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スメラ~想いをカタチに~

スメラは想いをカタチにするコミュニティーです みんなの想いをつなげて大きな輪にしてゆきましょう

【結び】

2012-03-20 21:46:36 | 【沖縄の旅】
民家の縁側と庭の間をくぐり抜けると、そこには工房があった。
お客様を迎えるように犬が佇んでいた。
工房には3人の職人さんと一人の案内の女性の方がいて、その方以外はみなさん作業をつづけていらした。

入ってすぐ右手のショウケースに独特できれいな銀細工が並んでいた。
その銀細工に美しさや重厚さを感じたけれど、そこには距離感を感じなかった。
馴染み、近しく感じた。
その銀細工の存在感に勝るとも劣らない輝くものがあった。

それが彼女の目だった。
その銀細工を見つめる眼差しは、運命の出逢いに対する確信に満ちていた。
迷いはなかった。
ついさっき「買わないし、見るだけだから」なんて言っていた人とは思えない。
「意志」がそこにはあった。 彼女の目線は結び指輪に注がれていた。
似たような指輪を国際通りを見たのを思い出したけど、そこにある指輪とは何かが違っていた。
何だろう・・・。

最早その指輪を買わずして帰るという選択肢はまったくなかった。
あとはどれにするかということだけだったが、彼女はこれというのがもうすでに決まっていた。
その磁力の集中度は高く、彼女の意志が工房の場のすべてを作っているようだった。

彼女の選んだ指輪は確かに素敵だった。
そして指輪もまた彼女の薬指を求めていた。
サイズは見事にぴったりだった。
シンデレラのガラスの靴のようだった。

満洲里でプロポーズの時の指輪を買ったが、それは今彼女のネックレスになっている。
サイズがブカブカの指輪をそういう形で彼女は身につけていてくれた。
いつか指輪をプレゼントしようと思っていた。
「これで婚約指輪でいいの?」 2度うなずく彼女。
婚約指輪は給料3カ月分なんていうけれど、それよりずっと安い。
でもこれがいいという彼女。

ご縁を感じたのがすべて。

足りないお金は来月返すという約束で彼女に借りて、その結び指輪は彼女の薬指に入って行った。
まるで故郷に還るように、あたかも最初から彼女と一つであるかのように。

購入すると、その一部始終を見ていらした、工房長の又吉さんが声をかけて下さった。
そして桐のケースにこうメッセージを認めて頂いた。

「想い愛々と 千重指さちに 結び花咲かち 世果報たぼり」

この結び指輪、ジーファー(簪)、房指輪とならんで沖縄の伝統工芸品。
このような伝統技術は、どこも後継者不足というのが世の常。
又吉さんはこの工房の7代目。 先代からの技術と型を守り続けていた。
新しいものを作るのではなく、伝統に基づいた形を忠実に継承していくとおっしゃっていた。
また100年たっても残るものを作っていきたいともおっしゃっていた。
伝統はこのようにして守られ継承されていくということがわかった。
伝統というと若いころは古い、めんどくさいものと思っていた。
今は年をとったせいか、日々忘れ去られていくものが多い中で、 大事に残されていくものとその背後にある「想い」に興味がある。
やめれば、それでおしまい。
そして無情にもなくなる。
文化の礎(いしずえ)がなければ、文化の成長はない。
文化はもちろんアイデンティティと深く関わっている。
文化や伝統にリスペクトを持つこと、そして大事にすることは、 自らの個性を愛することにつながるのだと思う。
今回は結び指輪という琉球の指に咲く小さな花と繋がりができた。
文化との相性というものがあるとすれば、琉球のカルチャーには深いご縁がありそうな気がする。
帰ってから調べると、シンガーソングライターのCoccoさんと又吉さんも交流があり、相通ずる何かがあるようだった。

http://www.youtube.com/watch?v=r8CW0xsDyxQ

アーティストは響き合う。

ともあれ、予想外に、指輪をめぐる物語はここで完結することになった。
これがその婚約指輪。
沖縄の旅は一見天気に恵まれなかった旅だった。
でもいい天気とは何だろうと思う。
2人の旅としては初めての旅だった。
2泊3日の間で、相当密度の濃い時間を過ごせた。
それと最終的に指輪という、二人の関係性をコミットさせるアイテムにつながれたことは、 この旅が二人にとって、必然性を帯びていた旅であったことを物語っているような気がする。

