夜、BARに行った。一人でBARに行くのはどれくらいぶりだろうか?
2年、3年それくらい一人では行っていない。
気まぐれではなく、明らかに心身がそれを求めていた。
今の配属先に入ってもうすぐ2年になる。10年前と比べるとビジネスは様変わりした。
ITの高度化、個人情報への取り組み、コンプライアンス重視、消費者保護の徹底はより強制力を持って仕事への縛りをきつくしている。それは今後もつづく。それに適応するのが求められており、適応しなくては選択肢は「去る」というところに帰結する。
「適者生存の法則」・・・環境に適応変化できるものが生き残り、進化を遂げる
残業はしていてもそこまで強く管理はされていなかった。お客様との距離感も担当に任されている領域は広かった。PCもそこまで更新のペースは速くなかった。スケジュールも少しゆとりがあった。その分だらしなく緩いところもあっただろう。でもそれを差し引いても強制力や、拘束感は比較的少なかったように思う。
つまりはストレス過多。職場でも怒られたり、指摘されたりことが多くなってきた。100%自分原因説というのがあるが、そこでいうとそこにいることを選んだのは自分なのだからやっぱり、自分に問題があるはず。能力の無さを実感痛感することが多かった。
「すみません・・」の言葉があいさつのように多用され、謝罪が軽薄に感じられた。
徒(いたずら)に自分を責めた。そして受け入れ、こんな時もあると、そういうことにしていた。
ただ魂は違った。なんでこんなにがんばっているのにと泣いていた。今までより現実と向き合っている、いや戦っている。でもなんでだ?と問い詰めていた。
その日も休憩がとれず、どこかさばさばし、乾燥していた。
どうしてもBARが必要だった。
夜の23:00一度家に帰り、世田谷通り沿いのラーメン屋「一心」でチャーハンとキュウリを食べた。となりのおばさんがお店の人たちに、帰り際、「みんなで飲んでください」とチューハイをご馳走していた。
こんなとき、店は温かくなり、表情が優しくなる。ちょっとした報われ感がある。
Wombの時、よくお客様にご馳走になった。その気づかいに成熟さと、ゆとり、思いやりを感じた。自分もかくありたいと思い、気に入ったお店では「一杯どうぞ」をしていた。それは目に見えない気配り、心配り、頑張りへの敬意だった。
となりのおばさんを見て、何かを感じている自分がいた。
一心を出た後、3件ほどBARを覗いた。入れなかった、2年のブランクは敷居を高くしていた。ためらう自分、どこか不安を感じている自分が嫌だった。
もう帰ろうと思った4件目、「若林ハウス」が目に入った。そこは、2年前の年末、雪の日に行ったBARだった。その店こそが一人でBARに行った最後の店だった。
「まだ大丈夫ですか?」時計は0:30を回っていた。
「2:00までです。日曜日はお客様の引きがはやいので今日はもうお客様が最後だと思います」そういって微笑んだ。
棚のボトルたちを眺めて。「ジンは何がありますか」とたずねると「ウィルキンソンとタンカレーです」
「ではタンカレーで、ジントニックを」とお願いする。
「はじめましてでしたっけ?」
「いいえ3度目です。」
なんて話が繰り広げられる。これがBARの会話。そのたわいもなさがすっと自分を自分にさせた。そこに大きな力も拘束力もはたらかない。
タンカレーは、お店の棚にはなかった。ジンは冷凍庫にキンキンに冷やす。これが鉄則。
「少し弱めで。」
自分のリクエストでマスターはジンを30mm.で作る。レモンが沁みる。ウィルキンソンのトニックと馴染む。コースターの上に、グラスが置かれる。それは祭壇の前に捧げられるキャンドルのように。
一口飲むと、唇から舌、喉に通り過ぎていく中で、すぅーっと時の流れが変わっていった。自分の中身が全て取り替えられている感じがした。さっきと今では違う自分がここにいる。その美味しさ、味わいは勿論、違う自分になれたことに感謝した。周りの現実も状況も何も変わっちゃいない。自分がかわったのだ。
タンカレーが癒やした。
夜のBARの力はここにある。
2杯目を頼むとき、「よかったらマスターも」
「いえ飲めないのでお気持ちだけありがとうございます」
マスターの配慮そのやりとりがより質の良い酔いを演出する。心地がいいのだ。
やはり人なんだ。
大変だった先月救われたのは、お客様が素晴らしかったこと。2人のお客様から菓子折を頂戴した。感激だった。報われた気がした。
水鳥のように、表面は落ち着いて見えても水面下の足元はバタバタしている自分。でもお客様の思いやりは、打ちのめされている自分には胸に沁みた。そうそれはここで頂いたジントニックのように。
癒やされはじめてようやく、同僚、会社、家族に感謝できた。
現実も状況も何も変わっていない。でもそれと向き合う自分の気持ちは変わった。
また向き合おう。積み重ねたものを簡単に投げ捨てるのはやめよう。
自分が軽くなり上から自分を眺める。
