
2021年が本当に良い年でありますように。
Have a happy new year!