そのためにはタイミング、出逢い、環境、天気、全てにおいてパーフェクトであることが求められる。
たとえその瞬間が雨であったとしても、たとえその時が引き潮であったとしても、たとえお目当てのお店がしまっていたとしても、それは完全性につながるまでの演出でしかない。

よりもっとおおきな答えを受け取るプロセス。

だからどんなことがあってもありがとう。
だからどんな天気でもいい天気なのだろう。

感謝といえば、この旅をともに楽しんでくれた彼女に心からのありがとうを届けたい。
一人旅もいい。
そして二人の旅もいい。

また沖縄に行こう。
そしていつか沖縄に住もう。

それが沖縄で最後に思ったこと。

内から湧くつぶやきが次の物語を予感させた。

【金細工又吉】

2012-03-20 21:37:41 | 【沖縄の旅】
ほぼ全ての楽しみごとを終えた二人は空港に戻る道々、【cafe +more おうち】に向かった。
二人の夢としてのカフェ経営。
ご夫婦で、外国人住宅を改造して着くったというカフェを訪れるというのは、
今後の二人の未来を示唆するにはいいチョイスだと思った。

そして旅の締めくくりとしてもちょうどよかった。

カーナビを頼りに首里の住宅地をややゆっくり目に走る。
急な坂道を2度3度のぼったり下ったりすると【cafe +more おうち】は見つかった。
行ってみると・・・

「本日はお休み頂きます」との張り紙が・・・

残念賞・・・
そういえば世は月曜日。休みだとしても不思議はない。
一瞬、どんよりとした。

二人の物語を作ろうと、そういう雰囲気だっただけに気持ちの仕切りなおしにとまどった。
自分にはもうネタはなかった。
16:00も過ぎ、帰りの便は21:00だけどレンタカーを返すことも考えるとそろそろ旅を終えなくてはと思っていた。

すると彼女が「銀細工の工房を見たい」とひとこと。
ガイドブックを見ると、17:00まで。
時間が時間だけに少し迷ったけど、とにかく行くことにした。

それが彼女のこの旅最後のリクエストだと思った。

住所をナビに設定すると15分もあれば着く。
その工房は首里の街の中にある。
ちょっとした工場みたいなものをイメージをして、その住所を回ってみた。
ところが、なかなか見つからない。
車は住宅街の細道。車1台しか通れない。不安になる。
時間もなくなってきたので、
「もうこの辺だから歩いて見ておいで、駐車場もないからこのあたりうろちょろしてるよ」
そう彼女に言って、歩いて行かせた。
「買わないし、ちょっと見るだけだから」そう言って傘をさして駆けて行った。

すぐ戻ってくるだろうと鷹を括っていた。
10分もすると、不安になってきた、というか待ちくたびれてきた。
そして車をナビが示す住所にもう1度ノロノロ走らせた。

するとあるところから車が出てきた。
すると次に同じ所から彼女が飛んできた。
そして手まねきしながら車が出て行ったところに呼び寄せた。
どうやらそこが工房だった。
明らかに民家。
看板らしきものは玄関にあるばかりで外からは折りしの小雨と夕闇で見つからなかった。
さっきちょうどのタイミングで出た車が、その工房の唯一の車庫だった。
それは測ったようなタイミングだった。

「ここ!ここ!」彼女は車に乗る気配は一切なく、迷うことなく再び工房に入って行った。
もうついていくのみだった。

その工房は、「金細工又吉」といった。

【メッセージ from コスタビスタ】

2012-03-20 21:25:51 | 【沖縄の旅】
「雨のコスタビスタ」。
70’sの歌謡曲のよう。

めいこ姉さんもはじめましてのお嬢様も笑顔で迎えてくれた。
再会の瞬間に、6年の空白が埋まる。
ご縁がつづいているのを感じた。しばし昔話。

そのときつれの彼女は・・・
もうただ、笑顔を湛え微笑むのみだった。
しかし亡き父の関係者に会うということは、
パートナーの出自を明らかにするものだった。

人は記憶の中に生きる。

めいこ姉さんの中にある父が「親父」の存在を浮かび上がらせた。
それは一つのご挨拶だったように思う。
今は亡き父の記憶と思い出を共有し、この人と共に生きていくということを、
浮かびあがってきた父に報告している気がした。

めいこ姉さんはお金とかそんなものは、後からついてくるんだから、
一緒になる気持ちが二人にあるんだったら、早く話を進めたほうがいい。
と助言してくれた。

それは、わかっていた。

中国から帰ってきて、プロポーズはして、例のぶかぶかの指輪を渡したところで劇的なストーリーは止まっていた。
彼女のお母様にはご挨拶したが、それきり具体的な話は進んでなかった。