よし前に進もう。笑顔で。
2015.3.8 記
2年、3年それくらい一人では行っていない。
気まぐれではなく、明らかに心身がそれを求めていた。
今の配属先に入ってもうすぐ2年になる。10年前と比べるとビジネスは様変わりした。
ITの高度化、個人情報への取り組み、コンプライアンス重視、消費者保護の徹底はより強制力を持って仕事への縛りをきつくしている。それは今後もつづく。それに適応するのが求められており、適応しなくては選択肢は「去る」というところに帰結する。
「適者生存の法則」・・・環境に適応変化できるものが生き残り、進化を遂げる
残業はしていてもそこまで強く管理はされていなかった。お客様との距離感も担当に任されている領域は広かった。PCもそこまで更新のペースは速くなかった。スケジュールも少しゆとりがあった。その分だらしなく緩いところもあっただろう。でもそれを差し引いても強制力や、拘束感は比較的少なかったように思う。
つまりはストレス過多。職場でも怒られたり、指摘されたりことが多くなってきた。100%自分原因説というのがあるが、そこでいうとそこにいることを選んだのは自分なのだからやっぱり、自分に問題があるはず。能力の無さを実感痛感することが多かった。
「すみません・・」の言葉があいさつのように多用され、謝罪が軽薄に感じられた。
徒(いたずら)に自分を責めた。そして受け入れ、こんな時もあると、そういうことにしていた。
ただ魂は違った。なんでこんなにがんばっているのにと泣いていた。今までより現実と向き合っている、いや戦っている。でもなんでだ?と問い詰めていた。
その日も休憩がとれず、どこかさばさばし、乾燥していた。
どうしてもBARが必要だった。
夜の23:00一度家に帰り、世田谷通り沿いのラーメン屋「一心」でチャーハンとキュウリを食べた。となりのおばさんがお店の人たちに、帰り際、「みんなで飲んでください」とチューハイをご馳走していた。
こんなとき、店は温かくなり、表情が優しくなる。ちょっとした報われ感がある。
Wombの時、よくお客様にご馳走になった。その気づかいに成熟さと、ゆとり、思いやりを感じた。自分もかくありたいと思い、気に入ったお店では「一杯どうぞ」をしていた。それは目に見えない気配り、心配り、頑張りへの敬意だった。
となりのおばさんを見て、何かを感じている自分がいた。
一心を出た後、3件ほどBARを覗いた。入れなかった、2年のブランクは敷居を高くしていた。ためらう自分、どこか不安を感じている自分が嫌だった。
もう帰ろうと思った4件目、「若林ハウス」が目に入った。そこは、2年前の年末、雪の日に行ったBARだった。その店こそが一人でBARに行った最後の店だった。
「まだ大丈夫ですか?」時計は0:30を回っていた。
「2:00までです。日曜日はお客様の引きがはやいので今日はもうお客様が最後だと思います」そういって微笑んだ。
棚のボトルたちを眺めて。「ジンは何がありますか」とたずねると「ウィルキンソンとタンカレーです」
「ではタンカレーで、ジントニックを」とお願いする。
「はじめましてでしたっけ?」
「いいえ3度目です。」
なんて話が繰り広げられる。これがBARの会話。そのたわいもなさがすっと自分を自分にさせた。そこに大きな力も拘束力もはたらかない。
タンカレーは、お店の棚にはなかった。ジンは冷凍庫にキンキンに冷やす。これが鉄則。
「少し弱めで。」
自分のリクエストでマスターはジンを30mm.で作る。レモンが沁みる。ウィルキンソンのトニックと馴染む。コースターの上に、グラスが置かれる。それは祭壇の前に捧げられるキャンドルのように。
一口飲むと、唇から舌、喉に通り過ぎていく中で、すぅーっと時の流れが変わっていった。自分の中身が全て取り替えられている感じがした。さっきと今では違う自分がここにいる。その美味しさ、味わいは勿論、違う自分になれたことに感謝した。周りの現実も状況も何も変わっちゃいない。自分がかわったのだ。
タンカレーが癒やした。
夜のBARの力はここにある。
2杯目を頼むとき、「よかったらマスターも」
「いえ飲めないのでお気持ちだけありがとうございます」
マスターの配慮そのやりとりがより質の良い酔いを演出する。心地がいいのだ。
やはり人なんだ。
大変だった先月救われたのは、お客様が素晴らしかったこと。2人のお客様から菓子折を頂戴した。感激だった。報われた気がした。
水鳥のように、表面は落ち着いて見えても水面下の足元はバタバタしている自分。でもお客様の思いやりは、打ちのめされている自分には胸に沁みた。そうそれはここで頂いたジントニックのように。
癒やされはじめてようやく、同僚、会社、家族に感謝できた。
現実も状況も何も変わっていない。でもそれと向き合う自分の気持ちは変わった。
また向き合おう。積み重ねたものを簡単に投げ捨てるのはやめよう。
自分が軽くなり上から自分を眺める。
よし前に進もう。笑顔で。
2015.3.8 記