ずっと大人の話を聞かされていた6歳のお嬢ちゃんは、もう痺れを切らしていた。
1時間という意味のわからない時間は子供にしてみれば、我慢の限界を超えている。
いい子にしてくれてありがとう。
おみやげのドーナツを渡すと、こちらもEMちんすこうやら色んなものをお土産で頂いた。
そして名残惜しくもホテルコスタビスタを後にした。

雨はあいかわらず降っていた。
沖縄は梅雨の只中にあった。

【特に求めるものはなく】

2012-03-20 21:09:15 | 【沖縄の旅】
朝起きて、朝ご飯。夕飯を食べた囲炉裏のある離れで食べる。
とっても健康的だ。

まだミヤギさんは眠ってるらしい。

少し時間があったので2人で散歩へ。
2,3分も歩くと海が出てきた。
こんなに近くなんだ、なんて思ってると雨が本降りに。
すぐ戻る。

も少し時間があったので、2人でリビングで読書タイム。
例の本棚の前で、思い思いの本を手にする。
彼女が雑誌で、ご夫婦で沖縄でカフェを始めた記事を見つけてくる。
その名も【cafe +more おうち】。
実は今日は、知り合いに一人会う予定はあったが、
あとは特段どこか行きたいってのはなかった。
「じゃあ、そこ行こか。」
「いいね。」・・・こんな感じ。
もっと本棚を味わいたかったけれどチェックアウト。ミヤギを出た。

余韻はなかった。というのも、外は大雨。
ワイパー右へ左へ多忙を極める。ずっと山間部を南下していく。
月曜日だからなのか、すれ違う車もまばら。
時折大きな水溜りを通ると元気な水しぶきを左右にまきちらした。
それを彼女は喜んだ。
天然のスプッラッシュ・マウンテンと自分はかぶせた。

南部にもあったが、北部にも風力発電があった。
大きな風車が数台、勢いよくまわっていた。
なぜかはわからないが彼女はそれをみて興奮していた。
「風力発電と女」面白い小説が書けるような気がした。

今日の予定は一つだけあった。
それはめいこ姉さんに会うこと。
めいこ姉さんは、父の元でずっと付き添って下さった方で、
自分にとってもかけがえのない存在だ。
そう、父はここ沖縄で十数年を過ごした。
事業を起こし、病に倒れ、たくさんのものを失った。
しかし父が書いた書籍とめいこ姉さんを始めとする父の後援者は自分にとって本当に尊い遺産だ。
そして沖縄とのご縁は父をもってもたらされた。

父と母は自分が2歳半の時離婚。
3人の子供を連れて、母は実家のある宮崎へ。
それから父は東京、鳥取、沖縄、宮城、そして沖縄へと場所を変えながら自らの理想のために人に尽くした。
すごい人だと思うし、尊敬もするが、それは客観的なもの。
父親としての情の通い合うものがあったとは言い難い。

しかし一度だけ、父を頼って沖縄に行ったことがあった。
それは教員という仕事の重圧にパンクして朦朧と放浪したときのこと。
宮崎市内から実家の都城、そして鹿児島空港のある溝辺まで車を走らせた。
どういう風に空港に行ったのかよく覚えていない。
所持金の全部の金額を沖縄行きの片道切符に変え、ずっと下を向き、うなだれながら沖縄に行った。
父に1本電話を入れていた。
まだ古かった那覇の空港に着くと、親父が迎えに来ていた。
その時、車を出してくれたのがめいこ姉さんだった。
父は自分に息子がいることを、周りの人にほとんど話していなかった。
おそらく、あの時が父が父親である姿を事業を支えるメンバーたちに初めて見せた時だったと思う。
すごく草臥(くたび)れ、非人間的になっていた自分が、先生の息子。
ある意味、親父には恥をかかせてしまったかも知れないし、
タブーとされてきたパンドラの箱を開けてしまったのかもしれなかった。
にもかかわらず、父は歓迎してくれた。

那覇のホテル日航に泊まらせてくれ、贅を尽くしたご馳走をふるまってくれた。
ホテルの屋上で泡盛のカクテルを飲ませてくれた。
何を話したかは全く覚えていない。
親父は飛行機の切符を買ってくれ、とりあえず宮崎に帰ることにした。

それが沖縄に来た最初の話。
親父が苦しむ実子に対して、父であれた唯一の時。
26の時だった。

めいこ姉さんともそれが初めての出逢いだった。

海中道路を通って、伊計島へ向かおうとすると、その行く手を阻むように雨は強くなった。
伊計島に行くのはあきらめ、海の文化資料館のあるPAで昼食をとった。
そして大慌てで、待ち合わせのホテルコスタビスタに向かった。
午後の2時半をもう回っていた。
少々遅れて到着。めいこ姉さんは6歳の娘さんを連れて会いに来てくれた。
父のお葬式以来だから6年ぶりの再会。

時が巻き戻される。

【暦】

2011-06-01 00:19:25 | 【沖縄の旅】
細かいことはわからないが、沖縄でミヤギという姓は有名だ。
あの映画「ベストキッド」の空手の先生もミヤギ先生だった。
宿主のミヤギさんも、あの映画のミヤギさんと同じく、顎鬚をたくわえていた。

今日は大潮ということで、魚と貝が大漁で、お刺身と、貝柱が食卓に並んだ。
午前中にとってきたというから新鮮そのもの。豪勢で贅沢な夕食となった。
お野菜も自分のところの畑で取れた無農薬野菜。 
なんでも虫が食べいても、お客さんに出せる分があるんだからと、たいして気にはしていないようだった。
ただただおいしい。命の恵みを頂いている感じがした。
市場を介さず直送で舌へ胃袋へ。

来る前のピザが効いていて、お腹はいっぱいだったはず。
にもかかわらず、舌がここでしか食せないものを欲していた。

ミヤギさんはネイチャーボーイという言葉がぴたっとはまる。
自分なんかよりずっと先輩だけど、boyということばがよく似合う、少年のようなお方だった。
目が美しく、冗談が好きで、チャーミングな方だった。

年に1回は身体がうずうずして海外に行きたくなるとのことで、
中国、ベトナム、トルコの話をして下さった。

さすが民宿を経営されているだけのことはあって、ホテルや、食事については熱く語っていた。
Tシャツ、短パンのミヤギさんだったが一流のサービスを受けてきていた。

食事している部屋の片隅に、畳3/4畳分の旗がかかっていた。
それにはシーガイヤ「海山木(みやぎ)」の会と書かれていた。

聞けば、今度の7月にシーガイヤに呼ばれているという。
今はシェラトン経営になっている宮崎シーガイヤの社長が、ミヤギさんのところに、若手を派遣し、
1週間ぐらい研修させるということだった。
社長はとにかく、ミヤギさんのところに行って学んで来いと言われるのだそうだ。

でもそれはなんとなくわかるような気がした。

ミヤギさんのもてなしは気を使わせないもてなしだ。
ちょっと粗野で、ざっくばらんで、マイペースで。
でも喜んでもらおうという気持ちはどこかであって。そして自然とまた会いたくなる。

ホスピタリティという横文字、カスタマー・サティスファクション(顧客満足)というビジネス用語、
そんなことばは不要。

この人とバカ話していたいなと思わせる何かがある。
本当に大切なことがここにはあるそんな気がした。

社長はわかるのだと思う。本物は本物を理解するのだ。

ミヤギさんは海人(うみんちゅ)。なんでも暦は太陰暦らしい。
月だったり、波だったり、潮で時を感じるといっていた。
潮で時を感じると、海の自然から確かな恵みを頂戴できるのだという。
今の太陽暦の暦では情緒や自然の農産物も少しずれてしまう。

少し不自然なリズムで私たちは生きている。

太陽暦から得られたリズム。恵みも計り知れない・・のだとは思う。
ただグレゴリオ暦である太陽暦は背景として、
キリスト教の復活祭が以前のユリウス暦と少しづつずれが出てきたということがある。
そして一周期365,2425日というのも、数学的計算による合理性と正確性による。
暦のためにつくられた暦。人が作ったもの。

人間の身体の中にある生理。自然のリズム。暦ではない時の流れがある。

ミヤギさんは本来の地球の自転・公転に合った時流を生きている。
共にいる時間、自分たちも同化調整作用がはたらき始める。
不自然なリズムは自然なリズムに同調していく。自浄されていく。

人間に還っていく。

あるがままの自分で生きて、喜ばれる存在。
そういふものに私はなりたい。

ミヤギさんは自然の中で生きることの恵みだけでなく、
当然厳しさもご存知で、そこに深みと大きさを感じさせた。

この旅で、出会いという出会いができた。
そう旅は出会い。

彼女はわかっていた。自分もここを気に入ることを。

オリオンビールとおすそ分けで頂いた泡盛で気持ちよくなり眠くなった。
ちょっと広すぎる部屋で、ゴロンとしよう。

TVはない。それがいい。
「海山木(みやぎ)」で二人。それがいい。

そう明日は最終日。

物語がもう少しつづけられる。

満たされている。満たされている。


【民宿 海山木(みやぎ)】

2011-06-01 00:03:39 | 【沖縄の旅】
祈りに反して雨がポツリポツリとフロントガラスに落ちて来た。
奥間を過ぎると、店やコンビニがなくなってきた。
折しもの雨空と日暮れ。なんとなくミステリーゾーンに入っていく感じがした。
辺戸岬を過ぎる雨は豪雨に近くなった。

運転は彼女。「海山木(みやぎ)」への道のりは彼女にまかせた。
道は舗装されていて快適ではあるが、人気(ひとけ)がなくなってきた。
一人だったら不安の一言も出てくるが、「海山木(みやぎ)」まではとにかく彼女に任せた。

しばらくするとちょっとした町に出た。町というより集落か。
「そうそうこの辺、看板あるからよく見てて」
するとほんとに小さな看板が造作なく立っていた。
将棋版ほどの大きさで、草の中からにゅっと生えている感じ。
最初は見過ごしてUターンした位だった。

看板のある入口を入ると、舗装していない御嶽(うたき)に入った時のような小道になる。
車はおそる、おそる徐行すると、そこに「海山木(みやぎ)」は本当にあった。

東京で生活している自分にしてみれば、そこに民宿があるとは思えなかった。と
もあれ、目的地についた。

着くと奥さんが、食事は6:30からこちらの離れで準備してますと案内してくれる。
そこは古民家のダイニングルームのようなところで、真ん中に大きな囲炉裏が横たわっている。
「ここでみんなでご飯食べるんだよ」と彼女。

宿泊施設に行くと、共用のリビングスペースに彼女が言っていた本棚がでーんとあった。
一つは子供用の本棚。もう一つは大人用の本棚。机には地球儀が。
自分たちが泊まる部屋の前の縦長い本棚には洋書が並べられていた。
バックパッカーの聖書lonely planetもあった。

部屋は8畳ほどの畳部屋で、鏡台とちゃぶ台があるだけ。
TVなし。シンプル?簡素?隣は襖一枚で仕切られている。
ここは民宿なのだ。

窓の向こうに縁側がある。3畳ほどの広さでゆったり。
ベンチもあり、蚊取り線香もおいてある。ランプもぶら下がっている。
庭には雨露に濡れた緑(植物)が生き生きと生えていた。

「どう?」
と聞く彼女。しばし言葉というか感想にとまどう自分。
どういうところに来たのかがうまく理解できていなかった。言葉を捜していた。

ただ感じていたことは、とんでもないところに自分はいるということ、
彼女が連れてきたがった意味がここにあるはずだということ、
そしてここは自分にとって特別な場所であるということだった。

飲み物は自分で持ち込みのシステムになっていて、近くのスーパーに買いに行くことにした。
そこは共同売店といい、沖縄独自の共同商店。町で運営しているらしい。
その売店も、30年ぐらい時間がとまっているような感じで、異国ならぬ、異時間にいる感覚だった。
オリオンビールを2本買って、宿に戻る。酒に強くない彼女はコーヒーを買っていた。

そして、食事の時間になる。さっきの大きな囲炉裏のある離れに行って、夕食の時間。
つい3時間前に花人逢でピザを食べたばかり。ちゃんとご飯は食べられるのかい?
一抹の不安がよぎる。台所からいい匂いが漂ってきた。

自分たち2人以外に、もうひとかた宿泊客の方がいた。
何かを研究しているおじ様で、「よかったら、ビールやってください。」と勧めてくれた。
常連さんのようで、余裕がある感じだった。

そして宿主の宮城さんが現れた。
琉球の人が登場した。そう思った。

【オクマビーチにて】

2011-05-31 23:53:10 | 【沖縄の旅】
ちょっと、「JALプライベートリゾートオクマ」によった。
まったくもって自分ぽくないここによったのには理由がある。

実は彼女の友人がこの施設のチャペルで結婚式を挙げた。
彼女はその挙式に出席しており、ここは思い出の場所だった。

夕方近くで屋外にあるチャペルは誰もいない。

「ここで式を挙げたんだよ」

彼女の記憶は鮮明で、当時のことを話してくれた。

その場所を二人して歩く。
それは自分の人生にもそういうときがくるかもしれない、しかもそう遠くない未来に。
そんな気持ちにさせた。

一人じゃない。
これが今までの旅と決定的に違うところだ。

チャペルからビーチは繋がっており、しばし砂浜を歩く。
おのおの自由行動。

曇り空は変わらなかったが、少しだけ空が明るくなった。

そして祈った。

「一瞬でいいから太陽と青い空を僕たちに見せて下さい」

結構、気合入れて祈ってみた。空に手をかざしてみたりもした。
残念ながら曇りは曇りだった。

「いい天気とは、晴れだけではないよ。
自分にとってベストなことなことが起こる、パーフェクトな瞬間を感じる。
その時の天気がいい天気っていうんだよ。」

なーんて彼女にはいいながら、「晴れるように」と祈っていた。

なぜならここは南の島、沖縄。
青い空とエメラルドグリーンの海が見たかった。
そしてその海で泳ぎたかった。

神様はだまっていた。でもそれは悪い感じじゃなかった。

浜辺でしばし戯れ、車に戻った
そして今日の最終目的地「海山木(みやぎ)」に車を走らせた。

濃密な時が過ぎていった。

【花人逢(かじんほう)に咲く花花】

2011-05-28 22:11:32 | 【沖縄の旅】
沖縄本島最北端、辺戸岬方面に車を走らせる。
運転は彼女と変わりばんこ。

途中の休憩は、コンビニにスーパー「かねひで」、それと道の駅。
コンビニも沖縄にしかないおにぎりがあったり、
地元のスーパーでも本土とは違うお惣菜やお魚たちが並んでいて楽しい。

道の駅も充実していて、タコス、ブルーシール、沖縄そばなど
ちょっとしたファーストフードを堪能できた。みやげものも目新しく、面白かった。
「琉球王国の歴史」なる本を買ったのも道の駅。

県道58号線を北上していると、美ら海海洋公園への誘導看板、前売券販売所が目に付く。
曇天の天気であればなおさら、観光スポットとしては外せないポイントではあるが、
県道から折れてあえて細い道へ。

目指すは「花人逢(かじんほう)」という名のピザ喫茶。

沖縄でピザ?と考えると首を傾げてしまうが、浜辺のカフェ同様、ちょっとした有名なカフェ。
実際着いてみると、車の駐車場はぎっしり。旅行者のレンタカーだけではない。
地元の人も来ている。25,6台は止まっていた。入るのも順番待ちで3番目だった。
都内のランチやファミレスではないここに、人が集まる磁場がある。

そこには少し広めの琉球古民家があった。
庭が広く、キャンプ場にある食事場のような小屋があり、
古民家の中、バルコニー(縁側かな)、庭の小屋にお客様を入れていた。

「花人逢(かじんほう)」の素晴らしさは、その見晴らしにある。
高台にあるので、半島の村、海岸線、そして東シナ海が目の前に広がる。
空も広く感じられ、開放感が溢れている。空間に余裕がある。
庭には花ばなが咲きほこり、子供たちも安心して遊んでいる。
自分はタバコは吸わないけれど、吸う人にしてみれば、
格別の一服をすがすがしい空気とともに吸い込むことになる。

そして古民家の家屋はまさに琉球情緒が溢れていた。
バルコニー(縁側に3席ある)からの眺めも趣がある。
靴を脱ぎ、ぼーっとすると、「自分の家の庭」を思わせる感覚に陥る。
こんな時間、こんな生活・・・という言葉が自然と溢れてくる。

内装も天井が高く、照明は懐かしく、外光をうまく取り入れている。
机も一つ一つ違い、古琉球の生活がにじみ出ている。

そんな「花人逢(かじんほう)」。
私たち二人は庭の小屋の方にアテンドしてもらった。ここも心地よい風がほほを撫でる。

オーダーしたものはカフェラテとガイドブックに載っていたアセロラジュース。
そしてピザ。カフェラテにはお盆の上に一輪挿しの花が活けてある。
アセロラジュースは夕日のような赤が瑞々しく、グラスの露天がすがすがしく、一つ美術品のようだった。
ピザもガーリックが効いていて絶品。
沖縄、ピザ?なんてとは思っていたが、いい意味で予想を裏切られた。

なんといっても「気」が満たされた。元気になる感じがした。

彼女が気づく。ここの店員さん、みんなイケメン。なるほど、イケメンぞろい。
接客も気持ちよかった。入るのに少し待ったが、座ってからはかなりのんびりできた。
こういうところではいやな会話はない。
みなどこか、落ち着きと深い笑みを湛えている。安らぎと平安がある。

ここもまた立地は決していいとはいえない。
ナビがなかったら、看板がなかったらあきらめてしまいそうになる場所にある。

それでも人は集まる。快を求め、安らぎを求め、楽しみを求める。
「花人逢(かじんほう)」の庭には花がある。珈琲にも花がある。
そしてなにより、店員さんの、お客さんの笑顔の花がある。

沖縄で生まれた曲。「花」。

♪川は流れてどこどこいくの~
 人も流れてどこどこいくの~
 そんな流れがつくころには~
 花として 花として 咲かせてあげたい
 泣きなさい 笑いなさい 
 いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ

沖縄に「花」は咲いている。
「花人逢(かじんほう)」は人の心に花を咲かせるカフェだった。

またこようね。

みんなの声が聞こえてくる、そんな気がした。


【ぶくぶく茶】

2011-05-28 21:57:03 | 【沖縄の旅】
目が覚めて、カーテンを開ける。そこには曇天の空が。

チェックアウトの前に、どうしても行きたいところがあった。
それは壺屋通りの中ほどにある「うちなー茶屋ぶくぶく」。
7年前と5年前の沖縄訪問の時に2度来たことがある。

沖縄に来た暁には必ず立ち寄ろうと決めていた。
ぶくぶく茶については以前のブログに詳しく記載した。
沖縄の話がでると、いつもぶくぶく茶の話をした。
友人にも、家族にも、wombでもそして彼女にも。
それだけぶくぶく茶の出会いは自分の中で大きな存在だった。

店主、柳子(りゅうこ)さんの訪問した時のもてなしは絶品だった。
友だちを紹介したときも歓待して下さり、お礼状のおはがきも送って下さった。
そしてなにより、超ローカルなこのブログを発見し、コメントも頂戴した。

それは真心という言葉が一番ふさわしく、溢れくるものがあった。

この5年間、特別なコンタクトといえば沖縄に行くwombのお客様にぶくぶく茶お勧めしたところ、
本当に訪問して下さり、柳子さんからのメッセージを持ってまたお店に来てくれた。

他にもガイドブック各誌、それとテレビでも何度か取り上げられており、
すっかりぶくぶくはちょっとした名の知られたお茶屋になっていた。

彼女と二人で向かうも、営業は10:00から、
でもチェックアウトは11:00、大急ぎで向かった。
地図はもういらなかった。心が逸(はや)った。
壺屋通りを左に折れて、登り坂を上がると、そこにはあった。

ぶくぶく茶。

そしてその入口には・・

「しばらくお休みを頂きます」

ガーン!と意気消沈した。すごく残念だった。そして写真を撮る。
ただもういてもたってもいられなくなり、お店に電話。
すると今電話は転送されていて、別な番号を案内された。

何かあったのかな?

そう思いつつ、思い切って、案内された番号におそるおそる電話してみる。

すると柳子さんが出た。あの声。

「覚えていらっしゃいますか?」と切り出すと、
「東京の黒木さんですね」「一度おはがき書いたんですが戻ってきまして・・」と。

そう引越しした。さすがに連絡はしてなかった。
覚えて頂いていること、おはがきを頂戴していたことに喜びがこみ上げた。

しばらくスイスに行かれていたこと、
名護にもう一店舗構えることの話をして下さった。
今日は新店工事の立会いで名護にいるとのことで、とにかくお元気そうでそれが嬉しかった。

そしてこう尋ねられた
「黒木さんはもうご結婚されたんですか?新婚旅行でいらしたのかと思いまして」

柳子さんはブログを見ていて下さっていた。
ブログ更新しなきゃと、改めて思った。

そしてまた来ますねといって、電話を切った。

彼女もぶくぶく茶の門や格子引き戸の隙間から見えるお店を、気に入って、
また来ようねと言ってくれた。
あと「この人は何を盛り上がってるんだろう?」と思ったことと思う。

お茶は残念だったけれど、柳子さんの声が聞けたのが本当に嬉しかった。
でもまあ我ながらなぜこんなに気持ちが高揚するのかよくわかっていない。
それはこの旅のテーマにも繋がってくる。

それは後になってわかる、後付けのテーマ。その時はわからない。
今を生きることでわかる、隠されたテーマ。今わからないことが醍醐味。

時計を見ると、もう10:30を回っていた。チェックアウトの時間はもうすぐ。
早歩きでホテルに戻る。

曇天の中、旅が続く。



【センス】

2011-05-28 21:33:39 | 【沖縄の旅】
沢田研二ことジュリーの歌で、「お前にチェックイン」という曲があります。

♪チュルチュル チュッチュッ チュリラー
 チュルチュル チュッチュッ チュリラー
 チュルチュル チュッチュッ チュリラー
 お前の部屋に チェックインしぃ~た~ ロンリ ナイッツ ・・・・

あっ、もういい。

1980年代のこの曲を歌うと、彼女も

♪チュルチュル チュッチュッ チュリラー・・

ちなみにその子、1981年生まれ。自分と10違う。でもなぜか知ってる。
今から20数年前に
♪チュルチュル チュッチュッ チュリラーならわかるけど、今や21世紀。
しかも11年も経ってるのに、♪ チェックインしぃ~た~ ロンリ ナイッツ!

単にホテルにチェックインしたからなんですけどね。
多分ヒット中はみんな、お前にチェックインとかズームインとか言っていたはず。
かなりベタで。間違いない!
ともあれ、ピンポイントではまるツボが一緒だと嬉しいもんです。
ジェネレーションGAPを超えて。

那覇市内に着いて、とりたてて目的地がなくなって彼女に聞いてみました。
「どこか行きたいとこない?」彼女は沖縄に6回ぐらい来ているつわもの。
どこか知っているところがあってもおかしくない。

そして出てきたのが、「LAMAYANA」に行きたい。

「LAMAYANA」は沖縄では有名なアジアン雑貨屋さん。
国際通りをはじめとして数店舗展開している。
彼女が行きたいといっていたのは本店で、駅でいうとかりゆしモノレール旭橋駅から数分で着きます。
ちょっと国際通りからは離れています。そこまで歩いていきました。

「LAMAYANA」本店は大きな倉庫になっていて、雑貨だけでなく、家具やランプも販売しています。

付き合い始めて1年ちょっと過ぎ、互いの価値観を擦り合わせて、
二人の価値観を作っている途上。
何が好きか、何を選ぶかはセンスがいります。
「LAMAYANA」に行き、なるほどこういうところが好きなのか、と思い。
自分と合ってると再確認するのです。

というのも中国・チベットの旅からある、
「なぜ彼女のことが好きなのか?」は永遠のクエスチョンだからです。

ちなみに彼女は何も買わずに出てきて、自分はチョーカーを買いました。
連れられた自分が買う。こういうパターンってありますよね。

そして店を出て、なぜここ知ってるの聞くと、
「前来たとき泊まった民宿が近くにあるの。」
じゃっそこ見てみたいってことで、その民宿を見ると、2階建てのいわゆる民宿。
バックパッカーでいう安宿。素泊まり2,000円。

それを見て、思うのは、「よし、旅ができる」でした。
パートナーとは旅がしたいと思っていたので、彼女への信頼が深まりました。
そしてまた判子を押すのです。

彼女で間違いないと。

そこからは晩ごはん!オリオン場探しです。国際通りをぶらぶらします。
行くとわかりますが、国際通りは渋谷、新宿のような呼び込み、チラシ攻勢にでくわします。
一生懸命もフレンドリーもわかるけど、正直あまり好きでない。

2往復して、疲れてきたところで、ちょっと横道、アーケード市場の方に折れました。
そして見つけたのが、「あかさたな」という大衆沖縄料理店。
外で食べることもでき、リーズナブルで少量多種食べられるということでここに決めました。
もちろんオリオンビールもあります♪
旅は当たりもあればはずれもあるけど、「あかさたな」は大当たりでした。

うまかった~!一つ一つの具材に味が深く染み渡っていて、沖縄の味を堪能しました。
舌の上でラフテーやぐるくんがエイサーを踊っていました。
舌鼓の合いの手も絶妙で、オリオンビールもキンと冷えてて、満たされ感は急上昇しました。

人は満たされれば後は何もいらなくなるもので、帰りは満たされ感をキープしつつ、
紅いもアイスを食べてホテルに帰りました。

朝が早かったのと、充実した丸一日、初日は無事故で順調はなまる。
いい気分で眠りに着きました。

さあ、明日の天気はいかに。待望の民宿「海山木(みやぎ)」へ。

♪チュルチュル チュッチュッ チュリラー・・
 アダムとイヴは 今 愛し合ってるぅーーー